四節 海に潜った
僕は赤イモムシの背後から上に飛び乗り、爪を立てて外皮を裂こうと試みた。やはり推測が合っていたのか、これまで戦ってきた敵よりも皮は硬かったが、それでも僕の爪を防げる程ではなかった。
外皮が左右に裂けていくのを黙って見ている訳もなく、赤イモムシは背中から生えた触手を踊らせ僕に襲いかかってきた。どうやら、イモムシの形態が故に暴れるという選択肢が取れないようだった。
数本の触手が僕の足を払おうと、風を切るように振り抜かれた。しかし外皮に深く突き刺さった僕の足はびくともせず、それどころか、振り抜いた衝撃で触手が千切れ飛んでしまった。直径数十センチはあろうという太い触手がはじけ飛び、近くのビルの窓ガラスを粉々にした。
僕は気を取り直し、再び外皮を左右に引き切れ目を作っていった。僕の目的はただ一つ、赤イモムシ内部への侵入だった。
というのも、核となる『宿主』の場所を推測することは難しかったことが大きかった。今まで対峙してきた敵は僕と同じかやや大きいくらいのサイズだったので、身体の中心部分や『宿主』がいそうな場所を予測することが比較的容易だった。
しかし赤イモムシは、その大きな身体に加え全体的に平坦なデザインをしていたせいで、ここだろうという確信が一切得られなかったのだ。身体の大きさから考えて、のんびり外から攻撃しても、僕の速度よりも相手の再生速度が上回る可能性も高かった。
となれば取れる行動は自ずと限られてくる。身体の中に直接侵入し、『宿主』と赤イモムシの繋がりを断つことは、一見して簡単な方法に思えたのだ。
触手を振り払いながら外皮を裂き続けること十秒程で、爪先に伝わる感触に変化が訪れた。外皮を貫いたのだ。
僕は気合を入れるように短く咆哮すると、力を込め一気に両腕を開いた。肉が裂けていき、赤イモムシが絶叫した。だがそれでも前進するのを止めず、むしろ加速するばかりだった。
視界の端に、『国道一号線』を示す看板が映った。どうやら赤イモムシは、これに沿って移動を続けているらしかった。逃げ遅れた――あるいは放置された――車を踏み潰し、まっすぐに道を進んでいた。早く止めなければ、被害は爆発的に拡大するだろうことは目に見えていた。
それに、いつ赤イモムシが国道を逸れて住宅街に突っ込むかもわからなかった。迅速な行動が、僕には求められていた。
僕は先程切り開いた外皮の割れ目に、再び爪を突き刺した。外皮の下の、柔肉を裂いていくと、やがて遮るものがなくなり、僕の手は空を切った。赤イモムシの内部は、空洞になっているらしかった。
中に空洞が出来ているなら、内部から敵を破壊するのも十分可能だろうと感じた。内壁を食い破りながら進む必要がないなら、素早く『宿主』に近づくことも可能だろうと、僕は考えたのだ。
両腕を使って身体を裂け目に押し込み、赤イモムシの内部に入った。体内はまるで、内視鏡で見た腸や胃の映像を僕に想起させた。一定のリズムで脈打ち、収縮をする。胃に入る食べ物の代わりに、ここまでの侵攻で飲み込んだ車や瓦礫が入っていたらしく、そこらに散らばりゆっくりと奥に流されていっていた。
消化液のようなものは出ていないようで、流動する肉壁が飲み込んだものをとにかく奥へ奥へと押し進めていたようだ。
奥……赤イモムシの進行方向に歩き始めて幾ばくもしない内に、僕はとあることに気がついた。
赤イモムシのお尻側に流れていた瓦礫の下に、何かがいたのだ。その何かが、集合し、時折吸引物を持ち上げ潤滑な進行の手助けをしていた。
僕はぐにゃぐにゃと揺れ動く肉床の上を進みながら、それを見た。目が、合った。目に当たる器官がそれにあったかは定かではないが、直感的に、そう感じたのだ。
それは、足の生えた女性器という印象の何か、だった。あわびに近いかもしれない。表に見えている部分は、肉を内側に巻き込んだような形をしており、中央の割れ目から細い触手のような何かが蠢き伸びていた。裏側の貝殻部分は硬そうな外皮に覆われ、そこから脚が六本生えていた。節の付いた脚には小さな棘がいくつも付いていて、虫か何かを思わせるデザインだった。
体長は恐らく一メートルもない。せいぜい四十センチというところだったと思う。四十センチ程の足付きアワビが、大量に集合し、瓦礫を運んでいたのだ。
恐らくこの足付きアワビは、赤イモムシと付随して発生した敵の一部だろう。自立して動き、体内の活動を円満にしていたのだ。後から聞いたが、一部は体外に出て人間を襲っていたらしい。
触手の先端を僕に向け、足付きアワビが一斉に襲いかかってきた。数は全く把握できず、絨毯のようになった足付きアワビが順繰りに飛びかかり、僕の装甲を齧り始めた。
僕は反射的に頭を抱えて避けようとしたが、かえって足付きアワビに飲み込まれるような形になってしまった。上から押しつぶすように足付きアワビが飛びかかり、重さを増してゆく。
だが、軽かった。齧りつかれてはいたが、装甲に傷が付くことはなく、身体に付着した足付きアワビは、触手で無理やり身体を吸着させているだけに留まっていた。どうやら消化液のようなものも分泌されていたようだが、瓦礫は溶かせても『蜥蜴』の装甲を溶かすことは叶わないようだ。
相変わらずの堅牢さに安心した僕は、思い切って立ち上がり、全身を大きく震わせた。絡みついていた足付きアワビの触手が千切れ、辺りに散らばっていった。
一度敵と見なすと諦めることはないのか、足付きアワビは再び僕に飛びかかり粘着く液体を放出し始めた。僕は足付きアワビを蹴飛ばしながら前へ前へと進み続け、顔の周りにへばりつこうとしてきた足付きアワビを叩き割っていった。
僕はすぐに赤イモムシの中心部分に到達した。空洞の中心にあった、盛り上がったコブの存在に気がついた。
『宿主』が入っているのだろうと推察し、僕はそれに爪を立てた。慎重に、中身を傷つけないようゆっくりと切り開くと、コブの中から大量の液体が溢れ出した。中には大人しそうな顔つきの青年が収まっていた。見た目の印象だけで言えば、加虐的嗜好のあるようなタイプには見えなかったが、とにもかくにもこの人物が欲望に飲まれたことは間違いがなかった。
僕は慎重に周囲の肉壁から伸びたへその緒のような物を断ち切り、男をコブの外に出した。まだ息はあるようだった。素早く赤イモムシから脱出し、近くの病院で診てもらえばまだ助かるかもしれなかった。
途端、僕の周囲を跳び回っていた足付きアワビが奇妙な鳴き声を発し始めた。餌を待つ雛鳥の鳴き声を百倍不細工にしたように、僕には感じられた。足付きアワビは鳴き声を上げなから、両手に収まっていた青年を取り返そうとするように、一斉に腕目がけて飛びかかった。
僕は素早く両手を胸の前に置き、青年を保護しようと肩を広げた。屈み込み、奪われないよう覆い被さった。尻尾を振り回し、襲いかかる足付きアワビを弾き飛ばし続けた。
しかし僕の抵抗虚しく、足付きアワビは僕の足や腕の隙間から触手を伸ばし、青年を奪おうとしてきた。『蜥蜴』の両手足はその体躯に見合わず異常に細かったので、隙間がどうしても発生してしまっていたのだ。
尻尾による迎撃も間に合わず、僕は圧倒的な数の暴力に敗れ青年を手放しそうになってしまった。
思わず、両腕に力が入った。
どうにかして青年を連れ去られないよう、しっかりと掴もうとしたのだ。
気づけば、足付きアワビは行動を止めていた。見るからに衰弱していき、次第に蒸気のようなものを噴き出しながら溶け出していった。それと同様に、赤イモムシが侵攻する振動も止み、肉壁を収縮させ萎んでいった。肉が溶け出し粘着く雨となって僕に降りかかった。
僕は身体を濡らす液体を浴びながら、両腕を開いて、胸の中を見た。
プロレスラーが林檎やアルミ缶を潰した映像を見たことがあった。僕の胸の中には、潰れて粉々になった、かつて人間だった肉片が収まっていた。
そこにはないはずの心臓が、跳ね上がった気がした。心的動揺が、まるで心臓の鼓動のように走ったのかもしれない。全身を巡り、パニック状態を高めた。
僕は人間の身体のつもりで叫んだ。代わりに、『蜥蜴』が絶叫した。それは聞くものに、底の見えない恐怖を植え付ける咆哮となって、辺りを揺らした。
顔を上げた僕の前には、ビル群が立ち並んでいた。高層ビルの中から、逃げ遅れたであろう人物が僕を見下ろしていた。ヘリコプターがローターを回転させ、僕の頭上を飛んでいた。
赤イモムシが溶けて消え、中から僕が現れたのを、周囲の人間は目撃したのだ。
もう一度手元を見た。散らばった肉や臓器の中に転がっていた青年の瞳が、僕を見ていたような気がした。
僕は咽び泣いた。しかしそれは『蜥蜴』の身体を経由し、身をすくませる絶叫となって響き渡った。遠巻きに見ていた住民たちが耳を塞ぎ、恐怖に身体を震わせ、一斉に逃げ始めた。
「悠斗。もう一体も死んだぞ」
僕の横に神様が浮かび上がり、そう告げた。僕の耳には、ちゃんと届いていなかった。だが、「死んだ」というところだけは、やけに耳に残った。死んだのだ、二体とも。
珍しく神様は消えず、その場に残って僕に話しかけた。
「君は随分と嫌われたらしいな。見てご覧よ、あの表情を」
神様に言われるまでもなく、僕は既に周囲の人間の表情を見てしまっていた。誰もが僕に恐怖していた。
僕の身体に付着した液体が蒸発を始めた。その独特の音で僕は我を取り戻し、すっくと立ち上がった。僕が動き出したことで、野次馬達が悲鳴を上げた。
ここから離れなくてはならなかった。マスコミの追跡を避け、人間に戻り、鎌倉に……生まれ育った街に帰るのだ。
僕は赤イモムシが破壊した国道一号線を逆戻りし始めた。削れてパイプが破壊された国道をぐんぐん進んでいった。しばらく進み横浜に入ると、僕は方向を変え海に飛び込んだ。
なぜそうしたのかはよくわからなかった。身体についた青年の血を、落としたかったのかもしれない。
神様はいなくなっていた。言いたいことだけいって消える、いつも通りの態度だった。
呼吸器官がないのだから当たり前だったのかもしれないが、水中に潜っていても一向に苦しくなることはなかった。冷たい海水の温度も、苦にはならなかった。僕は海底で膝をつき、動くのを止めてしまった。動く気力がなくなってしまったのだと思う。
どれだけの時間が経ったのかわからないが、しばらくして目の前に明かりが現れた。ダイバースーツに身を包んだ人間だった。
咄嗟に逃げようとしたが、その手に掲げられたボードを見て、留まった。
『自衛隊です。救助に来ました』とボードには書かれていた。
ダイバースーツの男は不安げな様子を見せながらも、僕から一メートル程の距離を保って待っていた。
僕は右手を動かし、サムズアップのような仕草を見せた。ダイバースーツの男が頷き、手に持っていたボードを切り替えた。どうやら、大きな電子端末のようだった。
『間もなく装備を持った救助隊が』と書かれ、途切れていた。
続きを促すように、僕は再び指を上げた。
『到着します。変身を解除したら』
再び指を上げ続けさせた。
『すぐに安全を確保し、君を横須賀まで送ります』
自衛隊の意図を理解し、僕は頷きながらもう一度サムズアップをした。
間もなく、ダイバースーツの男が示した通り、三人の男が現れた。水上バイクのようなものに乗っていて、荷台らしき場所に僕のためと思われる酸素ボンベが載っていた。水中用のバイクなのかもしれない。
僕は『蜥蜴』に乗り移った意識を手放し、変身を解除した。人間の身体が再構築された途端、海水の冷たさと、水の重みを全身で感じた。
目を開けていられず、僕はもがいた。思わず空気を求めて口を開けてしまい、肺に残っていた残滓も全て吐き出してしまった。
すぐにダイバースーツの男達が僕を捕まえ、口に酸素ボンベを咥えさせた。海水をどうにか吐き出し、空気を循環させると、幾分か気持ちに余裕が出てきたことを感じた。僕は振り回してしまった左腕で、彼らを砕かなくてよかったと、心底安心していた。
暴れるのを止めたおかげか、僕を引き上げるのも楽だったようだ。ダイバースーツの男の一人が僕の身体を引っ張りどこかへ泳ぎ出した。
そのまま海中を移動すると、僕の身体は水中バイクの中に押し込められた。空気の泡がボコッと音を立てた。気づけば辺りを満たしていた海水が消えていた。どうやら水中バイクに接続された箱の中に入れられ、空気を注入して水抜きをしたらしかった。
僕は狭い箱の中に、小さなポケットがあるのを見つけ、震える手で中を探った。中にはケースに入れられたホッカイロと、まだ温かいお茶が入っていた。移動する間、少しでも身体を暖められるようにという配慮だったのだろう。今にして思えば、短い時間でよく用意できたなと驚くばかりだ。
僕は右手でホッカイロを握り締めながら、基地に到着するまでの間、暗い箱の中で震え続けた。
寒さからの震えなのか、助けるはずの人を握りつぶしたことによる精神的ショックによる震えなのか、判断がつかなかった。




