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一節 ご飯を食べた

 防衛省からやって来た男は、猪熊刑事いのくまけいじと名乗った。猪熊刑事はドア越しに、友人や職場での愛称は『イノデカ』というどうでもいい情報も加えて話してきた。そう名乗られたので、この時の僕もとりあえず心の中の呼称は『イノデカさん』にしておいた。

 イノデカさんは楓に扉を開けさせると、靴は脱がずに土間で立ち止まった。


 楓が一歩離れて、廊下を塞ぐように立ちイノデカさんを見つめた。イノデカさんは百八十センチ程はある長身の男で、楓よりも一段低い位置に居たにも関わらず目線が楓より下になることはなかった。

 深い皺の刻まれた顔には、小さな切り傷がいくつか痕になって残っていた。焼けた肌は、毎日家に籠もって妄想していた僕とは大違いで、防衛省の人間なんだしきっと外に出るのが得意なんだろうと僕は漠然と考えていた。


「悠斗くん。君のことは色々調べさせてもらいました」イノデカさんは廊下の奥から顔だけ覗かせた僕に向かって話し始めた。「君がアレの中身だということも調べがついています。少し、お話をしませんか?」

「悠斗に何をするつもり!?」


 楓が半ば睨みつけるような形でイノデカさんに言った。

 イノデカさんは少しだけ面食らったような顔をしてから、小さく笑った。


「君は悠斗くんの友達ですか? それともガールフレンド? その様子だと、悠斗くんのことは随分とよく知っているようだ」

「だったら何?」楓が腕を組んで聞き返した。

「事情を知っているなら、一緒に話を聞いてもらっても構いません。私は今日、彼と話をしようとしか考えていませんよ」


 そう言ってイノデカさんは靴を脱ぎ、廊下に上がった。慌てて楓が両手を広げてイノデカさんをブロックした。


「帰って! 今悠斗は……!」楓が僕をちらっと見た。「人と会えるような状態じゃないの! 帰って!」


 楓は恐らく、僕の腕のことを案じたのだと思う。だがその一言は、仮にも防衛省からやってきた男にとってはかえって僕への興味を惹く言葉だった。


「悠斗くん、怪我でもしているのかい? 病院に行けないっていうなら、事情はなんとなく理解出来る。専門家ではありませんが、ある程度なら診てあげられます」


 そう言って、イノデカさんは楓を押し退けるようにして居間の方へと歩みを進めた。楓が必死にすがりつくが、彼女の細腕ではイノデカさんの侵攻を食い止めることは出来ず、イノデカさんは居間に押し入ってきた。

 居間に入ったイノデカさんの目は僕の左腕に釘付けになっていた。僕は反射的に左腕を隠したが、無意味なことに気づき深く息を吐いた。


「その腕……どういう……?」


 イノデカさんが一歩後ずさり呟いた。楓が居間に入り、僕とイノデカさんの間に立ってイノデカさんを睨んだ。僕は少しだけ迷ったが、イノデカさんに、これまでの経緯を話すことに決めた。元々、楓にも話して今後のことを相談するべきだと思っていたし、丁度良かったとも考えたのだ。

 僕は楓の腕を引いて前に出た。楓が少しだけ威嚇するようにイノデカさんを見たが、不満そうにしつつも僕の隣に立った。


「話します。全部。本当はもっと早くそうすべきだったのかもだけど。――神様?」


 僕は虚空に向かって呼びかけた。楓とイノデカさんが揃って首を傾げた。僕は二人に構わず、何度か神様を呼び続けた。だが現れなかった。自分で話せ、ということを暗に示しているのかもしれないと僕は考え、神様を呼ぶことを諦めた。


「ごめんなさい。信じて貰うにはこれが一番早いかなって思ったんですけど……」

「『神様』が……いるんですか?」


 僕の様子を見ていたイノデカさんが尋ねた。その表情は、明らかに不信感で満ちていた。僕は頷き、左腕を見て言った。


「荒唐無稽な話だとは思いますけど、います。今はここにいませんけど、この力は神様に与えられたんです――」


 僕はそう切り出し、この『物語』が始まった経緯などを楓とイノデカさんに話して聞かせた。変身するために、身体に傷を作らないといけないことは黙っておいた。楓に要らぬ心配をかけさせたくなかったのだ。

 長くなってしまったので、僕らは途中で椅子に座り、楓が淹れてくれたお茶を飲みながら話を続けた。大まかなことを全て話し終えると、イノデカさんが顎を撫でて低く唸った。


「……とにかく、一連の怪物騒ぎを解決するには、全ての『宿主キャリアー』をころ……倒すか、その『神様』が設定している条件を悠斗くんが達成しないといけないってことか……」


 ほとんど独り言に近かったのか、イノデカさんは敬語を使わずに喋った。恐らく『殺す』と言いそうになったのだろうが、僕と楓の存在を思い出して言い回しを変えたようだ。


「悠斗は……大丈夫なの?」隣に座っていた楓が尋ねた。カップが僅かに結露し、テーブルを濡らしていた。楓は僕が経緯を話す間、お茶に口をつけることはなかった。

「怪我はとかは問題ないよ。どうも他の『宿主キャリアー』が生み出す敵よりも、僕の能力は強いらしいんだ。一度も傷を付けられたことはない」

「そうじゃなくて……」


 楓は少しだけ困ったように、両手をいじりながら言った。

 推測ではあるが、僕の精神状態とかそういうことを尋ねたかったのではないだろうか。そうわかってはいたが、僕は答えなかった。イノデカさんが来る前に弱いところを散々見せてしまったから、強い自分を見せたいと見栄を張ったのかもしれない。

 僕は一度だけ楓を見てから、イノデカさんに向き直った。


「とにかく、その条件もよくわかっていないし、僕は鎌倉から離れる気は一切ありません」


 先手を打って僕は話を切り出した。防衛省の人間に僕のことを知られたからには、この力をどうにか利用しようと考えると思ったからだ。

 イノデカさんはもう一度唸り声を上げてから、僕の目を見て話し始めた。


「きみは、どうして今まで誰にも相談しなかったのですか? 普通なら、真っ先に大人を頼るべきだと思うのですが」

「僕の能力を明かしても信じてもらえないだろうと思っていましたし、何より僕はここから離れたくなかったからです」

 変身するところを目の前で見せれば信じただろうが、そうした場合僕はどうなっていたのだろうか。実験動物モルモットのように扱われ、鎌倉で最初に現れた敵も放置されたかもしれない。そうなったら、学校に来ていた楓は今頃死んでいた可能性もあっただろう。

 僕が理由を話すと、イノデカさんは楓を一度見てから鼻から息を吐き出した。何も喋らずにグラスを傾け、喉を鳴らした。


「……湊さんが理由ですか?」


 イノデカさんが尋ねた。思わぬ名前の登場に、楓が一瞬肩を震わせ僕を見た。

 僕ははっきりと頷き、口を開いた。


「楓は僕にとって大切な人です。あんた達に事情を話してここから離れてしまったら、誰が彼女を守るんですか。それに現実的な話として、『宿主キャリアー』が日本中に散った今、僕が守れるのはほんの僅かな場所や人だけです。その状況で、生まれ育った街や友達を捨てて他の場所を守りに行く程、僕は人間が出来ていない」


 以前にもあったが、敵は複数の場所に同時に出現することもある。僕が離れている時にそうなり、万が一二体目以降が鎌倉に現れたら誰も楓を守れなくなってしまう。

 イノデカさんが「わかりますよ」と言いながら頷いた。そして口の端を持ち上げてみせる。


「じゃあこうしましょう。楓さんとその一家、及び君のお母さんをこちらで保護します。かつ、悠斗くんには鎌倉に残ってもらって引き続き敵を倒してもらう。他の地域に敵が現れた時は、我々の仲間……自衛隊に出現位置を教える。どうですか?」


 この申し出は、僕にとってはとても魅力的なものだった。楓のことを心配せずに、目の前の敵に集中出来るからだ。神様が設定した物語を早く終えるための条件がわからない以上、僕が取れる行動は敵を倒すことだけだった。楓のことを心配しないで済むのなら、素早く出現位置まで移動して、トモちゃんのように『宿主キャリアー』が死ぬ前に助けられるかもしれないと考えたのだ。

 少しの間考え、僕はイノデカさんの申し出を受けることにした。楓は初めは不満そうにしていたが、何度も説得を重ねると、僕のしつこい姿に折れたのか了承してくれた。


 話がざっと纏まると、イノデカさんは楓達の移送をするために電話をしに外へ出ていった。静かな居間の中に、僕と楓だけが取り残された。

 楓は少しの間、居心地悪そうに足を組み替えたりして座っていた。やがて立ち上がると、楓は「ちょっと待ってて」と言い残し部屋を出ていった。五分程で戻ってきた楓の手には、何やら食材らしいものが大量に積まれていた。


「やっぱりちゃんと作るわ」


 楓が僕の視線に気づき、少しだけ笑ってから材料を台所に並べ始めた。イノデカさんが来てから放置したままだった鍋を確認し、火をかけ直す。楓は惚れ惚れするような手つきで、鍋の様子を見ながら持ってきた食材を捌き始めた。

 三十分程経った頃、楓は「よしっ」と言いながら満足気に頷き、僕の前に皿を並べていった。イノデカさんはまだ戻っていなかった。もしかしたら、気を使ってくれたのかもしれない。『物語』が結末を迎えるまで、楓とは会えなくなってしまう。二人で過ごす時間はしばらく取れなくなってしまうからだ。


「悠斗、ご飯って食べられるの?」


 楓が箸を用意しながら尋ねた。


「右手は無事だから食べられるよ。……ああ、でも茶碗が持てないか」


 完全に『蜥蜴リザード』のそれと化してしまった左腕は、握力なども変化していた。すぐに物を壊してしまうし、日常生活は困難なものになりそうだった。


「……食べさせてあげるわ」


 楓が言いながら隣に座った。肉じゃがのじゃがいもを箸で摘み、僕の口元へ持っていった。


「い、いいよ。恥ずかしいし。食器だけ持つか、押さえるかしてくれると嬉しい」

「口答えしない。『命令』よ。ほら、あーん」


 楓は僕の要求を突っぱね、口を開けるよう命令してきた。情けないなと思いつつも、僕は口を開けた。味がしっかり染み込んだじゃがいもが、口の中で崩れた。

 気づけば僕は、泣いていた。

 楓が作ったご飯をほとんど食べさせてもらうと、やはり頃合いを見計らっていたのかイノデカさんが部屋に入って来た。


「車を寄越してもらいました。悠斗くん、湊さん。一緒に移動を」

「一緒に?」


 僕はイノデカさんに尋ねた。てっきり、僕はこのまま家に残るものだとばかり思っていたのだ。


「横須賀の基地に向かいます。そこで湊さんとそのご家族と合流。その後ヘリで移動という形になります。悠斗くんは、能力のことや詳しい事情をそこで改めて話して貰えますか?」

「ああ、なるほど。わかりました」


 僕がそう言って立ち上がろうとすると、楓が僕の左腕を掴んだ。化物の腕と化してしまってはいたが感覚は変わらずあるので、楓の指先の滑らかさと熱が伝わってきた。


「……ごめん、なんでもない……」


 楓はボソッと呟くと、僕を追い抜いて先に家から出てしまった。イノデカさんが楓を追うように部屋から出ていき、僕は居間に独りになった。


「……神様?」


 僕は虚空に向かって言葉を投げかけた。目の前に、素っ裸の少女が忽然と姿を現す。


「何だい?」

「やっぱりいるんじゃないか」僕は苦笑してみせた。「次の敵が出るのはいつ頃になりそう?」

「……およそ四日後だな。恐らくだが、複数同時に出る可能性が高い」

「そっか、ありがとう。ちなみにだけど、こういう風に物語が動くのは許容範囲?」

「何か勘違いをしてそうだから言っておくけど、私は別に、私が望む筋書き通りに物語が動けばいいとは思っていないよ。最初に会った時に言ったと思うが、これは悠斗の物語だ。君が望むように進めればいい」

「神様のことを話しちゃってるけど」

「別に構わないさ。知られたからと言ってどうということはない。でも姿は見せないし声も出さないよ。私はあくまでも君のナビゲーターだ。他の人間への対応には介入しない」

「わかってる。敵が出現したら教えてね?」

「勿論。それが私の今の仕事だ」


 そう言って、神様は現れた時と同じように、一瞬で姿を消した。僕は目元をさっと擦ると、玄関へ向かった。


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