※お題作文※実は〇〇よりネコがいい
ユズから唐突に告げられたのは、
「うらぱらを出たいから、休みをくれ」
というひと言だった。
「……は?」
カリヤの手から、煙草が落ちる。爽やかな朝に不釣合いな微笑がカリヤの寝起きの面に浮かぶ。
「だから……ッ。うらぱらを、出たい、です……だってば」
カリヤの頬がまたひくりと引き攣れ、口角を無理やり引き上げた。
ユズ、イコール生粋の日本人の癖に、日本語が半メリケン人なカリヤ以上にかなりアヤシくなっている。
(またヘタなウソをついてやがる)
そんな予想に行き着くと、カリヤの目が剣呑に細められた。
「てめえ、今度はどんな隠し事だ」
不機嫌全開モードで問い質しながら、かったるそうに服を手に取る。
「か、隠し事?!」
「てめえはウソつくのがヘタなんだよ、ばーか。今度はどんな一人遊びでそういう結論にいたったんだって訊いてんだ」
「ひとり……ひ、人聞きの悪い」
と反論する声がかなり動揺を表している。カリヤは自分の予測がBINGOだったと確信した。
「突っ込みはいいから理由を話せ。ことと次第によっちゃ容赦しねえ」
スウェットを被りながら命じる声が尖っている。被ったスウェットから頭をポスンと覗かせた瞬間、ぎとりとユズを睨みつけた。ユズの顔色が真っ青に変わる。ユズまで頬の筋肉を引き攣らせ、二、三度ひくつかせた。それが益々カリヤを苛立たせた。
「……フードコーディネーターとして、まともな店でプランニングしたい、から、です」
春爛漫の四月一日。相変わらず、とっとこ先に着替えと洗顔を済ませて窓辺に立ち尽くすユズのバックには、舞い踊る薄桃色の桜たち。最上階まで吹き上げて来る強い風に負けないほどの暴風が、カリヤの中にも吹き荒れた。それはもう、暴風警報の目安になる計測器さえ壊れる勢いの大ハリケーン。
「て……めえ……ッ」
パンツを履くのも忘れて勢いよく立ち上がる。驚いた顔で一歩退くユズの腕を一瞬早く捉え、逃げられる前に胸倉を掴んだ。
「Paranoiaはどうすんだよ! てめえはそんなに無責任なヤロウだったのか!」
人をやきもきさせたくらい、シュウと勝手に盛り上がってまでリニューアルオープンさせた、あんなにも思い入れのあった店を捨てる、だと?
そんな思いがカリヤの中で嵐のように耳障りな轟音混じりでリフレインを続けていた。
「ワガママも大概にしろ、このクソユズが! 絶対認めねえからなっ」
そうがなる間にも、ユズの頬へ一発くれてやる。思い切り殴ったわけではないが、体格差のためか、カリヤが思っていた以上に、ユズが後ろへ吹き飛ばされてしりもちをついた。
「……らいだ……」
切れた口許を拭いながら、俯いたユズから小さな呟きが漏れる。
「あ? 言い返すんならハッキリ言えや」
けんか腰なカリヤの口調に、ユズの肩がびくりと一度震えた。かと思えばいきなり顔を上げる。
(……ぇ、マジ?)
憤りが一瞬にして、別のモノへとすりかわった。
「カリヤのそういうトコが大ッ嫌いだっ! 自分がそうだと思ったことが絶対いつも正しいんだ! 人の話を最後まで聞かないカリヤなんか、だから大ッ嫌いだ!」
上がる眉尻と反比例して、下がったまなじりからポロポロと大粒の涙をこぼす。
(やべ……泣かした……)
久しぶりに見たそれが、カリヤをしばらく絶句させた。
気がつけば、部屋を出て行かれていた。追い掛けようにも、既に着替えの済んでいるユズに、非常に残念な寝起き状態のカリヤが、即対応で追いつくことなど不可能だった。
――一時間後。
カリヤは結局、誠四郎の部屋の前に立っていた。
「はぁ~…またセイシ野郎に弱味を握られるのかよ……」
自分の発した愚痴で、更に奈落へ落とされる。毎回毎回、痴話喧嘩をするたびに誠四郎と粘着クンの愛の巣に逃げ込むユズもどうかと思うが、それを快く受け容れる粘着クン×誠四郎バカップルもどうかと思う。
「さっさとこっちへ追い返せっつんだよ」
カリヤは呼び出しチャイムを押す前に、恩知らずな文句をぼそりと吐いた。
「リョウちゃんから、だいたいの話は聞いたよ。カリヤが怒るのも無理はない、とは思うけどね。でも、何も殴ることはなかったんじゃないかな」
呼び出しに応じた誠四郎にリビングへ案内され、カリヤが何も話さないうちからそんなお説教を食らった。
「なんだ、あいつ、自分カワイソーがてんこ盛りな説明じゃなかったのかよ」
こめられるだけの虚勢をこめて、フザケた口調で空元気を返すが、そこは付き合いの長い誠四郎が相手では、なんの効果もなかったらしい。
「あんたってホントにさあ、リョウちゃんが手許から離れる系の話をすると、見事に最後まで話を聴かないよね」
何年付き合ってるんだよ、と言われても、その答えを求めてなどいないのがイヤというほど解る。
「もうちょっとリョウちゃんを信用してあげなって。実は全然大したことじゃないんだから」
何かを聞いた口振りで、誠四郎が笑って言う。
「あれ、連れて帰れるか?」
「今、彼が向こうの部屋でなだめてるけど、ちょっと様子を見て来るね」
誠四郎までムコウに行ってしまった。リビングにひとりポツンと残されたカリヤの出来ることと言えば。
「……昨夜、なんか怒らせたっけか?」
複雑怪奇で摩訶不思議な精神構造を持つ、“ニホンジン・ユズ”の考えそうなことをあれこれと思い巡らせることだけだった。
掴まえた放浪猫よろしく、ユズの首根っこを掴まえたまま最上階の部屋を目指す。
「放せコラ! クソカリヤ!」
「それ、俺のセンパイトッキョな」
カリヤに加勢したのか、それともユズの方へなのか。エレベーターが絶妙なタイミングで「チン」と相槌を打った。
猫つかみがいやならば、と、手首をがっつりホールドする。この際逃げられないことが最優先なので、ユズの「痛い」という抵抗はスルーした。
ユズの右手首を掴んだ左手はそのままに、右手でユズの肩を押し込み、無理やりソファに座らせた。
「……」
ついと横向くつっけんどんな態度に、イラっと来るが忍の一文字。カリヤは強張る口を半ば無理やりほぐし、慣れない下手口調でユズの機嫌をうかがった。
「ほら、なんつうの? ニホンジンってのは、“言わなくても解る”とかなんとか、そーいうのがバロメーターなんだろ?」
何のと言えば、愛情やら何やら、そんな類のモノの。
「で、さっき考えたわけっすよ。俺なりに、ユズが出て行くって言ったホンイ? って言うのか、そういうヤツ」
Paranoiaを捨ててまともな店に行きたい、というのは口実だ。本題は「うらぱらを出たい」ということにある。そんな推測を説明した。
「お前が言いたいのは、そっちじゃなくて。あ~……要は、また俺がなんかやらかしたんだろう、っつうことで、だな」
誠四郎がユズを連れて戻るまでの間、リビングで考えた末の結論を口にする。9割くらい不本意でしかたのない心境を、残りの1割“最優先はユズ確保”を自分に言い聞かせ、しどろもどろと妥協案を口にする。
「お前は相変わらず“ホントはノンケだ”とかうるせえしよ」
ソノトキ限定だけどな、と心の中でだけユズにも非があるような追加事項を思い浮かべる。
「ぶっちゃけ、ほれ、“イヤよイヤよも好きの内”ってコトワザがあるんだろ? そーいう風にしか受け取ってなかったのは、俺が悪かった」
抗うユズの力が右手から抜けていく。それに従い、カリヤの左手からも力がゆるんでいく。空の左手と一緒に、カリヤの右手も拳を作った。
「だから」
カラカラに喉が渇く。
「ユズがそうしたいってえなら」
物凄い不本意だけれども、妥協しないとユズがいなくなりそうで。
「っていうか、そういう言い方すっと、恩着せがましいって思うんなら、アレだ。その……」
カラカラの喉の奥で未練たらしくつかえている言葉を無理やり吐き出した。
「実は、タチよりネコがい」
「カリヤ、あんたってバカだろ」
――は?
声にならない二文字とユズのリアクションが、カリヤが決死の思いで口にし掛けた言葉を粉砕の末、吹き消した。
「っていうか、もういいです。わかりました」
ユズがそう言って立ち上がる。今、間違いなく、「わかり“ました”」と敬語を使った。
(ヤバイ……なんか地雷踏んだ……ッ)
カリヤの中で、赤いパトライトが高速回転しながら警告音を轟かせる。
「いい年して、それしか頭にないんですね」
「い゛っ?!」
冷ややかな瞳が冷たい弧を描き、見事な営業スマイルがカリヤに向けられた。
ユズがプライベートで敬語を使うとき、それはここ数年を振り返って予測するに、許容限度を越える怒りに任せて壁を作るとき。
「ああ、そういえばアメリカやイギリスでは、エイプリルフールって午前中までなんですってね。正午を過ぎたことですし、そのお話は、センパイの性癖を知っている皆さんへの提供情報として、ありがたく本音認定で受け止めておきます。それと今後一切、エイプリルフールなんて子どもじみた冗談をセンパイには言いませんから。真に受けて、そんなに怒るとは思いませんでした。大変失礼致しました」
そしてユズはトドメとばかりに、ホスト時代に女どもをだまくらかした、最高級の“誠意なき微笑”を咲き誇らせた。
――これからは、自分の食事は自分で確保してくださいね。
「……え?」
小悪魔が妖しい微笑をひっこめ、くるりと踵を返して自室へ戻る。
「ちょ、待っ、え、えいぷりるふぅる?」
今日は四月一日。春爛漫の日。だけど今まで一度も、ユズがこんな軽い冗談をかまして来るなんてことはなかった。そこへ思考を働かせろってことか?
(ふ、ざけろォ?! 俺は超能力者じゃねえ! 解るかンなもん!)
声にならない批難の声は、誰に届くこともなく霧消した。
はたと我に返る。今日はまだ起きてから一食も飯を口にしていない。カリヤは急いでシャワーを浴びて、無精ひげも剃り落とし、急いでユズの好むそれなりの身づくろいを整えた。
部屋の外を一歩出れば、隣の部屋から芳しい匂い。
(あ。俺の好きなほうれん草とあさりの和風パスタ)
腹が喜び、ぎゅるぅと鳴る。
コンコン、と慎ましいほど謙虚にノックをしてみるが、ユズの返事はまったくない。
「ユズぽん、開けてください」
かなり下手に出ても、ノーの返事さえ返って来ない。
「コラ、クソユズっ。話の途中で帰ってんじゃねえよ」
脅しに転じてみたら、中から
「うっまーいっ!」
という独り言が返って来た。明らかに、カリヤに対する陰険な嫌がらせだ。
「……ッッッ! オラっ! このクソガキ! 開けろっつてんだ、飯食わせろ、飯!」
「三度の飯よりソッチが好きな人に食わせる飯なんかありませーん」
腹の立つ敬語が返って来た瞬間、カリヤの我慢が限界突破した。
「ざけんなぁ、クソユズ!」
オーナーの特権、マスターキーが猛威を振るう。ピッ、とカリヤの加勢をする心地よい解除音が奏でられた。ガシャンと荒いドアノブの音。奥からかすかに聞こえる「げっ、ヒキョー!」という裏返った声。
「知るかぁ! 俺は」
何よりどれよりどんなことより、この“すぐに爪を立てる飼い馴らせないネコ”が好き、とは、口が裂けても言えなかった。
言えないかわりに以下自重。カリヤは日本語に置き換えて程度をわきまえるのさえ面倒になった。
「ちょ、待って、ごめん! からかったのは謝るから! だからあの、って、うゎだから待っ」
「てめえの“待って”は“早くしろ”だろうがぁ!」
そこから先は、ユズの方も、言葉にするのが面倒になったらしい。
今日も今日とてバカップルは、何年経とうがそのままだった。