女神は人間を守る
「いいか、手短に話すぞ。アイツの防御領域は私のそれより数十倍の防御力がある。正面から撃つだけでは小銃どころか戦車砲でもダメージを与える事は不可能だ」ディーンの手を引っ張り、立ち上がらせながら「それ」は話し始めた。
「私たちはあの防御領域をアイギスシステムと呼んでいる。奴のは特に性能が良い訳でもないが、それでもアイギスシステムを使っている間は人間じゃ格闘を仕掛ける事も出来ない。あれを突破するには、アイギスシステム同士の相互干渉を起こさせて効力を下げるか、完全な不意打ちで発動される前にあれの懐に入るしかない。弱点は胸元の宝石だ。宝石を壊せばあれは行動不能だ。わかったか?」
「死んだとしても墓に刻み込んでおくとしよう」ディーンは答えた。
「それでいい。あれがそろそろこっちに戻ってくるはずだ。お前はここから逃げろ」
「断る。逃げろと言われて逃げるのはどうにも気に食わん」
「駄々をこねるな。人間が相手を出来る程あれは甘くない」
「お前だって俺に負けただろうが。ここは協力するのが妥当じゃないか?」
「言い争いしてる場合じゃない。来るぞ、銃と弾を寄越せ」
ディーンは「それ」に自分の銃剣のついた小銃と弾薬を投げ渡した。ディーンはサイドアームを抜き、「それ」が見ている方向に向かって構えた。
パラディオンは体勢を建て直し、再び屋上に浮上してきた。ジェットエンジンとスラスターを器用に使う事によって空中で一箇所に停滞出来るようだ。
「リーン、お前の仕事はバックアップだったはずだ。何故ここにいる?」リーンと呼ばれたパラディオンにディーンが渡した小銃を向けながら「それ」は言った。
「アリシア、貴方の任務は機械化歩兵の援護と、電磁パルス発生装置の破壊だったはずです。ここで何をしているのでしょうか?」リーンは「それ」が言った事を無視して質問をぶつけた。そして「それ」の名前はアリシアというらしい。
「さあな。私にもよくわからん」
「自分の行動の理由がわからないとはどういうことでしょうか。私たちの行動理由は全て合理的かつ論理的に説明できなければいけません」
「なら答えてやろう。人形遊びにはもう飽きたんだ」
「どうやらあなたの思考回路は何かしらの問題を起こしているようです。貴方には再調整を施す必要があります。さあ、一緒に帰還しましょう」
「断る。どうしても連れて帰りたいなら、私の背骨をへし折って、泣き叫び命乞いをしているところを無理やり拉致すればいい」
「わかりました。前から貴方の四肢を全て切断して、機械に換装する必要があると考えていました。これはちょうどいい機会です」そう言うパラディオンの口元は少し歪んでいるように見えた。まるでそれが楽しみだと言わんばかりに。
「今のはギャグのつもりか?」対して、アリシアも口の端を釣り針で引っ掛けられたかのような邪悪な笑みを浮かべていた。
リーンはそれに返答をせずにサイドアームを抜いた。さっきまで持っていた小銃は壊れてしまったようだ。
「それ」は小銃のホロサイトを覗き込み、狙いを正確につけていた。先ほどまでのふざけた態度とは打って変わり、目は真剣そのものだった。
二体のパラディオンの持った銃が同時に火を噴いた。そして、それが戦闘開始を告げる合図だった。
アリシアは相手の銃弾を、ジェットエンジンを噴かせながら斜め前に跳躍して躱す。一方、リーンは銃弾を躱すことなく、身体をほとんど水平に倒しながら、ジェットエンジンを駆動させ、一瞬のうちに屋上から離れ、「それ」との距離を離していた。
「それ」もワンテンポ遅れてパラディオンの後を追う。「それ」が勝つためには至近距離による格闘で仕留めるしかなかった。だが、それはリーンも十分理解している。だからこそ距離を取ろうとしたのだ。
両機の速度は瞬く間にマッハを超えた。リーンは拳銃を後ろに下がりながら撃ち続けていたが、「それ」は当たっても致命傷にならないものには一切回避行動を取っていなかった。肩や胸のあたりを弾丸が掠めても、アリシアは全く怯まなかった。
それに対してリーンは、スラスターを頻繁に使う事により全ての銃弾を躱していた。
(アイギスシステムが相互干渉を起こして防御領域の機能が落ちている……!)リーンはそう思考し、合理的に回避行動を選択した。
だが、それは合理的思考などではなかった。リーンは理性とは真逆の、恐怖の感情に支配されていた。パラディオンは基本的に無敵の存在であり、誰にも傷つけられることはない。それ故に痛みを知ることがないのだ。しかし、目の前にいるアリシアは同じパラディオンであるにも関わらず、血を流しながらこちらに向かってきている。それにより痛みを意識したリーンは無意識に回避行動を取り、後付で合理的な理由を考えたのだ。アリシアを見れば分かる通り、この距離では干渉の度合いは小さく、あたりどころが悪くなければ致命傷を負うこともないのだから、多少のダメージを無視して直進するのが合理的な選択だった。
リーンは着実にアリシアとの距離が近くなっていることを感じていたが、どうして追いつかれてきているのかは理解出来ていなかった。恐怖は脳内のマイクロコンピューターの思考を完全に駆逐していた。リーンの回避行動が大きくなればなるほど距離は詰まり、距離が詰まれば詰まるほどアイギスシステムの干渉が大きくなった。リーンは自分でも気づかないうちにみるみる速度を落として行った。
遂にアリシアはリーンを格闘の射程距離に捉えた。アリシアは小銃を構え、銃剣で胸元の宝石を狙い強烈な突きを放つ。
「ひっ!」リーンは小さく悲鳴を上げ、手で顔を覆った。その動きは見た目の年齢に相応の少女のようだった。
リーンの動きは意図したものではなかったが、胸元を腕によりガードしていた。銃剣はリーンの機械化された左腕を破壊しただけだった。
「ああああああああああああああああっ!」リーンは腕を貫かれ、悲痛な叫び声を上げた。
パラディオンは機械化歩兵よりも精密な動作を必要とするため、機械化された部分にも擬似神経を通わせてあった。だが、この瞬間においては、その機能は裏目に出た。リーンの顔から涙が零れ落ちた。
アリシアは銃剣をリーンの腕から抜き、もう一度刺突攻撃を試みる。
しかし、リーンは身体を翻し泣き叫びながらアフターバーナーを点火し、急加速して逃走し始めた。アリシアはリーンの逃走を予期していなかった。一瞬間を置いて追いかけたが、先ほどとは対照的にアリシアとリーンの距離は離れていった。小銃でリーンの背中に向かって発砲したものの、3発撃ったところで弾切れを起こしてしまった。マガジンを新しいものに差し替え、再び銃撃出来るようになった頃には、リーンの背中は遥か遠くへ行ってしまっていた。アリシアは追撃を断念した。
ディーンは二人の戦闘を望遠鏡で観察しようとしていたが、ほとんど視界に捉えることは出来なかった。ディーンはしばらくパラディオン達が飛んでいった方向に目的もなく望遠鏡を向け続けた。
しばらくすると「それ」がこちらに向かって飛んできているのが視界に入ってきた。あちこち怪我をしているものの、直ちに治療を要するほどのダメージは負っていないようだった。
「それ」はディーンのいる屋上に軟着陸した。
「あれは逃げていったよ。まさか追い払えるとは思っていなかった」アリシアはディーンに向かって呼吸を整えた後言った。
「それ」の上気した顔は彫像のような美しさとはまた別の趣があったが、ディーンはそう思ったことをすぐに頭のなかから追い出した。
「なぜ俺を助けた?」ディーンは言葉を飾らず率直に聞いた。
「気に食わなかったから、それだけだ」アリシアはそっぽを向いて答えた。
「ふざけるな。そんな理由で俺を助けるはずがない」
「それはお前にだけは言われたくないな。あの時訳の分からない事を言ってないでさっさと私を殺しておけば、今頃お前の階級は2段飛ばしで上がっていただろう」アリシアはディーンの目をしっかりと見据えて言った。
今度はディーンが目をそらす番だった。「それ」の言ったことに対して上手く返答することが出来なかったからだ。どうやらアリシアはこの質問に応えるつもりがないらしい。
「お前、アリシアって名前なのか?」ディーンは話題を変えようとした。
「ああ、私はアリシア。姓はない」
「俺はディーン=ミラーだ。色々言いたいことはあるが、ひとまずお礼を言わせてもらおう。ありがとう」
アリシアはそれに対して何の返事もしなかった。礼を言われるのが不本意なのか、実は内心で照れているのか、それとも別の何かを思っているのか、ディーンにはそれを表情から見ぬくことが出来なかった。
気まずい微妙な間が二人の間に流れた。アリシアが口を開く気配は全くしなかった。仕方なくディーンが先に喋りかけることにした。
「ところで、お前これからどうするつもりなんだ?」
「さあな」アリシアの返事は素っ気ないものだった。
「さあな、ってなあ…帰る場所ないんだろ?」
「ああ」また何の感情もこもっていない返事。
「良かったら俺の仲間になるか?」ディーンの口をついた言葉は本人でも言うつもりのないものだった。
「ああ」まさかまさかの快諾だった。
「ええと、色々手続きがあると思うし、多分というか間違いなく捕虜としての扱いになるが構わないか?」ディーンは慌てて念を押した。
「くどい」
どうやらこいつは最初からディーンの元に転がり込むつもりだったらしい。自分から言ったとはいえ、まんまと載せられてしまった。ディーンは頭に手を当てて、ため息をついた。