女神は人間と話す
ディーンが向かったのは最下層エリアの司令部だった。最下層エリアはディーンにとってあまり気分のいいところではなかった。絶対的な縦割り体制と、それに伴う活気のなさが彼には気に食わなかった。
ディーンの目的は友人のトーマス=エーベルヴァイン少佐に会う事だった。彼は旧来の友人であり、ディーンのような下っ端が軍の情勢を掴むには彼を頼るしかなかった。
司令部はオリュンピアの中でも際立って異様で、屋内にあるにも関わらず要塞の体をなしていた。また、ここには司令部だけでなく発電所や最高機密に関するものまであるという噂もあったが、ディーンの周りでそれを確かめたものは一人もいなかった。最高司令官フランコ=フラーキもこの要塞のどこかにいるらしいという噂も立っていた。何故こんな噂が出るかといえば、彼が娯楽や生活の中心である中層部に一回も顔を見せないからだった。なんでも仕事熱心な人物で、最高級の料理を出されようが、最上級の女を見ようが、彼は職務に関係なければ一切の興味を見出さないらしい。だが、所詮これも又聞きの噂話であり、結局彼の実像を知るものは一人もいないのだった。
ディーンは鋼鉄の扉の前に立ち、首から下げたドッグタグを専用のリーダーに通す。「ドッグタグの認証を確認しました」と機械が喋ると、次は網膜と指紋による本人認証の要請をされる。
ディーンはいかにもだるそうにカメラを覗き込み、パネルに手を置いた。彼はこの待ち時間が嫌いだった。地下都市に入る時にも同じことをするんだから二回もやる必要ないだろ、と彼は考えていた。
「本人確認を完了しました。ようこそ、司令部へ」機械は抑揚のない声で言った。
鋼鉄のドアが音を立てて開き、ディーンは中に入っていった。道は非常に狭く、人が2人以上並んで通れない程だった。彼は早歩きで道を通り抜けた。
視界が広くなると同時に大量の機関銃や、歩兵に守られた要塞がディーンの目に飛び込んできた。このエリアには空は存在せず、無機質なパイプやコンクリートに覆われた天井があるだけだった。
ディーンは要塞内部へと脚を進めた。この時間なら少佐は大隊事務室にいるだろうとディーンは予想した。普通だったら警備員に止められるところだが、ディーンの場合はエーベルヴァイン少佐が特別に許可を出しているため大立ち回りを演じることなく中へ入れるのだった。
「失礼します」ディーンはドアをノックする。親しき仲にも階級有り、というやつだった。
「誰だ?」ドア越しに返答があった。
「ディーン=ミラー上等兵です」
「入れ」
ディーンはドアを開けて中へ入った。ドアが閉まると同時にエーベルヴァイン少佐が声の調子を変えて、親しげかつ穏やかに話しかけてきた。
「やあ、よく来たねディーン。こないだの戦闘で大怪我したんだろう?すまなかったね、お見舞いにいけなくて。この通り仕事が山積みだったんだ」
エーベルヴァイン少佐は30代に指しかかろうとしているが、金髪を短く切り揃え、軍服の上からわかるほどの筋肉を持った彼は、青年の精悍な顔つきをまだ失っていなかった。2年前に異例の速さでテストを突破し、少佐になった彼は回りからの尊敬を大いに集めていた。しかし、軍人の鑑のような容姿とは裏腹に、中身は非常に繊細だった。ディーンはそれを知る数少ない人間のうちの一人だった。
「いいんだ。この程度の怪我は下っ端には良くある事さ。あんたの仕事はたまにねぼけて書類を落とす事だが、俺の仕事は命を落とす事だ」ディーンは冗談めかして言った。
「私は書類も末端の兵士も出来るだけ落とさないで済むようにしているつもりだけどね。さて、わざわざここに来たってことは何か用があるんだろう?」
「まあ、そんなところだ。ついさっき、変な噂を聞いてね、何でもパラディオンが現れたそうじゃないか」
「おかしいな、それは機密情報だったはずだが」
「何処の所属かは知らんが新米がぺらぺらと喋ってたよ」
「はぁ……頭が痛くなるな」エーベルヴァイン少佐は頭を抱えた。
「てーことは現れたのは本当だってことか」
「誰にも言うなよ?」
「わかってるよ」
「これを見てくれ」エーベルヴァイン少佐は数枚の写真をディーンに見せた。
「こいつは……」ディーンは言葉を詰まらせた。
写真に写っていたのはディーンが一戦交えた「それ」ではなかった。髪は完全に色の抜けた白で、機械で出来た両翼も、戦場に不釣合いなドレスも純白だった。その中で目と胸の辺りに付けられた宝石だけが強烈に赤を主張していた。腕や脚は機械に置き換えられていて、耳もアンテナのついたレーダー装置になっていた。
「一週間前、地上警備部隊がパトロール中に撮った写真だ。他にも何人か機械化歩兵が随伴していた。恐らくは電磁パルス装置が目当てだろう」
「で、当然何か手を打つんだろう?」
「ああ、私の管轄ではないがね。司令部は成績がよくなかった兵士を中心に部隊を結成し、威力偵察を行う事にした。私は反対したが、賛成者の方が多かったよ。彼らは死にに行くようなものだ」エーベルヴァイン少佐は苦虫を噛み潰したような表情をした。
「なるほど、ね…それでその人身御供はいつやるんだ?」
「明日の10時だそうだ。そんなこと聞いてどうするんだ?」
「さあね、ちょっと気に食わないだけさ。今パラディオンがどこら辺にいるかわかるか?」
「B-13地区をB-14地区に向かって移動中だ」
「そうか、あんたの変わらぬ友情に感謝するよ。俺は行かなきゃならないところがあるんだ。今度会う時は食堂で一緒に大人のお子様ランチを食べようぜ」ディーンは手を振って言った。
「もう私はプリンで喜ぶ歳じゃないよ。一つだけ言わせてくれ」エーベルヴァイン少佐は極めて真面目に言った。「絶対に死ぬなよ」
「それを決めるのは、俺じゃなかろうさ」そう言ってディーンは部屋を後にした。
ディーンは中層エリアの自分の家に戻った。彼の家は2階建てだったが、その家に住んでいるのはディーンだけだった。家族は最早写真の中だけの存在だった。二週間ぶりの我が家は少しだけ彼に安らぎをもたらした。彼は自分の部屋に行き、クローゼットを開けた。中には小銃が一丁と弾薬が少々、手榴弾やスモークグレネードが入っていた。彼は防弾チョッキを着込み、家中から必要と思われる道具を手に取った。中古で売られていた暗視装置も持っていく事にした。夜間の戦闘なので、中古といえどもこれがなければまともに戦えないだろう。ディーンはクローゼットの中の自分を見つめた。戦闘するのに不必要な筋肉のないディーンの身体は、決して大柄とはいえなかったが、機能美を感じさせる。黒々とした髪は短く切ってあり、清潔感があったがディーンはあまり気に入っておらず、あくまで軍の規則で決められた髪型をしているだけだった。ディーンはクローゼットを閉じた。
ディーンは家を出る前に玄関に置いてあったぼろぼろの熊のぬいぐるみを見た。
「行ってきまーす」
熊からの返事はなかった。
ディーンは上層エリアに向かった。時間はすでに22時を回っていた。空もそれに合わせて星を映し出していた。
ディーンには地上へ行く権限がないため、まずはその問題をどうにかする必要があった。彼は警備部隊の待機場所へ向かった。彼が地上に出る唯一のチャンスは、パトロールの交代にどうにかして紛れ込む事だった。
待機場所は和気藹々とした雰囲気をしていた。天井がなく、簡易の机と椅子が置かれただけのこの場所で、兵士達はつかの間の休息を楽しんでいる。今日は敵の位置が割れているため、警備部隊が直接敵と交戦する可能性は低かったからだ。ディーンは物陰から様子を伺う事にした。
しばらく観察を続けていると、柱の影でこっそり酒を呷ってる者がいることに気が付いた。恐らく、暗視装置で顔の大部分が隠れるため、多少赤ら顔になっていても誰も気が付きはしないとでも考えているのだろう。ディーンはそいつに目を付けた。
酒を飲んでいた男が柱の影から動き始めた。ディーンは気づかれないように後をつける。酔いが回っているためちょっとやそっとのことでは気が付かないだろう。
酒を飲んでいた男はトイレに向かっているようだった。ディーンもトイレに急ぐふりをして、後ろからそいつを追い抜いた。
トイレには誰もいなかった。大便器も全て使われていなかった。ディーンは男がくるのを見ると、小便器の前に立ち、用をたすふりをした。男は鼻歌交じりで小便をし始めた。ディーンは小便器の前を離れ、男の小便が終わるのを待った。チャックを閉めようとして男が悪戦苦闘しているところを、ディーンは後ろからスリーパーホールドを仕掛ける。男は抵抗しようとしたが、酔いのせいで全く意味を成していない。男はすぐに意識を失い倒れた。ディーンは哀れな男のチャックを閉めてやり、大便器に座らせた。ディーンは男の首にかかっているドッグタグを奪い取り、その場を去った。
その日警備に当たる人間は全員ドッグタグに全てのエレベーターを使用する権限が付与されているため、ディーンの地上への道は難なく開く事が出来た。トイレで気絶している男は恐らく厳罰に処されるだろうが、そもそも勤務前に酒を飲む事が重罪なので、ほとんど罪悪感は覚えなかった。
警備部隊がエレベーター前に集まる前にディーンは目的地に一番近いエレベーターに乗る必要があった。各エレベーターのそばにはエレベーター間を移動するためのバイクがおいてあるため、彼はそれに飛び乗り道を急いだ。憲兵に注意されるかもしれなかったが、そんな事をしていては日が昇ってしまう。彼は日が昇る前に決着をつける必要があった。
目的地に最寄のエレベーターの前でバイクを降りたディーンは、ドッグタグを専用のリーダーに読み込ませ、エレベーターを起動させた。
ディーンは目を閉じて、どうやって生き残るかを考えた。彼の目的は「十分な情報を集めた上で、生きて帰ってくること」だ。前回はパラディオン相手に勝つことが出来たものの、今回も勝つことが出来るとは限らない。彼は新しい戦術を考える必要があった。今回彼にとって有利なのは時間が夜であることだ。前回の戦闘で、敵はスコープだけ置いておいたのを、ディーンも一緒にいると思い込み、まんまと罠にかかった。もし、眼球に高倍率のズームをする機能がついていたら罠にかからなかっただろう。遠くの敵を先に見つける事が出来れば良いに越した事はない。それなのにその機能をつけなかったのは、アイオーン側がつけたくてもつけられなかったことを裏付けていた。恐らく、眼球に関しては電磁パルス下で特殊機能をつけて稼動できる程の技術力がアイオーンにはまだないのだろう。
地上は地下と同じくまだ闇に包まれていた。ディーンは支給品の電磁パルス下でも使える腕時計を確認した。時間は24時を回ったところだった。目的地までの移動を30分かかると計算して、日の出までに3時間半は時間があることを確認したが、罠を仕掛ける時間を考えると十分とは言えそうにない。彼は走って目的地へ向かった。
ディーンは敵の通過予想地点周辺に罠を張り巡らせた後、近くのビルの屋上に陣取っていた。後はここを日が出る前に敵が通過するのを祈るだけだった。ディーンは手にスイッチを握りながら、時を待ち続けた。
ディーンは「それ」の事を考えていた。てっきり、ここに来るのは「それ」とばかり思っていたが、予想は外れていた。控えのパラディオンが来るという事は結局「それ」はそのまま自決したのだろうか。納得がいかなかったが「それ」が選んだのだから仕方がない。一旦考えるのをやめて、ディーンは望遠鏡を覗くのに集中した。
敵がやってきた。戦力は機械化歩兵が15人、パラディオンが1体だった。彼らは全員タクティカルライトを持っていた。やはり、現段階では眼球に暗視機能をつけるのは不可能だったようだ。しかし、どんな手段を使おうとこれらの敵を一人で殲滅するのは不可能だろう。ディーンはパラディオンに目的を絞る事にした。
ディーンは手に握っていたスイッチを押し込んだ。それと同時に機械化歩兵達がいた場所の近隣の通りの方から爆発音が響く。そして爆発は一発ではなく、様々な場所で断続的に行われる。実はこれは花火に少し細工をしたものだったが、機械化歩兵達の位置からはそれを花火によるものだと気づく事は出来なかった。
機械化歩兵達はそれを迫撃砲によるものだと判断し、建物の中に避難した。ここまでは予想通りだった。
だが、ここで予想外の事が起きた。ドレスを着込んだパラディオンはその場から動こうとせず、むしろ何かに集中しているようだった。ディーンはそれを望遠鏡で見続けていたが、全く動こうとしないパラディオンに対して恐怖を覚えていた。
(パラディオンとはいえ、迫撃砲を喰らったら流石にやばいんじゃないのか……?)
ディーンはそう考えていたが、すぐに自分がある思い違いをした可能性があることに気が付いた。
「それ」は手榴弾による不意打ちや、正面からの銃弾に対し、多少はダメージを受けていたが、もしかして「それ」が旧式で目の前にいるパラディオンは砲撃くらい何ともないのではないか?
ディーンはこの考えに思い当たったとき、汗が頬を伝って地面に落ちた。そして、それとほとんど同時に、望遠鏡の中のパラディオンがこちらを向いた。明らかにそのパラディオンはディーンの方を見ていた。
ディーンがそれに気づいた瞬間、パラディオンが望遠鏡の中から消えた。彼は望遠鏡を捨て、その場から退却しようとしたが間に合わなかった。
パラディオンの放った弾丸は正確にディーンの左胸を捉えていた。
「ごふぁっ……。ク、クソ……」ディーンは呻いた。
ディーンは死んではいなかったが、防弾チョッキを着ているとはいえ、銃弾の直撃は人を行動不能にさせるだけの威力はあった。ディーンは地面を這って階段に通じるドアに向かおうとした。
しかし、目の前にパラディオンの脚が立ちふさがった。顔を上に向けると、パラディオンが小銃をディーンに突きつけていた。顔には一切の表情は浮かんでおらず、まるで仮面でも被っているかのようだった。
ディーンは必死に起死回生の策を練ろうとしていたが、この状況で出来るのはせいぜい銃が弾詰まりを起こすことにより、寿命が5秒延びる程度の運に頼ることしかなかった。
「殺れよ、クソッタレ」ディーンはパラディオンの顔を睨み続けた。死の瞬間から目を逸らすことだけはしないとディーンは心に決めていた。
パラディオンは無慈悲に引き金を引いた。
だが死はディーンを包み込まなかった。空を斬る音と同時に、パラディオンが持っていた小銃のバレルに刃物が突き刺さっていた。ディーンはこの刃物に見覚えがあった。「それ」が使っていた、刃にわずかに反りが入ったナイフだった。
直後目の前のパラディオンが吹っ飛ばされた。そしてパラディオンがいた場所に白と黒、両の色の翼を携えた「それ」が立っていた。
突然の出来事にディーンは口を利くことが出来なかった。そんなディーンを尻目に「それ」は口を開いた。
「何こんなところでくたばろうとしてるんだ?さっきまでのお前の顔、なかなか無様でいい見物だったぞ」艶のある女性にしては低い声で「それ」は話しかけてきた。
「わざわざ俺を馬鹿にするために、ここに来たのか?」ディーンは苦しげに返答した。
「それ」は大げさに肩をすくめ、ため息を吐いた。
「こちら『全自動ダッチワイフ』これより貴官を援護する」
これが「それ」と交わした最初の会話だった。