女神は時を待つ
ディーンが建物の外に出た時には、既にリーダーの姿は見えなくなっていた。恐らく、脚の応急修理を終え、ひとまず撤退したのだろう。殺された仲間の敵討ちを突発的に行わないのは懸命だった。いくら機械化歩兵とはいえ、一人が出来ることはたかが知れている。もし、機械化歩兵達の統率が取れていて、リーダーが彼らと同行していたなら、ディーンは間違いなく殺されていただろう。逆に言えばそれが出来ていなかった為に彼らは敗北したのだ。リーダーはそれを理解したからこそ一時撤退を選択したのだろう。それに、常識的に考えればパラディオンが人間相手に後れを取るなど、天地が10回ひっくり返ってもあり得ないことだった。リーダーはディーンが死んだものと思っているだろう。
ディーンはよろめきながらも、地下都市への入り口を目指していた。瀕死の演技が見抜かれなかったのは、彼の演技力よりも実際に彼が並の肉体と精神では戦えなくなるほどのダメージを受けていたのもあるだろう。ディーンは何度も倒れ、立ち上がり、歩き続けた。
ディーンが地下都市の入り口に帰ってきた時には、夜を越え、もう一度日が昇り始めていた。入り口はごく普通のビルの中にあった。彼はエントランスを通り、エレベーターの前に立ち、電気の通っていないエレベーターのボタンをあるフレーズになるようにモールス信号の規則によって叩く。すると途端に、エレベーターの電気系統が蘇り、彼の前のドアが開いた。エレベーターは多少古びている以外は普通の外見をしていたが、行き先を決定するボタンはどこにもなかった。中に入るとエレベーターは閉じられ、ボタンがあるはずの場所にレンズがせり出てきた。彼はそのレンズを覗き込み、そのままの体勢で待機した。
しばらく待っていると、レンズは引っ込み、代わりにスピーカーが顔を出した。
「無事でよかった。あなたの帰還を歓迎します」スピーカーからは聞きなれた女性の声が流れた。
地下に帰るたびにこの女性オペレーターの声を聞くのがディーンの小さな楽しみだった。しかし、今の彼に透き通るような美しい声を聞く余裕はない。彼はエレベーターの下降を感じた後、床に倒れこんだ。
ディーンはベッドの上で目を覚ました。状況を確認するために上半身を起こそうとしたが、激痛によってすぐに断念する事になった。頭だけ動かして横を見てみると、心電図が表示されている機械があった。どうやらここは病院のようだった。彼は頭の上の方にあるであろうナースコールを取ろうとしたが、心臓を一突きされたような痛みで叫び声をあげてしまった。すぐに看護師が飛んできたが、彼が意識を取り戻したのを見ると安堵の表情を浮かべた。
「助かって本当に良かったです。貴方、肺に肋骨が刺さって、出血多量で死にかけてたのよ?」看護師は言った。
ディーンは返事をしようとしたが、声が出なかった。どのくらいの間かわからないが水を飲んでいなかった。彼は腕をゆっくり動かして、近くにあったコップを指した。
「水が飲みたいのね?今持って来るわ」看護師はそう言ってベッドのそばを離れた。
ディーンは横を向いて他に誰がいるのかを確かめようとした。時間はかかったが何とか頭だけ横を向く事が出来た。他のベッドには今回の戦闘で負傷した兵士が数名横たわっていた。ほとんどが銃撃による負傷だったが、死に瀕している者はいないように思われた。何とか被害を最小限に抑える事が出来たらしい。
看護師は水差しを持ってきてくれた。ベッドごとディーンの身体を起こさせ、むせこまないように少しずつ水を飲ませてもらった。身体のことを考えてだろうが、あまり水は入っていなかった。看護師はベッドを元の角度に戻し、用があったら呼ぶように言ってから、他の人の世話に回って行った。ディーンは疲れていた。先ほどまで寝ていたにも関わらず身体から力が抜けていくのを感じた。彼はもう一度目を閉じて休む事にした。
ディーンは目的地に向かうトラックの中で分隊のメンバーと話をしていた。話の内容は取り立てるようなものではなかったが、気を紛らわせるには十分なものだった。ディーンは持っていたチョコレートを他の分隊のメンバーに配った。それらを口にしながら雑談を続けていた。誰もがこの後の事は口にしない。後のことを考えでもしたら、皆そろってこのトラックを降りていただろう。
目的地が近づくと、皆の口数が減って行った。手足が震えている者さえいた。分隊長はトラックを降りる命令を下した。電磁パルスが展開されている場所で稼動できるトラックは貴重だった為、目的地までトラックに乗って行って破壊される事はあってはならない事だった。分隊のメンバー全員がトラックを降りた。運転手は発見され辛い場所にトラックを移動させた。これでもう逃げることは出来ない。分隊は地獄に向かって突入した。
ディーン達は交戦地点まで走り続けた。辺りには銃声が響き渡っていた。応援要請があったところまで、あと曲がり角一つという所まで来ていた。分隊の一人が援軍の到着を伝えるために先頭を走っていたが、角を曲がったところで彼の足が止まった。ディーンも追いついて同じ方向を見た。
そこにあったのは死体だけだった。銃で撃たれて死んだ者はまだいい方だった。手足を切断された者、万力のような力で頭を潰された者、どうやったのかすらわからない背骨を引き抜かれた者、どれもが痛ましいものだった。
あまりの光景に、分隊の一人が嘔吐した。ディーンは動く事が出来なかった。分隊長ですら言葉を発する事が出来なかった。
死体の群れの中にわずかに動いた者がいた。ディーンは急いで彼に駆け寄った。彼は片脚を失っていた。恐らく助ける事は出来ないだろう。彼の前に顔を近づけたが、彼は最早何も見ていなかった。ただ、使命感から最期の言葉を発しようとしていた。
「生き……こり……旧……イエローロード……」彼はそう言ってわずかに痙攣すると動かなくなった。ディーンは手の平で彼のまぶたを閉じさせた。
「生き残った部隊は旧イエローロード通りの方に向かったようです」ディーンは声を震わせて言った。
「わかった。すぐに向かうぞ」分隊長は即答して、次なる地獄へと向かう宣告をした。
多くの隊員が今見たものを現実と理解出来ていないようだった。この現実を今受け止めて、分隊長の言葉に従える者はいなかっただろう。
統率力が全員の恐怖を抑えていた。全員が分隊長の後に続く。決定的な破滅が見えていても、命令には従わなければいけない。それが軍隊の掟だった。
ディーンは不快感で目を覚ました。服が冷や汗でびっしょり濡れていた。彼の頭には今回の戦闘がこびりついて離れようとしなかった。しかし、これは今回に限った事ではなかった。戦場に狩り出され、命からがら帰ってくるたびにその事を夢に見るのだ。彼がその果てしない悪夢から逃げる方法は一つ。それは次の戦場へ向かう事だった。そうすれば旧い記憶は、新たな地獄に上書きする事が出来る。
ディーンは病室の窓から外を見た。地下都市「オリュンピア」は地上と全く同じ世界を再現するよう設計されていたため、窓の外には星空が広がっていた。当然、これは本物ではない。ディーン達は世界一大きいプラネタリウムの中に暮らしているようなものだった。機械によって管理された夜空は、どの星もはっきりと見る事が出来た。しかし、全ての星が見えるというのは不自然な事であり、味気ない事だった。
ディーンは自分が戦ったパラディオンについて考えていた。彼は小さい頃に何度もパラディオンを見た。そして、その度に彼とその家族は物陰に隠れなければならなかった。「それ」は明らかに昔見たパラディオンと違っていた。違っているのは容姿だけではない様に思えたが、具体的に何が違うかは言い表せなかった。
「あいつ、あの後どうしたんだろうな」彼は誰に話しかけるでもなく呟き、また目を閉じた。
ディーンが病室で時間を持て余していると、一人の男が部屋に入ってきた。それは第15小隊に属している友人だった。
「いやーまさか生きて帰ってくるとは思わなかった。皆で二階級特進待ったなしって話してたところだよ」友人は冗談めかして言った。
「昇進出来なくて残念だ。軍曹にでもなれればお前の事しばきまわしてやれたのに」ディーンの声はか細かったが、友人にも聞こえたようで、彼は身を乗り出して話し始めた。
「まあ待て、今日はお前にいいニュースを届けるために来たんだ。お前の今回の行動が上の目に留まったらしい」
「なんだそれ?ついに軍法会議で縛り首か?」
「それじゃいいニュースじゃなくて面白いニュースだ。上はお前を昇進させるつもりみたいだ」
「マジで?これでまた使い道のない貯金が増えるって訳か」
「あんまりうれしくなさそうだな」友人は眉をしかめた。
「階級が上がるたびに自分の残機が増えて、ヤバくなったら代わりに階級が
死んでくれればいいんだが」
「あながち間違っちゃいないぞ。尉官ぐらいじゃダメだろうけど。まあ、ともかくそういうわけだ。用件は伝えたぜ」友人はそう言って病室を去ろうとした。
「あ、そうだ」友人は振り返らずに言った。「助けてくれてありがとう。お前がいなかったら全員くたばってたぜ。第15小隊を代表して礼を言おう」友人はそのまま去っていった。
ディーンが病室を出て散歩できるようになるまで二週間近くかかったが、経過は良好だった。ただし、完治したわけではないので、彼が戦場に戻るまでにはもう少し時間が必要だった。
彼が歩き回れるようになるまでの間に今回の戦闘に関する調査があったが、彼はパラディオンについては言及しなかった。パラディオンと戦闘して生きて返ってきたなんて事が信用されるわけがないし、そんな事を言ったらむしろスパイとして投獄される可能性すらあった。
久しぶりの外、実際には屋内なのだが、は病室よりは気分のいいところだった。彼は食堂に向かう事にした。本当はまだ病院食を食べていなければいけない時期だったが、そんないいつけを守るつもりは毛頭なかった。プロジェクターによって映し出された空はいつものように晴れていた。太陽のようなものも浮かんでいるように見えたが、日差しは一切感じない。太陽を再現するのは流石に人間の手には余るのだろう。
地下都市は上層エリア、中層エリア、下層エリア、最下層エリアに分けられていた。病院があったのは上層エリアだった。食堂がある中層エリアは、娯楽や生活空間のあるところで、多くの人間が好んで滞在していた。このエリアはとにかく地上と同じような世界を作ることが目的で、山や海も人工的に作られていた。上層エリアは病院があったり兵士が見張りをしたり、地上との関わりを持つ重要だが普段は用のないエリアだった。下層エリアは、インフラや大規模農場や牧場があった。そして最下層エリアは軍事工場、司令部、牢獄等がある場所であり、一般人は間違っても寄ろうとしないエリアだった。
ディーンが向かったのは兵士達が好んで利用している食堂だった。軍人ならここで無料で食事を取る事が出来る上、量も満足できるものだった。そのせいかこの店はいつも若く、無鉄砲な軍人に溢れていた。カウンターの前には数人の兵士が並んでいたため、ディーンはその後ろに並んだ。
「おばちゃん。いつもの、頼むよ」ディーンは食堂のおばちゃんに向かって話しかけた。
「はいはい、いい加減『大きなお子様ランチ』頼むの辞めたら?」おばちゃんはため息と共に答えた。
「いいんだよ。俺はこれが好きなんだ。それはこれからも同じさ」
ディーンがしばらくカウンターの前に待っていると、おばちゃんが料理をプレートに乗せて持ってきた。ディーンはそれに礼を言い、適当な席を探して座った。
おばちゃんが「大きなお子様ランチ」と呼んでいたのは、ディーンの注文があまりにもうるさいため作られた特別メニューだった。プレートの上にはオムライス、ハンバーグ、エビフライ、サラダ、プリンがこれでもかと言うほどの量で乗っていた。ディーンは多くの人はこれらのものを一度に食べたいと今でも思っているが、恥ずかしくて注文できないのだと信じていた。それに、いつ死ぬのか分からないのだし、体面など気にせず好きなものを食べた方がいいという信条を持っていた。
ディーンが半分近く食べ終わった辺りで、近くに座った二人の兵士が話をし始めた。2人ともまだ18歳も超えていないんじゃないかというような幼いが、希望に満ちた表情をしていた。オリュンピアでは、軍隊は志願制であるが、本人が入隊したいと言えば何歳であろうと入隊することが出来た。
「あー、これでようやっと俺らも実戦を経験できるな」
「いやー、今までよく辛い訓練を耐えてきたと思うよ。まあ、でもそのおかげで薄汚い歯車野郎共をぶっとばせるんだけどな」その兵士の口調には明らかに敵の機械化歩兵を馬鹿にするニュアンスが含まれていた。
「何言ってんだお前?知らないのか?俺達が戦うのはあんな雑魚じゃないぞ?」
「じゃあ何と戦うってんだよ」
「よくそんなんで周りの会話に合わせられるな。敵はパラディオン、あのクソッタレの羽根付き人形だよ」少年兵は大袈裟に肩をすくめて言った。
この言葉を聞いた瞬間、ディーンの頬をつめたい汗が伝った。しかし、会話をしていた兵士達はその名前に対して知ってはいるが、思うところはないようだった。
「マジで?そんな大物と戦うってことはきっと俺らよっぽど目をかけられてるんだろうなー」兵士は頭の後ろで腕を組みながら言った。
もし彼らがもう少し思慮深くて、もう少し大人で、もう少し戦場を知っていたらこんな言葉は出てこなかっただろう。だが、それは仕方ない事なのだ。それが若さの持つ最大の欠点であり、最大の強みだとディーンは知っていた。
ディーンは急いで残りの料理をかきこみ、足早にプレートを下げ、食堂を後にした。彼にはまた、行かなければいけない場所が出来ていた。