女神は姿を現す
「衛生兵! 早く来てくれッ! 撃たれた奴がいる!」
「クソッ! 化け物が!」
「グレネード!」警告をしてからすぐに轟音が辺りに響き渡った。
第15小隊は全滅状態になっていた。既に撤退命令は下されていたが、敵の追撃により被害は拡大し続けていた。ディーン・ミラー上等兵の仕事は撤退の支援だったが、彼の所属していた分隊で生き残っているのはディーンだけだった。
敵の数はたったの5体だった。第15小隊の任務は都市部に侵入した敵戦力を殲滅する事だった。しかし、彼らは敵の戦力を見誤った。敵はただの人間ではない。彼らは機械化歩兵だった。過去に使われていた定義と異なり、この機械化歩兵は装甲車など必要としていなかった。彼らは脳の多くの部分、眼球、腕、脚、心臓、肺、他諸々の部分を機械の部品に置き換えていた。
ディーンは建物の影から姿を現し、遮蔽物の上にバイポッドのついた分隊支援火器を置き、敵のいる方向に向かって引き金を引く。弾丸のうちの数発が機械化歩兵の眼前に迫る。しかし、弾は虚しく空を切った。ある者は地面を這いずり回り、ある者は壁を伝って走り、ある者は銃弾の軌道を予測して最低限の動きだけで回避した。機関銃が火を噴いている時にすら接近してこられる程の機動力が、機械化歩兵の最大の強みだった。
壁を走っていた機械化歩兵が、壁を蹴って銃弾を回避しながら、ディーンに向かって発砲する。しかし、流石に宙を舞いながら正確に狙いを付けるのは難しく、弾丸はディーンの後方にいた、後退中の兵士の背中に吸い込まれた。
「このゴキブリ野郎共!」ディーンは軽機関銃を撃つのをやめ、スプレー缶のようなスモークグレネードを投げる。放物線を描いたスモークグレネードは敵の足元に落ちて、土煙のような黄色い煙を辺りに撒き散らした。
(いくら銃弾を避けられるっつっても、視界が悪ければ完全な回避行動は取れないだろ……! さっさと煙の外に出やがれ……!)
ディーンは煙の中に向かって制圧射撃をした。薬莢が次々と排出されていく。彼は命中を全く期待していなかったが、牽制のために弾幕を貼り続けた。
味方は全速力で撤退を始めているようで、地響き共に後方から味方を回収するために派遣されたトラックがやってきていた。耳につけたインコムから声が飛び込んできた。声の主はどうやら生き残る事が出来たらしい、第15小隊に所属している友人の声だった。
「お前も急いで撤退するんだ!30秒後にトラックは出発する!」
「今俺が撃つのを辞めたらあいつらは間違いなく、俺達に追いついて肉袋を量産するぞ!俺はここに残って撤退を援護する!」
「それじゃお前が死ぬだろうが!いいから来い!」
「ダメだ!全員死んだら何の意味もないだろ!こっちの心配はしなくていい!何とかする!」
「クソッ!すまねえ、お前の墓にタバコ一本差してやるからな!」
「俺はたばこを吸わねえ!生きて帰ってきたら飯をおごってくれ!」
ディーンは通信を切るのとほとんど同時にトラックは走り去っていった。これでディーンの生き残る道は敵を殲滅するか、応戦しながら逃げるかになった。どちらにせよ、交戦しないことには生き残れそうになかった。
ディーンは分隊支援火器を捨て、戦友が残した狙撃銃を手に取り、経年劣化の進んだ建物の中へ逃げ込んだ。
問題はどのようにして戦うかだった。正面からバンザイと叫びながら突撃したら待っているのは確実な死だろう。となれば、奇襲戦法を取るしかない。奇襲は戦力を3倍にも高める。だが、3倍したところで頭数では3対5、勝てるはずがない。しかし、あの状況では、敵がディーンを含め全ての部隊が撤収したと考えている可能性があるため、その状態での奇襲は理論上よりはるかに効果を発揮するだろう。
あと望みがあるとすれば、敵の練度が低そうに見えた事だった。確かに、敵は小隊を全滅させはしたが、それは敵の性能が良かったからであり、練度が高いからではなかった。むしろ、先ほどバラバラの動きをとって回避した事や、5体のうち4体が力を誇示するかのように無駄な動きをとっていた事を考慮すれば、戦況はもう少しましになるかもしれないとディーンは考えた。
「まっ、どうにかなるだろ」ディーンはそう呟いて、程よく筋肉のついた腕で髪のかかっていない額を拭った後、戦闘準備を始めた。
機械化歩兵は煙幕が風で飛ばされていくのと同時に、周囲の警戒を始めたが、すでに小隊は跡形もなくなっていた。機械化歩兵のリーダーはそれを見て、すぐさま作戦に戻る事にした。当然、ここに来たのは小隊程度を潰すためではなかった。彼らの任務は、地下へ逃げた人類を10年間もの間守り続けた電磁パルス発生装置の発見、そして排除だった。電磁パルスは人体には影響を及ぼさないが、機械には多くの影響を与える。何の対策もしていない機械は電磁パルスを受けると、壊れるか誤作動を起こす。もちろん、これは敵味方関係なく起きる現象であり、地下に逃げた人類もその対策は十分とは言えなかったが、それでも身を守るためには電磁パルスの力を借りるしかなかったようだ。機械化歩兵達が今その影響を受けていないのは電磁パルス対策をしている為であったが、一帯の強力な電磁パルスの中では完全な対策とは呼べず、長居していれば彼らのあらゆるパーツに深刻な損害を受けるのは明らかだった。そのため、彼らは任務を迅速に実行する必要があった。装置さえ壊せば機械化していない人類など恐れるに足りないと上は考えているようだった。
「あーあ、つまんねー。あいつら逃げやがった」機械化歩兵の中の一人が声を上げた。そして、兵士の死体に近づき、機械の腕を使って頭をねじ切り、リフティングのような真似をし始めた。
「やめろ。無駄な事をしている場合ではない。捜索を再開するぞ」リーダーは頭を取り上げ、投げ捨てた。
「そうピリピリしなさんな。時間はまだまだあるし、ちょっとくらい遊んだって罰は当たらないはずでっせ」別の機械化歩兵がリーダーの肩を叩きながら言った。
「ここに来たのはサッカーの親善試合のためじゃない。戦争のためだ。どうしてもサッカーがしたいなら、私を殺して、その死体からもぎ取ってやれ」リーダーは二人を睨んだ。
「冗談ですよ冗談。やだなぁ本気にしちゃって。さっさと終わらせましょうよ」
大げさな身振り手振りをしてごまかそうとしていたが、リーダーはそれに付き合わず脚を進め始めた。他の機械化歩兵もそれに続いた。
彼らが捜索している地域は小さなビルが乱立しているビジネス街だった。かつてはビジネスマンが行きかっていたのだろうが、今いるのは彼らだけだった。コンクリートの隙間からは雑草も覗き始めていた。
彼らは電磁パルス発生装置を探していたが、もし見つからなかったとしても、視覚情報をデータとして保存する事により、後続部隊は効率的に捜査を引き継ぐ事が出来た。つまり、長い長い時間をかければ確実に電磁パルス装置を発見できるのだった。そして、地下に一部の人間が逃げ延びてから10年、発見の時は間近のように思われた。だが、それが彼らの士気を奪っている側面もあった。敵は雑魚ばかりで、時間をかければ勝利も確実。慢心するのも無理はなかった。リーダーは敵の襲撃を食らわないようにするため、警戒を怠ってはいなかったが、他の連中は別のことを考えているか、鼻歌を歌っている者までいた。
「ねえ、リーダーさんよぉ。いい加減休憩しないか?俺はもうくたびれちまった」先ほど頭でリフティングを行っていた機械化歩兵が言った。
「ダメだ。休みたければこの地域から撤退してからにしろ」リーダーは振り返って答えた。
その瞬間だった。リーダーは脚部に衝撃を受け、地面に倒れた。機械の脚は痛覚を持っていなかったため、被弾したにもかかわらず、リーダーは冷静かつ即座に振り向いた。500m先の老朽化した5階建てのビルの3階に、狙撃銃のスコープの反射の光と思われるものを確認した。
「あそこのビルの3階にいるぞ!」リーダーは叫び、続きの指示を出そうとしたが、他の機械化歩兵は位置を聞くや否や、そのビルに向かって人間の5倍以上の速さで走りだした。
「待て!落ち着け!」リーダーは他の機械化歩兵を追いかけようとしたが、片脚の故障のため走る事が出来なかった。
2人の機械化歩兵は10秒待たずに敵のいる隣のビルに到着し、ゴキブリを思わせる動きでビルの壁を這い上がり、敵がいたと思われる場所に飛び移ったが、そこには予想外の光景が広がっていた。そこにあったのはスコープだけだった。
「ああクソッ!」彼らは罠だと気づき逃げようとしたが手遅れだった。本当は向かい側のビルにいた敵は彼らの半機械化した頭を正確に撃ち抜き、脳と金属の破片を辺りにバラ撒いた。
地上から走っていた2人組はこの一部始終を目撃していた。即座に敵のいた場所に向かって壁伝いに移動し、近くの窓を割って中に突入した。一瞬だけ野戦服を着た敵の姿が見えたが、機械化歩兵が発砲する前に逃げられてしまった。しかし、所詮はただの人間、近くにいるのは明白だった。彼らは仲間、というよりも同じ部隊というだけだった連中の死から、トラップを警戒していた。いくら身体能力に優れているとはいえ、近距離からの完全な不意打ちを喰らうとどうにもならない事を彼らは学んだ。そんな事は基本中の基本だったのだが、今まで慢心が彼らの認識を誤らせていたのだった。むしろここで焦って追いかけて敵の罠に引っかかるほうが危険だったので、彼らはワイヤーにつけられた手榴弾等のブービートラップを警戒しながら身長に敵の逃げたほうに進んだ。
ビルの中身は元服飾関係の業務を行っていたオフィスだった。もし、10年前にあのような出来事が起こっていなかったら流行っていただろう衣服の試作品を着たマネキンがあちこちに置かれていた。彼らはそれらにも罠がないか気をつけて進んだ。
敵がいたところまで慎重に進んだが、トラップは設置されていなかった。敵が逃げていった方向には会議室らしき部屋があった。ビルの構造上ここが行き止まりであり、部屋の大きさから考えて、このドアにブービートラップをしかけていたら敵も負傷するか、最悪自分の罠で命を落とす事になるだろう。彼らは中にトラップがしかけられていないと判断した。
先行していた機械化歩兵が、ハンドサインで自分が突撃する旨を伝えた。もう一人の方は後ろでカバーをする事にした。集中を高め、ドアを開け中へ突入した。正面に人が見えた。彼はそれに向かって発砲した。
しかし、それは人ではなかった。そこにあったのは野戦服を着たマネキンだった。そしてそれを理解するのとほとんど同時に、彼の首の生体部分にナイフが深々と突き刺さり、人間と全く同じ血を流し始めた。
そのナイフの持ち主は野戦服を着ていなかった。先ほど敵が一瞬彼らに姿を見せたのは、「敵は野戦服を着ている」と思い込ませるためだった。彼らは先入観によりマネキンを敵だと思い込んでしまったのだ。そして、その思い込みは生死を分ける事になった。
後方でカバーしていた機械化歩兵はそれに反応して、本当の敵に向かって黒光りした小銃を発砲したが、弾丸はナイフが刺さったままの同僚に向かって命中した。普通の人間だったら弾丸が貫通していただろうが、機械化した身体は敵にとって優秀な盾として機能した。
敵は死体を正面に向かって突き飛ばした。残された機械化歩兵はそれを壁に張り付く事で回避し、小銃で反撃に出ようとしたが、敵はもう至近距離に接近していた。機械化歩兵は構えた小銃の先についていた銃剣で敵を突こうとした。だが、身をかわされ逆に顔に掌底を貰い、その隙に小銃を叩き落されてしまった。
機械化歩兵は顔に強烈な一発を貰った反動で少し後ろに下がったが、ダメージはほとんど受けていなかった。機械化歩兵は灰色の機械仕掛の脚で蹴りを繰り出す。蹴りは弾丸のように敵に襲いかかったが、強烈だが大振りの蹴りが破壊したのは敵ではなく壁だった。最低限の動きで攻撃を躱した敵は、隙だらけの機械化歩兵の軸足を払い、倒れた彼の頭を全力で踏みつけた。
機械化歩兵はそれによりほんの一瞬だけ意識を失ったが、頭部のマイクロコンピューターに身体を操作する権限を移行させる事により、すぐに意識を取り戻した。
「もう一度訓練をやり直すんだな。もっとも、お前の配属先はあの世になるだろうが」意識を取り戻した機械化歩兵が最初に聞いたのは敵の声だった。敵は機械化歩兵を押さえつけた状態で拳銃を抜いていた。コンピューターは高速でこの状態から抜け出す方法を検索したが、優秀な頭脳が結論を出すよりも拳銃弾は素早かった。
ディーンは動かなくなった機械化歩兵の死亡を確認してから、立ち上がった。
(あいつらが素人で助かった…)彼は返り血を拭いながらそう思った。
(もし、あいつらがまともな訓練を受けていたら、ここで脳髄を垂れ流して倒れているのは俺の方だっただろう。普通の訓練を受けていたなら、機械化歩兵は俺の居ると思われる部屋に手榴弾を投げ込むだけで良いことを知っていただろうが、機械化歩兵達は律儀に正面から突入した…。どうやらいくら機械化したところで、元々のオツムだけはどうにもならんらしいな)
マネキンが着ているに野戦服を取りに行こうとしたが、少し見ただけでもそれが衣服としての役目を果たせそうにないことがわかった。
「これをダメージ仕様だと言い張るには流石に無理があるかな……」彼は呟いた。
彼は機械化歩兵の近くに行き、装備をいくつか拝借する事にした。特に小銃は近未来的なデザインで観賞用としては彼の趣味に合っていた。
「さてと、残るはリーダー殿の始末か……」彼は呟いて窓の近くに行き、リーダーがまだ回復していない事を確かめようとした。リーダーは予想通り脚の修理に躍起になっていた。ディーンは床に置いておいた狙撃銃でリーダーに狙いをつけた。スコープはなかったが、一発で仕留める必要はないので、アイアンサイトでも構わなかった。彼は息を深く吸い込み、余分な息を吐き出して、止めた。
いざ引き金を絞ろうとしたその瞬間、彼は目を見開いた。始めは、かなり遠い空に黒い点が見えた。その点は高速でこちらに接近してきていた。ディーンはすぐにそれが何か分かった。それは戦闘機ではなかった。それは、先の大戦で人類の決定的な敗北の原因になった最強の兵器だった。少女型万能機甲兵器パラディオン、それがその兵器の呼び名だった。