それは忘れたい黒歴史のはずだった
10年前のある日のこと、沖那 薫は道に薄汚れたぬいぐるみが落ちているのを発見した。そのぬいぐるみは実はぬいぐるみではなくカチュアという名のネズミに似た生き物で、アンタドコサというギャグみたいな名前の国からやってきたと語った。
カチュアの目的は、犯罪者の確保という物騒な内容である。牢屋から逃げ出した極悪非道の大泥棒グラドラスを捕まえるため地球へ派遣されたらしい。
「グラドラスはどんな悪いことをしたの?」
純粋で純真で真っ直ぐすぎた薫は、当たり前のようにそのことを疑問に感じた。その問いにカチュアはこう答えた。王様の3時のおやつを食べてしまったのだと。
今考えると、平和にもほどがあるというか、それだけの理由で投獄されてしまったグラドラスがあまりにも不憫だ。しかし当時の薫は「それは悪いことね!」とバカ正直に納得してしまい、結果カチュアを手伝うことになった。何でもカチュアたちアンタドコサ国の動物たちは地球ではその力が100分の1になるらしく、そこら辺を飛んでいる虫にも運が悪ければ負けてしまうほどの強さらしい。カチュアたちが国では当然のように使っている魔法も地球ではあまり大きな効果を発揮しないようだ。そのため、自分の魔力をこめた魔石を使ってグラドラスを探してほしいと頼まれたのだが、物事はそう簡単にいかなかった。
グラドラスは逃げる時に、『ドヨン』と呼ばれるアンタドコサ国の生き物たちの負の感情を持ち出していた。地球にまで逃げてきたグラドラスは捕まるわけにはいかないと、『ドヨン』によって作られた化け物でこちらを妨害してきたのだ。人間界のゴミとそれに宿る感情、そして異世界の負の感情『ドヨン』が結びつくと様々な化け物に変身した。それを掃除と称して倒すために誕生したのが、魔法少女キャロルスターである。その名前は魔法少女になれると判明した時に頑張って薫が命名した。可愛い名前にしようと一生懸命にひねり出したのだが、薫にとって完全に黒歴史となっている。小学生だったあのころの自分を全力で殴ってやりたいと20歳になった今でも思っていた。
「もう、無邪気で愛らしいカオルちゃんは消滅してしまったんでちゅか!? マスコットキャラを平然と地べたに投げ捨てるなんて最低でちゅ!」
ぺ、ぺ、と口の中に入った砂を吐きながら、カチュアは顔をごしごしこする動作をする。
土が付着した部分を何とかしようとしたのだろうが、汚れはますますひろがるばかりだった。
「カチュア、どうしてここにいるの?」
とにかくそこからはっきりさせよう。
10年ぶりに会っていきなり失礼な対応をしたのもまずかったかもしれない。薫の中では魔法少女なんかやらせやがって、という恨みの感情が積み重なっているが、カチュアの中では感動的な別れをして次に会ったらこの扱いである。当然、文句の1つも言いたくなるだろう。
「悪魔のようになった年増に教えることはないでちゅ」
自称マスコットキャラには相応しくない暴言だ。誰が年増だ、と反論しかけたのをぐっと飲み込む。ここでキレても物事は進まないので、薫は無理やり笑顔を作って必死に我慢した。知りたいことが全て明らかになれば、このよごれたネズミをゴミ箱に捨ててやればいい。
「ごめんカチュア。私が悪かった。だから教えて、ね?」
機嫌を直してもらうためにぬいぐるみの脇の下へ手を入れ、丁寧に抱き上げる。
「本当に反省してるでちゅか?」
疑わしげな様子でカチュアが薫の腕をばしばし叩く。たいして痛くはないのだが、顔に張り付けた笑顔が崩れそうになった。
「まあ、いいでちゅ。性格の悪いおばさんになってしまったあの頃の面影ゼロの残念なカオルちゃんに、すばらしく優秀で心の広いカチュアが教えてあげまちゅ」
威張ってそう言ったものの、カチュアはしばらく無言だった。手足をふりふり、頭をふりふり、バカにしているのか、遊んでいるのか、その両方なのか。カチュアの真意がわからないまま待っていると、ようやく説明が始まった。といっても、一言で終ってしまったのだが。
「またグラドラスが逃げたんでちゅ」
アンタドコサ国は地球(特に日本)にどこまで迷惑をかければ気が済むのだろうか。グラドラスも10年間も大人しくしていたのだから、もう一生大人しくしていればよかったのに。薫はアンタドコサ国の動物たちの自由さに呆れながらも、グラドラス逃亡について詳しく尋ねることにした。
「どうしてまた逃げたの?」
「今度は王妃さまのお着替えを覗いて捕まったでちゅ」
「いい年して何やってんの、グラドラス」
お菓子のつまみ食いはまだ可愛げがあったが、覗きは完全にアウトである。
ただの変態おやじが地球に逃げてきてしまった。そして新しい魔法少女がそれに付き合わされる。事実を知ってしまった薫は魔法少女ベリィベルに同情せずにはいられなかった。