平穏な日常にお別れを
「じゃあ後期からはこんな日程でやってくから。出席はしなくてもテストで点が良かったら単位はやるし好きにしろ」
夏休み明けの講義で先生はそう言い残し、教室を出ていく。薫と同じように座ってルーズリーフを取り出していただけの学生たちは昼食をとるために移動を始めた。
「ねぇ、薫。今日こそ食堂行く? それとも外で食べる?」
大学に入ってから知り合った美香に尋ねられ、迷わず「外」と返答した。食べ物を求める学生たちで溢れかえった食堂には正直近寄りたくない。もう10月とはいえあれだけ人が集まった場所は暑苦しく、薫は嫌いだった。それに汗の匂いや女子たちの香水の匂いが合わさった場所で食事をしてもおいしくない。
「混む時間じゃなければ、食堂がおいしいんだけどね。昼休みはちょっと」
「私は気にしないんだけどな。人がいっぱいいるからすぐ新しいのが出てくるし、昼休みの食堂も悪くないよ?」
美香は食堂派の人間だ。こちらの意見ばかりだと申し訳ないのでたまに食堂でランチ、というときもあるのだが今日の薫はそんな気分ではなかった。
大学構内にあるショップでおにぎりやサラダを購入し、日当たりがよくほどよい風も感じられる外のベンチで食事をすることにした。
「『環境と社会』の成績評価ってテストだってさ。どう考えてもレポートにすべき内容だよね?」
「あの先生テスト好きだからね。まあ仕方ないよ」
大学生女子の会話内容など、講義か人間関係か趣味か恋愛話かのどれかである。薫と美香はとくに利益にもならないことをだらだらと話し続け、愚痴をいい、互いを慰め合った。
良く言えば平和で、悪く言えば平凡。刺激的な毎日を求めている特殊な人間にとってはゴミ箱に捨ててしまいたいほどの退屈な日常だろう。しかし、薫はそんな日常を愛していたし手放す気もなかった。
だから平凡な日常の一部である美香に、そんなことを言われるとは思っていなかったのだ。
「薫はさ、『魔法少女』って見たことある?」
手に持っていたおにぎりを落としそうになって、慌ててキャッチする。動揺をさとられないように、普通の昼休みを壊さないように、薫は慎重に言葉を選んだ。
「ないよ。……どうしたの急に?」
冷や汗が背中を伝う。ごまかすように鮭のおにぎりを食べてもあまり味がわからない。見慣れたはずのいつもの大学が居心地の悪い別世界になった気分だ。座る位置をずらしてみても落ち着かない。
「まあそうか。でもね、私のお姉ちゃんがこの間見たんだって」
魔法少女を。こっそり誰にも聞かれないような小さな声で美香がささやく。
「そもそも10年前には魔法少女が実際にいたんだし、お姉ちゃんの嘘だとは思えないんだよ」
魔法少女キャロルスター。突如現れた化け物と同じように突如現れ、魔法少女と名乗り、化け物を消し去ってしまう不思議な少女がかつていた。しかし化け物と共にキャロルスターが姿を現さなくなってしまい、魔法少女の正体はいまだに謎のままである。
「……でもあれは、テレビ局のやらせだったって、説もあるよね」
キャロルスターたちが現れなくなり落ち着いた頃、テレビで偉そうなコメンテーターがそんなことを話していた。当時小学生だった薫は「本当にいる」と熱く語るクラスメイトと「魔法なんてあるわけない」とバカにした一部の男子のケンカによく巻き込まれた。この問題に先生も加わり学級会にまで発展したりもした。くだらないと一蹴することは簡単だがあのころは真剣に魔法少女について論じられていたのだ。
「キャロルスターがやらせだったかどうかは別として、……お姉ちゃんが見たのは別の魔法少女らしいよ」
「へ?」
「たしか名前は――……」
薫と美香は顔を寄せ合い、今まさにその名が明かされようとしていた時に、事件は起こった。
耳をふさぎたくなるほどの爆音とたくさんの人の悲鳴。音の方向は食堂が建っている辺りだ。空を見ると、うっすらと煙も上がっている。
「な、なにごと」
隣で立ち上がり唖然とする美香。食事をする雰囲気ではなくなってしまったと思い、食べかけのおにぎりをテーブルに置く。
何か大学でありえないことが起こっている。
大好きだった穏やかな日常が壊れていくのを、薫は心のどこかで感じ取っていた。