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魔法使いの卵  作者: 青生翅
僕と名前
4/20

3  弟子、課題に苦しむ

 師匠の書いた指示書は、やっぱり適当だった。

 僕だってこれまでに薬作りの簡単な手伝い程度ならしたことがあるし、その手順も見ている。だから案外簡単に出来るかもしれない――なんて甘かった。甘々だった。

 指示書に書かれている薬草の名前が略されていたりするのはいいとしても、その分量のおおざっぱさが最悪だ。

『手づかみ三回と半分』

『心持ち少なめ』

 ……ふざけている。

 師匠と僕の手の大きさが同じなはずはないし、師匠と同じ心持ちでなんかいたくない。

 本当に何を考えてるんだろう、あの人は。


 ここ数日様子がおかしいなぁと軽く心配したことなんて忘れてやろう。

 おかしいのはこの指示書だ。つまりは日常の師匠がおかしいのだ。


 おかげで用意した材料を何度も無駄にする羽目になった。

 完成品を師匠に確認してもらうまでもない。

 鼻の奥に染みついているいつもの匂いと違う、見慣れた色と違う、とろみが足りない。上げればきりがなかったが、とにかく成功でないことは明らかだった。




 そんなこんなで四日が経っている。

 日の差さない地下室にこもっている僕の気分はすっかり蝙蝠だ。

 フィーリアさんは薬作りの鍋から離れない僕を気遣って、お茶だけでなく三食に合わせて夜食も地下に運んでくれる。師匠でさえよほど研究が佳境に入らない限りは、塔を出て家の方で食事を摂っているというのに。

 はぁ、師匠以下になってしまった自分の生活が情けない。

 ひたすら鍋をかき回し、微妙に違うものが出来ては頭をかきむしる。フィーリアさんが深夜を告げるまでそれが続く。徹夜で取り組むことも考えたのだが、結局は次の日の雑事に支障が出そうでやめておいた。それに下手に体調を崩そうものなら、フィーリアさんの無言の看病が怖い。

 でも部屋に戻る気力もなくて、僕は地下室で毛布を被って寝ている。最低だ。いつかの師匠みたいだ。かなり落ち込む。


「ケイソウが多い……タキューの量はこれでいいはず。赤っぽいんだよなぁ……。何だ? もっと細かく刻んだ方がいいのかな」


 書き付けては消し、消しては書き付ける。

 試行錯誤の跡は羊皮紙に残り、十数枚のクズゴミになって床に散らばっている。

 改めて煎じ薬の怖さを知る。粉薬や丸薬と違って火を通すとなると、その加減がすごく難しいらしい。

 苦いような酸っぱいような匂いが体中に染みついて、ついでに鼻から肺から脳みそまですべてがそれに染まっている。


 ――なんか一生取れないんじゃないかな、これ。


 ついそんな怖い想像をしてしまう。こんな不味そうな匂いと終生のお友達になるだなんて絶対にごめんだ。

 頭の中を薬草の名前と量と手順がぐるぐる回っている。ぐるぐるぐるぐる回っている。

 気持ち悪い。酔いそうだ。

 でも止めない。休憩時間がもったいない。早く終わらせたい。


 師匠とは課題を渡されて以降会っていない。ここへ来るのはフィーリアさんだけで、師匠が弟子の様子を見に来るなんて師匠らしいことをするわけがないからだ。

 僕が大苦戦をしていることはフィーリアさんの口から伝わっているだろう。師匠はどう思うだろう。僕を不甲斐ないと鼻で笑っているか……いや、たぶん予想通りで特に何も思わないんだろうな。


 鍋の中の液体が泡立つ。沸騰する直前で根の付いたままのケイソウを加えてさっと混ぜる。ここで手早くしなければいけない。薄くも濃くもない鮮やかな緑色が煮出されたら、中のケイソウをすべて網ですくい出す。次に荒く微塵切りにしたタキューの根を入れて、今度は茶褐色に色づくまで辛抱強く待つ。ここでぼんやりして似すぎると、もう取り返しがつかない。だいたい想像通りになったところで今度はサエバ、キクリ、ユウビランを入れる。少し濁った紅茶色になった頃にすべての材料をすくい上げ、とろみが出るまで煮詰めていく。


 ……こうやって整理するとかなり単純だ。でもあの適当すぎる指示書に正しい分量と順序を補足するのは、正直言って泣きたいほどに大変だったのだ。


 念を込めるようにかきまぜ続けた鍋を火から下ろす。

 湯気を立てる液体を匙ですくって、息を吹きかけてから口に入れる。酸味が強く、ぴりっと刺激を残す後味。


 ――ああ……。


 僕はそのまま後ろに尻餅をついた。尾骶骨に鈍い衝撃を感じた。でもいいのだ。


 ――終わった!


 僕は確信した。これだ。文句なしにこれだ。

 かつてないほどの達成感と疲労感だ。今さらながら盛大に頭痛が襲ってきて、生理的な涙が滲む。

 やってやった。もう嫌だ。咳止め薬などしばらく見たくも作りたくもない。

 動くのが億劫で仕方がなかったけど、この完成品を師匠に見せねばならない。まさか駄目出しはされないだろう――いくら性格が悪くてもされないだろう!

 僕は濁った紅茶色の液体を小瓶にして栓をした。本当は鍋ごと持っていってやろうかと思ったけど……このふらつく体では階段途中で盛大にぶちまける可能性大だ。やめておこう。




 地下室を出ると、久しぶりに窓から差し込む光に目が眩む。元気だったら「ぎゃー、溶けるー、灰になるー」と一人で呟くところだが……無理だ。そんなの今は無理。

 足を引きずるように階段を上っていく。地下から師匠がいる三階までが遠い。足腰にくる。地下室に籠った当初の気分は蝙蝠だった。今では棺桶から出た吸血鬼。または墓から這い出た半死人。


 たぶん酷い顔で現れた僕に、さすがの師匠も少し目を見張っていた。普段は僕の方がしっかりした服装のはずだけど、今回ばかりは師匠の方が身綺麗だと思う。はぁ、お湯を浴びたい。

 渡した小瓶を日に透かして確認し、栓を開けると師匠は一気に飲み干した。健康体で飲んでも害はないからいいものの、あまりの思い切りの良さに唖然としてしまう。


「出来てる」


 たいして味わった様子もなく、師匠は呆気なくそう言った。

 時間がかかった冷やかしも、恐れていた駄目出しも、まったく期待していなかった褒め言葉もない。だからこそ心の底から安心した。この言葉を待っていた。


 師匠が何かを言った気がするけど、僕はそれを聞き取れなかった。意識が物凄い勢いでどこか遠くにとんでいって――さよなら。




 

なんて地味な回でしょうか……。師匠が師匠らしいのは、これからです。

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