2 地下室でティータイム
「リオン」
普段使っている塔の三階から階段を下りていると、途中で上ってきていたフィーリアさんに会った。
やわらかな笑顔と声で名前を呼ばれて、僕も笑顔を返す。
手に持っているトレーの上に置いてあるのがティーセットと焼き菓子なのを見て、そういえば午後のお茶の時間だったと思い出した。
「お出かけ?」
「ううん。師匠が課題をくれたんだ。咳止めの薬を作れって。だから地下室に」
「そうなの? 新しい課題ってことは……」
そこで何か考えを巡らすように、フィーリアさんは琥珀色の瞳を伏せた。そして数拍もしないうちに僕と同じように階段を下りる体制に変わる。
「フィーリアさん?」
「何でもないの。君のお茶は地下室に準備するわね」
地下室には乾燥剤がところどころに置かれていることもあって、湿気やカビもなく普段は以外と快適な空間だ。薬作りが始まれば火でむっとするだろうが――まぁ仕方ない。
基本的に薬を作る専用の部屋だ。壁には一面に小さな引出しが詰まった薬棚が並べられ、部屋の隅には魔法で枯れることのない水瓶が置かれている。
師匠が普段やっているような研究は最上階の部屋で行われるから、他の用途の分からない魔法具などもない。ここだけ見れば、一般人は薬師だと思うだろう。
魔術師の弟子なのに、発火棒をこすってランプに火を入れる。薬を作るときに湯を沸かすときにも、同じ方法で火をつけねばならない。
とは言え、師匠も薬を使うときには同じ方法を取っている。魔法で火をつけた方が早いはずなのだが、何でか師匠は必要以上に魔法を使わない。弟子の勉学のために見せてやろうとは思わないのだろうか。
小さな猫足のテーブルにお茶の用意をして、フィーリアさんは折り畳みの椅子を二脚壁際から運んできた。
どうやらここで一緒にお茶を飲む気らしい。
もちろん嫌なはずもないから、僕も大人しくその椅子に腰かける。
柑橘の香りがする茶葉は最近のフィーリアさんのお気に入りだ。何種類かの茶葉と乾燥させた柑橘の皮を自ら配合させた、フィーリアさんの特製。飲むと気分がすっきりするから僕も好きだ。一緒に添えてある焼き菓子は、あえて特別凝ったところのないものが用意されている。
カップに注がれた橙色がかった茶を一口飲むと、落ち着いたいい気分になった。フィーリアさんも同じように飲んでいる。
――あれ?
動きを止めた僕に気付いたのだろう。フィーリアさんは小首を傾げ、どうしたのと訊いてくる。
「フィーリアさん、師匠の分はいいんですか?」
用意されているカップは三つ。当然師匠も数に入れていたんだろうに、放っておくなんてフィーリアさんらしくもない。
「ああ。だって先生、どうせ今はそんな気分じゃないと思う」
「……何でですか?」
「うーん――そういう時期が来たから、かな」
フィーリアさんはどこか笑いをかみ殺すような顔をして、わかりづらい説明をした。つまり僕に教える気はないってことだ。
「すっきりしない……」
「そのうちわかるわ。あなたが仲間外れなわけじゃないから、安心して」
仲間外れだとは思わないが、そのうちわかるというのはかえって興味をそそる。
いつからかフィーリアさんに「君」ではなく「あなた」と呼ばれるようになったのは、だんだんと子供じゃないと認められてきた証かもしれない。同じように、そんな理由で師匠も新しい課題をくれたんだろうか。
「取りあえずは課題を頑張ってね。私は先生が作るものを売りに行くだけで手伝いなんか出来ないから、何だかうらやましいな」
魔術の才を持たないフィーリアさんは、少し寂しそうだ。
魔術師がどういう法則で生まれるのかはいまだ明らかではない。
たしかに魔術師の名門と言われる家は存在する。一族に高い確率で魔術師が生まれる家がそうだ。しかし全員がそうなるわけではない限り、血統が魔術師を生み出すという証拠にはならない。親子が魔術師の場合もあれば、世代を越える場合もある。そして魔術師の血が一滴も入っていない家系に生まれることも。
そういう人々が突然変異なのであり、基本的には血によって魔術師が生み出されると頑なに信じている人々も少なくない数がいて(名門出身はほとんどそうらしい)、そういう人たちは一般の家に生まれた魔術師を侮蔑の目で見るという。実際に名門出身者を待遇する国や機関は多い。知名度がそうさせるからなのだが、一般出身の魔術師は必然的に仕事や出世で名門に後れを取ることになる。
師匠なんかはそれに対して『暇人ばかりだ』と言う。血だとか家だとか、どうでもいいらしい。師匠にとっての判断基準は明快だ。有能か、そうでないか。「無能」という言い方をしないのは師匠がその言い方を嫌いだからだ。「無能」と必要以上に口にするのは「勘違い野郎」が格下の魔術師を貶す場合の常套句らしい。
血筋に頼って権力を振り回す者も、劣等感に潰されて他人をうらやむだけの者も、魔術師を名前で判断して頼る者も、師匠にしてみれば「暇人」。本当に大事なことに時間を使っていない馬鹿たれということだとか。言いたい放題だが、それが僕の師匠だ。
何にしろ、フィーリアさんに魔術の才はなく、僕にはあった。
なんでフィーリアさんが師匠の元で暮らしているのか、その事情は聞いたことがない。親類や何かではないらしいけれど、こんなにまでひたむきに師匠の役に立ちたがるのには、きっと僕には知らない理由があるような気がする。
「僕はフィーリアさんの作る料理や服の方が、ときどき本当の魔法に思えるなぁ」
綺麗に形の整った素朴な焼き菓子を頬張ると、ほんのりと甘く香ばしい。なんだか懐かしいような味だ。小さいころにこんな甘いものを食べる機会なんてなかったはずなのに。
「リオンはすっかり口が上手くなったわね」
僕の言葉に、フィーリアさんが照れたように笑ってくれる。
「お世辞なんかじゃないですよ?」
「ありがとう。ね、今日のは美味しい?」
「美味しいです。ククルの粉が入ってる」
「ご名答!」
乾煎りした木の実の粉が隠し味だと当てれば、本当に嬉しそうにフィーリアさんが手をたたいて喜んだ。
こういうところはなんだか普段より幼い可愛さがあって、五つの年の差が急に縮まるような気になる。弟子入りした当初は自分の世話を焼いてくれるフィーリアさんがすごくお姉さんに見えていたはずなのに、不思議なもんだ。
どうしても説明が多くなってしまいます。すみません。