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魔法使いの卵  作者: 青生翅
ウルとラスディ
18/20

13 天秤

「ペールゼンが君を気に食わないと思っていたのは仕方がないことだと思うけれどなあ」


「なぜです?」


 疑問を投げかけるのに抵抗がなくなった相手――テーズは、日に一度は必ずと言っていいほど僕の目の前に姿を現した。

 そのときに言いつけられていた雑用を勝手に手伝うこともあれば、休憩時間に合わせて僕とどうでもいい話をして帰っていくこともある。


 いまの僕は、騎士団員の下着の洗濯中だ。さすがにこればかりは手伝ってもらうわけにいかないからと、猛烈にテーズの助けは固辞しておいた。彼はそれに機嫌を悪くする様子もなく、井戸の縁に腰かけて僕を眺めている。


「小姓連中はおろか小間使い仲間にまで蔑ろにされていても、一言だって上に泣きつかないしね」


「……え?」


「あれ、気づいてないのかい? だいたいこんな量を一人でこなすなんて普通はしないよ」


 指差された洗濯物の量は、たしかに多いとは思っていたけれど……。


「まあさすがに全部は押し付けられなかったみたいだけれどね。東側の井戸では同じ量を五人でやっていたよ? 見なかったかな」


「さあ……朝からずっとこうしているので」


「干し終わるまでどれくらいかかるだろうねえ」


 嫌味こそ含んでいないが、すっかり面白がっているテーズの言葉尻の響きに、僕はどっと疲れを感じた。

 だいたい王城内に宿舎があるのだから、洗濯専門の侍女に頼めばいいのに。なんだって武人という生き物は変なところで見栄を張ると言うか、女人に何でも頼んではいけないだとか意味の分からないことを言うんだろうか。彼女らはそれで賃金をもらっていると言うのに。だったら自分でやったらいいじゃないか。自分の汚したものなんだし。


 洗って乾かした衣類は、それぞれに渡すまでが仕事だった。小姓連中にはまとめて数人分渡せば済むが、各従騎士たちには本人と彼らが従う騎士の物とを手渡さなければならない。衣類にはいちおうそれぞれに縫い取りがしてあるが、誰がどの騎士付きかというのを何十組も覚えていなければならないのはとても大変なことで、しかも間違えると酷く叩かれるのだそうだ。 幸いにも僕はまだそんな目には合っていない。これも徹夜での名簿作りのたまものだ。


 うんざりした顔を隠そうとはしないものの、これと言って反論もない僕に何を思ったのか、テーズは尋ねてきた。


「理不尽だとは思わない?」


 とりあえず僕は頷いた。もちろん思わないわけじゃない。でもまあ、それこそ仕方がないのじゃないかな。

 僕にとって最大の理不尽の発生源はいつだって師匠なのだから、それ以上に疑問に思ったり嫌気が差したりすることってそうそうない。

 だいたいにして、たかが年下の坊ちゃんたちに言いがかりをつけられようが、小間使い仲間にそれとなく弾かれていようが、永遠のここにいるわけじゃないとわかっているから、我慢することはそんなに難しくないのだった。


 ……という諸々の事情すべてを話すことは出来ないものの、そんなにつらくないと言うことだけはテーズに伝えておいた。


「ふうん。だからこそ周りは君に対して躍起になるのかもね」


「どういうことです?」


「うん。だって自分たちが面倒だとかつらいとか思っていることを、何でもないように淡々とこなす君はずいぶん不思議な存在なんだろうよ。それでどこまでいったら音を上げるかと突っかかってみれば、どこまでいっても顔色一つ変えない。結局は容量を超えているはずの仕事を、どんなに時間がかかってもやり遂げてしまうわけだし。これってかなり怖いことだと思うよ」


「怖い、ですか」


「そうだよ。自分に理解できないモノは、たいてい“怖い”と感じるんだ。だから排除しようとする。それでも可愛い嫌がらせで済んでいるのは、彼らの内面が結局のところ、善良な側に傾いているからなんだろうけれどね」


 なるほどと思った。テーズの趣味が伊達ではないことを悟る。

 たしかに僕も同じような経験をしているのだった。主に師匠やラスディといるときに。あの偉大で変人で狂気じみた魔術師たちの側にいると、僕は確かに度々恐怖を感じるのだった。

 まあ、絶対に理解してたまるかという気持ちもあるんだけれど。


「それでもペールゼンたちは君への考えを改めたみたいだ。だいたいにして小姓が小間使いに絡むなんて有り得ないんだけれど、まあそこは置いといて。得体のしれない君という人間が、自分が思っていたよりもまともだと思ったらしい」


「何ですか、それは」


「ペールゼンが君を気に入ったということさ」


「……えー」


「貴族は往々にして傅かれることに慣れきっているからね。たとえ言いがかりでも、小間使いが涙ながらに頭を地面に擦りつけない姿など想像もしなかったんだろう」


「ならより気に食わないと思うはずでは?」


「新鮮な出来事と捉えたということだね」


 うっわ。高貴な人って面倒くさい。怖い。

 でもそんな理解しがたい余裕が、たぶん高貴な証なんだよな。平民は自分の価値観と違う出来事に対して、絶対にいい意味の気持ちを持ったりしない。非日常に触れる場面というのは有事であって、自分たちの日常が破壊される前触れだと捉える。自分の予想外の出来事を楽しめる人間というのは、地位や身分や精神において余裕がある人間だけだ。些細な“異例”くらいでは、自分が持つ何物も失うことがないと自負できる者だけ。平民はその臆病さで以て自分たちを守っている。その必要がない者たちとは、大きな隔たりがあるのだ。

 

 そう結論付けた僕だったけれど、テーズの言葉には続きがあった。


「まあ、ペールゼンのように考えられる貴族は珍しいけれど」


「そうなんですか……?」


「貴族を支えているのは伝統と血だ。それ以外のものに価値を見出す人間は、貴族の中じゃそう多くない。だから変化というものを嫌うし、貴族以外の人間を人間とは思わないことだってある。自分たちでだけで世の中が回っていると考えている。そしていつまでも自分たちを中心にした世の中が続くと思っている」


 彼自身だって貴族のはずなのに、テーズの口調はいっそ淡々としていた。無感動を張り付けたような表情が、彼にはあまり似つかわしくない。


「貴族の中の、保守派と革新派を知っているかい?」


「ええ、まあ。ここにいれば耳に入りますが」


「だね。宮廷は噂話には事欠かない」


「……テーズ様のご実家は保守派でしたか」


 辺境にほど近いディラルク男爵家は、貴族位で言えば下位に属するものの、エスクード建国の折から続くとても古い家柄らしい。その血筋には相応の敬意が払われるとか。


 僕の返しに頷いて、テーズは少しだけ微笑んだ。


「表向きはね。言葉遊びをするようだけど、“保守的な保守派”なのさ。君が耳にするような過激な発言はしない家。もっとわかりやすく言えば、事なかれ主義。目立たず騒がず平穏に」


「過激な保守派がいるということですか」


「騎士団はたいていそうだよ。でもペールゼン家はね、保守派の皮をかぶっているけれど、当代の当主――あの子の父君は密かな革新派の支持者だ」


 それは初耳な情報だった。僕は自分の鼓動が少し早まったのを感じた。

 そんな僕を知ってか知らずか、テーズの笑みが深まる。

 

「なぜ知っているのかなんて、訊かないでくれよ? これが公になれば、ペールゼン家は間違いなく苦境に立たされる。裏切り者と糾弾され、酷ければ保守派に排除されてしまうよ」


 怖いことを平気で明かすなと僕は言ってやりたかったが、宮廷に入ってまず初めてと言っていい貴重な情報に、必死でつばを飲み込んでやり過ごした。


「……ペールゼン家がそうなったのは何故なんでしょう」


「革新派に傾いたこと?」


「はい」


「魔術師さ。保守派と革新派の最大の対立要素」


 いつの間にか、僕は洗濯を忘れて少しばかり高い位置から見下ろしてくるテーズを食い入るように見つめていた。握りしめた布地が、ぎゅっと音を鳴らす。


「爵位授与の仕組みが新しくなってから、この派閥同士の抗争が始まったのは知っているね? 保守派は古くからの家柄が筆頭になり、革新派は財を成して新興貴族となった者たちが立った。そこまでならペールゼン家も、その他の名家も保守派のままだったろう。でも世界中で魔術師が台頭し始め、極めつけがあの<魔導石>だ。あれを得るにあたっても、エスクードの貴族たちは揺れに揺れた。保守派は、<魔導石>を得ればこれ以上に魔術師に専横されるとして反対に回った。逆に革新派は、この時代に各国と渡り合うのにはどうしても<魔導石>が必要だと主張した。結果的に先王陛下は至高の<黒焔魔術師>を口説き落とし、宮廷に迎え入れて<魔導石>を確保した」


 先王の決断によってエスクードは史上最高の繁栄を手に入れた。その結果を受け止めたいくつかの保守派貴族は、もはや時代に逆らうことはできないと悟ったという。


「ペールゼン家はその一つだよ。でも声高に革新派への鞍替えを名乗り出るには、侯爵家であり代々騎士団に所属してきたペールゼンはあまりにも力がありすぎる。時期を見極めなければ危うい均衡が崩れて、各派の過激な連中を焚き付ける事態にもなりかねないってことだ。おまけにいまの国王陛下は革新派を支持していることを隠しもしない。保守派はおおいに焦っているから、離反者をそのままにはしないだろう。実のところ非常に危険な状態にあるんだよね、この国は」


 何でもないことのようにそう締めくくったテーズの言葉の数々は、ひたすらに僕の心を重くした。


 このこと、師匠たちが知らなかったはずはない。

 革新派を支持する現王。それに勢いを増す革新派連中と、追い詰められている保守派たち。そして何者も阻むことのできない魔術師。

 もし国王退位が遂行されれば、いったい天秤の傾きはどうなるんだろう。それとも――天秤そのものが壊れるのか。それは同時にエスクードの崩壊も絡むのではないか。


 師匠とラスディ。二人にわずかながらの良心でもあればいいのだけれど。……どうだろう。


 

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