10 いろいろ理不尽
投獄の半月前です。
半月前、出発前夜のことだった。
「はぁ……ラスディはいつだって大胆よね。でもなんだかんだと先生だってその提案に乗ってしまうし。あの二人を見ていると“親友”というよりも“悪友”だという感じがするわ」
そんな風にぼやきながら、フィーリアさんは僕が宮廷へと潜入する準備を手伝ってくれていた。とは言えそんなに荷物は多くない。せいぜい下着の替えと筆記用具くらいだ。怪しまれないために小剣などの武器は持ち込めないし(そもそも僕はたいして得意じゃない)、見習いの僕にきちんとした魔法具も必要ない。
それでも、短期間の旅行程度にしか揃えていない僕の荷物を何度も出し入れして確認するフィーリアさんは、そうでもしないと落ち着かないとでも言うみたいだった。
反魔術師派を刺激しないためにも、僕は宮廷で師匠やラスディと接点のない振りをしなければならない。宮廷で合流予定のラスディの弟子と一緒に、慣れない場所でどれほどのことが出来るんだろうか。……と、そういう僕の心情をフィーリアさんもわかっているんだと思う。
「先生やラスディがそうそうあなたを危険な目には遭わせないと信じているけれど、一番大事なのは自分で周囲に気を配ることよ。権力者が集まる場所では、思いも寄らないことが起こるの。あなたにとっては甚だ馬鹿馬鹿しく思えるようなことに、命さえ賭けるという人間だっている。……ねえ、リオン。人の欲望は果てしなく、常に変容するものだと覚えておいてね」
そう言ったフィーリアさんの目線は、屋根裏部屋の丸窓から見えていた月さえも透かすように――遥か遠くの、僕の知らない世界を見ているようだった。
普段はふんわりと微笑んで僕らの世話を焼き、どれだけ魔術師の世界の物騒な話題を聞いても口をほとんど挟まないでいたフィーリアさんが、急に何十年も生きてきた人間のように重みをもった言葉を吐くのが珍しかった。
僕は師匠の過去を知らないのと同じように、この綺麗な人の過去も知らない。
フィーリアさんは、そういった権力者の集まる場所にいたことがあるんだろうか――? だとして、それはいったいいつのことなのか。
気になることを、気になると訊けないことが多いのが僕だった。けれど仕方がない。話すべきときが来れば話してくれるかもしれない。一生聞けずとも、フィーリアさんが変わらない笑顔でいてくれるならそれだけでいいとも思う。
そんな風に一人で納得していた時――。
僕自身が気にするべきは、フィーリアさんの過去や現在や未来ではなく、彼女がくれた忠告そのものだということに気づけていれば、もう少し頭の回転が良かったかもしれない。
……なんて、起こるものが起こってからわかるんだよね、そういうのは。
* * * * * * * * * *
僕に与えられたのは騎士団での小間使いの仕事だった。
小姓になるには年がいっているし、早めの従騎士を名乗るには所作が身についていない。だいたいその二つは騎士団内部の活動で制限されてしまうし、担当する騎士の世話に一日を費やしてしまう。それに相応の身分が必要になる。従騎士から騎士になれるのは貴族だけだし、従騎士になるのだって身元確かな出自のものだけだ。
そこだけ聞くとエスクードの軍事方面は大丈夫なのかと思ってしまうが、古国の戦力の中心は騎士団ではなく王国軍だ。そちらは広く庶民や軍閥から成り立つ組織で、徹底した実力主義を通している。儀礼式典や王族の近衛をを務めるのはいまだ騎士団ではあるものの、最近ではその権力も昔ほどには強くない。古参の貴族でも、革新派に転身した者の中には騎士ではなく軍人になることを選ぶ場合も多くなってきたほどだ。
だからこそ、反魔術師を声高に叫び、昔の権勢を取り戻そうと躍起になる保守派の急先鋒が集まっている。師匠が騎士団長の父親が持つ一票を操作出来るとは言ったものの、動きに注意は怠れない。
そこでラスディが僕に用意したのが、“何でもやります雑用係”。従騎士はおろか小姓のお使いまでする仕事だ。従騎士は僕くらいの年から二十歳くらいまでの年上だからいいのだけど……まぁ、推して量ってほしい。
「おい、そこの者!」
きゃんきゃんと子犬が吠えるような声が聞こえ、僕は両手に下げていた水桶を持ったままに立ち止まった。その動きでちゃぷんと音が鳴った。
振り向いて笑顔を作る。そして僕はその目線の位置を調整した――下の方に。
腰に手を当てて僕を睨みつけているのは、三人の少年。だいたい九、十歳くらいの彼らは未来の従騎士である小姓たちだ。だいたい七歳くらいで宮廷や地方の騎士団に入り、乗馬の仕方や武器の手入れ、行儀作法や盤上遊戯を学ぶらしい。
「はい、何でしょうか」
「遅い! 呼ばれたならすぐに返事をしろ!」
「「そうだそうだ!」」
……まぁ、良くも悪くも典型的な貴族のお坊ちゃんなんだろうと思う。
濃い目の金髪、砂色の短髪、前髪のそろった焦げ茶の三人組。僕が小間使いとしてここに入ったことを、一番愉快だと感じてくれていると思う。間違いない。だって目に入るたびに呼び止められるほどに気に入られてるから!
「申し訳ありません」
「ふん、まあいい。で、さっき頼んでおいたことはやったのか?」
「はい」
「……っ、だったら何故すぐに来ない! あれがどれだけ大事なものかわかっているのか!」
「「わかっているのか!」」
ああ、素晴らしいなこの和声。練習してるんじゃないだろうな。僕の脳みその貴重な部分を破壊する威力がありそうだ。
「申し訳ありません」
「ふん……もういい。早く渡せ」
慇懃に頭を下げた僕に、金髪の小姓が手のひらを上にして突き出してくる。僕は上着のポケットを探って目的のものを取り出すと、どうぞと差し出した。
「……おい」
「はい、何でしょうか」
貴族の坊ちゃんとはいえ、雑事をこなす手は少し荒れていた。それでも一般庶民よりは白くて柔らかな手だと思う。そこに握りこんだものを見て、金髪くんは何か激しいものを堪えるような声を出した。
「壊れているじゃないか!」
「ああ――見つけたときにはすでにこの状態でしたけれど」
金髪くんが僕に頼んだことは、ようするに落し物探しだった。今朝から昼ごろに間に敷地内で時計を落としたと――。何でも、“とてもとてもとても貴重な時計”らしく、一刻も早く見つけて届けろと頼まれた。僕はあれを命令だと取ったけれど、金髪くんが言うには「頼みごと」だ。
騎士団に所属する者が住まう兵舎から、訓練場までの道筋を歩く途中に見つけたそれは銀の懐中時計だった。鎖は千切れてどこかに無くなっており、銀色は薄く砂を被っている。そして肝心の時刻を示す針はてんで違う時間を示しており、おまけにぴくりとも動かない。これでいいのかと一瞬悩んだほどにはみすぼらしくなっていたのだけど、伝えられた特徴とも一致するし――と拾ったのだ。
そのまま届けようと金髪くんを探している途中に、騎士の一人に水汲みを命じられた。まあ後は渡すだけだからと、そちらを優先したのだ。
けれどまぁ、目の前の金髪くんは僕の働きがお気に召さなかったらしい。
「その時計で間違いありませんか?」
「と、時計に間違いはない! けれど……壊れてるんだ! これにどう責任を取る?」
「ですから、見つけたときにはすでにその状態で――」
「それが真実だという証拠は? お前の扱いが下手で壊したんじゃないのか!」
だったら僕が壊した証拠はどこにあると言うつもりなのか……。
ともあれこの雲行きはまずい。僕は一介の小間使いに過ぎなくて、金髪くんは小姓とは言え貴族の家柄なのだ。彼があることないこと上に報告すれば、僕は追い出されるかもしれない。気分的にはそれを歓迎する部分もあるのだけど、師匠の御達しを果たしていないし、何よりこんな理不尽を甘んじて受け入れると言うのもつらいものがある。はっきり言えば、腹立つなー、このクソガキ。
「だいたいどうやって見つけたんだ! 有り得ない!」
「……といいますと?」
何だ? 何か変なことを言い出している。
このとんでもない坊ちゃんが、さらにとんでもないことを言い出しそうな雰囲気に、僕は冷たい汗が背筋を滑り落ちるのを感じていた。
僕を詰問する金髪くんの雰囲気は鋭く、その声も目つきも人を怒鳴りつけるのに慣れた――ある意味で高貴な生まれを体現しているようだった。
「どこを探した?」
「兵舎から訓練場までの道を辿りました」
「嘘だ!」
「嘘ではありません」
「嘘に決まっている! だっておかしいじゃないか。こんなに早く見つかるものか? 僕はここ三日間同じ道筋を自分で探していたんだ。なのに何でまだ半日しか探していないお前が見つけることができる?」
「ああ、それは――」
「お前が盗んだんじゃないのか! これは素晴らしい逸品だ。売れば相当な金額になったはず。お前のように貧しい者が目をくらませてもおかしくはない。でも僕が時計の話題を出したから怖くなって引っ張り出して来たんだ……そうだろう!」
「「お前が盗んだんだろう!」」
「えぇー……」
――いけない。思わず素の声が出てしまった。
取り繕っている小間使いのお面が壊れるまで、あとちょっとの時間もないかもしれない。
……どうしよう。
リオンVSエリート少年たち。……全然しゃっきり対抗出来そうにないですね。