5 傲慢なる世界の探求者
ラスディは戦場に戻ると再び各地の人と物を消して歩き、ちゃっかりと<魔導石>が含まれる豊富な源泉を一つ自分のものにしたらしい。
国や組織でなく個人が所有することに大きな反発の言葉の数々、または物騒な妨害工作が相次いだらしいけど、今でも遠い地でラスディの懐を満たす<魔導石>は採掘され続けている。
ここ十数年ラスディが仕え、僕らの住む塔が立つ国である古国エスクードも、彼が確保した別な源泉を手土産にされれば黙るしかなかったし、おまけにラスディが戦場で子供を保護したこと(僕らのこと)を感動を誘うように話したものだから、当時の王様自らがラスディに<魔導石>の利権を保証してしまったのだという。
その可哀そうな子供らを立派な魔術師にせよとのお達しに、先代のエスクード王は単純だなぁと僕は思ったものだ。
まぁ統治者としてはどうなんだろういうそんな人の好さが、ラスディが珍しく国仕えなんて思い至った理由らしいんだけど。
ただラスディに誤算があったとすれば、間違いなく師匠のことだ。
文句たらたらでも僕の弟子入りを認めた師匠にラスディはほっと胸をなでおろしたらしいけど、うっかり目の前で王様の保証を口に出したときに、見事に牙をむかれたらしい。
師匠いわく『その可哀そうな子供の一人は俺の弟子』。
王の保証書を盾に取られ、ラスディは<魔導石>の利権を師匠と半々にする署名をさせられたらしい。
がめつい。世俗に疎いはずなのは、気のせいだったのかもしれない。
「あの時は君のことを鬼だの悪魔だのと罵ったけどね」
「当然の権利だろう」
澄ました顔で師匠は言ってのける。
「汗水垂らしたのは僕だって……まあいいや。とにかく、今の王はその保証書を無効にするって言うわけだよ」
憮然とした表情のラスディは、王家からのカードを一睨みした。だからどうなるわけでもないけど、気分としてはそこに王様の顔が浮かんでるんだろうな。
ふぅ、と師匠が深い溜息をもらす。
「ありがたくない話だな」
「そうなんだよ。国側と違って僕らは<魔導石>で金儲けをすることが一番の目的じゃないからね。そりゃあ研究費の足しにはしてるけど、研究自体に必要な量の方が圧倒的に多い。君もそうだろ?」
「輸送の守りと盗難防止に散々神経を使ってきたしな」
この家にかけた守護にも、フィーリアさんが身に着けていたりする護身用の魔導具にも<魔導石>は使われている。研究塔にも衣装箱に一杯分くらいがあるけれど、師匠やラスディさんの言いようからすると、どこかに<魔導石>を保管しておくための場所が別にあるんだと思う。
「その苦労を知ってか知らずか、王は実に的確なところ突いた。これがただの水脈だとか鉱山だとかだったら、わかりましたもういりませんって言ってやるんだけどさぁ……。ちなみに王が切り札として語った中で、僕らが本当に困るのはこのことだけだ。他には、応じない場合に君を国外追放して永久的に入国禁止にするだとか、僕がエスクード国内に持っている領地の没収だとか……ねぇ、今さら疑問なんだけど、何で僕と君が一蓮托生みたいな扱いになってるんだろう。働き者の宮廷魔術師に対してあんまりな仕打ちじゃないかな!」
「お前、嫌われてるんだろうよ」
さくっと返した師匠の言葉に、さすがのラスディも押し黙る。あ、自覚あるんだな、これは。
とにかく、かなり悩ましい事態なのは確かなようだ。師匠の研究が滞れば、何かしら僕にだって関係はあるはず。平穏無事な弟子生活を送りたい身としては、綺麗に片付いてほしいと願うばかりだけど。
「リオン、君はいまちょっと気を抜いているね?」
「は……?」
突然の名指しに僕は情けない声を出してしまった。
いつの間にか復活して、不気味に不敵な笑顔を浮かべるラスディ。
「僕がここまで上から目線で要求突き付けられて、この事態を甘んじて受け入れるとでも? たかだか百五十年ちょっと続いた家に生まれたくらいで偉そうに。王侯貴族だろうがなんだろうが元を辿れば全部庶民さ。宗教的に言えば神が試しに作った泥人形で、さらにはその娘の奴隷みたいなもんだ。身分だのなんだのくだらない。魔術師は一世一代の幸運と不運の産物なんだ。泣き寝入りなんて絶対にごめんだね」
一息で言い切ったラスディの満足気な顔を見て、僕はやっと悟った。
何で困っただの悩むだの言いながら、二人から焦りの色が見えないのか。師匠の顔面疲労度合がどんどん酷くなっていくのか――。
そうだ。ラスディとは単純明快な人間だった。嵐であり、魔術師である。
「戦争だの英雄だの利権だの地位だの名誉だの、まったくどうでもいいと言い切ってもいい! 僕は宮廷魔術師だけど、エスクードにこの身を捧げるだなんて一言も言ってないしね。保証書だって、最終的に取り上げられても別にかまわないよ。<魔導石>を運ぶ水脈を抑えているのはこっちだ。保証書の守りがなくなったところで、少しばかり面倒なことが増えるだけでしかない」
ただねぇ、とラスディは続ける。
「気に入らない――実に気に入らないんだよ。何がって? 王はさ、勘違いしてるんだ。魔術とは何なのか、世界とは何なのか。そして僕ら魔術師が何なのか。まったくこれっぽちもわかっていないくせに、わかっていると思い込んでいる。よりにもよって<黒焔魔術師>を利用しようとするだなんてさ! あまつさえ脅しまでかけるっていうんだから笑わせる――僕は彼が馬鹿じゃないと言ったけど、少なくとも無知ではあると思うよ。そして無知とは、救い難い愚かさだ。愚かな人物が他人の上に立つことはあってはならないのさ。現王にはすみやかに退位していただこうじゃないか」
まるで喜劇の舞台のように、始終笑顔の独壇場だった。高らかに言い終えたラスディには見えない大勢の観客からの拍手が聞こえるに違いない。
もしかしたらこれこそが、躊躇いのない純粋な悪意というやつなのかもしれなかった。
「……お前にも少しはわかったろう?」
それまで口をはさむこともなかった師匠が、真っ直ぐ僕を見つめていた。神秘的な金妖眼が、いつもよりずっと奥の方まで引きずり込もうとする。抉るようなラスディの言葉たちと同じように、師匠の瞳に深淵が口を開けている。
どうしようもない震えが僕の背中を駆け上がったけれど、必死に目を閉じないようにした。怖い怖い怖い……でも、僕という存在は――。
ゆっくり、優しいほどの声音で、師匠が言った。
「これが、魔術師ってもんだ」
「そうさ。これこそが魔術師だよ。ねぇウル、僕が馬鹿正直に招待状を持ってきた理由がわかったろう? 君に相談したいんだ。僕のやり方は物騒で乱暴だって君はいつも言うからね。短気な僕がその小言を思い出したおかげで、国王陛下の首はまだ胴体にくっ付いている。刎ね飛ばしてやる寸前だったんだよ」
「それをしていたらここまで騒がしくなっただろうな」
「褒めてくれてもいいよ」
「馬鹿言うな」
「協力してくれるかい?」
「……いいだろう。いちいち煩わせられるのは面倒だからな」
まるで王者のように威風堂々と椅子に腰かける師匠。それに擦り寄る猫のようなラスディ。片方は美貌に何の感情も浮かべることはなく、片方は清廉そうな笑顔で物騒な言葉を毒のように吐く。
対照的なはずなのにカチリと符号があってしまう。一つの額に入れておきたいほどに。
これが魔術師。傲慢なる世界の探究者。
――ー僕という存在は、その卵だから。
どんなに怖くとも、世界から目をそらしてはいけないんだ。
やっぱり少し異常なくらいじゃないと……!