プロローグ
そのうち残酷な描写(軽度であることを努めます)があるかもしれないです。苦手な方はご注意ください。大半はのほほんとしたお話です。
さて、前置きとして、僕が師匠に弟子入りした経緯を話しておこう。
それは三年前。
死にかけのガリガリだった僕を拾ったのは別な人だったけど、気まぐれな性格のその人が、旧知の仲である師匠の家に手紙を持たせて置いて行ったのが始まり。
まるで、捨て猫を拾ってはみたものの、面倒だからともう一度捨てられたようだったが――不思議と腹は立たなかった。今でもときどき師匠の元を訪れるその人には一切の罪悪感がないようで、僕も今の生活に不満はないから、かえって感謝しているほどだった。
でもだからといって、師匠が快く僕を弟子にしてくれたわけではない。
小高い丘の上に建つ師匠の住む塔。その入り口の前に、みすぼらしい恰好で震える僕の姿と拾い主の紋章が入った手紙を見たとき、師匠は黙ってそのまま塔の扉を閉めてしまったから。
塔の中で短い言い争いの声が聞こえた後、もう一度扉を開いて僕を招き入れてくれたのは、師匠ではなくフィーリアさんだった。
――弟子など取らない。余計な人間などいらない。面倒事は嫌い。
その三点を飽きることなく吐き続ける師匠に対し、フィーリアさんは完全無視という策を取ったようだった。
忌々しげに顔をゆがめる師匠に怯える僕に「あの人のことは気にしないで」とあっけらかんと言い放ち、フィーリアさんは衣食住のすべてを世話してくれた。薄汚れた僕に湯を使わせ、自分の着替えの中からズボンとシャツを貸し与え、暖かいスープと焼きたてのパンを振る舞い、屋根裏を使って生活するように言ってくれた。
師匠は無理矢理に僕を追い出すことはしなかったが、居ない者として扱った。そんな様子にフィーリアさんは「大人げない」と呆れた顔をしていたが、僕としては置いてくれるだけでよかった。
ただの居候というわけにもいかないと、フィーリアさんの仕事を手伝うこと数週間。毎朝の水汲みや掃除や洗濯、料理の手伝い。様々な草木を採集し、ときには町まで薬を売りに着いて行った。
そしてとうとう、師匠が完全に折れた。
『お前の名前は何だ』
それまでフィーリアさんでさえ、僕のことを「君」としか呼ばなかった。なぜ名前を訊かれないのかと疑問に思わなかったわけではないが、僕は何かを質問して鬱陶しがられるのが怖かった。
名前を名乗った僕に師匠は簡単な資質検査をして、そしてぶっきらぼうに弟子入りを認める旨を告げた。ただの小間使い的に僕を置くよりは、自分の仕事や研究の助手として育てた方がよほど実用的だと諦めたらしい。
それから僕は、家事手伝いをしつつ、師匠の弟子になった。
師匠の元へ弟子入りをしたい人間は星の数ほどいるとその内知ることになるのだが、僕はそのとき、塔にいてもいいと許可を与えられたこと、フィーリアさんと暮らせることだけが、たしかな幸せとして実感できた。
後に聞いたところによると、フィーリアさんが名前を尋ねなかったのはわざとなのだそうだ。
良く考えてみれば、フィーリアさんが毎日振る舞っている美味しい料理も、清潔な衣服も、すべては師匠の稼ぎから捻出されている。いくらフィーリアさんが家事全般を取り仕切って、師匠の健康管理をしているとは言え、師匠が一言出ていけと言えばそれで終わりなのだった。
フィーリアさんの中での師匠は絶対で、優しさから僕を世話してくれた彼女でも、本当の意味で師匠が不快に思っていたのならば、自身の手で僕を塔から追い出したと言う。
名前は一つの呪である。それを訊くとことは、相手を受け入れるということだ。
弟子入りできたことをフィーリアさんに告げたとき、彼女はくしゃくしゃな泣き笑いの顔をして、ぎゅっと僕を抱きしめてくれた。
そのときの体温と感触を、僕は一生忘れないだろう。
かくして僕は、居場所を手に入れた。弟子としての新しい名前と、人嫌いな師匠と優しいお姉さんのような人も。
そうそう。ちなみに師匠は魔術師だ。
つまり僕は、魔法使いの卵。
フィーリアさんいわく、師匠と僕はけして熱心な師弟同士ではないらしい。
つまり、どこまで本気で魔術師に育てるつもりで、どこまで本気で魔術師になりたいのかが謎であると。
――卵が孵化できる日は、いったいいつのことかなぁ。
さてここからが、僕の弟子生活のお話。
僕と師匠とフィーリアさんの、大半が怠惰で平和、ときにちょっと危険なお話の始まり。
<僕>の弟子生活が始まりました。よろしくお願いします。