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第86話

 ことは急がなければならない。

 気持ちが急いて仕方ない。彼女が誰かのものになる前に、迎えに行かなければ。


 エドゥアルドの緊迫した雰囲気が伝わるのだろう。ここ数日、ビバルやカイルまでピリピリしていた。

「マルヴィナのところに行く」

 嵐のような勢いで執務をこなしたエドゥアルドは、机を強く叩いて立ち上がりそう言った。

 執務を滞りなく終えたエドゥアルドに何の文句もないビバルは大人しくエドゥアルドの後に続いた。

 更にエドゥアルドに進言した日から再び無口に戻ったカイルがそのあとに続いた。

 マルヴィナの部屋の前まで行くと、ノックもせずにドアを開いた。

「キャッ、エド。レディの部屋にノックもせずに入ってくるなんて。そんなに私の着替えが見たかったの? エッチね」

 マルヴィナは驚くそぶりもなくそう言った。驚いているのはその隣りにいたアナの方だろう。

「お前の着替えに興味はない。それより、いつ家に戻るつもりだ?」

 マルヴィナは着替えの途中だったが、構わず部屋に入りソファに腰掛けた。ソファに腰掛ければ、マルヴィナは背後にいるので着替えなど見えない。

「だって、お父様ったら分かってくださらないのよ。お父様が認めてくれるまで帰らないわ」

「だから、私がお前の父上には話し合うように進言した。とにかく家に帰って、説得しろ。勘当されたくはないだろう?」

「私が帰らないのはそれだけじゃないわ。エドの噂の彼女に会わないことには帰れないもの」

 エドゥアルドの眉間に深い皺がよった。

「お前に会わせるいわれはない」

「あら、どうして?」

 着替え終えたマルヴィナが優雅な振る舞いでエドゥアルドの正面に腰をかける。そんな一つの振る舞いを見るだけでも、イライラが募っていく。

「会ったら帰るのか? 帰るんだな?」

「そうねぇ。勘当されるのも困るし、一度帰ってもいいかしら」

 へらへらと笑うマルヴィナの頬を張り倒したくなる。が、さすがにそれは出来ずに拳を握り締めるのだ。

「分かった。今から会わせる。それでいいな?」

「まあ、ホントっ?」

 飛び上がって喜ぶマルヴィナを、エドゥアルドは腹立たしげに見ていた。

 ハノンが城を出たのは、マルヴィナがいたからだと思うと八つ当たりの一つもしたくなる。本当はエドゥアルドがハノンの心の拠り所にしっかりとなっていればこんなことにはならなかったことは分かっている。だが、あまりに無邪気なマルヴィナを見ると、怒りが煮えぎって仕方ないのだ。

「ビバル。馬車の用意を。オルグレン邸へ向かう」

「殿下っ。私も連れて行って下さいませんか?」

 アナがエドゥアルドの前までつかつかと歩み寄ると、強い目をしてそう言った。

 ハノンが出て行ってしまったことを、アナはどう思っているだろうか。自分がハノンについていなかったのが原因だと思っているんだろうか。そうさせたのはエドゥアルドであるのに、自分を責めているように思われる。

「行ってどうする?」

「私は彼女の護衛を任されておりました。出来れば、この先も彼女をお守りしたいと思います」

「それは、近衛兵を辞めても彼女の傍にいる覚悟があるということか?」

「彼女が戻らないのであれば、私はそうする覚悟があります」

 アナのハノンに対する忠誠心は固い。そんなアナをハノンの元から一時でも引き離してしまったのは、得策ではなかった。

 元々、アナを侍女として傍に置いて欲しいと言ったのはマルヴィナであったが、その申し出は断るべきだったのではないかと、今更ながらに思われる。

「そうか、その覚悟があるのなら、ついて来い」


 ハノンを求めてオルグレン家の本邸を尋ねたが、使用人の話では本邸にはおらず、別邸の方へオルグレン大公とともに向かったということだった。

 使用人に礼を言い、別邸の方へと馬車を向けた。

 もうすぐハノンに会えると思うと、気持ちがせいて仕方がない。

 嬉しい気持ちが大部分を占めるが、ハノンがエドゥアルドを受け入れないのではないかと考えると不安が過ぎる。

 もう前のようには、笑顔を見せてくれないかもしれない。走り寄って腕を絡めて、「おかえり」といってはくれないかもしれない。上目遣いにエドゥアルドを見つめ、「エド殿下」と名を呼んでくれないかもしれない。

 そう思うと、ハノンへ近付いているのが怖くて怖くて仕方ないのだ。

「ああ、楽しみね。どんな子なのかしら。ねぇ、エド。ところで、オルグレン卿に娘はいなかったんじゃないかしら? 私、娘がいるなんて話、聞いたこともないわ」

 それはそうだろう。

 まだ、ハノンがオルグレン家に入って日が浅い。オルグレン大公は仲の良い人には自慢しているようで、侍女の噂網ではすでに広まっているが、噂話に無頓着な人にはまだ広まっていない。

「最近、養子を取ったんだ」

「でも、どうして娘なのかしらね? オルグレン卿には跡継ぎがいないのだから、養子にするなら息子にするんじゃないかしら」

 オルグレン大公がその辺を他人にどう説明しているのか分からないので、安易に喋っていいことではない。

「その辺は、オルグレン卿本人に直接聞いたらどうだ?」

 そうね、と言ってマルヴィナは漸く口を閉じた。

 ハノンがどんなにお喋りをしようとなんら不快には感じないのに、マルヴィナや他の女が喋り出すと煩くてかなわない。

 ハノンの声が聞けるだけで心が高揚し、ハノンの笑い声を聞くだけで胸が弾んだ。

 こんなにどうしようもなくハノンで一杯なのに、どうしてハノンには伝わらないんだろう。ハノンがいなくて夜も中々寝付けないというのに。食事も上手く喉を通らないというのに。

 別邸の前で馬車を止め、外に出るとたちまち子供たちの楽しそうな笑い声が耳を刺激した。

 その笑い声の中にハノンのものが入っていることに、エドゥアルドはいち早く気付いていた。

 別邸の芝生の庭で10人ほどの子供たちとハノンが楽しそうに追いかけっこをして遊んでいるのが目に入った。そして、それをオルグレン大公がテラスの椅子に座って楽しそうに見ていた。

 何故ここに子供がいるんだ。

 エドゥアルドはそんな疑問もすぐに飛んで行き、ただひたすらハノンの姿だけを追っていた。ハノンが微笑んでいるのは嬉しいことだ。だが、エドゥアルドがいなくてもハノンが笑えることに少し胸が痛んだ。自惚れかも知れないが、エドゥアルドを想って泣いているのではないかと思っていたのだ。

「……ハノン」

 子供がハノンの服をツンツンと引っ張り、ハノンにこちらを指さして見せた。ハノンがこちらを見、呆然とエドゥアルドを見据えている。

 ハノンから笑顔が消えた。エドゥアルドはハノンに微笑むことすら出来ずに、ただ見つめていた。

「エドゥアルド殿下。いらしたんですね?」

「はい。突然で申し訳ありません。ハノンと話がしたくて伺いました」

 オルグレン大公がいち早くこちらに気付き、出迎えてくれた。話し掛けられて初めてハノンから視線を逸らした。

「分かりました。ハノン。子供たちはキャシーに任せて、部屋に入りなさい」

 それを聞いた子供たちがハノンの腰にしがみ付いて嫌がった。けれど、それを優しく慰めて家の中に入っていった。子供たちは名残惜しそうにしていたが、キャシーと呼ばれた女性が現れるとすぐに次の遊びに夢中になった。

 オルグレン大公に促されて家の中に案内された。ハノンの誘拐事件の際に会った使用人家族は今も健在で、エドゥアルドを見ると嬉しそうに頭を下げた。

 応接間に通されると、そこには既にハノンの姿があった。あの後すぐに身だしなみを整えたようだ。

 城では着ることのなかった、奇麗なドレスを身に纏ったハノンの姿がエドゥアルドの目を捉えて放さなかった。

「ハノン……」



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