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第85話

 マルクスの気配が遠退くのと同じ時、左手を強く捕まれ後方へ引っ張られた。

 エド殿下?

 その希望のような考えをすぐに追い払った。

 エドゥアルドがここに来るわけもなければ、ハノンがお見合いしたことも知らないのだから。

 エドゥアルドでなければ、オルグレン大公が心配して駆け付けてくれたのだろう。何にしろマルクスに汚されずに済んで良かった。

 ハノンは誰かが来てくれたことで安心して力が抜けた。

 後方でハノンを抱えている誰かに体を預けた。

「ハノン。イルゼのところに飛ぶよ」

 その声が一番望んでいた人の声でないことに、分かっていたはずなのに、がっかりとした。

 そんながっかりした表情を助けてくれたその人に見せずに済んで良かった。

 動揺で魔法が使えないハノンのために鏡を表にしてその上に、ハノンを抱き抱えたまま飛び乗った。そして、庭園にマルクスを残してハノンは鏡から放たれた光に纏われて、鏡の中に吸収された。


「ハノン。間に合って良かったわ。あんな男に娘の唇を奪われるなんて我慢できないもの」

 イルゼの目の前に飛んだハノンに気遣わしげに、そして不満げにそう言った。

「ありがとう、イルゼさん。バウティスタも」

 バウティスタに腰を抱かれている状態で、それにとても居心地の悪さを感じ、逃れようとしたが、その腕はがっちりと捕らえていた。

「あの、バウティスタ放して」

「イヤだ」

 耳元で低い声で呟く。

 戸惑い、焦りを感じる。マルクスの直接的な欲情を目の当たりにしたばかりなだけに、恐怖を感じる。

 バウティスタもあんな風に変わってしまうのだろうか。

「バウティスタ。止めなさい。ハノンが怯えているわ」

 イルゼに嗜められて、渋々といった感じで腕を放してくれた。

 ハノンは解放された途端に、逃げるようにイルゼに抱きついた。

 男の人が少し怖い。

 ハノンには分かっている。エドゥアルド以外の人に触られるのは、怖くて不快なのだと。

 イルゼは子供をあやすように頭をゆっくりと撫でてくれた。

「バウティスタ、ハノンを助けてくれてありがとう。けれど、今はハノンが怯えてしまっているから、落ち着くまで席を外してくれる?」

 顔を伏せているハノンにはバウティスタがどんな顔をしているのか窺えないが、気配が少しずつ離れていく。その遠ざかる足音が寂しげなのは気のせいだろうか。

「あの見合い相手には悪気があったけれど、バウティスタにはないのよ。嫌いにならないであげて」

「嫌いになんてならないよ。ただ、ちょっと怖かった」

 そうね、と頭を撫で続けるイルゼは恐らく苦笑を浮かべている。

「バウティスタではダメなのね? エドゥアルド殿下でなければダメなのね?」

 ハノンは顔を上げた。

 包み込むようなイルゼの笑顔を見たら、涙が堪え切れずにこぼれ出た。

 オルグレン大公がいてくれて嬉しかった。幸せだと思った。でも、いつでも記憶の中のエドゥアルドを探してしまった。

 何かを見ればエドゥアルドを想い、何かを感じればエドゥアルドを探した。

 ハノンの全てがエドゥアルドだった。

 今さら気付くまでもなく分かっていたことだった。

「エドゥアルドが好き。エドゥアルドじゃなきゃダメなんだ」

 会いたい。エドゥアルドに会いたい。エドゥアルドが他の誰を好きでも、ハノンの気持ちを止めることは出来ない。

「バカねぇ。辛いから逃げてきたのに、会えなくて辛いんでしょう? 逃げられないのよ、その気持ちからは。私はその気持が酷く分かるわ」

 逃げられない、好きという気持ちからは。

 いくら遠くに逃げても好きな気持ちは消されるどころか、膨れ上がらんばかりだ。

「会いに行けばいいんじゃない?」

「そんなこと出来ないよ。だってエドゥアルドには……」

 マルヴィナの名を口にするのは、躊躇われた。マルヴィナを嫌いになることはない。だが、今はその姿を見たいとは思えない。

「ホントにもう」

 呆れた呟きを聞いてハノンは肩を落とした。

「ハノン。バウティスタに応えられないなら、はっきり言ってやりなさい」

「うん」

 それはハノンもそのつもりでいる。この見合いが終わったら話に行こうと思っていたのだ。

「行って来る」

 イルゼは手をひらひらとさせて、ハノンを見送った。

 バウティスタの部屋の前に立つとごくりと唾を飲んだ。

 ふぅっと息を吐いて、ドアを叩いた。

「バウティスタさん? 話がしたいんです。出て来て貰えますか?」

 呼び掛けてみるが、返答がないので再びドアを叩いた。

 どこか散歩に行ってしまったんだろうか。

 ハノンは庭を探してみようと、踵を返した。だが、背後からがちゃりと音がしたので、再び振り返った。

「入って」

 男の人と二人きりになるのはなんだか怖い。

 バウティスタはハノンがそう考えているのに、気付いているのか、フッと意地悪く笑った。

「私が怖いの?」

 怖いよ。あんなことがあったあとなんだ、怖くないわけがない。

「怖くないよ」

 バウティスタに喧嘩を売られているのだと思った。売られた喧嘩は買うしかない。

 ハノンは内心の動揺を隠して、バウティスタの立つドアを横切った。

「バウティスタ。最初に、ごめんね。さっきは過剰な反応しちゃって。気悪くしたでしょ?」

「いいよ、そんなの。ハノン、ホントに言いたいことはそんなことじゃないでしょ? 焦らさないで早く言ってよ」

 バウティスタには分かっている。ハノンが何を言いに来たのか。

「バウティスタとは結婚できない」

 きっぱりとそう告げた。

 この場で変に同情するのは良くないだろう。

 バウティスタのことが好きだからこそ、引き延ばして傷を大きくしたくない。

「そう。エドゥアルドがいいんだ?」

「うん」

 言いわけはしない。取り繕うつもりもない。

 こんな時になんだがエドゥアルドのことを考えていた。

 フられに行こう、そう思いついたのだ。

 エドゥアルドの口から、はっきりと嫌いだと言ってもらおう。

 そう言われたからといって、好きがなくなるわけじゃないけど、期待しなくて済むようになるんじゃないか。

 上手くいけば、この想いをいつか想い出に出来るかもしれない。

「バウティスタ、ごめ……」

「ごめん、は言わないで。もう分かってるし、ハノンが謝る必要はないよ。ハノンがエドゥアルドが好きだって知った上で好きになったんだ。謝るのは私の方だ、イヤなことをしてごめんね」

 なんで上手くいかないんだろう。

 ハノンがエドゥアルドじゃなく、バウティスタを好きになれたら誰も傷付かないのに。

「ううん」

「ハノン。もう行って。そうじゃないと、今の私は何をするか分からないから」

 淋しそうな瞳のまま、悪戯な笑顔を見せた。

 バウティスタがハノンをどうにかするなんて有り得ない。

 それでもそう言うならハノンは出ていくべきなのだ。

「じゃ、行くね。また……ね」

 ハノンが、また、を望んでいいんだろか。

「またね、ハノン」

 笑顔を向けてくれたバウティスタを見て、ハノンも笑った。

 部屋を出て、パタリと閉めると背中を扉に預けた。

 部屋の中から、バウティスタが静かに泣く息遣いが聞こえてくる。

 ハノンの瞳にも涙が溢れていた。

 顔を上げた。瞳が零れないように。ハノンが泣いちゃいけない。

 けれど、涙は無情にもこぼれ落ちた。

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