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第83話

 窓一つない塞がれた空間。

 一歩足を踏み入れた途端に感じる寒気に知らず体が震える。

 ハノンのそんな様子をオルグレン大公と、別邸に住み込みで働いている使用人夫妻とその娘が心配そうに見つめている。

 この使用人夫妻とその娘はハノンが生まれる前から別邸で働いており(娘は幼子であったが)、ハノンの存在を知りつつ、何も出来ないことに歯痒さを感じていたとのことで、オルグレン大公がハノンを連れて来たときには涙を流して喜んでくれた。その涙にはハノンへの愛情と主人であるオルグレン大公への愛情が感じられた。

 とにかくそんな愛情深い眼差しに見つめられ、件の部屋に足を踏み入れている。

 部屋に入ったところで、昔の記憶が戻ってくることはなかった。だが、亡きオルグレン夫人の怨念が漂っているようで不気味さを感じるのだ。

 しかしそれを怖いとは思わなかった。

「お父様。もし、ここを孤児院にした時、この部屋だけは子供たちを入れないでね。きっと子供は敏感だから、この部屋の異様な雰囲気を怖がると思うから」

「そうだね。私もそう思うよ。この部屋は物置にするか、封鎖してしまおう」

 子供は好奇心旺盛だから、いつか入ろうとするかもしれない。そして、扉を開いて恐怖するだろう。

 完全に封鎖してしまった方がいいだろう。


 一堂は早々に部屋を出て、応接間に移動した。あまり長い間あそこにいると、負の気に酔いそうだった。あまり気分のいい部屋ではないので、ハノンがもういい、と言うと一様にホッとした表情を浮かべた。

 オルグレン大公が浮かない表情なのは、昔のことを思い出しているのか。過去を悔いているのか。

 今更ながら一人で来れば良かったと後悔した。しかしながら、恐らくオルグレン大公は一人では行かせてはくれなかっただろうが。

 オルグレン大公がちらりとハノンを見たのを見計らって笑顔を見せた。私は大丈夫だと伝えるために。そんなハノンを泣きそうな笑顔で受け止めた。その一見情けないオルグレン大公の顔がなんだか愛しく思う。

 使用人の奥さんが出してくれた温かいお茶を一口飲むと、あの部屋で感じた負の気が弛んでいく。

「ハノン。実は……一つだけ、お願いしたいことがあるんだ」

 思い詰めた表情を見る分にそれがハノンにとってあまりいいものでないことは考えなくても分かる。

「何?」

「ハノンが私の娘になったことは早速貴族の間でも知られることになったわけだが……」

 ハノンがオルグレン家の養子になったことは、今ごろエドゥアルドにも知れているだろう。城の中で流れた情報は、驚くほど巡りが早い。

「私の知り合いの息子と一度会ってくれないかな?」

 一人ワタワタと慌てているオルグレン大公を見るのは面白い。これでも王城内では一目置かれる存在であるというのに。

「イヤ、無理にとは言えないんだ。ただ、私の親友で若い頃から酒を飲んでは、お互いに子供が出来たら会わせようと話していたものだから。場を設けろとうるさくてね」

「お見合い?」

「イヤ……ああそうだね。会うだけで、断ってくれてかまわないから」

「別にいいよ。会うだけなら。でも、その人は知ってるのかな? 私の……」

 容姿のことを。

 会うのはいいが、一目見て逃げ帰られるのはさすがに気分が悪い。

「大丈夫。知っているよ」

「そっか、なら大丈夫。……ねぇ、お父様。私を養子にしたこと友達や知人に何か言われて迷惑かけたりしていない?」

 チチェスター家に養子として受け入れられたことで、チチェスター侯爵は変わり者だと噂されていた。

 チチェスター侯爵はそんな噂を露ほども気にしていないようだったが、オルグレン大公は大丈夫かと気になっていたのだ。

「問題ない。私があまりに幸せそうにしているから誰も口出ししてこないよ。それどころか羨ましがられるくらいだ」

 何を羨ましがられるのかはいまいち理解出来ない。

 ハノンに気を遣って言ってくれているのかとも思ったが、ニコニコとハノンを見つめるオルグレン大公を見ていたら杞憂なのだと認めるしかなさそうだ。

 お見合いをしたところでハノンの気持ちは変わらない。エドゥアルドが誰と寄り添おうがハノンの気持ちはエドゥアルドに向かっているのだ。

 見合い相手には申し訳ないが、色良い返事を与えることは出来ない。ハノンの容姿を見て、相手が早々に逃げ出してくれればいいのだが。

 バウティスタにも返事をしなければならない。ハノンの気持ちが変わらない以上、バウティスタと結婚することは出来ない。バウティスタと共に生きるという選択肢もいいのかもしれないと思った時もあったが、バウティスタを不幸にさせるのがわかっていながら承諾するわけにはいかない。そう思うほどには、ハノンはバウティスタが好きなのだ。


 オルグレン大公が持って来たお見合いは、急であったが、その翌日に行われた。

 苦手な膨らみのある派手なドレスを着せられ、朝から辟易としていたハノンを侍女たちが誉め散らかすことで奮起させようとしている。それが逆効果になっていることに彼女たちは一向に気付いていないようだ。

 その見合い相手がオルグレン家へ尋ねてくることになっていた。その恐ろしく歩きづらいドレスで外に出ないで済んだことにだけ感謝する。恐らくそれは、オルグレン大公の気遣いだと思われる。

 昨日の今日で用意されたこのドレス、あまりにぴったりなことに疑問が残る。

「お父様。このドレス、いつから用意してたの? 私にぴったり」

「イヤ、ははっ。実は、ハノンが私の娘だという記憶が戻った時に真っ先に拵えたんだ。サイズはイルゼに聞いたんだよ。いつか機会があったら贈りたいと思っていた」

 ドレスが昨日今日で仕上がる筈はない。

 前から用意していたのだろうと思っていたが、そういうことだったのだ。

 だが、せっかくハノンの為に用意してくれたドレス、出来ればもっとおめでたい時に袖を通したかったと残念に思う。

「ありがとう。お父様」

「お礼などいいんだ。私がハノンのドレス姿を見たいと思って勝手に用意しただけなんだから。……とても奇麗だ。若き日のイルゼにそっくりだ」

 若き日のイルゼにそっくり。その言葉は最上の褒め言葉だ。

 今でも美しいイルゼ、若き日はさぞかし光り輝いていたのだろう。

 オルグレン大公の眩しそうに細めた眼に、一体何が写っているんだろう。恐らくその目に若き日のイルゼを見ているのではないだろうか。

「旦那様。お見えになりました。お通しいてよろしいですか?」

「ハノン、いいかい?」

 ハノンが頷くと、オルグレン大公は使用人に客を通すように促した。

 応接室に入って来た二人の男がオルグレン大公の前でにこやかに挨拶を交わす。

 父親の方がオルグレン大公の友人なのだろう、お互いに肩を叩いて軽い挨拶を交わしている。特に特筆すべき特徴のない人だった、強いて言うなら少々頭が薄いと言ったところか。太っているわけでもなく、やせ細っているわけではない。本当に特徴のない人だ。その隣りに立っているのが、ハノンの見合い相手なのだろう。長身のすらりと細身の男だった。見目は恐らく良いのだろう、女の扱いに長けていそうな軽い感じが窺える。一言で言えば、ハノンの嫌いなタイプだ。

「エルヴァスティ侯爵。こちらが私の娘、ハノンです」

「お初にお目にかかります、エルヴァスティ侯爵」

 王城にいた頃アナに教わった挨拶を優雅にして見せた。

「おお、これは美しい。噂に違わぬ美しさだ」

 大袈裟に褒め称えるエルヴァスティ侯爵を前に、早くも自室に帰りたいと思うハノンだった。

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