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第81話

「まさか誰か既に決められた相手がいるのか?」

 眉間に皺を寄せたジェロームがじりじりとハノンに詰め寄った。

「決められた相手なんかいないよ。ただ、考えてみてって言ってくれてる人がいるだけ」

「何? どこのどいつだ?」

 今日のジェロームはなんだか短気だ。にじり寄られ、間近で唾を大量に飛び散らせるジェロームにハノンはたじたじするばかりだ。

「お兄様の知らない人だよ」

「そんな奴、俺は認めないぞっ」

 激しい勢いのジェロームにたじろぎ、チチェスター夫妻に助けを求めるが、二人ともころころと笑っているだけで口を挟むつもりはないようだ。

「結婚するにはお兄様の許可が必要なの?」

 結婚をする時にどんな手続きをするかなど、ハノンには知るよしもない。ハノンが知らないだけで、兄弟の許可も得なければならないのだろうか。

「当たり前だっ。俺はお前の兄だろっ」

「どうしても許可を得なければならないということはないよ。だが、みんなに祝福して貰いたくはないかい?」

 ジェロームとは対照的に落ち着いた雰囲気を醸し出しているチチェスター侯爵がそう言った。

 そうだ。それは絶対にそうだ。

 ジェロームには祝福してもらいたい。大事な大事なハノンの唯一の兄弟なのだ。それは、戸籍上兄弟でなくなっても変わることのない関係なのだ。

「そっか、そうだね。お兄様には結婚をするなら祝福して貰いたいものね。あのね、その人はね、前アデルドマーノ王国の国王をしていたバウティスタさんっていう人。知ってる?」

「は?」

「知らない? アデルドマーノ前国王だよ。今はイルゼさんのところにいるんだけど」

「前国王ってお前、あの愚王といわれていた、あの男か?」

 バウティスタに失礼であるが、それは事実だ。愚王であったことに嘘偽りはない。

「そう、その人。でも、今はイルゼさんのおかげで昔のような人じゃないよ。とても優しい人だよ」

 まだバウティスタの申し出を受けるかは決めていないが、あまりに不憫なので、一応フォローを忘れない。

「人はそんな簡単に変われないぞ」

「じゃあ、私は? 私は変わっていない? 私は部屋に閉じ込められていた頃、死んでいたようなものだった。ここへ来て、城へ行って、私は生き返ったんだよ。バウティスタさんだって一緒だよ。この国に来て、彼は生き返ったんだよ。そんな悲しい言い方しないで」

 人の根本は変わらないとハノンも思う。だが、少しずつ少しずつ、そこに色んなものが加わっていく。根本を守りながら、新しいものを取り入れて形を変えていく。

 人は変わる。いい意味でも悪い意味でも。

「悪かった。でも、本当にお前はその男と結婚するのか?」

「まだ決めてない。その可能性もあるってことだよ」

「そうか。よく考えろよ。本当にお前が幸せになるなら、俺は結婚を無暗に反対したりはしないから」

 ジェロームの発言に矛盾を感じるが、ハノンを想ってのことだと考えると、この場でそれを指摘するのは差し控えた。

 それにしても、チチェスター侯爵よりジェロームの方が父親のようだ。

 苦笑が漏れる。

「分かった。私がオルグレン家に入る手続きはオルグレン卿が進めてるから、もう今日オルグレン家に行くことになってるの。このまま向かう。そろそろ迎えが来ると思うんだけど」

 ちょうどハノンが言い終えたところで、使用人が来客を伝えた。

 もちろん、それはオルグレン大公だった。

 使用人に促されて部屋に通されたオルグレン大公は、仰仰にチチェスター家の面々に挨拶をした。

「誠に勝手な申し出を受けていただき、ありがとうございます」

 オルグレン大公が頭を下げると、チチェスター侯爵が慌てて頭を上げるよう促した。

 プライドの高い貴族、特に身分が高ければ高いほど、その傾向は強く、下の位のものに頭を下げることは――例え自身に否があったとしても――ない。

「私たちはハノンが幸せならいいのです。どうか、よろしくお願いします」

「全力を尽くします。ここで皆さんの前で誓います。私がハノンを閉じ込めたり、苦しめたりすることは二度としないと」

 ここにイルゼがいればハノンの親が一堂に会したことになっていたところだ。といっても、イルゼは家で水瓶の中から私たちを見ていることだろう。

 ハノンはチチェスター家を出るとき、まるで悲しくなかった。

 ここは出るけれど、絆が破れたわけじゃない。チチェスター家との付き合いはこれから先も続くのだ。そう思えば悲しみなど生まれてこないのだ。


 オルグレン大公と共にチチェスター家を出たハノンは、馬車に揺られてオルグレン家へやってきた。

 間近で見れば、全体を把握できないほどに大きな豪邸を目の前にハノンは怖じ気付きそうになった。

「こんなところに私は住むの?」

「そうだよ。今日からここが君の家だ。既に戸籍上、手続きは整っているからオルグレン家の一員となった。もう既に君は、ハノン・オルグレンなんだよ」

 チチェスター家に養女として迎えられる前はオルグレンの名を名乗って(実際は名乗ったことは一度もないが)いた。再びオルグレンの名を名乗ることになろうとは想像だにしなかった。

「はい、お父様」

「そんなに畏まらないで欲しいな。私はハノンの父であると共に友達でもあるんだから。そうだろう?」


「そうだった。お父様であり友達でもある。不思議な関係だけど、素敵だね」

 オルグレン大公を見上げ微笑みかけると、目を細めて微笑み返してくれた。

「これから素敵な関係を作ろう、ハノン」

「うん。ねぇ、お父様。私が幼い頃にいたのはこの屋敷の中だったの?」

 屋敷を見上げてそう問いかけた。

 幼い頃の話をオルグレン大公に聞くのは、申し訳ないと思ったが、一度自分がずっと生活をしてきた部屋を見てみたいと思った。その部屋に入って、今のハノンはどんな感情を抱くのか知りたかったのだ。

「イヤ、ここではない。ここは本邸。ハノンは別邸の方にいたんだよ」

 オルグレン大公の優しいけれど悲しそうな声に、ハノンは申し訳なくなった。

「お父様、イヤなことを思い出させてごめんなさい。けど、私、自分が生活していた部屋を見てみたいの。今度連れて行ってくれる?」

 悲しそうに微笑むオルグレン大公は大分離れた男性なのに、とても魅力的に見えた。

「ああ、約束しよう。今日はもうこれからだと遅くなってしまうから、私の今度の休みに連れて行く。それでいいかな?」

「うん。我が儘言ってごめんね?」

「我が儘などと思っていないが、これからはイヤになるぐらい言ってくれて構わないよ」

 ハノンを誘拐した時のような恐ろしい姿は、もう見受けることは出来ない。

 やはり、人は変われるのだと信じたい。

 人が変わることを信じるのなら、ハノンは、人の心が変わることも信じなければならない。エドゥアルドの心が変わり、ハノンを必要としなくなったことを信じなければならない。それは、とても労力のいることであるけれど、時間をかけてすこしずつ自分の心に折り合いをつけて行けばいずれはそう思える日がくるだろう。

 今は無理でも……。

「ハノン、さあ、中に入ろう。ここが私たちの家だ」

 ハノンはこれから再び人生をやり直すのだ。

 エドゥアルドのことを無理矢理心から追い出すことが出来ないのは分かっている。傷はあまりにも深い。でも、ハノンは立ち直らなければならないのだ。

 自分のために。ハノンを愛してくれている人のために。 

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