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第79話

 ハノンの中では半ば決心がついていた。この先の自分の身の振り方を……。


「あら、あなたは確かエドの侍女をしている子ね?」

 ハノンが一人で歩いていると、人好きのする笑顔で話し掛けてきた。

 ここで逃げ出すには、なんと言い訳すればいいだろうか。

 逃げ出す方法なんてハノンには思い付かない。こんな時、アナさえいればハノンを助けてくれるかもしれない。カイルはハノンを護衛してくれているのかもしれないが、あまり姿は現さないので、余計にアナの不在が浮き彫りになる。アナはいつも隣りにいてくれていた。

「ごきげんよう、マルヴィナ様。本日はエドゥアルド殿下とご一緒ではないのですか?」

 笑顔で挨拶したが、心の中のハノンの顔は激しく歪んでいただろう。

「ええ、今日はビバルに取られてしまったわ」

 私はあなたにエド殿下を取られてしまったわ、ハノンは心の中でそう思ったが、エドゥアルドは物じゃないのだと思い直した。

「それは残念ですね」

 自分ほど社交的でない人間はいないだろうと、嘆きたくなった。自分で聞いていても、感情のない空々しい言葉が口から霧散していく。

「そうだわ。申し訳ないのだけれど、散歩に付き合ってくれないかしら?」

「私でよろしければ、喜んで」

 断れるわけはなかった。ハノンの頭は真っ白だったのだ。断る手立てをハノンは知らない。

「ありがとう。嬉しいわ」

 ハノンは緊張していた。

 マルヴィナがなぜハノンを誘ったのか、その裏に何か隠されているんじゃないかとごちゃごちゃと考えていた。

 ただ単に偶然ハノンと出会ったから誘っただけであればいいが。

「ここは相変わらず綺麗ね」

 そう言って微笑んだマルヴィナの方が美しいと思った。

 羨ましいと思った。

 その髪の色を、その瞳の色を。そして、何よりハノンの知らないエドゥアルドを沢山知っていることを。

「ここへはよくいらしていたのですか?」

「幼い頃は私もここに住んでいたのよ」

「そうだったんですか。だから、エドゥアルド殿下とも仲がよろしいんですね?」

 マルヴィナはベンチに座り、その隣に座るように促した。

「実はね、エドの初恋は私なのよ。プロポーズをされたの」

 昔のことだ、とは最近の二人のことを見ていたら思えなかった。

 エドゥアルドは今もマルヴィナが好きなんじゃないか。消えたと思っていた想いが、再会したことで再燃したとも考えられた。

「そうだったんですか」

 口元が引きつって仕方がない。マルヴィナの前では上手く笑えない。最近は、エドゥアルドの前でも上手く笑えなくなった。

「ええ」

 マルヴィナはいつでも微笑んでいた。その笑顔は眩しく、ハノンを落ち着かなくさせた。

「あなたは侍女だから知っているんじゃない? 黒髪黒目の少女のこと」

「申し訳ありません。そのような侍女に覚えはありません」

 マルヴィナがハノンを誘ったのは、それを聞きたかったからかもしれない。

「そうなの。でもエドが言っていた郷に帰ったなんてウソだと思うのよね」

「その侍女のことをどうしてそんなに気になさるんですか?」

「会いたいのよ。だって……」

「何をしているっ」

 マルヴィナの言葉を遮ったのは、エドゥアルドだった。

 鋭い瞳でハノンを睨み付け、仕事に戻れと怒鳴った。

 あまりの剣幕に肩を強ばらせた。

「申し訳ありません」

 小さな声でそれだけなんとか絞りだすと、頭を下げてその場から逃げ出した。

 恐かった。あんなに怒鳴るなんて。少しマルヴィナと話していただけなのに。確かにエドゥアルドからマルヴィナには近付かないようにと事前に言われていた。言いつけを背いたのはハノンだけど、どうしてハノンが断ることが出来ようか。

 ……そんなにハノンは邪魔者になってしまったんだ。

「カイル。もう私の護衛は必要ない。今までありがとう」

 人気のない場所まで走ってきたハノンはそれだけ伝えると、イルゼの家を思い浮べた。

 ハノン、とカイルが呼んだ声が聞こえたような気がしたが、ハノンは飛んだ。

 もう、ここにはいられない。


 目の前のテーブルには、イルゼとオルグレン大公、バウティスタがいて、談笑しているところだった。あまりに幸せそうな光景に眩暈がしそうだ。

「ハノン?」

 三人の声が見事に重なったことに吹き出して、そのうち笑い声が嗚咽に変わっていた。もう、堪えることが出来なかった。

 イルゼとオルグレン大公には心配させたくないと思っていたのに、結局二人に泣き付いてしまった。

 慌てた三人に抱き締められたハノンは、その温もりを感じながら泣き叫んだ。

 それぞれが頭を撫でたり、背中を擦ったりしてハノンを慰めてくれる。

「ごめんなさい」

「いいのよ、謝らなくていいの。気の済むまで泣いたらいいわ」

 優しい言葉にさらに涙が溢れてきた。

 自分が孤独ではないのだと、実感した瞬間だった。


 ようやく泣き止んだハノンに、イルゼは紅茶をいれてくれた。

 心を落ち着かせる魔法をかけたのか、一口飲むたびに心が洗われるようだった。

「ハノン。これから話すことをよく聞いてほしい」

 ハノンが落ち着いたのを見計らってオルグレン大公が口を開いた。

 ハノンがしっかりと頷いたのを見て再び口火を切った。

「ずっと考えていたんだ。こんなことを言うのは虫のいい話かもしれないが、ハノンにオルグレン家に来てほしいと願っている。すでにチチェスター侯爵殿とは話をした。もし、ハノンが私と暮らすことを望んでいるのであれば、と言って下さっている。養子というややこしい形にはなってしまうが、父としてもう一度やり直したいのだ」

 ハノンはただただ目を見開いてオルグレン大公を見ていた。

「いずれはハノンかその夫に私の後を継いで貰いたいと……、ああ、欲張ってはいけないな。今はとにかく私にもう一度、父親となるチャンスを与えて欲しい」

「イルゼさんは?」

「まだベアトリスが亡くなって日が浅いもの。でも、いつか私もその中に入りたいと思っているわ。三人で、場合によってはハノンの夫と可愛い子供たちと仲良く暮らすことが今の私の最大の夢だわ。素敵でしょ?」

 イルゼの夢見る少女のような表情が眩しかった。

 そんな現実がいつか訪れるんだろうか。もし、それが叶ったとして、ハノンの隣りに立って微笑んでいるのは、きっとエドゥアルドではないのだろう。

「私もイルゼももう君に辛い想いをさせたくないんだ。城にいればまたトラブルに巻き込まれるかもしれない。ハノン、幸せになる道を選びなさい。よく、考えて。答えは急がないから」

 幸せってなんだろう。

 ハノンにとっての幸せはエドゥアルドだと思っていた。エドゥアルドがいるだけで自分は幸せなんだと。もし、エドゥアルドに婚約者が現れても、城のどこかからその姿を見られるだけで幸せだと。だが、今のハノンは幸せとは言い難い。いつも心の中はぐちゃぐちゃで、苦しくて、悲しくて、発狂する寸前だった。

 エドゥアルドが傍にいてくれれば、最高に幸せだ。けれど、自分のことを想ってくれていないエドゥアルドと一緒にいても恐らく幸せにはなれない。

 エドゥアルドが幸せでなければ、ハノンとて幸せになどなれない。エドゥアルドがマルヴィナを望むならそれを祝福してあげるべきなんだ。

 ハノンの心は潰れるかもしれない。けれど、時がたてばきっと心から祝福してあげられるときが訪れる。

 じゃあ、エドゥアルドのいないハノンの幸せは何?

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