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第7話

「兄上が目を覚ました。お前と話がしたいと言っている。明日、大丈夫か?」

 エドゥアルドがそう言ったのは、あの事件から三日後の夜のことだった。

 あれからハノンは、部屋の外には出ていなかった。アナの話を聞いて自嘲したためだが、少しくらい外に出なくても苦にはならなかった。

「うん、大丈夫。クライヴ殿下の容体は?」

「もう大丈夫だ。問題ない」

 エドゥアルドが執務の合間をぬって、日に何度もクライヴを訪問していたことは知っている。

 心配で、なかなか寝付けない日々を送っていたことも。

 一番ホッとしているのは、エドゥアルドなのだ。

「ずっと言っていなかったが……。兄上を助けてくれて、ありがとう。感謝している」

「なんか素直すぎでキモっ」

「なっ」

 ハノンがそう言ったのは、照れ隠しにすぎない。人に感謝されたことも、お礼を言われたこともない。

感謝することの方が多かった。イヤ、謝罪することの方が多かったのかもしれない。それは失われた記憶の中でのこと。

 時折、頭をよぎるハノンの記憶と思われる映像の断片。ハノンはいつも泣きながら謝っていた。なにをそんなに泣いているのか、誰に対して謝っているのかは分からない。相手はいつも靄がかかったように見えず、そしてその相手をハノンは恐れているのだ。

 その記憶の断片を見たあとは、悲しい気持ちがハノンを襲う。絶望的な悲しみがハノンを闇に誘おうとする。

「さあ、もう寝るぞ。お前も早く来い」

 ハノンがエドゥアルドに抱かれながら寝るのは、もう習慣になっていた。

 抵抗するのも無駄と悟ると、大人しくエドゥアルドの腕の中に入るようになった。

「一つ聞いてもいい?」

 エドゥアルドの腕の中で問い掛けた。

「なんだ?」

「エド殿下が私と主従契約を結んだのは、私が黒の魔獣だと思ったから?」

 ハノンはエドゥアルドになんと答えて欲しいのか。黒の魔獣なんか関係ないと、言ってほしいのか。

「私がお前を見たとき、あまりの美しさに魅了された。その時、お前が黒の魔獣だとか契約すれば利益になるとか考えてなかったよ。契約し終えて冷静になってお前を見て、黒の魔獣なんじゃないかって気付いたとき、私がなんて思ったか分かるか?」

「知んないよ」

「ああ、なんて厄介なのと契約してしまったんだって思ったんだ。私は王位を継ぐ気はないんだ。天下を取りたいなんて少しも考えてない。私は平和に暮らせればそれで良かったんだ。お前と一緒に旅をしたりするのもいいかと思ってたけど、無理だよな」

「悪かったね。厄介なので。でも、エド殿下が王位を継ぎたくないなんて意外だ」

 国王になるために、国王の座に近づくために日々執務に励んでいるんだと思っていた。

「国王陛下に世継ぎが生まれれば、その王子が次期国王になるだろう。子宝に恵まれないのであれば、次期国王は兄上だ。私は兄上が回復次第、この城を去ってもいいと考えている。余計ないざこざは避けたい」

 エドゥアルドが次期国王になると見込んで、まとわりついている貴族が大勢いるだろう。その貴族たちがそう易々とエドゥアルドを放すとは思えない。おそらくそれはエドゥアルド自身がよく分かっているのだろう。

 王族として産まれてくるのも楽じゃない。

「そのときは、旅に出るんでしょ? 私、過酷な旅はヤダかんね」

「ふっ。分かっている。さあ、もう寝ろ」

 ハノンは、エドゥアルドの腕の中でゆっくりと目を閉じた。


 エドゥアルドに連れられて、ハノンがクライヴの部屋を訪れたのは翌日の午後のことだった。

 クライヴはベッドに横になっていたのだろう。ハノンとエドゥアルドが寝室に足を踏み入れた時には、従者に支えられながら、体を起こしている最中だった。

「兄上。無茶をせず寝ていて下さい」

「いや、大丈夫だよ。こんにちは、ハノン」

「こんにちは。クライヴ殿下。お加減は如何ですか?」

 クライヴの顔色は思っていたよりも良かった。

「ええ、大丈夫です。来ていただいてありがとうございます。エドゥアルド。ハノンと二人だけで話がしたいんだ。いいかな?」

 クライヴの目は優しかったが、有無を言わせない力を持っていた。

 エドゥアルドは、その申し出を受けると、従者たちを引きつれて部屋を後にした。

 二人だけになった部屋の中は、なんだか落ち着かない。

「ハノンが助けてくれたんだね? ありがとう。君は私の命の恩人だ」

「そんな、大袈裟だよ」

 クライヴはニコニコと笑顔を絶やさない。あの時のクライヴの表情からは、とても考えられないほどに明るかった。

「クライヴ殿下。聞いてもいい?」

 小首を傾げ先を促すクライヴに、ハノンは戸惑いながらも問い掛けた。

「どうして毒なんて飲んだの? どうして自分を殺そうなんてするの? いつから毒を飲んでたの?」

 直接クライヴにズバリと問い掛ける人間は、ここには、この国にはいないだろう。だから、敢えてハノンは聞くのだ。誰も聞かないのなら、誰も聞けないのなら……。

「直球だね」

 少し歪めて笑うクライヴを見て嬉しくなる。

 精霊のような美しい笑顔は素敵だけど、人間味が感じられなかった。心から笑ってないんじゃないかって、気になってさえいたのだ。

「たまには直球もいいでしょ? クライヴ殿下が他の人に知られたくないなら、ここで聞いたことは全て私の胸にしまっておくよ」

「ハノンは、やっぱり黒の魔獣なのかな。人の心を読むのが上手い。ふふっ、ハノン。暴露大会をしようか? 私の秘密を話すから、君の秘密も教えてくれる?」

 ハノンの秘密と言ったら、本当は人間であるということ。一度エドゥアルドに打ち明けたことがあるけど、鼻であしらわれたものだった。でも、ハノン一人でこの状況下を渡っていくのは苦しい。頭が混乱して、焦って、でも、どうやって打破すればいいか分からなくて、苦しくて、逃げ出したくて、ぐちゃぐちゃなのだ。誰かに聞いて貰いたかった。愚痴りたかった。

「……い、いいよ」

 クライヴなら信用できると思った。ハノンの語る信じられない物語を無条件で信じてくれるだろうと。

「それじゃ、私から打ち明けよう。エドゥアルドにはどうして毒を飲んだのかは話してあるんだ。エドゥアルドは私が毒を飲んだのはこれが初めてだと思っている。ハノンはきっと分かっているだろうから、はっきりと言うと、私は毒を飲んでいた。少しずつ少しずつ、誰にも気付かれないように、病死と見せかけて死ぬつもりでいたんだ。いつから飲んでいたのかは、もう忘れてしまったよ」

 遠い目をして語るクライヴは、思い出を辿っているように見える。でも、その表情は暗いものではなかった。

 クライヴは、もう自ら毒を飲んだりしない。

 ハノンにはそれが分かった。

「どうして毒を飲んでまで、死ぬ必要があったの?」

「私は本当に体が弱かったから、本当に約立たずだから、エドゥアルドの邪魔だけはしたくなかったんだ。皆が私のことをどう言っているのか、周りの者は私の耳に入らないように気を遣ってくれていたみたいだけど、全て知っていた。私がいなくなることをエドゥアルドは望んでいるとある人から聞いてしまったんだよ。エドゥアルドはいつも私のことを心配してくれていて、良くしてくれていたから、彼が望むならとそう思ったんだ。私が自ら命を絶てば、エドゥアルドは責任を感じてしまうかもしれない。だから、この方法を思いついた。と言っても、その方法を教えてくれたのも、エドゥアルドのことを教えてくれた人だったけどね」

「その人がその方法をクライヴ殿下に教えたって言うの?」

 王城のなかにクライヴを消したいと考えていた人間がいたということだ。

「そうだよ。毒もその人に貰ったものなんだ。池で毒を飲んだのも、その人に言われてのことなんだ。エドゥアルドが黒の魔獣と主従契約を結んだから、私は邪魔者なのだと、本気で死ぬ気があるのならこれを飲むといい、と小瓶を渡された。あの毒は私の心臓を蝕み、息の根を止めると体の中から消えてなくなると言っていた。毒を飲んでから池の中へ落ちれば、事故で死んだと思われるだろう、とね」

「それって誰なの?」

「……魔女」

 魔女が……。一体魔女は何を企んでいるんだろう。

 ハノンを魔獣にしてみたり、クライヴを死に追いやろうとしてみたり。

 そんなことをして、なんの利益があるというのか。

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