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第69話

 心配そうに覗き込むエドゥアルドの顔があまりに間近にあり、ハノンは慌てて顔を胸の中に埋めた。

 かなり動揺していたため、エドゥアルドが執務中であるのにノックもせずに乱入し、人目も憚らずにこの胸に飛び込んでしまった。しまいにはみんなの前で泣き叫んでしまうという奇行にまで及んでしまった。

「大丈夫だよ、ハノン。あんなに取り乱したお前を誰も責めたりなどしないから」

「そうかもしれないけど、あんな失態を曝してしまって恥ずかしいんだってば。分かってよ、バカッ」

「バッ、バカとはなんだ。と、良かった。そんな口がきけるほど落ち着いたんだな」

 エドゥアルドはハノンを抱き上げて、自身の膝の上に横抱きにして乗せた。

 今までに自室でこんな風にされたことはあったが、ここは執務室である。背徳的な気分がしてなんだか心許ない。

「エド殿下。私、普通に座りたいんだけど。これはちょっと……」

 恥ずかしい。

 その言葉を呑み込むように唇を塞がれた。

「そんな瞳で私を見るな。襲いたくなる」

 そんな瞳と形容したエドゥアルドの瞳の方がよっぽど危険な色をしているとハノンは思った。何故か怪しく光ったそれは容赦なくハノンを捉えていた。

「まったく自覚がないんだな。涙を流した後で濡れたお前の瞳は私を誘っているようだ」

「何言ってんの、エロオヤジっ。エド殿下のバカッ。知らないっ」

 誘っているのはエド殿下の方だ。いつもいつもそんな瞳で見られたらハノンの心臓はもたない。

「お前は可愛いな」

 聞き慣れない言葉に逸らしていた顔をエドゥアルドに戻す。

「そんなこと本当は思ってもないでしょっ」

「思ってるぞ。いつも思ってる。お前が信じないなら毎日言ってやる。ハノン、可愛い。お前が好きだよ」

 普段にはないほどに甘いエドゥアルドにハノンは戸惑っていた。

「私が落ち込んでるからそんなに優しいの?」

「私の本音だ」

 そうは言うけれど、きっとハノンが泣きじゃくっているのを見て、言ってくれているにすぎないだろう。

「ありがとう。……エド殿下はどうして私が泣いていたか聞かないの?」

「聞いていいのか?」

「うん。上手く話せないかもしれないけど、聞いてほしい」

 出来れば口に出したくはない。口に出した途端に認めたくない事実が真実になってしまう気がして。

けれど、エド殿下に聞いてほしい。

「上手く話そうなんてしなくていいんだ。お前のペースで話してくれ」

「うん」

 口を開こうとすると息が詰まってしまって、すぐに言葉は出て来てくれなかった。

 エドゥアルドはそんなハノンを励ますように頭を撫で続けていた。

「あの、あのね。イルゼさんのこと……なの」

 恐らくエドゥアルドの方では原因がイルゼにあることはおおよそ見当をつけているだろう。今日はイルゼに会いに行くと事前に言っていたのだから。イルゼのことでないのなら、新参者のバウティスタだろうと。

 エドゥアルドは、そこでまた止まってしまったハノンを急かすことはせず、待ってくれていた。

「オルグレン夫人が亡くなったでしょう?」

「ああ、そうだな」

「イルゼさんはね、私をオルグレン夫人のお腹に移した時、自分自身に呪いをかけたの。オルグレン夫人が亡くなってから二週間したらイルゼさんも……死ぬっていうね」

 ハノンが口を閉じると、沈黙が流れた。

 「死ぬ」という言葉が口の中で苦味を発していた。

「イルゼさんは呪いを解くつもりがない。死ぬことがイルゼさんへの罰だと思ってる。イルゼさんは私を……置いて行ってしまうんだ」

 やっと止まったはずの涙が、再び溢れだしていた。

 堪えようとして唇を噛んでも、溢れだす涙を停めることはできなかった。

「イルゼさんが行ってしまうのに、私はなんにもできない。ただ見ていることしか出来ない。救うことができるかもしれないのに、目の前で大切な人が死にゆく姿を見ていなきゃならない」

 黒の魔獣とは名ばかりで、ハノンは人一人助けることも出来ない。

 助けるということをしていいかも分からない。イルゼが死を受け入れたいと望むなら、その邪魔をしてはいけないのではないか。見守ることがハノンの今、しなければならないことなのか。

「魔女が死を受け入れていると、お前は本当にそう思うのか?」

「だって、イルゼさんが」

「私はその場にいなかったからなんとも言えないが、お前命とも考えられるあの魔女が本当にそう思っているかは疑問だな」

 あの時、ハノンは呪いの事実に動転していて、イルゼの様子を観察することが出来なかった。目の前にイルゼがいるのに、ハノンの瞳はイルゼを写してはいなかった。

 言葉とはうらはらにイルゼが本当は生きたいと願っていると考えることは出来るだろうか。本当に死にたがっているんだろうか。

「分かんない。分かんないよ、エド殿下。私はイルゼさんのために呪いを解く方法を探してもいいのかな?」

「お前が決めるんだ、ハノン。お前はどうしたい? お前が決めたことなら、私はどんな手助けでもしよう」

 どうしたい?

 そんなのは決まっている、イルゼを助けたい。イルゼがかけた呪いを取り払ってあげたい。だが、独りよがりの行動は慎むべきだ。イルゼが本気で死にたいと願うなら、呪いなど関係なしに死にたいと願うなら、ハノンは手を出すべきじゃない。どんなに苦しくてもその姿を目に焼き付けるべきだ。

 問題は、イルゼの本心だ。

 イルゼが今、何を想い何を感じているのか、ハノンが見極めなければならない。

 動き出すのはそれからだ。

「エド殿下。私はイルゼさんの一番望んでいることをしてあげたい。イルゼさんが自分の罰だのなんだの関係なしに本気で死にたいと願うなら、私はどんなに辛くても見送ろうと思う。でも、少しでも生きたいという気持ちがあるのなら、私はイルゼさんを救いたい」

「そうか。ハノンのやりたいようにやってみるといい。私はお前の力になる。ただ、一人でなんでもやってしまおうとはするな。危険なことは絶対にするなよ。いいな?」

「大丈夫。絶対無理はしないし、助けて貰いたい時はエド殿下に言う。エド殿下はすごく心配性だから、毎日どんな状況であるのか話はするよ」

「それでも心配だから、アナを共につけること」

「うん。それはいつものことだから大丈夫。あのね、私大分力も落ち着いて来たから、二人一緒に飛んでも大丈夫みたいだから、魔獣の姿になって走っていかなくてももう大丈夫なんだよ」

 アデルドマーノ王国での一件以来、ハノンの力が落ち着いて来ていた。力も制御できるようになり、暴走もしなくなった。イルゼからも許しが出て、複数人の瞬間移動も出来るようになったのだ。

「そうか。魔獣の姿になってまた変な奴に見られるのは賢明でないからな。良かった」

「うん。エド殿下。今日はお仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい。それから、お話しを聞いてくれて、慰めてくれてありがとう」

「そんなこと全然構わない。私のところに真っ先に来てくれて嬉しかった。今日は仕事は休みにしよう。ハノン、散歩に付き合ってくれるか?」

「えっ、いいの?」

 ビバルには申し訳ないが、普段昼間はずっと仕事をしているエドゥアルドが少しでも休むことが出来るのは嬉しい。勿論一緒にいてくれることが凄く嬉しいというのもある。

 エドゥアルドはとても真面目に普段から働いているのだから、少しくらい休んでもいいよね。

 と言ったら、ビバルは怒るだろうか。


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