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第6話

 アナとの話を切り上げると、食事を運ぶ手配を始めようとする彼女を引き止めた。とても食べ物が喉を通る気分じゃなかった。

「アナ。エド殿下のところにいく前に、少しだけ庭に出たら駄目かな」

 ハノンの頭は混乱していた。自分がどう対処すればいいのか、答えが出そうにもなかった。

 頭を冷やしたかったのもあるが、クライヴにもまた会えるんじゃないかと思っていた。

「少しだけならば」

 出来るなら外に出ることを回避したいのだろう、アナが難しい顔をしている。

「ありがとう、アナ」

 アナと連れ立って部屋を出た。

「この国には魔女がたくさんいるのかな?」

「いいえ。この国には魔女は一人しかおりません」

 その唯一の魔女というのが、ハノンをこんな状態に陥らせた犯人なのだろう。

「その魔女は王城に住んでんの?」

「いえ、彼女は国の外れの森の中に住んでいます。国王に呼ばれた時のみ登城します」

「まだ王城にいるのかな?」

「昨日王城を出たと聞いていますが、何か御用がありましたか?」

 ハノンはアナの問いに首を横に振って答えた。

 魔女はあのあとすぐに城を出たのだ。まるで、ハノンの問いには応じないと言わんばかりに。

 

 城の庭園の奥には、大きな池がある。池には魚が泳いでいるようで、白い猫が水面をバシャバシャと叩いていた。水中の魚をとらんと躍起になっているようだ。

 その猫よりも奥に目を向けると、クライヴが池を険しい表情で見つめているところだった。

 その表情が酷く気になった。

 嫌な予感に心臓が激しく打ち付けているのを感じる。耳鳴りのように鳴り響く心音で、周りの音が全く聞こえてこない。先ほどまで聞こえていた、猫が水面を叩くバシャリという音も耳に入ってこない。

 ハノンは、クライヴから目が放せなくなった。今放してはいけないという強迫観念さえ感じていた。クライヴは、水面から目を放すことなく、懐から何かを取り出した。ハノンがいる場所からクライヴは大分離れているが、はっきりと見えた。それは、小さな瓶だった。

 それを目にした瞬間にハノンの意志とは無関係に体は動きだしていた。

 何の戸惑いも迷いもなく、小さな瓶の中身を一息に口に含んだクライヴは、崩れるように池の中に倒れこんでいく。

 ハノンの目はクライヴしか捉えていなかった。クライヴが落ちた際に生じた水音が異様に大きく感じる。

 あまり走っている実感はなかった。けれど、クライヴの姿は瞬く間に近付いていく。自分が飛んでいるような感覚を受けた。

 池の中に飛び込むと、クライヴを探す。思っていたよりも池の水深は深かった。沈んでいくクライヴの姿を発見すると、一気に下降した。

 沈みゆくクライヴの体をなんとか捕らえると、水上へと急いだ。

 クライヴの意識はない。あの小瓶の中身は毒物なんだろう。

 水上に顔を出し、浅瀬を歩きだすとアナの姿が目に入った。口をぽかんと開け、こちらを見て唖然としている。クライヴの行動に驚いているのだろうと思ったが、その目は真っ直ぐハノンに向けられている。

 ハノンがクライヴを抱えて陸に上がると、アナの目は更に見開かれた。ハノンを見て一体何をそんなに驚いているのか気にはなったが、今はクライヴのことのほうが大事だった。

 クライヴを芝生の上に横たえた。その途端激しく咳き込んで、飲み込んだ水を吐き出した。呼吸は確保できたが、毒物がクライヴの体を蝕み苦しめている。呼吸は浅く危険な状態だ。

 ハノンはクライヴの服を引きちぎると、心臓に牙をたてた。

 ハノンがたてた牙から毒物が吸い上げられていく。クライヴから吸い上げた毒物が口中に溜まると、それを吐き捨てる。それを何度か続けるうちにクライヴの呼吸が安定していく。

 体内の毒物は全て出しきった。ハノンは、自分が着けた牙の跡をぺろりと一舐めした。すると、牙の跡がまるで始めからなかったかのように、綺麗に消えていた。

「アナ。エド殿下を呼んできて」

 ハノンに呼ばれて、飛び上がったアナが慌てて走り出していく。

 その後ろ姿を見送ったあと、クライヴを再び見下ろした。

「嫌な予感が当たっちゃったな……」

 だが、クライヴをかろうじて助けることが出来た。このあと一晩熱を出すかもしれないが、命に別状はないだろう。


「兄上っ。ハノンっ」

 アナがエドゥアルドとビバル、それから見知らぬ数人の従者を引き連れて戻って来たのは、予想よりも速かった。

「エド殿下。クライヴ殿下は大丈夫だから、部屋に運んで体を拭いてやってよ」

 見知らぬ従者が、ハノンが話しはじめたのを見て、目を瞠っている。この状況はとてもいいものとは言えない。ハノンにとってもエドゥアルドにとっても。だが、今この状況では、クライヴを優先するのは人として間違っていないはず。

「しかし……」

「話はあとだよ。とにかくクライヴ殿下を連れていってよ。まだ、予断は許さない状態なんだから。ちゃんと医者にも見てもらった方がいい」

 好奇心に満ちた視線を無視して、エドゥアルドだけを見て言った。

「分かった。兄上を部屋に運んでくれ。それから、至急医師の手配を」

 迅速に対応するエドゥアルドは、噂どおり有能に見えた。

 クライヴが運ばれていくと、ハノンは体を勢いよく振って水気を吹き飛ばした。

「ハノン。タオルを持ってきました。拭きますから、大人しくして下さい」

 アナがタオルを広げ、ハノンの体を包み込んで吹いてくれる。

 魔獣になると自分の体も満足に拭くことが出来ない。不便だとは思うが、誰かに拭いてもらうのも悪くはない。

「ハノン。私はこれから兄上の部屋に向かう。お前も一緒に来てくれ。アナ、私が代わろう」

「何で? 私は行かない方がいいでしょ。もう、エド殿下はやんなくていいって。ほんとドスケベっ」

「なっ? 私はお前の体を拭いてやってるだけだ」

 理不尽だと言いたげにむくれている。

「私は女なんだよっ。男が女の体触っていいと思ってんの? これだから、ナルシストは……」

「だが、お前は……」

「あ゛あん?」

 文句あんのかと、下から睨み付ければ、漸く黙った。

「殿下。ハノンの身の回りの世話は私がしますので」

 アナが見兼ねて間に入った。今度はエドゥアルドもあっさりと引き渡した。

 タオルの間からアナの表情がちらりと見えた。変な顔をしている。無表情とは違う、何かに動揺したとき、いつもと同じ表情をしようとして失敗してしまったとでもいうような複雑な表情だった。

 アナはハノンが池に入ったあたりから様子がおかしかった。

「アナ? どうかした?」

 タオル越しに置かれた手がビクッと震えた。

「いえ。なんでもないです」

 表情は見えなかったが、声がかすかに震えていた。

 何かがあったのは明らかだが、これ以上突っ込んでも打ち明けるとは思えない。

「そっか」

 ハノンがそう言うと、アナの手から力が抜けた。アナは嘘が吐けないタイプのようだ。

「ハノン。兄上の部屋に一緒に来てくれ」

「エド殿下。アナから話は聞いたよ。私はあまり人と接触せるべきじゃないよね。だから、今は行かない。でも、クライヴ殿下が目を覚ましたら、話がしたい。いいよね?」

「分かった。アナ、ハノンを部屋に」

 エドゥアルドが出ていくと、アナと二人だけになった。

 さっきまで魚を探していた猫も姿を消していた。たった今までの騒動がまるで、嘘のように静かだった。

 ハノンは、静かになったその庭で、そっとため息を吐いた。


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