第59話
「フェルナン、その鏡をテーブルかどこかに鏡の面を上にして置いてくれるかしら?」
フェルナンがその言葉どおりに鏡を置いてから、しばらくたったあと、鏡は光を放ちはじめた。
ハノンにはイルゼが何をしようとしているのかが分かっているので驚くことはないが、部屋にいる他のもの達は突然の出来事に場が騒ついた。
光はやがて透き通るイルゼの姿をかたちどっていく。
「この方が話すのにはいいでしょう?」
エドゥアルドは姿を現したイルゼにさほど驚いた様子を見せていないが、驚き過ぎるほどに驚いているのはフェルナンだろう。
「なっ。なんだこれはっ」
「そういえば、フェルナンの前で魔法を使ったことはなかったわね」
だから、そんなに驚いていたのだ。この国でも魔女はハノンとイルゼしかいないので、魔法を間近に見たことのあるものは少ない。アデルドマーノには魔女がいないのだろうか。
気になって聞いてみると、いないという答えが返ってきた。
「フェルナンには教えていなかったことがもう一つあるの。私もハノンと同じなのよ」
「それはつまり……」
「私も黒の魔獣だと言うことよ」
イルゼはよほどフェルナンを信用しているのだろう。自分の正体をあっさりと認めた。
「私はね、ハノンには人並みの幸せを手に入れてほしいのよ。フェルナンにはまだ親心が分からないかしら。ハノンには傷ついて欲しくないの。だから、あなたの国を助ける手助けは私がするわ」
「そんなことしたら、イルゼさんだって危ないじゃないかっ」
声を荒げるハノンをどこか嬉しげにイルゼは見ていた。
イルゼは子供心ってものを分かっていないんだ。心配なのは親も子も同じだというのに。今まで色々出来なかった孝行というものをしたいと思っているのに。
「危ないことはしないわ」
「イヤ、私も行く」
「ハノンが行くなら私も行くぞ」
ハノンのあとに続いたのはエドゥアルドだった。
「私はハノンの護衛です。ハノンが行くのであれば当然私も同行いたします」
エドゥアルドのあとにバトンを受け取ったのはアナだった。
「では、私はエドゥアルド殿下の側近としてお供いたします」
アナの次はビバルだ。
「俺も」
最後にぼそりと呟いたのはカイルだ。
「お前たちって……」
結局ここにいる全員が行くと言いだしたことに、フェルナンは呆れたといいたげにため息混じりに言った。
「ハノンもその恋人のエドゥアルド殿下も人脈が広いのよ。出来ればハノンは巻き込みたくなかったのだけれど、こうなってしまっては止められないわね。エドゥアルド殿下が一緒にいれば大丈夫だとは思うけれど……」
イルゼがハノンのみならずエドゥアルドのことも褒めるのは非常に珍しいことだ。常日頃からエドゥアルドをからかって楽しんでるようなきらいがある。
「それはそうと、エドゥアルド殿下。本当に城を抜け出せるのですか?」
イルゼの問いにビバルに向けてエドゥアルドが視線を流した。
「仕事の方は今はさほど忙しくないので大丈夫かと思います。陛下に許可を得られれば……」
「そう、きっとそれは大丈夫じゃないかしら。フェルナン。私たちが力を貸すにあたって一つ条件を出したいの。クライヴ殿下の婚約話は白紙に戻すこと」
ハノンがクライヴ殿下のこと気にしていたってやはり知っていたのだ。ハノンが切り出す前にイルゼが申し出てくれた。
「元々そんなつもりはない。私がこの城に入る口実が欲しかっただけなんだ。クライヴ殿下を巻き込んで申し訳ない」
「そういうのは本人に言うべきだわ」
「ああ、そうする」
クライヴ殿下の方は何とかなりそうだし、これからはアデルドマーノ王国をどうするかってことに全力を尽くす時だ。
「で、フェルナン王子は何か計画を練ってるの?」
ハノンが尋ねると、ついと視線を逸らしてしまう。
あぁ、全く計画なんて考えていなかったのね。
「今回はどうにかして黒の魔獣を説得するっていうのが目的だったんだ。その先まで考えてる暇はない」
ハノンが大きなため息をこぼしたのを目にすると、言い訳じみた言葉を並べる。
計画は、国のことをよく知るフェルナンと今現地に向かって現状を調べているイルゼが錬ることになった。
その他のものは待機をする。その間にルシアーノに外出の許可をもらっておいた方がいい。それから城をあけることを侍女仲間に話したあと、女官長に接触し、彼女らのその間の仕事を割り振って貰う。あとは特にすることもないが、時間があるのなら一度チチェスター家を訪問しておきたい。
あの会合が行われてから1週間が過ぎた日。
我々一行はアデルドマーノ王国へと出発した。あまり目立たないように皆一様に町民の服を纏い、馬車など使わず馬で向かうことになった。
カーティウェル王国からアデルドマーノ王国へと入るのは大した日数は掛からないが、アデルドマーノに入ってから街の中心に入るまでの日数が大分掛かると考えられた。
国境を超えることは大して難しいことではない。警備はあまり厚くないのだ。国境を越えて暫くはのどかな草原が広がっていたが、少し進めば荒れた街並みが広がって来る。
王都から離れれば離れるほど町の荒れ具合は酷く、国民が来ている服も色あせている。町を歩くと民と同じような服装はしているもののどこかこぎれいにしているせいか、じろじろと見られているのが分かる。
そんな町をいくつも越え、イルゼと待ち合わせているわりと大きな町へと辿り着いた。王都ではないが、アデルドマーノにおいて二番目に大きな町として知られている。それでも国民の顔色は一様に青く。栄養失調であるのか、ガリガリに痩せている人が多い。笑顔にも力がないように思える。そして、町に住む人の多くが女性であるように感じられる。勿論男性もいるにはいるが、腰の曲がった老人が多いようだ。
建物自体はさほど傷んでいるようには見えない。だからこそ、人が酷く貧相に見えてしまうのかもしれない。
その町のおよそ中心付近に大きな広場があり、そのまた中心部分に大きな噴水がある。その噴水の前でイルゼと待ち合わせをしている。
人が集まるべき場所である広場なのに、寒散とした雰囲気を醸し出している。穏やかに噴水の淵に腰を開けて読書を楽しんでいる人やお喋りを楽しんでいる人は皆無である。
だからか、イルゼがそこに立っているのを一目で見つけることが出来た。
「イルゼさんっ。一人で大丈夫だった?」
ハノンが真っ先にイルゼに近づくと、そのまま抱き付いた。
「ええ、大丈夫よ。あなたたちは大丈夫だった? この人数じゃ魔法が使えない分旅は大変だったでしょう?」
「うん。こんなに長い旅をしたのは初めて。国を出たのもこれが初めてだったし。大変だったけど楽しかった」
そう、とイルゼは穏やかに笑った。
「それじゃ、こんなところで話すのもなんだし、みんな疲れているでしょうから家に行きましょう」
イルゼの案内でついた町はずれの家は、見た目こそ小さいが、魔法が施してあるため、中は随分と広かった。人数分の部屋もきちんと用意されていた。
この家自体はどうしたのかと尋ねると、屈託のない笑顔で、魔法で建てた、と返って来た。
イルゼの魔法はとても確実で、大きい。いつまでたってもハノンは追いつけそうにないと、少しばかり落ち込むのであった。