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第56話

 アナと並んで廊下を歩いていた昼下がり、首から紐でぶら下げていた手鏡が激しく震えた。

 咄嗟のことに驚き、鏡を掴むと驚くほどあっさりと震えは止まった。

 鏡の中を見てみれば、そこにはハノンの顔ではなくイルゼの笑顔があった。

「ハノン。これから私はアデルドマーノ王国に向かうわね」

「イルゼさんっ。本当に大丈夫なのかな? 私もやっぱり行ったほうが……」

 これは何度となく交わされた会話だった。いつまでも続く不安がハノンに纏わりついているのだ。

「大丈夫よ、ハノン。あなたは自分の心配をしていなさい。いいわね?」

 なにを言っても結局ハノンが同行することは許されないと、渋々頷いた。

 イルゼは決してハノンを危険な場所へと行かせてはくれない。そういうところは大分エドゥアルドの考えと似ている。

 ハノンの身の安全を思ってのことだろうと理解はするが、自分の存在を除外視されたようで淋しくもある。

「気をつけてよっ。絶対だかんねっ」

 イルゼは苦笑の中に少しだけ嬉しそうな色を滲ませた。

「ええっ、行ってくるわ」

 それだけ言うと、一方的に交信は途絶え、鏡の面にはハノンの顔が映し出された。

「アナ。イルゼさん、行っちゃったよ」

「大丈夫ですよ、きっと。イルゼ様はハノンのお母様ですもの」

 アナの笑顔に少しだけ肩の力を抜くことが出来た。

 心配してもどうなるわけでもないが、願わずにはいられない。無事に帰って来てほしいと。

「ありがとう、アナ」

 廊下を歩いていると、クライヴと出くわした。

「あれ? クライヴ殿下。珍しく一人なの?」

「そうなんだ。ビビニア嬢は今日は少し気分が優れないというものだから一人で散歩にでも行こうと思って」

 クライヴと言葉を交わすことも大分久しぶりのような気がする。

「私も一緒に行っていい? お話もしたいし」

「いいよ。ここのところずっとハノンと話していなかったからね」

 クライヴは快くその申し出を受けてくれた。

 庭園に入ってぶらりと歩きながら他愛もない会話を続けていた。

「ねぇ、クライヴ殿下。クライヴ殿下はピアのことどう思う?」

 遠慮がちに尋ねた。クライヴの心情が今どんな状況であるのか知りたかった。お前に話す筋合いはないと言われてしまえばそれまでなのだが。

「ピアはまだとても幼いから……。けれど、好きなんだと思うよ。きっとこの先もっと好きになって、掛け替えのない人になるような気がするよ。安心した? 私は今でもハノンが好きだよ。だが、エドゥアルドも好きだから、二人の応援をするんだ。ハノンには私の妹になって欲しいからね」

 クライヴの気持ちがとても嬉しかった。

 ピアへの気持ちも今はまだ完全には言いきれないかもしれないが、もう少し未来には、ハノンとエドゥアルドのようになっているのではないか。

「ありがとう、クライヴ殿下。あのね、私もクライヴ殿下のために何かしたいのっ。クライヴ殿下はどうしたいと思ってんの? ピア嬢と結婚したい? それともビビニア様と? もしくは誰とも結婚したくないとか?」

 クライヴは大切な人の一人だ。最近、彼が疲れ切っていることに周りはみな気付いていた。

 毒事件のことがあってから自分が何か償いをしなければと思っているようなふしがあるクライヴ。誰もクライヴのことを責めてはいないのに、今もなお自分自身を責めているような気がする。無理もないことなのかもしれない。日々何気なく生活しながら少しずつ払拭していくしかないのだろう。

「私なんかが花嫁を選ぶ権利などないのかもしれないが……。私はピア嬢を妻としたい。彼女を私の手で幸せにしたいんだ」

 その言葉が嬉しくて、ハノンがエドゥアルドに「好きだ」と言われた時と同じほどに嬉しくて、頬がだらしなく緩んでしまいそうになった。

 堪らずハノンはクライヴに抱き付いた。

「うん、うん。ピアとなら激しくお似合いな夫婦になると思うよっ。良かった。クライヴ殿下。絶対幸せになって欲しいから、私全力を尽くして協力をするからねっ」

 ハノンは気付いていなかった。

 ハノンに抱き付かれて嬉しそうな、しかしどこか複雑な表情を浮かべたクライヴがいたということを。アナはその表情とクライヴの心情を少なからず理解していたが、見て見ぬをふりをした。

「ありがとう、ハノン。とても力強いよ。だが、私のために無理をすることは止めて欲しい」

「ううん、無理くらいさせてよ。私にとってクライヴ殿下は特別な人なんだよ。私の黒髪や黒眼を見て、奇麗だって、好きだって言ってくれた人は家族以外で初めてだった。凄く嬉しかったんだ。だから、ずっとクライヴ殿下は特別な人。そんな人のために何かをしたいって思うのはいけないこと?」

「その気持は嬉しいが、君に無理をさせたらエドゥアルドに申し訳が立たない」

「その辺は大丈夫。私が本当に無茶をしだしたらエド殿下やアナが必死で止めてくれるから。クライヴ殿下はビビニア様の相手、大変かもしれないけどもう少し頑張ってね」

 ピアとクライヴを結婚させる為にはビビニアをどうにかしなければならないのだ。ビビニア自身は本当の王族ではないのだから実際に婚姻を結ぶ所までいかないだろう。そもそもアデルドマーノ王国の人間はなぜ替え玉という無茶なことをしたんだろうか。

 フェルナンは替え玉がいつかバレるという設定のもとで動いているのだろうか。替え玉がバレた時点で逃げるつもりでいるのか。そんなことがバレたりしたら二国間の関係に亀裂が生じてしまうではないか。そんな危険を犯してでもこの城に入り込みたかったんだろうか。替え玉がバレる前にハノンを攫い、その後は戦争になってもいいという算段か。最初からこの国を奪うことも前提だったのではないか。だとしたら、今、この国は非常にマズイ状態にあるのかもしれない。


 暫く庭園でお喋りを楽しんだ後、クライヴをひきつれてピアのもとに戻った。

 ピアはとてもやつれているように見える。それを見て悲しそうに一瞬顔を歪めたクライヴだったがピアに気付かれる前に、笑顔に戻した。

「ピア嬢。今日は私と一緒に過ごしていただけますか?」

「え、でも……」

「私はあなたと過ごしたいのです。私とじゃイヤですか?」

 とても初々しい、どこかまだよそよそしい二人の会話を耳に入れながら、二人のために紅茶をいれた。二人が素敵な恋人になりますようにという願いを込めて。

「お二人ともどうぞ。紅茶がはいりました」

 ソファから立ち上がったピアがふらりと倒れそうになるのをクライヴが支えている。

 二人のそんな出来たてカップルのような甘酸っぱい光景を見ながら、アナと目くばせをした。

「では、私たちは退散いたします。お二人で話したいこともあるでしょうし……」

 仰々しく頭を下げて、二人だけの空間を提供した。

 本当はちょっと二人の様子をこっそりのぞいてみたい気もしたけれど、そんなことをしたら初々しい二人は話が出来なくなってしまいそうだ。あとでたっぷりとピアから聞き出せばいいのだから。ピアも普通の女の子と同じでお喋りが大好きなのだ。

「クライヴとピアが恋人になって……、ビビニアにはビバルなんかどうかな?」

「ああ、それはなかなかいいかもしれないですね」

 今頃噂に上ったビビニアとビバルはド派手にくしゃみをしていることだろう。

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