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第52話

 ハノンの考えは甘かったのかもしれない。ペットサイズで魔力を隠していれば誰も気付くはずがないと思っていた。

 それだけじゃ隠し切れていなかったのだ。

 どこの国の奴だか知らないが、これだけ動きだしているのだ、何らかの確固たる情報を入手していると見ていいだろう。

 ハノンに出来ることは一体なんだろう。

 クライヴ殿下の婚約者候補だという姫はいわゆるスパイなのだろう。そんな姫をこの国に入れていいわけがない。この国が乗っ取られるだけだ。だが、その縁談を断れば問答無用で攻め込まれる。戦争は避けたい。こんな平和な国を血で汚したくはない。

 その国が望んでいるものが黒の魔獣であるのなら、ハノンがその国へおもむけば全てはおさまるのではないか。

「ハノン。それはダメだぞ。お前は私のそばにいると言っただろう?」

 痛いところをつかれてハノンは飛び上がらんばかりに驚いた。

 なぜ心の中を読まれたのか。まさかうっかり口に出していたわけではないと思うが。

「お前の考えそうなことなどお見通しだ。顔に出ている。お前が魔獣として他国へ行ってどうなる? 人を殺す道具にされるだけなんだぞ。人など殺したことのないお前が耐えられると思っているのか? 私はいないんだぞ。それに、お前を失う私の気持ちはどうなる? お前の気持ちはどうなる?」

 きっとエドゥアルドはすでにハノンと同じことを考えていたのだろう。

 エドゥアルドと離れるということ。それはハノンにとってどういうことか。想像しただけでも恐ろしい。何度か数日離れたことはある。けれど、その頃よりもハノンの気持ちは大きくなっているのだ。大袈裟ではなく、ハノンはエドゥアルドなしでは生きていけない。

「ごめん。そうだよね。そんな簡単な問題じゃないんだよね」

 ではどうすればいいのか。相手国と交渉するとしても、相手が手の内を易々と見せるわけがない。

 ハノンが考えるには荷が重すぎた。妙案など浮かぶはずがない。

「とにかくその姫が明日来ることになっている」

「はっ? そんなに急にっ」

 考えをまとめる時間も与えないように強引に突き進んでくる。典型的な軍事国だ。

「まだ、顔合わせの段階だ。今すぐにどうこうなる話ではない」

 そうかもしれないが、そうじゃないかもしれないじゃないか。

 済し崩しに婚姻を結ばせるつもりだ。まさか、クライヴに襲い掛かって既成事実をつくるつもりなのでは。やり方が汚そうだ。


 ハノンたちの前に現れた異国の姫は、想像したのとは大いに違っていた。

 クライヴをたらしこもうと狙っている蛇のような女かと思っていた。目の前にいる姫は全てに怯えているのか、震えていた。

 いくらなんでも演技であるはずもない。俯いたまま顔を、上げることも出来ずに所在無げにたたずんでいる。

 その隣に立つ青年はそれとは対照的に堂々たるものだった。

 あの青年は一体何者だ。

 ルシアーノが姫に話しかけているが、全てあの青年が答えている。従者ということらしいが、従者にしては偉そうで高圧的な空気を身に纏っている。見た感じでは、姫よりも青年のほうが位が上のように見える。

 内気そうではあるが、クライヴと並べばバランスがとれていてお似合いだろう姫を見ながら、ピアのことを思った。

 ピアは朝から部屋に籠もって出て来ない。

 どんな気持ちでいるのか。想像しただけで胸がキリキリと痛みだす。

「ハノン。ピア嬢に付いててやってくれと、兄上が」

 ルシアーノやクライヴと姫を迎えていたはずのエドゥアルドが知らぬ間にハノンの横に立っていた。

「いつの間にっ。て、クライヴ殿下が?」

「ああ。兄上はあの姫をもてなさなければならない。兄上もピア嬢のことを気に掛けている」

 姫に笑顔を向けているクライヴを見る。

 いつもより幾分顔色が悪いように見える。クライヴも突然の出来事に戸惑いを隠せないようだ。

 せっかくピアといい感じになってきたところなのに。

「ハノン、しばらくピア嬢の身の回りの世話をしてやってくれ。ただし、夜は必ず私の元に戻れよ」

「うん。分かった。ところでエド殿下はこんなところにいていいの?」

「頼んだ。イヤ、よくはないな。もう戻るよ」

 足音たてずこっそりと去っていくエドゥアルドの背中を見送っていると、どこからか視線を感じた。視線を感じたほうへ首を回せば、そこにはピアがいて、ばっちりと目が合った。

 ピアの目はどこか虚ろでぼんやりとしていた。服装も整っておらず、髪の毛は寝起きなのか寝癖がついていた。

 明らかにおかしい。普段からきっちりとしているピアがあんな格好で外を歩くなんて。

「ハノン。行きましょう」

 ハノンの視線の先に気付いたアナは、そう言った。

 一介の侍女が姫を迎えなければならないわけでもない。ましてや、侍女の一人や二人いなくても分かりゃしない。

 ハノンは目で行くと合図を送ると、二人同時に走りだした。

 ハノンとアナがそこについたとき、ピアはまだ微動だにせずそこに立っていた。

「ピア。部屋に戻ろう。そんな姿で外出ちゃダメだ」

 ピアは遠くに見えるクライヴと姫を眺めたままで、ハノンの声など耳には入ってこないのだろう。

 少し乱暴に肩を揺らし、呼び掛けた。

「あっ、ハノン。どうかいたしましたか?」

 たった今ハノンの存在に気付いたとでもいうように、声を上げたあと、懸命に笑顔を取り繕うとするが、上手くはいっていないようだ。今のピアには自分の笑顔がおかしいことさえ気付いていないのだろう。

「部屋に戻ろう。そんな姿で人前に出ちゃダメだよ」

「えっ? あっ」

 自分がどんないでだちをしていたのかも気付いていなかった。それほどに動揺していたのだ。

 ピアはまだ十歳だ。どんなに大人っぽい振る舞いをしていても、心も経験値も子供なのだ。こんな事態を前にして、気丈に振る舞えるはずがない。

 支えるように部屋に連れていき、服を整えてやる。

 ハノンには髪を纏めるというスキルがないので、アナに任せた。

「アナ、髪結うの巧いね」

「そうですか? いつも自分のをやっていますし」

 ハノンの髪は肩迄で上に結い上げることが出来ないので、櫛を通すだけで済ませてしまう。生まれてこの方髪を結った経験はない。

「そっか」

「ピア嬢の髪は美しいですね。羨ましい。ハノンも伸ばしてみてはどうですか? ハノンの髪を結ってみたいです」

「鏡の前でじっとしてなきゃならないなんて、無理だな」

 髪が長くなると櫛が絡まるし、面倒だからすぐに切ってしまっていた。それをチチェスター夫人はいつも残念がっていたものだ。

 鏡のなかのピアの髪が綺麗にまとまるのを見ながらそんなことを話していたが、ピアは何の反応も示さない。鏡の中の自分を見ている筈のピアの瞳にはいつもの輝きがかけらもなかった。うつろな瞳は何も写していない。

「ピア。辛かったら言っていいんだよ。溜め込むのは体に良くないんだからさ」

 初めてピアの瞳の中が揺れたのを見た。

 下唇を噛み締めて、なんとか涙を流すまいと頑張る健気な姿にこちらの心も揺れる。

「どうしてあの人が来たの? 私は家に帰されるの? ねぇ、ハノン。私は邪魔者なのかな?」

「私もあんまり事情を知らないけど、だけど、ピアは邪魔者なんかじゃない。邪魔者なんかじゃないよ」

 邪魔者であるはずはない。それは分かっているのに、何も出来ないのか。


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