第47話
その少女の名はピア・ベレスフォードという。齢十歳。ベレスフォード侯爵の愛娘である。
波のある美しい金髪を肩まで伸ばし、これまた美しい青い目をした少女は人形のようだ。
今はまだ幼く見えるその姿も、もう少し成熟すればクライヴと並んで絵になること間違いなしだ。
「クライヴ殿下。お会いできて嬉しゅうございます」
応接間にはルシアーノとレイラ、勿論クライヴとエドゥアルド。そしてなぜかエドゥアルドに連れてこられたハノンとアナ、数人の従者と侍女がいた。
「こちらこそお会いできて光栄だ、ピア嬢」
クライヴの対応はスマートで、自分の婚約者にどんな印象を持っているのかそつのないその行動だけでは見て取れない。
クライヴもさることながら、ピア嬢の受け答えも完璧だ。幼い頃からそういった教育を受けてきたに違いない。
自分の礼儀のなさと一般常識のなさに軽く落ち込む。
「ピア嬢には数日城に滞在してもらうことになっている。クライヴ城内を案内してやってくれ」
ピア嬢が登城したのはこれが初めてのことらしい。なんでも城から大分離れたところに居を構えているのだそうで、王都にすら初めて訪れたという。
「はい」
「くれぐれも無理はするなよ。ハノン、君にはクライヴが案内を出来ないときには代わりにお願いしたいんだが……」
「えっ、私が? でも、私も仕事があるよ」
「分かっている。エドゥアルド、少し借りるくらいいいだろう?」
なぜハノンがこの場に居合わせなければならないのか、漸く気付いた。要はハノンをピア嬢の子守役にしたかったというわけだ。
「別に。昼間だけなら」
少々納得のいっていなさそうなエドゥアルドのあからさまな態度にハノンもルシアーノも苦笑する。
「それじゃ頼むぞ、クライヴ、ハノン。ピア嬢、こちらはハノンだ」
「よろしく、ピア嬢」
「宜しくお願い致します」
どことなくハノンに対する眼差しが鋭いような気がする。
これはハノンをよく思っていないな、と直感で分かる。控えめな敵意がピア嬢の瞳から隠し切れずに出てしまっている。それはやはりハノンの容姿のせいなんだろうか。
ハノンがピア嬢のお相手を任されたのは、それから二日後のことだった。
「こんにちは、ピア嬢。どこか行きたいところはありますか?」
「いいえ、特に。別にあなたの案内なんて必要ないわ」
ふいっと視線をはずしながら言い放つ姿は幼子というよりも高飛車な女性を感じた。この年でそんな表情が出来るなんてたいしたものだ。
「あっ、そうなんだ? じゃあアナ、せっかくだし二人で遊びに行こっか」
「まあ、いいですね。どちらに行きましょう?」
無関心を装っているピア嬢であるが、そわそわとこちらの様子を窺っている。大人っぽく振る舞ってみても結局まだまだ子供なのだ。
「町に行きたいっ。実は私じっくりと買い物とかしたことないし」
「ですが、エドゥアルド殿下はピア嬢と一緒なら町に出てもいいと言ったんですよ」
チラッとピア嬢を窺う。こちらの話が気になるようだ。
ピア嬢が町に出たがっているのは、あらかじめ調べがついているのだ。
それを知って昨夜からエドゥアルドを説得しにかかったのだから。
「まあ、大丈夫じゃない? バレなきゃ」
「まったく仕方がないですねぇ」
「そうこなくっちゃ。それじゃ、ピア嬢。お邪魔さま」
手を上げて部屋を辞そうとしたその瞬間がっしりと腕を掴まれた。
ハノンとアナが内心ほくそ笑んだことをお嬢様は知らない。
「ちょっとお待ちなさいよ。あなたたちが困っているようだから私も行ってあげるわ」
素直じゃないピア嬢に傍らで見守っていた侍女も笑いを堪えるのに必死だ。
「えっ、別に無理しなくてもいいよ。エド殿下に叱られんのは慣れてるしね」
「別に無理じゃ……」
「ん? 何? 聞こえないんだけど」
「いいのよ、放っておいて。それより早く行きましょう」
ハノンとアナを追い抜いてさっさと行こうとする。
アナと目を合わせて小さく笑った。
ピア嬢はポーカーフェイスを決めているんだろうが、ハノン達から見れば分かり易すぎるくらいなのだ。
「それじゃ行きますか」
ピア嬢が町に行くのが初めてなのと同様ハノンもそうであったため、ハノンは朝から興奮していた。
ハノンとピア嬢は世間知らず値で言えば同レベルだ。
案内役は勿論アナで、もう一人護衛としてカイルがついてくれている。
「カイル、今日はよろしくね」
カイルはハノンをじっと見下ろすと、こくりと頷いた。相変わらず無口だ。どんなに無口でも腕の方はかなりのものらしく、一目おかれているようだ。
「ピア嬢、何か欲しいものは?」
「別に特に……」
そう言いながら、視線は先程からある一ヶ所に止まっている。それに興味があるのは一目瞭然。
「アナ。あっちにあるお菓子見たいっ」
ちょっと意地悪してピア嬢が見ているのとは反対の店を指差してみた。
「あっ」
「んん? どうかした?」
何も気付かないフリで聞いてみれば、一瞬悲しそうに眉を下げたがついっと避けられた。
フンッと鼻息を勢いよく出すとハノンは言った。
「あのさ、自分が欲しいものややりたいことを口に出すことは決して悪いことじゃないよ?」
「だって……」
今まで懸命に隠そうとしていた子供っぽさが途端に露見した。
ピア嬢は恐らくそういう教育を受けてきたんだろう。最初は意地を張っているだけだと思っていた。勿論それもあるだろう。けれど、それよりも我が儘や自己主張はするべきじゃないと躾けられてきたのだ。
「我が儘や自己主張はダメだと言われた?」
こくりと素直に頷いた。
「あんたまだ子供なんだから、子供らしくしてりゃいいのよ。少なからず私の前では我が儘言ってもいいんだよ。ただ、あんまり聞き分けが悪ければ叱るけどね。さあ、あんたはどこに行きたいのさ」
「あそこの髪飾りが見たい」
まあ、知っていたけども。
「そっか、じゃあそこに行こう。そのあとお菓子屋さんに行くよ。いい?」
「見てもいいの?」
「もちろん」
初めてピア嬢がハノンに対して笑顔を向けた。恐らくおべんちゃらなんかじゃない純粋な笑顔だ。
アクセサリーの置いてあるお店の店頭でピア嬢が釘づけになっていた髪飾りがあった。
先端に蝶々のモチーフが揺れるそれを手に取りはにかむ姿にハノンだけじゃなくそれを見ていた人々皆の心がほころんだ。
ピア嬢は蝶々が好きなようで、色の違うそれらを代わる代わる眺めていた。
「それがいい?」
「はい。けれど、お金持ってなくて」
「うん、大丈夫。クライヴ殿下が何か買ってあげてって。だから、ピア嬢はお金の心配しなくていいから」
「クライヴ殿下が?」
ぽわんと頬を赤らめた。ピア嬢がクライヴに少なからず恋心を抱いているのを見て、ハノンはホッとした。
「そう、クライヴ殿下が。ふふっ、クライヴ殿下が好き? そんで私のことはあんまり好きじゃないでしょ?」
びくりと肩を強ばらせたまま固まってしまった。
図星だったようだ。
「くっ、クライヴ殿下はお優しい方ですし……、素敵な方ですから……。あなたのことは、別に嫌っているわけではありません。ただ、少しびっくりしてしまって。あなたのような人を見るのは初めてで……。それに、クライヴ殿下はことあるごとにあなたのことを口になさるので」
たどたどしく語るピア嬢。要するに初めはハノンの外見に驚愕し、その後ハノンに嫉妬していたということだ。
焦ってわたわたしているピア嬢を優しい眼差しで見つめた。
「クライヴ殿下は私の友達だよ。私はピア嬢とも友達になりたいんだけどな」