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第43話

 いつものように暗闇を予期していたであろうオルグレン大公は、明るい光の中で横たわるハノンと、ハノンに付き添うエドゥアルドを見て可愛そうなほどに狼狽していた。普段の穏やかな身のこなしはどこかへ飛んで行ってしまっているようだ。

「オルグレン卿。ハノンは返して貰った」

 ハノンの手を握り締めたまま、その寝顔を見据えてそう言った。

「わたっ、わたっ、私はっ」

「ハノンの実の父親だ。だが、父親だからといって子供を暗闇に閉じ込めていいわけではない」

 オルグレン大公は、ドアの前に立ったまま茫然と口を動かすエドゥアルドを見ていた。

「私はっ、ハノンを愛しているのだっ」

 弾かれたように叫ぶオルグレン大公をエドゥアルドは冷たく見据えた。

「オルグレン卿は、愛というものを間違えているんじゃないのか? 本当にハノンを愛しているのなら、ハノンの幸せを願えるはずだ。あなたからはハノンを思いやる気持ちが少しも感じられない。全てが自分本位。もう、ハノンを誰かの代わりにするのは止めたらどうか?」

 何も言えず、歯を食い縛るオルグレン大公。自分の行いが正しいものではないと、認識してくれていればいいのにと、願うばかりだ。


「エド殿下……」

 眠りの浅いまどろみのなかで、エドゥアルドの誰かを責める声が聞こえてくる。エドゥアルドの感情をなんとか押し殺した低い声が、どれだけ怒りを隠しているかを感じさせる。

 夢うつつの中で呟いた名に、エドゥアルドがすぐさま気付いた。

「ハノン。気が付いたか?」

「う……ん。うん。頭もすっきりしてきたかも。……来たのね?」

 エドゥアルドの声を耳元で聞くと一気に目が覚めていく。

「ああ」

 勢いをつけて起き上がると、頭の痛みに顔をしかめた。

「大丈夫か、ハノン。絶対に無理はするな」

「エド殿下、心配しすぎ。全然大丈夫なんだから」

 今回の誘拐騒ぎでエドゥアルドが過保護になったのは火を見るよりも明らかだ。

「あの、オルグレン卿。はじめまして。私はハノン・チチェスターです」

「何を言う。私は実の父親なのだぞ」

「私のお父様はチチェスター侯爵だけ。そもそも私は、私をきちんと見てくれない人を父親だとは認めませんよ?」

 落ち着いて話がしたかった。少なからずハノンの心はとても落ち着いていた。

「父親が娘を思ってしたことだっ」

「幼い頃、私は父親というものがどんなものなのか、母親というものがどんなものなのか全く知りませんでした。当たり前です。私は部屋から出ることを許されず、暗闇の中で一人きりでした。言葉を教えてくれる人もおらず、父だと思っていた人の言葉を少しでも真似をすれば怒られた。チチェスター家で暮らして初めて言葉を知りました。話す喜びを知りました。家族の団欒を知りました。愛されることを知りました。王城に来てからいろんな人に聞きました。家族のことを。誰に聞いても暗闇に閉じ込められ、一人で過ごした経験がある者なんていませんでした。今なら分かります。あの日々がどれだけ非常識であったのか」

 エドゥアルドが強く手を握ってくれていた。だから、何も怖くなかった。

「もう、あなたは私から卒業するべきだわ。一体いつまで私の面影を追うつもりなの?」

 いつの間にかオルグレン大公の後ろに立っていたのか、魔女がそこにいた。

「魔女サンっ」

「ハノン。良かったわ、無事で」

 オルグレン大公の横を通り過ぎ、ハノンの横までくるとフッと微笑んだ。

「うん」

 魔女が今しがた言った発言の内容が理解できずに、ハノンがポカンとしている中、オルグレン大公は複雑な表情をし、エドゥアルドは全て心得ているという表情を浮かべていた。

「ハノン。少し昔話をしてもいいかしら?」

 ハノンが頷くとにっこりと微笑んで、ここにはハノンと魔女しかいないかのように話し始めた。

「私は昔恋に落ちたの。身分の高い貴族の男だった。私はその時にはもう国王に仕えていて、その男はまだまだ駆け出しだったけれど、とても有能だった。彼も私を見初めてくれて、二人は幸せだった……」

 悲しそうに微笑む魔女を見れば、そのあとが悲しい結末へと進んでいくことは容易に想像できた。

「けれど、彼は身分の高い貴族だったから結婚相手も身分の高い女性が求められた。私など彼の両親ははなから相手にしなかった。会うことを禁じられ、彼には身分相応の結婚相手があてがわれた。彼が必死に両親を説得したけれど、それも虚しく結婚話は着々と進んでいった。私はそれを見ていることしか出来なかった。結局彼はその方と結婚した。私はなるたけ彼と会わないように、森のなかに身をひそめて、どうしてもというときだけ登城した。私のお腹の中に新たな生命がいることに気付いたのは、そんな時だった。お腹の中の存在に気付かれたらまた、面倒な事態になると思ったの。下手をすれば彼の父親にお腹の子を殺されかねないと。彼の父親はとても世間体を大事にする人だったから。家柄に泥を塗るようなことは全て消してしまおうとする人だった。だから私は一つの決断をした。お腹の子を彼の奥方のお腹の中に移そうと。それだけの力が私にはあったから。それからいくら待っても彼の子供が産まれたという話は耳に入らなかった。もしかしたら、お腹にいる間に不幸にも命を失ってしまったのかもしれない。ずっとその子のことが気掛かりだった。けれど、それと同時に怖くもあった。彼が幸せそうにしていることを知ることも、自分の子供が私ではない女性を母と認識していることを知ることも私にとっては脅威だった」

 子供を授かったことのないハノンにとって、母親の気持ちは本当のところ分からないが、それでも魔女の表情は悲痛に満ちていた。

「長いこと悩んで、漸く決意した。自分の子供がどうなっているのか調べることにした。私と彼のことは案外知られていたから、彼に直接聞くことは出来なかった。だから私は魂だけを彼の家に送った。私が見た事実はあまりに悲しいものだった。確かに私の子はいた。娘だった。彼は娘を真っ暗な部屋に閉じ込めていた。言葉も喋れない娘は酷く痩せていた。私が部屋の中に入ると、実態のない私に娘は気付いたようだった。私がこの部屋から出たいかと頭の中に呼び掛けると、娘は頷いた。実態のない私ではその場で連れ出すことは出来なかったから出直すことにした。娘を連れ出した私は、辛い記憶を隠した。きっかけがあれば記憶が解放されるようにしたの。父親を本心から助けたいと願えたら、記憶が戻るように。私は娘をチチェスター侯爵に預けた。ここまで話せばもう、娘が誰か分かるわね、ハノン?」

 ハノンを見るときの魔女の優しい瞳のわけが分かった。どうしていつもハノンを助けてくれるのかも。

 魔女がハノンの母親だったからなのだ。

「魔女サンが私のお母様……なの?」

「ええ、そうよ。お母様なんて呼ばれる資格は私にはないわね。あなたを思ってしたことだったのに、あなたを深く傷つけることになってしまった。あなただけじゃない。彼にも彼の奥方にも酷い仕打ちをしてしまった。ごめんなさい」

 魔女はずっと苦しんでいたんだろうか。長い間、自分の行いを悔いて。

「私は平気だよ。今、エド殿下に会えたわけだし、魔女サンにはいっぱい助けて貰ったもん。私なんかよりオルグレン卿を助けてあげて」

 魔女を憎む気持ちは微塵もない。ずっと苦しんで来た分、これからはもっと幸せになって欲しい。

 そう、心から思った。


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