第4話
「クライヴ殿下は本当に体が弱いのかな?」
クライヴの去りゆく背中を見つめながら、エドゥアルドに問い掛けた。
「なんだ突然。そうだが、それがどうした?」
「前に知り合いに聞いたことがあるんだけど、王族は幼い頃からある程度毒に慣らされるんだよね?」
王族は、毒殺の危険がある為、幼いころより服毒を重ねながら毒に慣らされると聞いたことがある。
エドゥアルドが頷いたのを見て、再び口を開く。
「だから、毒物にはそれなりの免疫がある。だから、なかなか死なない。毎日、少しずつ毒物を食事に混ぜられたとしても。具合は悪くなるけど、決定的な死因にはなりえない。もしかすると、死が目的じゃないのかもしんないな……」
「お前は、兄上が何者かに毒物を盛られているというのかっ?」
あるいは……。
言い掛けて、口をつぐむ。これはあまりにイヤな考えだから、口に出したくない。
フンッと鼻息を漏らし、口を開いた。
「分っかんないけどさ。でも、気を付けた方がいいのかもしんないね」
直感でしかない。人間の部分での直感か、魔獣サイドでの直感かは判断できないが、イヤな胸騒ぎがする。
クライヴには、元気になって欲しい。身内以外で初めてハノンを美しいと褒めてくれた人だから。それがなくても、クライヴの魂が美しいとハノンは思った。それを傷付けるよりも、磨いて欲しい。
「信じたくはないが、周辺を探ってみることにする」
エドゥアルドの横顔はとても厳しいものだった。
ハノンはエドゥアルドを疑うことはなかった。エドゥアルドの置かれている状況を考えれば、毒を盛るに当たる理由は十分にあるように思える。王族間の足の取り合い、いがみ合い、殺し合いはあって当たり前のこと。ない方が珍しいと言われるほど、周知の事実なのだ。
それをふまえてもなお、ハノンはエドゥアルドを疑うことはない。
エド王子は、ナルシストでスケベで優しさに欠けるけれど、人を簡単にあやめるタイプの人間ではない。兄を心配するエドゥアルドに、たてまえなど微塵も感じなかった。
不思議なことに、散々ボロクソになじっているのに、エドゥアルドを全面的に信頼していた。
それもまた直感。
「来い、ハノン。私たちも部屋に戻るぞ」
ハノンはもう逃げ出そうとは、思えなかった。関わろうとしたわけではないが、関わってしまった限りは、中途半端は気持ちが悪い。
エドゥアルドの斜め後ろをキープしながら、ついていく。
背後に二つの気配が動いた。
エドゥアルドがそれを当たり前のように動じていないところを見ると、彼らは彼の側近なのだろう。
やがてハノンが踏み入れたことのない領域に入っていた。そこは王族の私室が並ぶエリアで、侍女になりたてだったハノンには未知の領域だ。
「ここだ。入れ」
エドゥアルドに促されて、部屋の中に足を踏み入れた。そこは、ハノンが昨日まであてがわれていた部屋の10倍はあろうかと思うほどの広さだった。しかもベッドが見られないところを見ると、ベッドルームがまた別にあるのだろう。
「スッゴい。無駄に贅沢」
広さは申し分なく素晴らしいのだが、煌びやかさはあまり感じなかった。
「あまり派手じゃないだろう? 私はキラキラとしたものは好きじゃない」
「ふうん。私もキラキラしてるのよりシンプルな方が好きだけど、あんたが派手なのが嫌いなんて意外。ナルシストって部屋も無駄に煌びやかだと思ってたよ」
エドゥアルドに対して嫌味の一つも言ってみたが、あんまりに豪華絢爛に施された部屋では、到底眠れない。この部屋はまだましなのかもしれない。
「お前はいちいち一言多いな……。まあ、いい。ハノン。イヤでもこれから顔を合わせることになるだろうから紹介しておく。ビバルとアナだ。それから外に立っているのがカイルだ」
「殿下。あまりに我々の紹介がおざなりではないですか? ハノン。お初にお目にかかります。ビバル・エイヴォリーと申します。殿下の側近として殿下が幼い頃より仕えて参りました。殿下のことなら何でもお聞き下さい」
長身で金髪、青い目をした青年がズイッとハノンの前に出ると、丁寧に頭を下げて挨拶をした。
「私はアナ・ベイカーです。殿下の身をお守りするのが私の使命です」
ビバルの隣に立ったのは、女性剣士だった。女性でありながら男をも怯ませるような強い瞳の持ち主だ。
「二人ともご丁寧にありがとう。でも、普通魔獣にそんなに丁寧に接しないんじゃないのかな?」
魔獣に対して馬鹿に丁寧に接する二人の行動は、ちょっと奇妙にすら映る。
「ええ。そうかもしれませんが、私もアナも昔魔獣に助けられたことがあるので。魔獣は恐ろしい生き物だと考えられておりますが、彼らはとても人情味のある生き物だと思っているんです。まあ、中には感情を持ち合わせないような殺人鬼のようなものもいますが」
魔獣が人を助ける。
ハノンは、それはあると思う。昔――昔といってもハノンの場合一、二年前の話である(それより以前の記憶はないのだから)――、恐らくまだ子供であろう魔獣を助けたことがある。足を怪我していたので、薬を塗って包帯を巻き、栄養のある食べ物を与えて保護した。傷が癒え、歩けるようになってから森に帰したのだが、数日後野ウサギを銜えて現れた。ハノンの前に野うさぎを置くその魔獣は小さな傷があちこちについていた。恐らくハノンの為にまだ上手く出来ない狩りを必死で頑張ってとってきてくれたのだろう。
魔獣は決して恐ろしい生き物じゃない。魔の力は大きいけれど、きちんと心を持っている。
「嬉しいです。ありがとう」
エドゥアルドの周りが優しい人たちで安心した。魔獣というだけで、恐れて近付こうとしない人もいるのだ。二人はハノンを見ても恐れていなかった。
「ビバル、アナ。さっきの私たちの話を聞いていただろう? 少し兄上の周りを調べてくれないか」
「はっ。では、我々はこれにて」
エドゥアルドに頭を下げ、踵を返し、ドアの方へ歩いていく。
ハノンは、ビバルの後を追い、彼の服を噛んでツイツイと引っ張った。ビバルが足を止めたのをみて、彼を見上げた。ビバルはしゃがみ込んで首をかしげた。
エドゥアルドには聞こえないように細心の注意を払って耳打ちする。
ビバルは一瞬目を見開いたが、一つ小さく頷いて、ハノンの頭を撫でた。
二人が部屋から出ると、エドゥアルドが不振げにハノンを見ているのに全力で気付かないフリをした。
「お前、ビバルになんて言ったんだ?」
「別に何も……」
エドゥアルドには、ハノンがビバルになんと耳打ちしたのかは、話すつもりはなかった。
「クライヴ王子本人のことも調べてくれないかなぁ」
そうハノンは言ったのだ。一つの可能性として、ハノンはこう考えていた。
クライヴ本人が自分の食事に毒物を混入しているのではないか。
普通なら有り得ないことではある。けれど、クライヴには、隠された闇があるような気がする。あの優しげな笑顔の裏に。
考えすぎであるのなら、ハノンの思い過ごしであるのなら、その方がいい。そうであって欲しい。
「本当に何でもないんだ」
ハノンの真意を探るように、疑るように覗き込む瞳に笑いかけた。
エドゥアルドに笑いかけたのが伝わっているのかは定かではないが。人間でいた時のように、ハノンは表情を作っているのだが、魔獣になった今、どんな風に顔の筋肉が動いているのか不明だ。
「何でもないならいいが」
ついと視線を逸らして、ぶっきらぼうに言った。
もしや笑顔のつもりがあまりに恐ろしい表情になっていたんじゃ……。
今度、こっそりと鏡の前で笑顔の練習をしようと心に誓うハノンだった。