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第36話

「申し訳ありませんっ。すぐにっ、すぐに全力で捜し出します」

 深々と頭を下げたアナの顔色は真っ青だった。鏡を見たわけではないが、恐らくエドゥアルドも負けず劣らずな顔色をしているのに違いない。

 もっと警戒しておくべきだった。などと今更言ったところでもう遅い。

 ハノンは連れ去られたのだ。何者かに。

「その女は口を割ったのか?」

「いえっ、まだです」

「やみくもに探すよりも、その女を吐かせるほうが得策だろう」

 落ち着いて対応しているように見えるだろうが、エドゥアルドの心情は誰よりも乱れていた。その心の乱れに気がついているのは、ビバルくらいなものだ。

 走りだしたいと疼く足を、犯人を殴りたいと疼く拳を、ハノンを自分の腕に抱き留めたいと疼く心を止めるので精一杯だった。

「私も女のところへ行こう」

 女を見た途端に胸ぐらを掴んでしまいそうだが、もうこれ以上の抑制は無理そうだ。

 それでも、大人しく座っていることなど出来そうになかった。

 ハノンが連れ去られた時分、エドゥアルドは執務室で書類をさばいている最中だった。

 ハノンの身に一体何が起こったのか、実際目にしたものは、王城の中にはいない。


 ハノンが連れ去られた数分前、女性の叫び声を聞いたアナは、ハノンをその場に残し、その声のする方へと走った。蹲る女性を見付けたが、彼女に外傷などはなく、襲われた形跡もなかった。ただ、震えているだけでとても喋れるような状態になかった。その場に駆け付けた同僚の近衛兵に彼女を任せてハノンの安全を確認したかったが、男を前に怯える彼女を同僚に任せるわけにもいかず、自ら医務室に連れていかねばならなかった。不本意ではあるが同僚にハノンを任せることとした。

 同僚はすぐに医務室に飛び込んできたが、傍らにハノンの姿はなかった。どこにも見当たらないと報告する同僚に詰め寄り、問い質したところで答えは返ってこない。

 そんなアナと同僚の言い争いを見ていた女性が突然泣きだした。

「どうしたんだ?」

「わっ、私はっ、脅されただけなんです。悲鳴を上げろと。そんな大袈裟なことだと思ってなくって。ただ怖くて逃げられなくて。……申し訳ありません」

 両手で顔を覆って泣き崩れる彼女を前にアナも同僚も声がかけられなかった。

 彼女が落ち着いて話せるようになったことを確認して、脅した人物を問い質すが彼女は怯えたように頭を横に振るばかりだった。

 これが、アナがエドゥアルドに話したこの事件の一連の内容だ。


 悲鳴を上げた女は、クライヴ付きの侍女だった。

 エドゥアルドの姿を確認すると、怯えたように肩を震わせ、身を縮めた。

「お前を脅した人物とは誰だ?」

 土気色の顔を左右に振ったが、エドゥアルドに対してこの態度は無礼だと思ったのか、恐る恐るといった感じで口を開いた。

「申し上げられません。そ、そんなことをしたら、あ、あの方に何をされるか……」

「お前がその人物の名を語るなら、我々はお前を保護しよう。それを拒否するならば、お前も誘拐犯の共犯として拘束する」

 女は黙ってエドゥアルドを見上げた。どうすることが得策であるのか、模索しているのだと思われる。

 暫くして、決心したように大きく息を吐くと、口を開いた。

「オルグレン様でございます」

 オルグレン大公。貴族の中でも一番に力のある男だ。この国では王族が王位を継ぐが、実力主義であったならば間違いなくこの男が王位を継ぐだろうと言われるほどの男だ。

 この名前が出てくることに多少なりとも予測していた部分がある。

 ハノンが魔女のところへ行ってしまった日の前日、彼女はオルグレン大公の前で倒れているのだ。今、この名前が出たことにハノンとオルグレン大公の繋がりを感じないわけにはいかなかった。当時はただハノンが具合が悪くなって倒れただけだと思っていたが、それも違ったと考えていいように思える。

 過去のどこかでハノンとオルグレン大公とは繋がりがあるということ。オルグレン大公は、ハノンの過去を知っている可能性がある。

「オルグレン卿は城にいるのか?」

「いいえ、本日はいらしておりません」

「今すぐオルグレン邸へ向かう」

 慌ただしく動き出したその時、ここにいる筈のない声が皆を止めた。

「ちょっとお待ちなさいよ、エドゥアルド殿下」

 振り向けば、医務室の窓際に魔女が立っていた。

「いつの間にこの部屋へ」

「だって私は魔女ですもの……。ふふっ、話は聞かせて貰ったわ」

 にこりと微笑む魔女は、あんなにハノンを可愛がっていたのに恐ろしく冷静だった。その冷静沈着ぶりに少なからず怒りを覚えた。

「私が冷静だと思って? 可愛いハノンを奪ったあの男を私は殺したいくらいに憎んでいるのよ。必ずこんな日が来るとは思っていたけれど、こんなにも早いとは思わなかった」

 小さな溜め息を零す魔女は、どこかはかなげに見えた。

「オルグレン卿を知っているのか?」

「あの男を知らない人なんていないと思うけど」

「そういう意味じゃない。オルグレン卿と面識があるのかと聞いている。今回の件、少なからずこんなことになると分かっていたんだろう?」

 魔女に対して怒りを感じていた。

 相手が誰だか分かっていたなら、何故あの時その名を教えてくれなかったのか。何故もったい付けなければならなかったのか。あの時分かっていたのなら、ハノンをオルグレン大公に攫われることはなかっただろうに。

「ええ、知ってるわ。よくね。遅かれ早かれこんな事態が起きることも分かっていた。でも、これはねあなたがハノンといる為に乗り越えなければならない一つの試練なのよ」

「オルグレン卿はハノンの何なんだ?」

「それは、直接あの男に聞いたらいいわ。私はこれで帰るわね」

 魔女はそういうと姿を消した。

 結局、一体何の為にここに来たのか分からない。ただ面白がりに来ただけのように思える。

「とにかくハノンを救出しに行く」

 

 オルグレン邸は王城からさほど離れていない所に位置する大豪邸である。

 いくつも部屋があるであろうこの屋敷には、ハノン一人を拘束するのはたやすいことだ。

 扉を叩くと間もなくして使用人が扉を開いた。扉の前にいたのがエドゥアルドだったことに驚いた使用人は目に見えて慌てている様子だった。

「オルグレン卿はいるだろうか? どうしても会って話したいことがあるのだが」

「少々お待ち下さい。ここではなんですので、客間にお通しいたします」

 ベテランの使用人なのだろう、最初の驚きをすぐさま隠し、そつなく対応する。ベテラン使用人の後に従い客間に通され、ソファに腰を下してさほど経たずしてオルグレン大公は姿を現した。

「これは驚いた。突然の訪問ですな、エドゥアルド殿下。今日はどういったご用件で?」

 颯爽と現れ、滑らかな身のこなしでソファに腰を下ろすとそう言った。

 その表情に後ろめたさなど何もなく、いたっていつもの通りな所が癪に障る。

「用件など、言わずとも分かっておられると思うが?」

「言っておられることがさっぱり私には分からないのですが」

 笑顔を絶やさないオルグレン大公は、こんな若造屁でもない、とでも思っていそうだ。

「ハノンを。私の婚約者であるハノンを、返して貰いたい。あなたが彼女を攫ったのは分かっているんだ」






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