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第26話

 気付けば王城の池水面に魔女と並んで立っていた。というよりも、ハノンと魔女の体は池の水で形作られていた。

 透明な体は、神秘的な感じがした。自分が池の女神にでもなったような――図々しいが――気がした。

「なんか変な感じ」

「面白いでしょう?」

「うん」

 自慢気な魔女のその姿や口振りが何だか子供みたいで笑ってしまった。

 いつの間にか、あんなに憎たらしいと思っていた魔女への警戒心を解いてしまっていた。

 魔女の笑顔を見ると、憎めなくなる。怒っていることが馬鹿らしくなる。悩んでいることが、泣いていることが無意味に思えてくる。

 魔女の笑顔には懐かしい温かみがあった。

 チチェスター家の長男で、ハノンの教育係兼親代わりだったジェロームの笑顔と通じるものがある。

 ハノンが池に姿を現してからまもなく、エドゥアルドが走って来る姿を目にした。

「ハノンッ」

「エド殿下っ」

 ほんの半日くらいしか離れていないのに、随分離れていたような気がして、涙腺が緩みそうになった。

「お前なんで魔女と一緒にいるんだっ?」

「ごめんっ。どうしても魔女サンに会って話がしたくて、城を抜け出した」

 エドゥアルドの表情が険しい。ハノンが無断で城を抜け出したことに相当腹を立てているようだ。

「一人でか?」

「アナと。アナは、私が無理矢理巻き込んだんだ。怒らないであげてよ」

「怒らないよ。お前を守るために同行したんだろ? アナは優秀だから機転をきかしたんだろう」

 溜め息を付きながら、そう言った。

 ハノンは、少なからずアナが怒られないで済むと分かるとホッとした。

「早く帰って来い、ハノン」

 険しい表情を崩したエドゥアルドの優しい声と優しい笑顔に、頷きそうになった。でも、それじゃ意味がないんだ。何のためにエドゥアルドと離れるのか、分からないじゃないか。

「そのことなんだけど、二、三日魔女サンのところに泊まることにした。あの、ほら、魔力のこととか教えて貰いたいしっ」

 エドゥアルドの真っ直ぐな眼差しが、ハノンの目を鋭くいぬく。

 後ろめたさが表に出てきそうで、隠すのに必死だった。

 自分が何を考えていて、何のためにエドゥアルドから離れようと考えているのかを正直に話すわけにはいかない。言えないのだ。

 だから、目と目で行われている探り合いに負けるわけにはいかない。

「……分かった。必ず帰ってくるんだな?」

「うん」

 しっかりと返事したものの、必ず帰るかは現段階では判断出来ない。

 このまま魔女の家にいることだって有り得るのだ。このままどこかに旅に出ることだってあり得るのだ。

「アナはお前の護衛として、一緒に泊まらせて欲しいんだが。大丈夫だろうか、魔女殿」

「あいにく私の家はこじんまりしているもので、人一人が精一杯ですわ。私がハノンに何かするんじゃないかと、心配なんですね? その心配は無用。私がハノンを傷付けることはありません」

 厳密に言えば、それは嘘だ。

 魔女は、その魔法で家の中の大きさを自在に操ることが出来る。アナが泊まるくらい魔女にとっては、なんの問題にはならないのだ。

「アナが泊まれないなら、ハノンがそちらに泊まることは許せない」

 エドゥアルドはその条件は、どうしても引けないというように魔女を睨み付けた。

 魔女は睨み付けるわけじゃなく、そんなエドゥアルドの様子を口元に笑みを浮かべて見ている。

 しばしのにらめっこのあと、口を開いたのは魔女だった。

「エドゥアルド殿下の条件を呑みましょう。ハノンもアナも家に泊めます。それでいいのでしょう? ハノンもそれでいいのね?」

「私はいいけど……。エド殿下。アナを私に付けてしまったら、こっちの仕事が大変になんない?」

 エドゥアルドに視線を送る。本当は、エドゥアルドの目を見るのも怖かった。自分の考えていることが見透かされてしまうんじゃないかと。だが、それは杞憂にすぎない。なぜなら、今のハノンは透明な水の姿であり、その瞳を読み取ることはまず出来ないのだから。それに気付いたのは、たった今なのだが。

「大丈夫だ。こっちはなんとかなる」

「エド王子。ありがとう」

 エドゥアルドは誰にも気付かれないように溜め息を吐いたが、ハノンはそれをばっちりと目撃した。

 それを見てハノンは、エドゥアルドに呆れられたのかと悲しくなった。

「お前の帰りを待っているぞ、ハノン」

 それが本心だろうとなかろうと、ハノンは単純に嬉しかった。誰かが自分の帰りを待ってくれていると思うと、胸の辺りがポカポカと温かくなる。

「うん」

 頷いた途端、自分の魂が何かに吸い込まれるように感じ、その苦しさに目を閉じた次の瞬間には、魔女の家の実体に戻って来ていた。

 頭を少し動かせば、心配そうに胸の前で手を合わせているアナの姿があった。

「ハノンっ。良かった無事で。私は生きた心地がしませんでした」

 魂だけ王城へと行ったハノンと魔女の体は、死んだようにその場に倒れこみ、いくら呼び掛けても目を覚まさなかったので、アナは一人、肝を冷やしていたそうだ。

 目尻に涙をためて、ハノンに抱き付いたアナは暫く解放してくれなかった。

「あのね。私はここで二、三日泊まることになった。でもその条件としてアナもここに一緒に泊まるように言われたんだけど……」

「当たり前です。ハノンがここに泊まるなら、私もお供します。最初からそのつもりですよ」

 少し怒ったようなアナの口調に不謹慎ながら、安らぎを感じた。

「ありがとう、アナ」

 ハノンの言葉にアナの頬がほころんだ。


 魔女の家では自給自足だ。

 家の裏手には魔女自らが育てている野菜が植えてある。魔女は、狩りだって料理だってなんだってする。

 日常生活で魔女が魔力を使うことはまずない。

 人の手で出来ることを魔法でやるなんて勿体ない。色んな経験を無駄にするようなものだ。とは、魔女の言い分だった。

「ハノン。裏の畑でジャガイモとトマトとホウレン草を取ってきて」

 魔女がそう言ったのは、そろそろ日が暮れようとする夕方のことだった。

「なにそれ? どんな形してるもの?」

 ハノンに野菜の知識はてんでなかった。

 ジェロームは野菜の種類を教えてはくれなかったし、王城に来てからも出される料理を何も考えずに食べていたので、一つとして野菜の名前を知らなかった。

「まあ、あなた野菜の名前も知らないの? アナは分かるでしょう?」

「料理で出てくる既に手の加えられたものなら分かりますが、何がどんな葉や花を咲かすのかは分かりません」

「まったく、あなたたちは仕方ないわね。ついていらっしゃい」

 大きな溜め息を吐きつつ、吐き捨てるように言ったが、その表情は面白がっているように見えた。

 魔女とこうして会って話して分かったことは、彼女はとても面倒見がよく、魔女という肩書きを持っているが、普通の人よりも普通だった。

 だからこそ、なぜハノンを魔獣に変えたのかが分からない。

 前を歩く魔女の背中を見ながら、首をかしげた。

「ハノン。あなたは記憶がなくて知らないことが多いのだから、色んな経験をするといいわ」

 急に振り返った魔女が言う。

「どうして知ってんの? 私のこと」

「ふふっ。私はあなたのことを、きっとあなたよりも知っているわ」

 魔女がなぜか痛みを我慢するような表情をするので、聞くことは出来なかった。

 私はいったい何者なの?

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