第21話
エドゥアルドがルシアーノと仲直りをしてから、ルシアーノとレイラが遊びに来ることが多くなった。といってもルシアーノには公務というものが存在するので、実質上ハノンとレイラが遊ぶ機会が多くなったといえる。
その日もハノンは、レイラと庭を散歩していた。
「最近、クライヴとは会っているの?」
「……行ってない」
「そう」
クライヴのところには、久しく行っていない。ハノンからという名目で、お花を届けてもらったり、差し入れを届けてもらったりはしているが、顔を合わせづらく、避けているような状態になってしまっている。
クライヴは嫌いじゃないし、沢山優しくしてくれて、ハノンの容姿を誉めてくれた人だ。 だが、怖いのだ。寄せてくれる好意には、恐らく応えることは出来ないから。
「ハノン。エドゥアルドは私の大切な幼なじみであり、家族なの。それと同じようにクライヴも私にとって大切な存在なのよ。だから、もしクライヴの想いに応えられないなら、きっぱりとフッてあげて貰いたいの」
普段は明るくやいやいしているレイラが、この時ばかりは真剣な表情だった。それだけ、あの二人のことを大切に思っていることが窺える。
その真剣な表情を見れば見るほど、申し訳なくなってくる。
「うん。ごめんなさい」
「私に謝らなくていいのよ。ハノンちゃんはエドゥアルドが好きなんだものね」
「いえっ。違うよっ」
慌てて否定したが、レイラににっこりと微笑まれると、どうしても嘘が吐けなくなった。
「好きなのかもしれない。だけど、自分でもよく分からない。好きになっちゃいけないことは分かるんだけど……」
それが今のハノンの正直な気持ちだった。
「そう。きっと自分で自覚しない限り分からないでしょうね」
レイラの意味ありげな笑顔に、ハノンは頬を膨らませた。自分の未だに判然としない気持ちに、レイラがいち早く気付いていることに悔しさがにじむ。
「とにかく、クライヴ殿下のところに行ってみるよ。逃げてるのは良くないものね」
昼食をエドゥアルドと食べたあと、ハノンはクライヴのもとへ向かった。
クライヴの部屋にいた兵(初めて顔を合わせた)に名前とクライヴと面会したい旨を告げると、兵はハノンに驚いた顔をしたが、すぐに部屋に通された。
「クライヴ殿下?」
クライヴはもうベッドで寝てはいなかった。ソファに腰をかけ、本を読んでいた。
ハノンが呼び掛けても顔を上げてくれない。怒っているのだろう。
ゆっくりとクライヴ王子に一歩一歩近付きながら、声をかけた。
「ごめんなさい。ずっと来れなくて」
「ハノンは私が嫌い?」
本に向けていた目がついと上がって、ハノンを捉えた。
寂しそうなその瞳に、ハノンも泣きたくなってくる。
「嫌いなわけない」
「でも、好きじゃない」
どう答えていいのか分からず、黙ってしまう。黙るのは卑怯だと思う。でも、なんて言えばいいだろう。
「そんなこと、最初から知ってるよ。嫌いではないだろうけど、男としては見てもらえてない。今さらそんなことで逃げないで。私はハノンを怖がらせたいわけじゃないんだから。ゆっくり知り合って、もし……もし良かったら私を好きになってほしい」
控えめな主張であったが、ハノンは答えに窮していた。
レイラはハノンにクライヴをフッてくれ、と言ったのだ。
「誰かになにか言われた? 最近、ルシアーノ兄上やレイラと仲がいいみたいだね。私だけ仲間外れにするの? ハノンに気持ちを押し付けたりなんかしないよ。だから、私とも友達になってくれないかな?」
「もう、クライヴ殿下は友達でしょ?」
クライヴに上手いこと避けられたように感じる。でも、ハノンはそれに便乗した。
「そうか。なら良かった」
クライヴのいつもの笑顔にハノンもやっとホッと一息ついた。
「クライヴ殿下。起き上がってもう大丈夫なの?」
「ああ。もう大丈夫。体調も大分良くて、毒を服用しなくなってから体力もついてきたみたいだ。まだ医師から禁じられているけど、もう少ししたら散歩にも出られる。そうしたらハノン、一緒に散歩してくれるかな?」
「いいよ、もちろん。じゃあ、早く体力付けなきゃね」
ハノンが部屋に入って来たときよりも、クライヴの顔色は良くなっていた。
「クライヴ殿下は本を読んでたの?」
ハノンは、文字の読み書きが不得意だ。全く読めないわけでも、全く書けないわけでもない。ただ、時間が掛かる。以前、ハノンが女官長に手紙を書くことになったとき、魔獣の姿では文字は書けないので森の小屋に行って書いたのだが、あまりの遅さに同行していたエドゥアルドが怒りだしてしまったことがある。苦い思い出としてハノンの胸に刻まれたわけだが。
ハノンが羨望の目を向けていたのが分かったのだろう、クライヴはこう切り出した。
「私が読み書きを教えてあげようか? ああ、でもハノンのその手では文字は書けないね。読みだけでも教えようか?」
「いいの?」
「いいよ」
「ありがとう、クライヴ殿下」
ジェロームに言葉を教わったわけだが、決して読み書きを教わらなかったわけじゃない。あまりの覚えの悪さにジェロームが白旗を上げたからだ。それはふせておこうと思う。クライヴが教える気を無くしてしまっては困るからだ。
その日の夜、ハノンはベッドの上でエドゥアルドの隣に横たわりながら、クライヴが先生になってくれたことを嬉々として語った。
「だからね、私、ちゃんと勉強して本くらい読めるようになりたいんだ」
ハノンは夢中で話していたので、エドゥアルドが黙り込んでいることに気付いていなかった。それに気付いたのは、全てを喋り終わったあとだった。
「エド殿下? あれ、もう寝ちゃったの?」
エドゥアルドの顔を覗き込むと、寝てなどいなかった。
「なんだ寝てないじゃん。どうかした? 今日はだんまりだね」
エドゥアルドが口を開いたが、何を言ったのか聞き取れなかった。あまりに小さ過ぎたからだ。もしかしたら、口を動かしただけで声は出ていなかったのかもしれない。
「え、なに?」
そう問えば不快そうに仏頂面を作った。
「……お前は兄上が好きなのか?」
「うん、もちろん好きだよ。優しいお兄さんって感じで」
「違うっ。私が言いたいのは、そんなことじゃない。兄上はお前のことが好きなのだろう? お前はどうなんだと聞いている。待て、そもそも兄上はお前のその姿に惚れたのか?」
なぜか軽くキレられて、今度はハノンが不快になる番だった。
「私は、別にそういう感情は持ってないよ、クライヴ殿下に。それをクライヴ殿下も分かったうえで友達になろうって言ってくれたの。それからクライヴ殿下はね、魔獣になる前の私を見て好きになってくれたの。どうせ、誰も魔獣の私を好きになんてなってくんないよっ。エド殿下のバカっ」
何が悲しかったって、クライヴはハノンの魔獣の姿を好きになったのかと言われたこと。ハノンはそれを、魔獣の姿でよく好きになれたな、と受け取ったのだ。
「何を怒ってるんだ? 少なからず私は、人間のお前も魔獣のお前も好きだぞ」
人の姿だったら真っ赤になっていたに違いない。今だって真っ赤になっているだろうが毛がそれをすっぽりと隠してくれている。
「怒ってない。キモいからそういうこと言うなっ」
一杯一杯で気付いていなかった。
ハノンのその反応に笑みをこぼすエドゥアルドがいたことを。