第20話
エドゥアルドの父、先王は人々に愛される王だった。
それに加え、歴代の王の中で最高と言われるほどの手腕も持っていた。
政権においては時に厳しい人だったが、家族への愛は惜し気もなく与えた。
兄弟の中で唯一母親の違うエドゥアルドであったが、他の兄弟と分け隔てなく扱ってくれた。エドゥアルドの母親だけは側室であったが、蔑ろにされることもなく、王妃と側室でさえ仲が良かった。
ルシアーノやクライヴの母親である王妃とエドゥアルドの母親である側室は、二人で買い物に出かけた帰り、馬車馬が突然暴走し、二人揃って帰らぬ者となった。
あの事故も何者かによるものとエドゥアルドは考えていた。恐らくあれも叔父の仕業なのだろうと。
「その男は、叔父上の手の者だったのですね?」
「そうだ。私は少しも見抜けなかった。あの男は私には兄のような人だった。何でも話していたし、相談に乗ってくれていた。王からも王の側近、臣家からも信頼されていた。私には毒殺を阻止するよう動いている素振りを見せ、毒味をすると侍女を騙し料理に近づき毒を盛った」
エドゥアルドの父も周りの人間も一度信頼を置くと、疑うことは決してない。
ルシアーノだけでなく、王も周りも全員が騙されていたのだ。
「父上が倒れたとき、兄上は笑っていた」
気になっていたことを指摘した。
「不甲斐ない自分を嘲笑ったんだ。あの時、我々が食事を取っていたあの時、私は背後で空気が歪んだように感じた。振り返って見ると、あの男が笑っていた。悪魔のような低い、地の底から響いてくような無気味な笑い声だった。その時、父上の苦しみ、のたれ狂う声と食器が床に落ち割れる音が響いた。もがき苦しむ父上の姿を確認して、全てを悟った。ああ、あの男がやったのだと。お前はあの後すぐに部屋を出されたからこの先何があったか知らないだろう。あのあと、男を捕えて拘束させた。男が持っていた毒と父上が口にした毒が同一のものだと判明した。男は自分が毒を盛ったと、その毒が叔父上から指示を受け、手渡されたものだと供述した。叔父上の家からも同一の毒が発見され、侍女の証言から証拠品が次々と暴きだされ、捕らえられた。男は処刑され、叔父上は幽閉された」
父の死があまりに衝撃的で、その後のことなど覚えていない。
犯人は未だに捕まっていないのだと思っていた。
「私はあんなに近くにいたにもかかわらず、止めることが出来なかった」
当時の無念が思い起こされるのかルシアーノは俯いた。
犯人が公表されなかったのは、身内だったからだ。王族間のいざこざは一切揉み消されるからだ。
「やっぱり。王様は人殺しじゃないじゃん」
今までずっと黙っていたハノンが突然口を開いたことに、エドゥアルドもルシアーノも驚いた。
「いや、だが私がもっと早く見抜いていれば……」
「それって、信じていた人を疑えば良かったってこと? 信じなきゃ良かったって思ってる?」
「そういうわけじゃ……」
「先王もその人のこと信じてたんでしょ? 他のみんなも信じてたんでしょ? どうして自分だけが悪いって思えるの?」
「だが、私が一番近くにいたんだ。気付けなかったんだ」
「あんたは神様なのかってぇの。近くにいたら何でも分かんの? それって傲慢じゃない? 自分をどれだけ評価してんのよ。完璧だとでも思ってんのかな。犯人は捕まったんでしょ? 王族のたんこぶを排除できたんでしょ? なら、それでいいじゃない。そんなくだらないことで悩む必要はないっ。そんなことに心を砕くなら、もっと違うことに心を砕くべきだ」
「は、はい」
ハノンの勢いに気負されて思わずといった感じで返事をした。
「先王を思い出すとき、どんな顔が浮かんでくる? まさかもがき苦しんでる姿じゃないでしょうね」
ルシアーノが気まずそうに下を向く。それを見て大袈裟に溜め息を吐き、エドゥアルドにも視線を向ける。
エドゥアルドもルシアーノと同じ反応をするしかない。
「可哀想。先王はさ、そんな顔、思い出して欲しくないはずだよ。もっとさ、あるでしょ? 思い出。思い出してあげなよ、楽しいことのが多かったでしょ。そんなんじゃ先王は浮かばれないよ」
ハノンの言葉に自分が恥ずかしくなる。全てにおいて図星をつかれたからだ。死に行く姿ばかりを思い出し、幸せだった日々を思い出すことがなかった。楽しかった思い出ばかりのはずなのに。
「ハノンの言葉はガツンと来るよ。自分の態度を改めるべきだね。あのことを忘れることは出来ないが、それだけに捉われるのは間違ってる」
「エド殿下はどうなの? まだ、王様が人殺しだと思うの?」
ルシアーノの言葉に満足そうに頷くと、矛先をエドゥアルドに向けた。
「イヤ、思わない。ごめん、兄上。ずっと疑ってた」
ルシアーノの瞳から薄らと光るものが浮かび上がっていた。
エドゥアルドだけが苦しかったわけじゃないと思い知らされる。自分の感情ばかりを見てきたことに、呆れた。
他人の気持ちも感じ取れないで、何が次期国王候補だ。
自分の腑甲斐なさが浮き彫りとなった。だが、それを見つめられたことは良かったことなのだと思う。
これからどうにとでも出来るのだから。
「ねぇ、王様。叔父さんの悪事の証拠が出てきたのはさ、側近だった男がそう仕向けたんだと思うんだ。裏切っていたけど、どこかで後ろめたかったんじゃないかな? 私はそう思いたいな」
「そうだといいね。ハノンは人の心を汲む力が長けている。私は今日、君に救われた。何年も重しを抱えていた私の心は随分と軽くなった。ありがとう。先日も行ったと思うが、私は君の味方になろうと思う。困ったことがあったら何でも言っておいで。力になろう。それに時々会いに来てほしい。私もレイラも君ともっと話がしたいからね」
「それって私とお友達になりたいってこと?」
「ああ、私たちと友達になってくれるかな?」
「うん、いいよ。王様は案外いい人だって分かったから」
笑顔のハノンとルシアーノにホッと笑みを浮かべた。
これからはルシアーノとも、もっといい関係を築けるだろうと思う。この何年間、エドゥアルドを溺愛するフリをする憎き男だと思って来たが、それも今日までだ。そして、今日からは尊敬すべき兄である。溺愛されるのは、もういい加減止めて欲しいが。
「王様、エド殿下。仲直りをした時は握手をするんだよ。お兄様が教えてくれた。男女の仲直りの場合は、ハグするのがいいんだって。さあ、二人握手しなよ」
ハノンがエドゥアルドとルシアーノの間に入って、嬉しそうにそう言った。
エドゥアルドは、改めて握手を交わすことの気恥かしさに顕著したが、ルシアーノがおずおずと右手を差し出したのを見て、その手を迷いなく握ることが出来た。
「はいっ。これで仲直り成立。これからは仲の良い兄弟でいて下さい」
何故か仲裁を取り仕切っているハノンが、満足気にそう言うので吹き出してしまった。
それは、ルシアーノの方でも同じようで、我慢を堪え切れずに吹き出していた。二人の間で、何故二人が突然笑い出したのか理解できないハノンは、キョトンとした表情で二人を見上げていた。