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第2話

 カーティウェル王国の国王はまだまだ年若いと言われていた。けれど国王ルシアーノの手腕は、若さなど気にならないほどに優れていると評判だった。ルシアーノ王と王妃の間にはまだ子はいない。カーティウェル王国には国王の弟にあたる二人の王弟殿下がいた。第一位継承者であるクライヴは、体が弱くよく寝付いてしまうため、第一位継承者とは名ばかりで、第二位継承者であるエドゥアルドの方が次期国王の座に相応しいと囁かれていた。勿論、能力の上でも第二位継承者であるエドゥアルドの方が優れていた。


「エドゥアルド・カーティウェル?」

 ハノンは愕然としていた。その名前を知らない者は、この王城にはいないからだ。ハノンも勿論、名前は知っていた。ただ、王城で働き始めたばかりのハノンには、面識がなかったのだ。もし、目の前の男が第二位継承者であると知っていたならば、この場を早々に退場していただろうに。

 ハノンはそう思わずにいられなかった。

「そうだ。たった今から私がお前の主となったのだ。私のこの指輪とお前の前脚についているそれが証だ」

 エドゥアルドの左手の中指には、先程はなかったシルバーのリングが嵌められていた。ハノンの左の前脚の付け根には、首輪ならぬ脚輪が回されていた。ハノンがその脚輪を外そうと右脚でひっかくが、びくりとも動かない。

 ハノンは、時間を戻せる魔法があるのならどうか戻してほしいと思った。主従契約を結ぶ方法を全く知らなかったのだから。知っていたならあの時、名前を告げなかっただろう。あの時、血を舐めなかっただろう。

「私は魔獣じゃない。人間だっ。今の契約は無効になる……んでしょ?」

 鏡の向こうから顔を出した魔女に助けを求めた。魔女は何が可笑しいのか、ゲラゲラと腹を抱えて笑っている。

 その笑い方が感に触るが、ハノンは歯を食いしばって我慢した。

「確かに数分前は人間だったけど、今は魔獣だもの。契約は無効にならない。その契約が破れるのは、あなたがこの呪いを解いた時かしら?」

 なんで私がこんな目に合わなきゃならないんだ。

 地の底から這い上がって来るような怒りがぷすんぷすんとマグマのように熱く燃えたぎっていた。

「この呪いを解けっ。クソ魔女ぉ」

「ごめんなさいね、お嬢さん。私じゃこの呪いは解けないの」

「おい。お前たちは一体なんの話をしている? この魔獣は人間なのか?」

「うっさい。あんたは黙っとれ。こちとら大事な話をしとるんじゃいっ」

「なっ」

 第二位継承者であるエドゥアルドは、城の者からそのような扱いを受けたことなどなかったのだろう、絶句してだらしなく口が開いている。

「まあ、殿下。この魔獣が人間なはずありませんわ」

 撃沈しているエドゥアルドを取り成すように魔女は言った。

「そ、そうか?」

「ええ。少々気性が荒く口も悪いですけど、きっと殿下なら上手く使いこなせると思いますわ。では、私は急いでおりますので、これにて失礼いたします」

 魔女はエドゥアルドに対し仰々しく、挨拶をするとハノンにウィンクをしてパチンと指を鳴らした。

 その次の瞬間、ざわりと風が通り過ぎたと思ったら、もう魔女の姿はなかった。


『呪いを解くためには、自分の名前を初めて告げた相手を愛し、愛されなければならない。ハノン。あなたは殿下を愛し、愛されることが出来るかしら?』


 呪いの言葉と含み笑いを残して、魔女は去った。


「何で契約なんかしちゃったんだよ。このバカオトコォ」

 怒る気も失せて、今度は泣きたくなってきてしまった。弱々しい声ではあったが、不平は口をついて出てくる。

「私の人生返しやがれぇ。そりゃさっ。私は口が悪くてさ、どうしようもないけどさ……」

 我慢しきれなくなったハノンは、とうとう泣き出してしまった。大きな体の大きな瞳から、ぼとりぼとりと大粒の涙が零れ落ちる。

「おい。泣くな。魔獣が泣くなんて聞いたことがないぞ」

 ハラハラと焦りながら、それでいて呆れたという感情を声に滲みださせながらそう呟いた。

 そんなことを言われても、元が人間なのだから仕方ないではないか。

 そう口に出そうとしたが、魔女がエドゥアルドに、ハノンが呪いをかけられて魔獣にされた人間であることを隠していた風に見受けられたので、慌てて口をつぐんだ。

 もし、この状態にさらに厄介な災いが降り掛かってはかなわない。

「少し落ち着け。私はお前を酷く扱うような非情な主ではないぞ?」

 なんと言えばいいだろうか。

 その表情が悦に入っていると言えば分かるだろうが、殿下は魔獣にさえも優しく接する主という自分に酔いしれているように見えた。

「ナルシスト……、キモい」

「なっ。貴様、私をナルシストと言ったな? 私はナルシストではない。ただ、この世で一番美しく完璧だというだけだ」

「ナルシスト、キモい。クタバレ」

 ワナワナと震えるエドゥアルドの体と怒りに顔面が蒼白になっていく様を見ていたら、少しだけ気持ちがすっきりとしてきた。

「魔獣に私の良さなど分かるまい」

 人間であっても魔獣であっても、こんなナルシスト男は願い下げだ。なんでこんな男を愛さなければならないのか。

 考えただけでも頭痛がする。

「ところでお前はもう少し小さなサイズにならないものか? 首が痛くてかなわん」

 エドゥアルドの呆れた声を聞いて、確かにあまりにこの姿は大きすぎるとハノンも思った。

「外見が犬なのだ。犬くらいのサイズになれないのか?」

 ハノンは魔獣なのだ。魔のものであるからには、何かしら力を持っていてもおかしくない。

「犬サイズになぁれ」

 ハノンがこの言葉で小さくなるとは、自分でも思っていたわけじゃない。

 ただ、魔獣というものがどんな生き物であるかという知識はあいにく持ち合わせていなかった。

 ところが、予想に反して体はしゅるしゅると縮んでいき、ペットサイズに留まった。

「わっ。出来た」

「なんだ、お前が驚いてどうする」

「うっさい。黙れ、ボケ」

 頭の上にエドゥアルドの手の影が落ちた。

 打たれるんじゃないかと、ハノンは身を固くした。

「大丈夫だ。打ったりしない」

 ぐるりと頭を撫でられ、不覚にもそれが嬉しくて、勝手に尻尾が揺れる。

 それにしても、大きなものに上から手を上げられるということが(当人に打つという意識がなくても)、恐怖を感じるのだと初めて知った。城に来る前に住んでいた家の犬を撫でようと上から手を出したときに、体を強張らせて恐がっていたのを思い出した。

「ハノン。ついて来い」

 エドゥアルドの後についていきながら、家族のことを考えていた。偽物だったかもしれないけれど、とても優しかった家族のことを。

 そして、この城内でのハノンの教育係兼親代わりの女官長は、ハノンがいなくなったことをどう思うだろうか。ハノンが仕事が厳しいことに逃げ出したと思うだろうか。誰かに攫われたと思うだろうか。女官長にだけは、自分がここにいることを伝えたい。

 彼女は信じてくれるだろうか?

「今日からお前はどんな時も私と一緒だ。いいな?」

「どんな時も?」

「どんな時もだ。寝るときも風呂も一緒だ」

「ざけんなっ。出来るか、エロボケっ」

「何を照れているんだ。お前は、女みたいなことを言うんだな?」

 グッと言葉に詰まった。ハノンは今、魔獣であり人間ではないのだ。それがバレることもまだ良いのか分からないのだから、安易に口にすることははばかれる。それともいっそ話してみようか。

 ちらりと前を行くエドゥアルドの背中を見た後、思い切って言ってみた。

「だって私、本当は女なんだから」

「ああ、お前は雌なんだな」

「そうじゃなくてっ。あんた頭悪いね。私、本当は人間の女なんだって」

 エドゥアルドは立ち止まって振り返り、ハノンをまじまじと眺めたあと、腹を抱えて笑いだした。

 ハノンはそんなエドゥアルドの姿を何も言えず、見ていることしか出来なかった。


皆さんこんにちは。いつも読んで頂いて有難うございます。

基本的には、平日毎日更新していこうと思っておりますが、最近ちょっと仕事が忙しいので更新をおこたってしまうこともあるかもしれません。悪しからず。

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