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第19話

「お前が傍にいてくれるなら」

 ルシアーノに直接先王の死について尋ねるなんて、無理な話だと頭では分かっているのに、ハノンの目に見つめられると首を振ることが出来なかった。それでもハノンがいてくれるなら、と弱音を吐いた。一人では乗り越えられないかもしれない。だが、ハノンと一緒なら、ハノンが傍にいてくれるなら、それも可能なんじゃないか。

 我ながら情けないが……。

「私でいいなら、傍にいるよ」

 不思議とハノンの一言で心の重荷が軽くなる。

 妹のようなとは言ってみたが、実際はエドゥアルドの方がハノンに守られているようでならない。

「頼む」

 あまりに情けない姿を見せてしまったからか、ハノンがエドゥアルドを見て小さく笑っている。

「笑うな」

「いえいえ。笑ってなどいませんわ」

 明らかに笑っていいるし、からかいたいと思っているのが手に取るように分かる。

 ハノンは常日頃から辛辣な物言いをするが、決して不快にはならない。

 優しい言葉や誉め言葉なのに何か含みがあるように感じるものとは違い、辛辣な言葉なのにそこに不快を感じられないのは、ハノンの言葉には裏がないからだ。悪口を言っても、そう思っていないのが分かるから不快には思わない。

「帰るか」

「エド殿下。王様はやってないよ。……うん、やってない」

 ハノンが、立ち上がろうとしていたエドゥアルドの手を取って、真剣な眼差しを向ける。

「なんで……」

「理由なんてないんだ。強いて言うなら、獣の勘かな。大丈夫。王様を信じていい」

 奇妙な説得力がその瞳にはあった。馬鹿馬鹿しいと一笑に付すことだって出来た。だが、エドゥアルドにはそれが出来なかった。

 信じたかったのだ。ハノンのその目を。

「そうだな。そう出来たらいいな」

「出来るよ。エド殿下なら」

「そうか?」

「そうだよ」

 クスクスとハノンは軽快な笑い声を上げた。つられたようにエドゥアルドにも笑い声が漏れる。

「帰るぞ、ハノン」

「うん」

 ハノンに取られた手を、エドゥアルドが引っ張りハノンを立ち上がらせ、そのまま手を繋いだまま外に出た。

「エド殿下、……手を」

「いいだろ、たまには? 誰かと手を繋ぐのも」

 ハノンを見下ろすと、見え隠れする頬が赤く染まっている。

 知らずに口角が上がる。

 恥ずかしがっているのは明らかだが、手を振りほどくつもりはないようだ。

「エド殿下は、五分くらい暇をつぶしてから来て」

 森の出口が見えた頃、ハノンがそう言って、あっさりと手を離して木々の間をぬって姿を消す。離れていく手を、追いかけるように宙を彷徨った。

 エドゥアルドは、ぬくもりが消えたその手を引き戻して見下ろした。

「なんだ。この感覚は」

 名残惜しかった。

 ハノンの手のぬくもりを感じていたかった。

 ハノンの手のぬくもりが早くもなくした自らの手をきつく握り締めた。

 大きなため息を吐くと、ゆっくりと歩き始めた。

 ハノンは、木々の死角に入って服を脱ぎ、一足先に森を出る。人から魔獣に戻るときに洋服が破けるのが嫌なハノンが考えた苦肉の策だ。

 エドゥアルドが森を出たとき、そこには既に魔獣になったハノンがいた。

 今までの夢が醒めてしまったような、虚しさが胸を過った。


 部屋の中には二人と魔獣が一匹。

 エドゥアルドとハノンは並んで立っていた。そして、机を挟んだ向こう側、椅子の背もたれから覗くルシアーノの後頭部を見ていた。

 この間は、謁見の間でルシアーノと対面したが、今日はルシアーノの執務室に来ていた。

「エドゥアルド。お前が聞きたいのは、父上の死についてだろう?」

 上等な椅子に腰掛け、外を眺めているルシアーノの表情は見えない。

「いつかお前が私に聞きに来る日がくると思っていた」

 その声は、普段よりも一回りも二回りも低いものに感じた。

 その声の調子で、エドゥアルドと同じようにルシアーノもまた緊張しているのが分かる。

「覚悟は出来ている。お前が知りたいことには何でも答える。そこに嘘も偽りもない」

 漸く振り返ったルシアーノの表情は、今までで見たどんな時よりも険しいものだった。

「エド殿下。私、出てようか?」

 鼻でエドゥアルドの足をつつき、見上げてそう言った。

 ハノンの優しい気遣いに笑みがこぼれた。

「いいや。お前にも聞いていて貰いたい。ここにいてくれるか?」

「エド殿下がいいなら、いるけど」

 王族の秘密話、部外者が聞いてもいいものなのか、とハノンは考えているのだろう、戸惑いが感じられる。

「いいんだよ」

 ハノンは、それ以上その件について掘り下げるつもりもないのか、目線をルシアーノに向けた。

 エドゥアルドがルシアーノへ視線を向けると、その表情は先程の険しい表情が嘘のように、気持ち悪いほどにやけていた。

「何でしょうか?」

「お前はハノンが来てから変わったな」

「口が悪くなりましたか? ハノンは口が悪いですから、移ってしまったかもしれませんね」

 ハノンが不満げに睨みつけて来たが、気付かないふりで流した。その態度にも不満を持ったのか、ハノンがエドゥアルドの足をがぶりと噛んだ。

「痛っ。お前、噛むことないだろう?」

 あまりの痛さに悲鳴を上げれば、満足そうに素知らぬ表情で口笛なんかを響かせる。いや、口笛になってはいないが……。

「エド殿下が私の悪口を言うからいけない。あっ、でも安心して。あま噛みだからちょっと痛いくらいですむから」

 冗談になっていない所が怖い。ハノンが本気で牙を立てれば、エドゥアルドの足など繋がっているはずがない。

「悪かったよ。もう言わないから、噛むのは止めてくれ」

「分かればいいのよ、分かれば」

 大きく溜息を吐けば、ルシアーノは笑いをこらえて、こちらを興味深げに観察している。

エドゥアルドは二つ咳払いをしてから、口を開いた。

「私が兄上に聞きたいのは、誰が父上を殺害したのかということです。私は今まで兄上が父上を殺害したのだろうと思っていました。本当のところを教えて下さい」

 ハノンのお陰で緊張の糸が切れた。何でも来い、という度胸も出て来た。

 ハノンは、エドゥアルドの緊張をほぐす為にわざと足に噛みついたのかもしれない。

「私が殺したのではない。だが、私が殺したようなものかもしれないな。私がもっと……」

 ルシアーノの表情が苦しそうに歪んだ。エドゥアルドが前国王の死を苦しみ引き摺っていたように、ルシアーノもまた引き摺っていたのだろうか。

「あの当時、私の側近をしていた男を覚えているか?」

 ルシアーノとその男の会話を思い出し、胸が悪くなる。

 エドゥアルドが頷くと、ルシアーノは再び口を開いた。

「簡単に言えば、私はあの男に騙されたのだ。あの男にすべてを任せた私の責任だ」

「どういうことですか?」

「父上が何者かに狙われていることを私に報告してきたのはあの男だ。狙っていたのは叔父上だと。お前も知っているとおり、叔父上は喉から手が出るほどに国王の座を欲していた。あらゆる手で父上からその権利を奪おうと躍起になっていた。だが、いつも尻尾をつかむことが出来ず罰せられることもなく、今か今かとその座を狙っていた」

「じゃあ、手を下したのは叔父上なのかっ」

「指示を出したのは確かに叔父上だ。だが、直接手を下したのは私の側近だ」

 後姿しか見たことのないその男を思い出そうにも思い出すことが出来ない。


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