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第18話

「人殺しなんだ、兄上は」

 つい感情に任せて吐き出した言葉に、ハノンは目を丸くしていた。

 言うつもりはなかった。誰にも言うつもりはなかった。それなのに、いい人面してハノンに笑いかけるルシアーノを見ていたら、たまらなくなっていた。

「エド殿下。森に散歩しに行かない? この間アナに私が前に着ていた洋服を持ってきてもらったんだ。エド殿下は先に池の所まで行ってて」

 走り去ったハノンにエドゥアルドは、反応を返すことも出来なかった。

 本当なら今すぐに執務室に戻らなければならないが、とても仕事をする気分にはなれない。

 ハノンの誘いをのることにして、池へと足を向けた。そもそも感情を乱されたのは、クライヴがハノンを好きだと聞いたときからだ。それまでルシアーノに何を言われても、本当の意味で心を乱されることはなかったというのに。

 最近のエドゥアルドはおかしい。その原因がハノンであることは、自他共に認める事実だ。だが、ビバルらが考えているような男女の色恋といったようなものではない。

 エドゥアルドにとって、ハノンは妹のような存在なのだ。飛びきり愛らしい、目に入れても痛くないほどに大切な存在に、いつの間にかなっていた。


「エド殿下」

 森の入り口に立つハノンは、よく似合うワンピースを着て、こちらに手を振っていた。

 何度見てもその姿に魅了される。忌み嫌われる要素など一つも見当たらない。

「待たせたか?」

 ハノンは微笑んで首を振る。

 ここまでゆっくりと歩いてきたこともあり、頭は大分冷静さを取り戻していた。

「行こう」

 エドゥアルドがそう言って歩き始めると、斜め後ろをちょこちょことついてくる。

 この森の精霊に守られた空気とハノンの存在がエドゥアルドを落ち着かせていく。

「もう少し行くと小屋がある。そこで一息つこう」

 森の中にある小屋は、エドゥアルドが小さな頃は不思議な老人が一人暮らししていた。

 森の恵みを受けて慎ましく暮らしていた老人は、気付けば姿を消していた。

 相当な年だったから既に寿命を迎えたのか、それともあの森から出ていったのか。

 暫くすると昔と変わらない、イヤ幾分小さくなったように感じる小屋が姿を現した。

 いち早く小屋を見つけたハノンは、嬉しそうに走っていった。

「凄いっ。可愛いお家だねっ」

 目をぱちくりして小屋を見上げているハノン。顎が外れるんじゃないかと、こちらが心配になるほど口を開いているハノン。ぴょんぴょんと弾みながら裏手に回って行くハノン。

 全ての行動が新鮮で、ハノンから目が放せなかった。

「ハノン。中に入るぞ」

「勝手に中に入っていいの?」

「今は誰もいないからいいんだ」

 エドゥアルドがノブを回して扉を開くと、きぃっと鈍い音が響いた。

 エドゥアルドが中に入ると、足元から埃が舞い上がる。ハノンが咳き込んでいるのに気付いて、たてつけの悪い小窓を開ける。

「スッゴい埃だね」

「ああ、私もここに来たのは久しぶりだ。昔、じいさんが一人で暮らしていたんだが、ビバルと二人でよく遊びに来ていた」

「そのおじいさんはエド殿下のおじいさん? もういないんだね」

「どこの誰だかは知らないんだ。名前すら知らなかった。突然、じいさんの姿が消えて、それから見なくなった」

「じゃあ、どっかに旅に行ったのかもね」

 ハノンのこの発想が好きだ。

 普通なら老人と聞いた時点で死んでいると思うだろう。だが、ハノンには死という考えは思い付かないようだ。

「そうかもな」

 木製の椅子の座面をハンカチで拭き、ハノンを座らせた。ソファもあったが、埃っぽくてさすがに腰掛けられそうにない。

「髪の毛が埃っぽくなるな」

「自分の美しい髪が台無しって? ナルシストめっ」

「バーカ。お前の折角の黒髪が白髪になってしまってるってことだ」

 ハノンの髪の毛に積もった埃を手で払う。

 ハノンは、なされるがまま大人しくしていた。俯いて顔を隠しているが、頬を赤らめているのはバレていた。

「エド殿下。そんなに無理しなくていいよ?」

「無理って、髪のことか?」

 無理して誉めたつもりはない。本心から折角の黒髪が台無しだと思っている。

「それもそうだけど。エド殿下、無理に笑ってるからさ。私だけしかいないんだから、無理に取り繕う必要はない。あんなに取り乱していたのに、何もなかったように笑わなくていい」

 ハノンには適わない。エドゥアルドが取り繕おうとした仮面をいとも簡単に剥がしてしまう。

 惹かれないほうが無理がある。どうしたって惹かれてしまう。

 あの瞳に嘘は吐けないんだ。

「話を聞いてくれるか?」

「うん。勿論」

 ハノンが座している椅子と同じものを引っ張ってきて、向かい側に座る。

「私の父である先王が亡くなったのは、何者かによる毒殺だった」

 ハノンは、記憶をなくしていたこともあり、世情には疎い。

 前王が毒殺されたという事実は、国民にとっては周知のこと。

「犯人は未だ捕まっていない。なにせ、のうのうと国王の座についているんだからな」

 ハノンの顔が驚きに歪んだ。

 これとて、一時期噂になった。知らないものはいないだろう。口に出さないだけだ。

「王様がお父様を殺したって言うの?」

「父上は食事に毒を盛られた。その場に私も一緒にいたんだ。兄上は笑っていた、満足そうに、父上がもがき苦しむ様を見て」

「でもそれだけじゃないんでしょ? それだけで、エド殿下が王様を犯人だと思ったわけじゃない」

 ハノンの黒い瞳は何でも見透かしているようだ。その瞳に恐れを感じることはない。どちらかといえば、優しく見守られているような気持ちにさせる。

「ああ。食事の前に兄上が従者に指示しているのを聞いてしまったんだ」


『毒の方はどうだ?』

『はい。準備は整っております。問題ないかと』


 ルシアーノも従者も恐ろしい顔をしていて、身が縮みあがる思いがしたものだった。

「でも、それだけじゃ王様が犯人だとは言い切れない。もしかしたら、誰かが先王を狙っているっていう情報をルシアーノはもっていて、警備を強化する為に準備を整えていたってことも考えられるんじゃないかな?」

「だが、じゃあどうしてあの時あんな風に笑ったんだ……」

「私はその場にいなかったし、王族の間でどんな状況が裏にあるのかとか知らないけど、今日会った王様が自分の父親を毒殺するような人間には思えなかったよ」

 頭の中がキーンと鋭い音を立てた。

 混乱していた、頭の中が。自分が見たものが確かだったのか、自分が聞いたものが確かだったのか、今となってはあまりに曖昧だった。

 本当にあの時、ルシアーノは笑ったのか……。

 エドゥアルドがそう思い込んでいるだけなのではないか。記憶違いをしているだけではないか。

「エド殿下はそのことを一度でも王様に確かめたことがあった?」

「いや、ないな」

「自分で見たもの、聞いたものだけで全てを判断するのは勘違いのもとだよ。人はついつい一方からしか物事を見れない生き物だから。勘違いで人を憎まなきゃならないなんて、こんな悲しいことはない。一度、王様に聞いてみたらどうかな?」

 あなたが父上を殺したのですか?

 そんなことを聞けると思っているのか。そんな簡単なものじゃない。

 だが、ハノンのその笑顔に吸い込まれるように、エドゥアルドは頷いていた。




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