第17話
「私を黒の魔獣と勘違いして、主従契約を結ぶつもりなんじゃないの?」
ルシアーノは、突然腹を抱えて笑い始めた。その笑い声にぼんやりしていたエドゥアルドも漸く正気を取り戻したようだった。
その時、扉が勢い良く開かれ、小柄な女性が姿を現した。
「ズルいっ。ズルいわっ。ルシアーノばっかり。私だって会いたいって言ってたの知ってるでしょ?」
突然入ってきたかと思うと、ルシアーノの胸ぐらを掴み早口でまくしたてた。
その奇行を誰も咎める様子もなく、どちらかと言うと呆れたといった空気がそこかしこから感じられる。
「君が入ると碌なことにならない」
「あなたが一人で話すほうが碌なことにならないわ。あなたは無口なんだから」
ぽっかりと開いた口を閉じることも忘れて、ハノンは二人の会話を聞いていた。が、最後の一言は聞き捨てならない。
ルシアーノのどこが無口だと言うのか。先ほどからペラペラとしゃべり倒していた。無口であるはずがない。
「あの?」
見兼ねて声をかけたハノンを、その女性は振り返ると食い入るように見つめた。
「まあ、まぁまぁ。なんて可愛らしいの。あなたが噂のハノンちゃんね?」
声が引っ繰り返りそうな高い声で言い募る女性に怯んで、二、三歩後ずさったとしても仕方のないことだと思う。
「は、はい」
「なんて可愛らしいの。抱き締めてもいいかしら? いいえ、駄目といわれても抱き締めずにいられないわ」
その女性はハノンの許可をえることもせず、その体を押し付けてきた。ペットサイズのハノンを、覆いかぶさるように抱き締めるので、苦しくて仕方ない。
そして、僅かな香水の香りが、魔獣の鼻には強すぎた。
「ハノンが嫌がっている。止めてくれないか、レイラ?」
エドゥアルドの救いの言葉に、ハノンがホッとしたのに反して、レイラと呼ばれた女性はイヤそうに顔を歪めた。
だが、そのおかげできつめの抱擁ときつい匂いからは免れることが出来た。
「あら、お久しぶりエドゥアルド。私とハノンの戯れの時間を邪魔しないでくれる? そもそもどうしてハノンはエドゥアルドの使役獣になどなってしまったのかしら、私、納得いかないわ」
「どうしてあなたが来たんだ。あなたが来ると場が乱れるんだ」
不機嫌そうにエドゥアルドが低い声でそう言った。
「だって私だってハノンちゃんに会いたいじゃない? ルシアーノったら、自分はエドゥアルドのストーカーしているくせに、私には許してくれないんだから」
レイラという女性は、ルシアーノを呼び捨てにした。エドゥアルドに対してもそうだ。
この人はもしかして……。
「エド殿下……」
「ああ、レイラは王妃だ。私やクライヴ兄上とは幼なじみの間柄だ」
「そうなんだ。ねぇ、さっき聞こえたんだけどストーカーって何?」
確かレイラがそんなことを言っていたはずだ。
「あのね。ルシアーノはエドゥアルドが大好きなのよ。溺愛してるの。だからね、エドゥアルドに不審人物が現れるとストーカーになるの。そんなの他の人に任せればいいのにね。自分でやるのよ。だから、エドゥアルドに嫌がられてる」
一国の王が弟をストーカー? だから、ルシアーノはハノンの力のことも知っているんだ。
ならば、ハノンが呪いをかけられた少女であることもしっているということになるのではないか。
「じゃあ、私のこと全部分かってるってこと?」
「知っている。どんな少女であるのかも、呪いのことも、どうすれば呪いが解けるのかも、クライヴが君を好いていることも」
「はあ?」
エドゥアルドが振り返ってハノンを見た。
「あら、三角関係なのかしら?」
レイラが無責任な発言をして、エドゥアルドに睨まれている。
「ハノン。兄上のこと、本当なのか?」
エドゥアルドから不穏なオーラが漂っている。そのオーラにおののき、頷いた。嘘を吐ける雰囲気ではなかった。
「う、うん。そう言われた」
エドゥアルドが顔を背けたせいで、表情は読み取れなかった。
「あら、エドゥアルドったらヤキモチ?」
「違う。私がハノンを好きなわけないだろう?」
分かっていた。
そんなこと、最初から分かっていた。だけど、本人にこうもはっきりと言われてしまうと心が軋みそうだ。
何か言わなきゃと思うのに、喉がひからびて上手い具合に言葉が出てこなかった。
「あら、別に好きなんじゃないのとは言っていないのにね。わざわざそんなふうに言うなんて……」
「こらこら、レイラ。そんなに虐めちゃ可愛そうだよ。エドゥアルドを虐めるのは、この私の仕事なんだからとっちゃダメだろ?」
レイラを引き寄せると優しく叱り付けた。若干気になる台詞も混じっていたが。レイラは叱られたことすら嬉しいようで、ルシアーノを見上げて花のように笑った。
ハノンは、羨ましいと思った。二人の自然な空気が。お互いに想い合っていることが当たり前という空気が。二人でいることが必然と思わせるその空気が。見ている人が微笑みたくなるようなそんな空気が。
「兄上。イチャイチャするのは二人きりのときにしてください。確認させて頂きたいのですが、兄上がハノンと主従契約を結ぶつもりはないのですね?」
ルシアーノはレイラの頭を愛しそうに撫でながらこう言った。
「ない。私はハノンがお前に危害を加えないか調べただけだ。見ていたら私もハノンと話したくなった。それだけだぞ」
「でしたらもう戻っても宜しいですね? 私も執務がありますので」
「ああ。ハノン、私は君の味方だよ。何かあったら私やレイラに言いなさい」
ハノンの前にズイッと来ると、その場にしゃがみこみ、ハノンの瞳を見つめながら言った。
「あの、国王陛下。私の本当の姿を見たんだよね? それなのにそんなこと言うの?」
「黒髪黒目を負い目に感じることはないんだよ。私は君を見て美しいと思った。君に忌み嫌われる要素はないよ。それに、私は何故そう言われるようになったのか、本当のところを知っているからね」
小さく微笑むルシアーノに、もっと突っ込んで問い詰めたかったが、首根っこをエドゥアルドに掴まれ、連行された。
「では、兄上。私たちはこれで」
引き摺られるように部屋をあとにしたハノンの首根っこを解放したのは、大分歩いてからだった。
「痛いって、もう。エド殿下? どうかした?」
今日のエドゥアルドはどこかおかしい。
「エド殿下は、王様に溺愛されてるから会いたくなかったんだね?」
ハノンはてっきり二人の間に、大きなトラブルがあってギクシャクしているのかと思っていた。
「王様も王妃様もいい人で良かった。王妃様はちょっと明るすぎてびっくりしたけど」
ハノンにとって本来の姿を否定しない人は、全て善人扱いになる。
ハノンがペラペラしゃべる中、エドゥアルドは下を向いて何の反応も示そうとしない。
「エド殿下? 今日のエド殿下はやっぱり変だよ?」
エドゥアルドを下から覗き込むと、歯を食い縛っているのに気付いた。
「エド殿下?」
「いい人? いい人なものか。兄上はいい人なんかじゃない。卑劣な人殺しだっ」
エドゥアルドの顔が憎しみに歪んでいた。秘めた憎しみの想いを解放したがために、興奮が冷めやらず、肩で息をしている。
「人殺しなんだ、兄上は」
噛み潰すように呟いた声は、ハノンにだけ聞こえるほどの限りなく小さなものだった。