第14話
隣を歩くビバルをちらりと盗み見る。
あんなに汗を掻くほど急いで走ってきたにもかかわらず、今は優雅に歩いている。
急ぎの用件だったんじゃなかったのか?
「ビバル? なんかあったんじゃないの?」
「殿下のところに行けば分かりますよ」
にっこりと微笑むビバルは、エドゥアルドやクライヴとは違った大人の色香が漂っている。
王族やその臣家たちはどうしてこうも無駄に美人なんだ。もちろんそうでない人もいるかもしれないが、ハノンが見たところその傾向は非常に強いように思う。
「悪いこと?」
「いえ、悪いことではないと思いますが」
何を問い掛けても埒が開かないと判断したハノンは、ビバルへの尋問を諦めた。
ビバルがハノンを連れていったのは、エドゥアルドの執務室ではなかった。
「ここは?」
「応接間です」
応接間に案内されるのは初めてのことだ。それまでエドゥアルドの自室と執務室、庭園の往復しかしたことなどない。
ビバルは応接間の扉をノックすると、中からの反応を待った。
「ビバルか?」
「はい。ハノンをお連れしました」
中からエドゥアルドの声が聞こえて、胸がトクンと鳴った。反射的に胸を強く抑えた。
「通してくれ」
エドゥアルドの声に従い、ビバルが扉を開き、応接間の中へと促した。
なにが待っているのか分からず、不安な気持ちでビバルと後ろにいるアナを見る。大丈夫と言いたげに二人が微笑み頷いてくれたので、勇気を出して応接間へと足を踏み入れた。
「エド殿下?」
すぐに応接間のど真ん中に設けられているソファにエドゥアルドの姿を確認した。エドゥアルドが笑顔でこちらを見ているのを見て、緊張の糸を切った。
ついっとエドゥアルドの向かい側のソファに座っている三人の人物を目にして、息を止めた。
驚いたのはその三人も同じで、恐らく驚きの度合いで言えばハノンの比ではないことは確かだ。
「ハノン。こっちへ来て座りなさい。先ほどお話したとおり、この魔獣がハノンです」
エドゥアルドがそう言うと、ハノンにこちらに来るように手招いた。エドゥアルドの隣りに飛び乗るとちょこんと腰を落とした。
「これは驚いた。本当にハノンなのですか?」
ハノンの恩人であり父親であるチチェスター侯爵が一番初めに話し始めた。
「ああ、そうよあなた。どんな姿になろうとハノンだわ。私には分かるの、確かにハノンよ。ねぇ?」
続いてチチェスター侯爵夫人が口を開き、最後に隣にいる息子へと同意を求める。
「うん。そのぺちゃパイ具合が間違いなくハノンだ」
「魔獣にぺちゃパイもへったくれもあるかってぇのっ。そもそも、私がこんな姿に変えられたのはお兄様がまともに言葉を教えてくんなかったからでしょがあぁぁっ」
奥歯をぎりぎりと噛み締めながら、兄であるジェロームを睨み付けた。
「分かった。ハノン、俺が悪かった。謝るからそんなに睨まないで。その姿で睨まれたら洒落になんないから」
ジェロームのおちゃらけた感じの声が、今は無性に腹が立って仕方がない。
「お兄様。私に背中を向けるときは注意した方がいいと思うわ」
「だいたい予想が付くし、あまり聞きたくないけど、敢えて聞いてしまおうかな。どうしてだい?」
「えぇ、お兄様の背中を見たらついつい襲い掛かってしまいそうですから」
ハノンもジェロームも笑顔を絶やさないが、その表情の裏には、全く違う感情が隠されている。ぎりぎりの兄弟喧嘩が笑顔の下で繰り広げられていた。
「まあまあ、止めないか二人とも。殿下の前ではしたない」
チチェスター侯爵はそうたしなめたが、顔は笑っていた。思い返せば、家にいたときもハノンとジェロームの兄弟喧嘩を見て、嬉しそうに笑っていた。
「ごめんなさい」
素直に謝罪の言葉を口にするハノンに比べ、ジェロームはケタケタと笑って反省したようには思えない。
「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません、殿下。ですが、この魔獣がハノンであることはこの様子を見てはっきりとしました。ハノンが家にいた頃は、二人のあのような言い争いは毎日のように繰り広げられていましたから」
「イヤ、分かってくれて良かった。さすが、姿が違っても分かるものなのだな」
エドゥアルドがチチェスター侯爵に笑いかけると、チチェスター侯爵もそれに返した。
「殿下。私どもから一つお願いがあるのですが……」
「なんだ?」
「家族水入らずで話をさせてもらえないでしょうか」
「ああ、そうだな。積もる話もあるだろう」
エドゥアルドは、ハノンの頭を一撫でしたあと、美しい身のこなしで立ち去っていった。
「ハノン。外にカイルを立たせている。話が終わったらカイルに声をかけるんだ」
ドアノブに手をかけたまま振り返ってそう言った。
「うん。分かった」
ハノンの返事に満足したように頷くと、背中を向けて出ていった。
「さあ、私たちには呪いがどんなものか話せるだろう? 殿下は知らないと言っていたが」
チチェスター侯爵に問いかけられて素直にハノンがかけられた厄介な呪いについて語った。
その間、チチェスター侯爵は腕を組んでうむうむと頷きながら、夫人はまあまあと大袈裟に驚きながら、ジェロームはニヤニヤとハノンの災難を喜びながら聞いていた。
「ハノンは殿下と愛し合わなければ呪いは解けないということだな?」
「まあ、あなた。私にはそれだけとは思えないわ。仮に殿下との愛を育んで人に戻れたとしても、王侯貴族がハノンを殿下の相手として認めるとは思えません。人の姿になっても苦しむことは目に見えているわ。二重に呪いがかけられているんじゃなくて?」
「それに加えて黒の魔獣の姿にされたことを考えると三重と言っていいんじゃない?」
口々に述べられる遠慮のない意見に、自分の人生を前向きにと考えていたハノンを突き落とすには十分な威力があった。
「でもさあ、取り敢えず人の姿に戻るのは時間の問題なんじゃない? だってハノンは殿下が好きなんだろう?」
先ほどからニヤニヤとハノンの顔を見ては、意味深な笑みを漏らしていたのは、それが原因だったのだ。そういうところで変に察しの良いジェロームに腹が立つやら、驚くやら。
「仮に、仮によっ。仮に私がエド殿下を好きだとしても、エド殿下は私のことなんて好きにはならないでしょ。次期国王って期待されている人だもん。そのうちとびきり美人で身分の高い他国の王女様が嫁いでくるんだ」
口にすればするほど、それが現実に起こってしまいそうな気がして心が痛む。
「そんな顔して……。もう、認めたらどうだ? 殿下が好きなんだろう?」
「そうなのかもしれない。でもさ、魔女に呪いをかけられて、エド殿下を好きになれって言われた様なもので、それがあるからエド殿下を意識しているだけで、もし私が普通にエド殿下と出会ってたとしたらこんな気持ちにはならなかったんじゃないかって思うんだ。何となくこの気持ちが魔女に誘導されただけのような気がして心許ないっていうか……」
自分の気持ちを確かめつつ、心の内で何度となく感じていたことをゆっくりと言葉にしていった。
言葉にして初めて自分の気持ちへの戸惑いが浮き彫りとなっていく。叶う筈のない恋。それでも押し進めるだけの気持ちであるのかハノンには自信がなかった。
傷ついてもいい。叶わなくてもいい。そんな強い想いがハノンの中に存在するだろうか。