第11話
「どんな呪いかは話せない。話したくないんだ」
呪いの内容について話が及ぶと、ハノンは途端に口をつぐんでしまった。
呪いの解き方を教えてくれれば、エドゥアルドとてそれなりに力になることも出来るだろう。
「呪いの解き方を教えてくれなければ、力になれないじゃないか」
思いのほか少し責めるような口調になってしまったことを後悔した。
「エド殿下の気持ちは嬉しいよ。でも話すわけにはいかないんだ。お願いだから何も聞かないでよ」
悲しそうな表情を浮かべる少女の顔がエドゥアルドには見えた。エドゥアルドには言えない何か事情があるのだろう。無理矢理聞き出すことが得策だとは思えない。
エドゥアルドは、それ以上の詮索を中止することにした。
「分かった。もう詮索しない。だから、そんな顔をするな」
ハノンの今にも泣き出してしまいそうな表情を見ていると、心が締め付けられる。
「ありがとう、エド殿下」
エドゥアルドが頭を撫でると、ホッとした表情を浮かべた。
「呪いのことはまあいいが、どんなときに人間の姿になるのかは知るべきだと思うんだ。協力してくれるな?」
「うん。協力するよ」
「それから、女官長がお前を心配していた。恐らく彼女は何日も寝ていないだろう。お前が今どんな状況にいるのか会って話をするか?」
ハノンは、んん~、と長く唸った。まあ、ハノンもすぐには決められないだろう。今すぐに返答を貰うつもりはなかった。だが、ハノンはそんなに長いこと悩まずにその決断を下した。
「女官長には話さない。私が魔獣になっちゃったなんてあんまり広めたくないし、それにもっと心配させることになるし、巻き込んでしまうことにだってなりかねないし。女官長には私から手紙を書くよ。旅に出たってことにする」
その前脚でどうやってペンを持つんだと思ったが、手紙を書くことにウキウキしているようなので、水を差さないことに決めた。
「チチェスター家にはどうするんだ?」
「それはきちんと話すよ。私のことを家族として迎えてくれた人だからさ」
チチェスター侯爵夫妻とその息子の行方はすぐに見つかるだろう。ハノンがここにいると知れば会いに来るだろう。
「よし。話はこれくらいにして休もう。ハノン、おやすみ」
「おやすみ、エド殿下」
ハノンの寝付きは早かった。おやすみの挨拶を口にし終えた時点で寝ていたと言っても大袈裟じゃないはずだ。
「ハノン。お前はこれを持っていろ」
ハノンに大きなタオルを持たせた。
首を傾げこちらを見上げる様は、犬そのもので笑いが込み上げてくる。
「何笑ってんの。ムッツリスゲベ」
「ほお? そんなことを言うならそのタオル、返してもらうぞ」
そのタオルを回収しようと手を伸ばしながら言った。
「何に使うのさ。このタオル」
「知っているか? お前がこの間人の姿に戻ったときは、全裸だったそうだぞ」
エドゥアルドのその言葉に、タオルを返そうとしていた手が止まり、そのタオルを再び自分の方へと引き戻した。
「そういうのは早くいいなよ。変態ドスケベめっ」
ハノンのこの悪態にも大分なれた。本気でそう思っているわけではなく、照れ隠しであることが分かってきたからだ。ただ、その悪態を向ける対象がエドゥアルドのみということに多少の不満を感じるが。
「もう、入るよ?」
「ああ、いつでもいいぞ」
ハノンがどんな時に人の姿に戻るのか、の第一実験として、我々が選んだのは庭園内にある噴水の水だった。
噴水の周りには、エドゥアルドとハノンの他にビバルとアナ、カイルがその様子を見守っている。
ハノンが噴水の中に足を踏みいれ、沸き上がる水が頭から被る位置まで歩いていく。固唾を飲んで、とまでは言わないものの、その場にぴりりとした緊張感が走った。
噴水は勢い良く噴き出している。
ハノンが噴水の水を頭から被ったが、その体になんの変化も見られなかった。
「ねえ? どう? 人間の姿に戻ってんの?」
「いや。駄目みたいだ。噴水の水では人間には戻らない」
噴水の水は、井戸から汲み上げた水を循環させているので、ここで変化が見られないということは、城で使用されている全ての水では変化しないと考えていいだろう。
あの池の水と井戸の水は一体何が違うんだ?
エドゥアルドが頭を悩ませていると、突然顔に水が飛んできた。
「うわっ」
「ははっ。参ったか」
ハノンは尻尾を上手に動かして、こちらに水を飛ばしている。
「こらっ。やめろっ」
「いいじゃん。今日なんか暑いしちょうどいい」
バシャバシャと噴水の中ではしゃいでいるハノンは、まるで子供(この場合子犬というのか)みたいだ。無邪気にはしゃぎ回るハノンに、エドゥアルドは呆れたが、それと同時に微笑ましくもあった。
ハノンがあまりに暴れるので、皆びしょびしょになってしまった。だが、怒るものは一人としていなかった。みんな笑っている。
服が重く肌に張り付くので気持ちが悪いが、日差しが暖かいので、すぐに乾いてしまうだろう。
「ハノン。私はちょっと池を見に行ってくる」
エドゥアルドが夢中で水遊びをしているハノンに声をかけると、水をポタポタとたらしながら噴水から出てきた。
「待ってよ、エド殿下。私も行きたい」
ハノンは、体をぶるぶると震わせて水滴を飛ばした。
それがエドゥアルドのところにまで飛んできた。
「こらっ。そういうことは人がいないところでやれ」
明らかにハノンは、わざとやったのだろう。けらけらと笑い声を上げる。
エドゥアルドは、ハノンを待つこともせず池へと向かった。
すぐにハノンが追い付いてきて、隣に並ぶ。
「一度お前の本来の姿を見たい。池に入って貰いたいんだがいいか?」
「うん。いいよ。……まさか私の裸が目的なんじゃないでしょうね」
残念だがエドゥアルドには、少女趣味はない。いたいけな少女の裸を見て興奮するほど、変態ではない。
かなり不振げにエドゥアルドを見上げるハノンを見て、苦笑が漏れたのは仕方のないことだ。
なぜこうまで変態扱いされなきゃならないんだ。
「タオルを渡しただろう? それを巻いておけば見られる心配はない。それにどうせ見るなら大人の女性のほうがいい」
「ほらっ、やっぱエド殿下は変態だよ」
「なっ。失礼だぞ。私のどこが変態なんだ」
エドゥアルドとて男なのだ。他の男と何ら変わらない。そりゃ男なんだ女の裸に興味もあるし、妄想だってする。そんなのは、当たり前のことなのだ。
「体全体から変態ってオーラが滲み出てんのよ」
埒があかないので、ハノンの好きに言わせておくことにする。
池に先客はいなかった。ひっそりと静まり返った池の奥は森となっている。
エドゥアルドが幼い時分には、この池で水遊びをしたり、森を探険したりしたものだった。そんなとき必ずお供するのはビバルだった。この間は、緊急事態だったのでゆっくりこの場所を懐かしむことも出来なかった。
「懐かしいな、ビバル」
「はい。ここでよく遊びましたね」
懐かしさの中にある切なさや温かさが心に染みていく。
その二人の郷愁を妨げるように、派手な水音と飛沫をたててハノンが池の中に飛び込んだ。
二人が現実に引き戻されたのは言うまでもない。
ぶくぶくと泡が上がってくる個所に皆の視線が集まった。
一番初めに目に飛び込んできたのは、美しい黒髪だった。
そして、その少女は姿を現した。