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修羅の時代  作者: 中仙堂
7/15

いざ宇治川

一日雨に暮れた翌日、青空の下に義経の前進部隊は、木鎚の音高く響かせていた。

川の流れは前日の雨で水嵩が増している。濁った水が怒濤となって行く手を阻んでいる。木曽軍との対決を求めて、前進して来たが、増水した川を其のまま渡っては、一万の兵の体力消耗どころか、下手をすると溺死等の不測の事態も考えられる。

上流の材木を山仕事に手慣れた者が伐採して、此処まで筏を組んで流し、渡河地点で臨時の橋造りをする事になった。

作業は不眠不休で三日で仕上がった。

そして愈々一万の兵が河を渡る事になった。所謂大量の筏を浮かべた、一種の浮橋である。橋は流れによる揺れを考えて、慎重に渡らせなくてはならない。

「一万もの兵士を一気に渡らせるとなると、大変なものよのう。」「弁慶イの字隊を呼べ」

「はっ。」

イの字隊とは軍の中でも特別に、山仕事など工作作業に手慣れた男達の集団である。

やがて今回の手柄を見せた四十名の体格の良い連中がやって来た。「只今、イの字隊到着致しました。」

「おうっ、早かったな。今回の橋造り、大変見事であった。礼を申す。」

「お褒めの言葉、有り難き幸せに存じます。で、ご用の程は如何なる事で。」

「ふふっ。一万の兵の移動愈々佳境。此れから畿内に入るが、長旅の中で兵士の志気弛緩が見られる。愈々敵陣近し、此の河を渡ったからには、敗れても逃げ帰る訳には行かん。」

「はっ、御意にございます。」

「その方達に命ずる。明日朝、橋を流せ。」

「はっ。殿、しかし後方との連絡や、味方の支援に支障がある事は…。」

「いや、わしは味方の支援は、当てにせぬ。」

「はっ。殿のお覚悟皆々良く肝に命じて承ります。」

今渡って来た橋が、直ぐ様流されると云う話は一万の兵に瞬く間に伝わった。

何となく不安がる者、又新たな戦意を燃やす若者等、様々であった。此の様な情報は改めて配下に伝える必要は無い事である。

又口角泡を立てて指揮者が説明する必要もない事を、若者は知っていた。

不退転の強い意志が大切であった。正に義経らしい簡潔さであった。「ようし、俺は御大将に従いていくぜ。」

「俺だってやるぜ。」

もう忽ちの内に一万の兵は戦意高揚、出発を待ちわびている始末である。

雲間から眩しい光がさっと差し込む中、義経精鋭軍団が延々と列を成す。中央の義経本陣が先陣と入れ代わる。その何物をも恐れない剛勇振り、潔の良さに全軍が沸き立った。

義経の馬上の凛々しさに

「うおーっ」

天地を揺り動かす歓呼の雄叫びだ。大変なカリスマである。

しかしその強さ、そのカリスマ性を一番危惧したのは果たして誰か、平氏か、都の公家衆か、対決を目前に控えた木曽の名将義仲か。

果たしてそれは源氏の総大将であり、義経の兄である頼朝であった。この異様な興奮振りを、肌身に戦慄として強く感じたのは義経の見張り番であり、配下の梶原であった。

この肌に粟立つ程の危機感を、逸早く鎌倉へ報じた。

「九郎義経殿に奇怪な挙動云々。」

しかし、鎌倉の頼朝はこの報告に、目くじら一つ立てなかった。「そんな事より、九郎を助けて早々に義仲を討て。と申し伝えよ。」とんぼ返りで帰って行った使いを見送り乍ら、頼朝は小さく舌打ちをした。

これを見ていた妻の政子は、不快な顔をすると、何も云わずに奥へ下がって行った。

目出たい義経の出陣に何事も無ければ良いが、源氏の命運の行く先は、この頃から暗雲が垂れ込んでいたのであろうか。

鎌倉の頼朝の居間には、奥に目立たぬ様、離れがこしらえてあった。二重の隠し戸の前には小姓の杉丸が侍していた。

離れには頼朝が小机を前に、書をひもといている。

「トン。」と一つ窓の扉が鳴った。

「来たか。」「御前に。」

「入れ。」「はっ。」

「若王丸、探査を命ず。」「はっ。」

「九郎の側近に兵器頭で近侍いたせ。良く見て、聞いて参れ。」

「承知致しました。」

頼朝側近の探査組が動き出した。その日の内に義経軍の兵器係補佐として、東海道を西走した。

いよいよ義経本隊は関が原へ差し掛かった。

此れを越えれば畿内である。木曽軍の揺動部隊と、そろそろ出くわす可能性もある。

「むむっ。腕が鳴り申す。赤鬼殿。」

「おおっ。青鬼殿か。」

左右の死角を抜かりなく見つめている弁慶に、興奮気味の大場政太郎が語りかけた。

「赤鬼殿、今朝程の伝令が云うには、兵器頭に鎌倉より補佐役が参った様子、どう見まするか。」

「うーむ、見張り役じゃな。鎌倉方は我々を信用出来ぬらしい。まあ、殿もお気付きの様だが、隠し事のお嫌いな方じゃ。我々は殿のお指図に従うまでの事。」「相判った。」

北に伊吹山を望む山地を越えると、右手に大きく琵琶湖が広がってくる。間もなく彦根である。限り無く続く湖岸を西南に下る。

夕闇に暮れ行く頃である。

「む、あれは何か。」人一倍に夜目の利く那須ノ余一が、夕餉の仕度をしていると、湖上に螢火の様な怪しい光りが、ゆらゆら点っていた。その数は時と共に次第に増えていった。

「何物、亡霊の仕業か。」

怯える下っ端の男に、

「亡霊何物ぞ。本当に恐いのは人の悪行ぞ。」弁慶が云い放った。「ふーむ。あれは湖族じゃ。琵琶湖に棲むと云う一族じゃ。」

その頃すでに琵琶湖には、多くの湖族が水路通行の利権を握っていた。「我々の動きをじっと見て居る。あの螢火は奴らの示威じゃ。恐るるに足らん。」

その夜更けに皆寝静まる頃、湖の沖合いから突然に銅鑼の音と共に

「わーっ。」と云う鬨の声が轟いてきた。

恰も寿永二年、富士川の戦いの時、河原で野営をしていた平家が、源氏の兵の動きで、突然目を醒まされた水鳥の羽音に驚き、右往左往の大失態で逃避した、そんなお粗末な一件が在った。

此れに比して、さすがの関東の荒武者共は、此れ位の事には些かも怯まなかった。

しかし、さすがに二晩も続くと、少々疲れが出てきた。

敵は沖合いに留まり、こちらの味方には舟が無かった。

五月蝿よろしく気を揉めども、相手には手が届かずに、兵達は気が立ってきた。

「者共、火矢の用意を致せ。あの蝿共には此れが一番じゃ。」

義経は弓の射手を五〇名づつ七組揃え、敵が近付く折に各組に一射づつ、目掛けて同時に射掛けさせた。

五十本の火矢が固まって七度も打ち込まれ、さすがの湖族達も肝を潰したらしい。

「火の脅しに対しては、火の威嚇じゃ。はははっ、逃げっぷりが又見事じゃのう、弁慶。」

「御意にございます。」

その夜は湖岸を焦がす程の焚き火が焚かれ、逆に源氏軍の力を誇示する事となった。

沖合いで船団の侵攻を翻し屈辱を味合わされたのが、湖族の一つを率いる山形雲衛門であった。

「腹立たしいが実に見事な挨拶じゃた。はっはっは。こりゃ和を以て奴と組む手段が一番利口なやり方よ。」

配下の彦三郎も「ごもっとも強い方に味方する。これこそ我々湖族の正道にございます。」

「九郎義経とか申す奴、青二才とは申せぬ中々の腹じゃ。何事も早いが勝ちじゃ。明朝、使いを出せ。館脇は居るか、館脇は。」

「はっ。此処に。」

「明早朝、陸に上がって源氏の使者に立て。」「はっ。」

「よいか、下手に出よ、彦三の申す様強い者に味方じゃ。貢物でも何でも持って行け。わしは出んぞ。」

「はっ。」湖族の中でも根っからの交渉上手が使者となった。

朝靄の中、竿の捌きも上手な若者数名に小舟は操られて、警備の隙を狙って接岸した。

「待てぃ。何物ぞ。」

「いや、待たれい。我ら湖族の使いの者じゃ。御殿九郎義経様にお目通りを許されたい。我らは湖族『山形一族』の使い館脇大介と申す。」

「よし、暫し待たれい。」

一同は半時も待たされたが、やがて大地を埋め尽くす源氏の大軍の中を通された。

さすがの館脇も此れまでに無い体験に胴震いを覚え、膝頭が戦慄く思いであった。

さすがに多い。まして今が盛りの源氏の本陣である。

「控えよ。」思わずぺたりと膝を付いてしまった。正面に眼光の鋭い若者が、辺りを睥睨している。その脇には四天王であろう。人とは思えぬ巨体漢を四名も侍らしている。

「一昨晩よりその方等、湖族の持て成し、大変面白かった。」

相当の覚悟で望んだ館脇は思わず全身に震えが走った。

「ははーっ。」

「はっはっはっは。もう、良い我らの返答も痛快であったろうが、はっはっは。」

その時館脇は驚いた。自分の膝の上に涙が、ぼろぼろっと音を立てて落ちた事を。あの底抜けに明るく、温かみのある若者の言葉に、中年の分別盛りの男が泣いたのである。

自分の才覚に溺れ、此の若い大将を翻弄するつもりが、この様であった。自分の迂闊さに泣いたのであろうか。

この自分達に無い優しさ、明るさに戸惑ったのか。

「はあっはああーっ。」

身も張り裂けるばかりに泣いた。この突然の出来事に義経のほうも又驚いた。

「はっはっは。此れは如何にした事か。」

しばらく咽び泣いていた館脇は

「お許しを、私不肖ながら御殿を籠絡する算段にございました。むむっ…。」

「はっはっは。そうか、差し詰め山形某の考えそうな事よ。配下の者の生死は、常に主人の手の内なれば、仕方の無い事じゃ。」

「う〜か、忝のうござる。」

「嘉藤、わしが全てを聞くにも及ばぬであろう。其の方、手厚く聞いてやれ。」

「ははっ。」結局、使者館脇は帰らずに、湖族の小者共には、使者館脇某の書状二通、主人への決別、並びに詫状が託された。義経軍は此れ等に関わらず、本軍を更に西へ進めた。

一方、湖族の山形某の陣地では、

「殿、小者が帰って参りました。」

「小者。館脇はどうした。館脇は。何を、ぬぬっ。とうとう裏切りおったな、あ奴めが…。」

「しかし九郎義経、小童ながら恐ろしい奴め。」

「あの…、如何致しますか。」

「ばか者めが、何を考えておる。あ奴が若造とて一万の大軍勢ぞ。腹立たしいが、われらの小勢で此れ以上何が出来る。しかし館脇め、お前は絶対に許さんぞ。」

哀れ湖族某も、此の大軍勢と、義経の若さ、技量には到底及ばず、歯噛みしながら湖岸の松林の根元で大軍勢を見送るしか無かったのである。

この度の木曽攻めに際し鎌倉は、大手攻めの範頼には五万、搦手の義経に一万の精鋭を配したが、西上する義経軍は愈々宇治川に望んだ。義経は此の度の宇治川一万の渡河に当っては、幸いに渡河地点の上流及び、下流で程良く河舟を多数集める事が出来た。

と云っても一々全兵員を舟で渡しては大変なので、河舟を沢山の板や綱で強固に括り付けて、簡易の船橋にした。

当時の戦では人一倍早く敵陣に乗り込む、先陣争いが盛んで、橋を渡るなど、まどろこしい無鉄砲な者は馬諸共、河に乗り出した。或者は馬上で、又或者は愛馬と共に並んで泳ぎ渡った。

未だ寒い時期なので溺れる者、凍える者も在り様々であった。

土地の百姓や町人、物好き等は近くの小高い丘の上から、源氏軍の必死な奮闘振りを、物見していたであろう。

「あれや、物凄まじい大丈夫なるや。早う渡れや、おーう危なげな事よ。」

其処此処にて、荒武者同志の一騎討ちが始まった。

同じ源氏同士故その戦い振りは壮絶を極めた。正に血で血を洗う如き悲惨な戦であった。

義経を始め四天王等は、諸々の戦いの手柄は小者に任せた。

早々に法皇の御所へ駆け付けるや、先ずは賢き御方のご無事を確かめると、御所の守備に参上したる名乗りを上げた。

大音声に

「鎌倉の前右兵衛佐頼朝が弟、九郎義経こそ宇治の手を攻めやぶりて、此の御所守護のために、馳せ参りし候へ。開けて入れさせたまえ。」

其れを邸内より、お耳にされた法皇は嬉しさの余り、参上したる者の全ての名乗りを致させよ。とのお許しを頂いた。

街道筋を一万の大軍勢が走る。緑の原野を大移動しながら、全てを喰い尽くすバッタの大軍の様にじわりじわりと大手から、又搦手から攻め寄せる白旗同士、源氏同士の攻防戦、攻めぎ合いであった。さすがに戦いの習わし、名乗り合いも、勝ち名乗りの口上も今一つ精彩が無い。

兵士達の顔も、やるせなさが漂っている。

獰猛果敢な関東武者ながらその心は繊細で、戦いによる殺生には、自分自身への申し訳が各々有るのであろう。

皇軍五、六万に対して木曽軍は数千の小勢であったが、七回程戦力を持ち直した。

哀れ多勢に無勢とうとう三一歳の若さで木曽義仲は、戦陣の露と消える事となった。敗残の将の亡骸は義経軍によって、手厚く葬られた。その日夕刻より木曽軍の敗北を、啼くかの様に都は、曾て無い程の豪雨になった。

「むむっ、良く降るのう。皆は夕餉か、良く飯は喰って居るか。そうか、今日は昔の友軍の弔じゃ。酒は足りないか、うん。皆、飲んで偲んでやれ。」心配りの細やかな弁慶だった。

宇治川で木曽軍を破るや、いよいよ平家と干戈を交える時が来た様だ。




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