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修羅の時代  作者: 中仙堂
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者共進めやっ。

寿永二年秋武蔵野に足掛け四年も長逗留していた義経も、いよいよ鎌倉より木曽義仲の追討の命が下った。

「木曽殿も、お公家参りには相当難儀した様じゃ。」

義経の複雑な想い、惻陰の情にかられるのは、同じ武人の立場として同情すべきものを、多々観てとれるからである。

義仲は鎌倉の命を受けると、大将軍として平家討伐に大手を振って上京した。

公家百官にとって、平家であろうと、源氏であろうと根本的には、同族であり武士集団に過ぎないのである。

程々に利用して自分達の安泰のみ願う。それが実体であろう。

あの大化の改新に於いて、公家も武家も一体となって、万乗の君をお守りして来た志は、人間の怠慢の中で、朝露の如く消え去ったのであろうか。

さしもの平家も山家育ちの荒くれ武士には適わなず、あっと云う間に、京の住まいから一掃されてしまた。

しかし勝利者の木曽源氏も、都の風の無情さに吹かれて、やがて手も足も出せぬ様に、誑かされてしまったのだろうか。

ともかく義経はそんな純情な田舎武士達に、同情するしか無かった。

何時の日か同じ立場に立たされた時、自分はどうなってしまうのか。

武勇に於いては、誰にも負けぬ格段の自信がある源氏であるが、事政治力となると、甚だ田舎人である。

其れにしても都からはなれた鎌倉に、居を構えた頼朝は武士集団を統括する立場として非常に用心深い人物であった。

義経は兄の見えない力に、恐れをなすしか無い。

しかしその用心深さは、言い換えると猜疑心の深さは尋常では無い。

後の源氏の命運が、源氏に味方しなかったのは、その鋼の様に冷徹な、頼朝の性格から来るものであろう。

「弁慶行くぞ。」

はっと、我に返ると目の前にその明るい表情が見える。

それは冒険心と、勇気と、情熱で誰にも負けをとらない主人、義経の目の輝きであった。

「命運は我に下った。只前進のみ。勝利有るのみ。」

その目に迷いは無かった。

「行きまするぞ、何処へでも。野を越え、山を越え、火の山、針の山でも厭いはせぬ。」

その主従の一体感こそ、他の武将達が妬ましい程、憧れる人間関係の華かも知れない。

昔、鞍馬の一童子が津々浦々で、拾い集めた宝物が何あろう義経武勇団の人々であった。

何物も恐れず、突き進む前に敵は無い。明るく輝く朝日を浴びて、白幡をなびかせる姿こそ、義経には似合っている。

「おい、おせん。」

この時、街道には偶然居合わせた馬子達が居た。

頼朝の命を受けた商人、吉次の一団だった。軍隊が動く処大量の物資が移動する。

今回は規模が大きかったので、手の空いたおせんも偶々呼び出されたらしい。

戦乱の厳しい時代であったので、こんな時おせんは、決まって用心に男支度で振る舞う。

「おせん、このアオの毛並みは、お前良く手入れをしているなあ。」

「ああ、そうですかい。」

今、この街道を行く武者姿の一団が、義経の軍であると知ったのは、一時前であった。

「おい、おせん。どうした、聞いて居るのか。」

馬子仲間の百助が、先程から話しかけているが、おせんの耳には入っていないらしい。

「白雁はどうしているのだろう。あの賢そうな目、気の強さ…。」

でもおせんは自分の心を偽っていた。

無意識に強い願望を記憶の奥に、閉じ込めていたのだった。

あのお侍さん。

あの若い大将が……、

その次の言葉が、自分の気持ちが恐かったのだ。

火照った顔の表情を他人に悟られないよう用心しつつ、妄想の総てを両方の手で振り払っていた。

奥州の女傑と云われた馬子のおせんが、一体何を考えているのだろう。

その時おせんは全身を貫く、強いものに惹かれて思わず見上げた。

「あっ。」

思わず声を出す程に驚いた。

誰あろう心の人が、私の小さな心を捕え、占領してしまった人が、馬上高く周りを見渡していた。

運命は何と意地悪なのであろう。

余りにもの羞恥心に、眩しさに、おせんは失神してしまった。

「おせん気が付いたか。」

「あっ。吉次さま。」

旅籠の一室に、おせんは寝ていた。

「辛かったろうな。」

「……。」

全身真っ赤で消え入りそうな、おせんは何も言えなかった。

「おせん、殿様に首ったけかい。」

思わずはらはらと、涙が溢れた。

おせんは、くるりと寝返った。状況はおおよそ納得した。

「申し訳ございません。」

「いや、謝る事は何もない。しかし殿様も驚かれた。突然目の前の馬子が倒れてのう。」

又大汗をかいてしまった。

「今、殿様は西国に居る平氏の征伐で、御旅の最中じゃ。その前に木曽殿と、命のやり取りがある。

女子のそちには、判らん事も多いじゃろうが、実際殿は大変な難儀を抱えておる。長い旅になるであろう。

殿のお側には百戦錬磨の男衆が一杯居る。わしが一つ、気掛かりな事は、殿が寂し気だった事じゃ。

戦に明け暮れ、明日の命が有るかどうかの中で、お側に華が在っても宜しいかとわしは思う。」

「殿には未だ、ご正室がござらぬ。わしが思うに、そちを正室にとは行かぬが、何処に居ても心の慰めになれる、女子の話し相手が居ても良いと思う。」

「……。」

「お前は中々器量も良い。又白雁を通しての縁も不思議じゃ。どうじゃ殿のお馬番をしてみないか。勿論馬の世話は、形だけで良い。」余り突然の事で、おせんは、色々の事が頭の中で回り始めた。

「おせん、返事は又後で良い。戦場に女がと思う者も居るだろうが、お前は『巴様』を存知て居るか。」

「いいえ。」

「さもあろう。」

「これから殿の雌雄を決する木曽殿の奥方の名じゃ。弓矢を持って戦場を駆け巡るそうじゃ。だが、おせんに其処までは考えて居らん。殿の日々のお話のお相手をして居れば良い。殿の事じゃ、いざと成れば女子供はそっと逃がしてくれるじゃろう。」

不思議な展開に、おせんは戸惑うばかりであった。

巴とはどんな人か。いや、それよりも自分は、殿の為に何をして差し上げられるのか。

もう、おせんは其の事で頭が一杯だった。

「者共進めやっ。」

「おうっ。」

霊峰富士の威容を眺めつつ、義経軍は進んだ。総勢一万。

ぞくぞくと続く軍勢は、壮観な眺めである。水も漏らさぬ陣容である、本陣の四方を固めるのは御存知、赤鬼、青鬼、石臼殿、佐藤継信の四天王。

弓矢は石臼殿や、那須の与一初め、多くの名手。馬の乗り手は、総大将の義経はじめ、梶原、他名だたる武将。

そして多くの兵卒に続き荷駄の列が延々と続く。

しかし、此の中に多くの者は気付かぬが、異色の顔が在った。

総大将義経の馬回り、其の数人の中に一人、小柄な男がいた。

いや男と見えたが良く見ると、其れは例の馬子おせんであった。

恰も木曽源氏義仲の妻、巴御前と見まごうばかりの、凛々しい武者姿であった。

思わず義経が云った。

「うん、女子にしとくのは勿体無い。なあ弁慶。はっはっは。」

「御意。」

恥ずかしさを被り物で隠しながら、行くおせんであった。

「吉次様。大丈夫でございましょうか。」

この大軍団を見送る中に、旅姿の吉次や馬子じいが居た。

「なに、世の中、勢いが大切じゃ。ぐずぐずしてたらあっと云う間に、わしや馬子じいじゃ。こう生きるも一生。

ああ生きるも一生。戦と云えどもあれだけの大所帯じゃ。

そう負け戦ばかりでもあるまい。何処に居ても死ぬ者は死ぬさ。

恋はするもの。若い者は羨ましい。」

「本当でございますね。」

大部隊の姿が見えなくなるまでに、半日もかかった。

漆黒の帳を見上げると、其処には満天の星が輝いている。

今が戦国の世とは到底思えない美しい世界だ。

空は限り無く高く、東の地平から次第に昇る月が、幻想的に夜空を演出する。

暫し眺めた夢の世界から、視野を下界に移すと、下の世界も満天の星であった。

地上を埋め尽くすのは、一万に及ぶ兵士の炊ぎの灯りであった。

遠く近く、どよめきと笑いが辺り一杯に満ち、この世とは思えない有様である。兵達は此の束の間、戦いを忘れ、家族を忘れ、何を語らっているのだろうか。

小高い処に本陣を張った義経と、幹部一同の休み処。義経は四天王に囲まれて、一日の疲れを癒していた。

四天王は気を利かして少々遠巻きに侍していた。やがて夜半には本陣周辺も落ち着いて来た様だった。

時折兵達のどよめき等が、遅くなっても読経の様に、また打ち寄せる波の様に聞こえていた。

その間の静寂の中に虫達の鳴き声が、遠慮勝ちに聞こえてくる。

先程から無言の二人。一人は勿論義経であるが、もう一人は男装のおせんだ。

「お殿様、お許しを…。」

「はっはっは。そなたは何を謝るのか。」

その場を取り繕う言葉を探しあぐねて、おせんが口を開くと義経は、とても可笑しそうに笑った。

「……。」

泣き出すおせんに義経は、肩に優しく上衣ををかけてあげた。

「まあ、泣くでない。吉次も相当気を使った様だ。そちにも何の咎めがあろう。」

「この度の事はわしも驚いておる。しかし不思議な縁よ、わしたちの月下氷人は、なんと『白雁』のようじゃ。

わしが強いて望んだ、憧れの名馬が白雁じゃ。あの憎たらしい程に頑固な馬は、人を寄せ付けないどころか、逆に人を寄せつけよるわ。わしもそうじゃが、おせんもそうじゃろ。

あ奴は馬にしておくのは実に勿体無い。」

「ほほほっ。」

「おおっ。漸く笑ったの。」

「まあ、心配はいらん事じゃ。配下の者には良く云って置いた。気の利く男達ばかりじゃ。」

「当面、戦場暮らし故、男支度は仕方が無いが、何れ女子として、身の回りは考えて置こう。」

おせんは何も言えなかった。しかし嬉し涙で一杯であった。

「起床っ。」

「起きろっ。起床っ。」

見張りの、けたたましい声に起こされ、あちこちで、どよめきが起こった。馬のかん高い嘶きも聞こえる。

朝餉の合図を知らせる太鼓が鳴った。

凄まじい食事の光景である。津々浦々の田舎からも、沢山集まった源氏武者。恐らく中には源氏を騙る、平家の落人も相当居る様だ。それが同じ釜の飯を分け合い、又奪い合いながら喰っている。

戦場も同じ人間社会。昨日敵するも今日は顔摺り会わして、旧来の友に似た馴染みの無節操振りである。しかし明日を生きて行く為には仕方の無い事かも知れない。

さすがに軍隊だけあって、あれだけの人数乍ら、食後の後片付けは早い。数百組みに及ぶ粗餐の庭は、あっと云う間に元の草原に返った。

「ピィヒョロロ〜。」

空高く一羽の鳶が舞っている。

「進めー。」

今日も又、行軍は続く。昨日前方に見えていた富士の高嶺も、やがて少しづつ後方へ去って行った。

長い道程も、長良川の大河に近付くと富士の山は、遥か山並に霞んでしまう。

旅の徒然に、鳥の姿や野良に立つ農夫の暮らし等を垣間見る内に、心が遂に和んでしまう。

突然山間から、

「キェーッ。」

と野猿の叫びに似た声を聞いた。小高い丘の上に平家の伏兵が潜んでいた。

蕪矢の唸りと共に宣戦を告げる、法螺や雄叫びの大音響が轟いて、山鳴りとなった。西国に去ったと聞く平家の軍勢が、木曽軍との戦いの前に立ち塞がった。

「行けー。敵は小勢なるぞ。」

なだらかな斜面を音を立て乍ら、坂落しに下って来たが、源氏軍が余りにも大軍勢なので、最初の勢いは何処かへ吹き飛んでしまった。「イヤーヤー。引き返すは卑怯者のやる事。恥を知れーっ。」

「まて、まて。これだけのわが軍の大勢なるが、明日は我が身ぞ、深追いするな。」

歳若だが戦にかけて、さすが天才は引き際をわきまえている。道々兵をまとめ統率する大将振りは抜群の上手さだ。気勢を削がれて一部の兵は憤懣やるかたない無い様子であった。


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