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修羅の時代  作者: 中仙堂
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会い難くして

遠く山間から、鶯の鳴く声も待ち遠しい陽気である。先日常陸を発った義経一行は、武蔵野の街道を上り、荒川の千住を渡った。

入り江に沿って湿原が広がり、都鳥と呼ばれる水鳥が群れているのを、此処、彼処に眺めつつ進んだ。

住処も無く、延々と放浪の人生を送る事に、半ば飽きてきた義経。やがて対面する肉親への想いと、期待が複雑に交錯して、仲睦まじく巣繕う鳥へも微かではあったが、羨望の想いを禁じ得なかった。

途中兵を休め乍ら品川を過ぎ、数日後に黄瀬川の宿にて、待ち受ける頼朝と合流する予定であった。

「何ごとじゃ。」

義経軍の行列の先頭が止まったので、全軍にひと先ず停止を命じた。

五名の見知らぬ武士が、正装でやって来た。兄頼朝の使いであった。

「鎌倉殿の上意である。」

使者は義経の前に丁重に迎えられた。

「九郎殿。某、頼朝公股肱の梶原景時と申す。以後お見知り置を。」

極めて慇懃に口上を述べた。見た目は穏やかそうな顔に、少々癖が有りそうな目の光りを、何故か弁慶は気にかかった。

「さて私、尊公より九郎殿のお目付け役を、仰せつかり申した。

今後共何がしかと、頼朝公よりのご指示のまま、目付け役に専心致しますれば、宜しくお願い仕る。」

「早々のお役目ご苦労に存ずる。兄者はつつがなく、お過ごしで。」

「ははっ。尊公、極めて御壮健で公務に精励致されておられます。」

「其れは我が身に於いても、嬉しい限りじゃ。」

すると梶原は形を改めると、

「此れより九郎殿の警護は我々、鎌倉殿の家来衆が引き継ぐ事によって、兵馬は此のまま止めて、御家来衆は二十名にて、お目通り願いたい。」

側に居並ぶ若武者の中から、

「二十名。いや、随分と…。」

すかさず義経が

「待てっ。佐々木。」

「ははっ。」

「兄君が申す事、至極当然。関八州一帯は最早、兄頼朝公のご支配下。兄上の弓矢の及ばざる処、無し故。物騒な軍馬は、今日は遠慮致そう。」

「皆には此処らで、じっくりと休んで貰おうか。」

一行は騎乗の義経と弁慶始め総勢二十一名で、頼朝の待つ陣屋へ向かった。地元の庄屋屋敷を仮の陣屋として借受けた。

沿道には多くの板東武者が居並んだ。陣屋に近付くにつれて、道の左右に幔幕が張られ、白い幟旗が春陽に眩しくはためいて居た。「九郎義経殿のお見えです。」

野外に張られた幔幕の囲みの中、兄と弟の座が設けられた。

「よう、参った。」

「久しく無沙汰を致しました。御壮健のご様子何よりでございます。」

「そなたも無事、堅固な様子。風の便りに聞いて居った。」

互いに見つめ合う中に、肉親としての温かさが感じられた。

「奥州の春は厳しいとか。大義であった。」

「云うまでも無いが、源氏の頭領のわしが居て、その弟の立場は厳しいぞ。」

「はっ、其れは肝に命じて。」

弟の、精一杯の背伸びに少々眩しさと、頼母しさを頼朝は感じた。

「すでに存知て居ろうが配下の梶原を、そなたの目付け役に申し付けた。板東武者としての心得等、皆の範とせよ。」

「ははっ。心して忠勤仕ります。」

「酒を持て。」

「ははっ。」

一同にも酒が振る舞われ、また稀有なる再会に恵まれた兄弟を前に、祝賀の舞いが一差し披露された。

板東武者らしく、凛々しい大らかな舞いであった。午後の残照に銀の扇がきらきら照り映えた。

夕刻、頼朝の軍勢が引き上げ、一時した頃義経軍はこの陣屋にて、一夜を明かす事となった

。明日朝いよいよ源氏武者の頂点である、頼朝の居る鎌倉へ向かって、改めて晴れの行進が始まる。

兄頼朝は一足先に立帰り、弟を迎える事になる。

「御目出度うございます。」

「うん、感慨無量である。」

「人生とは不思議なものよ。天涯孤独と信じて、山野を歩き回った鞍馬が懐かしい。何時の頃か兄上の事を聞いてから、ずっと此の日を待っていた。これも父上、母上の御導きかも知れない。」

鎌倉への道は頼朝軍が富士川の戦いで、平家軍を圧倒的に撃退した、凱旋直後の事で街道は非常に活気付いていた。

板東武者の武勇は、道々通る旅籠等でも評判であった。

「ほほう。鎌倉勢も仲々のもんじゃないか。」

すると其れを聞き付けて、

「これっ、意味有りげな申し様は物議の元じゃ、気を付けられよ。同じ源氏の友軍なるぞ。」

手柄話しには、やっかみ、妬みも良く有る事。しかし許容の箍が緩めば、身内同志内でも厄介な事に成る可能性もある。用心深い弁慶の老婆心であった。

鎌倉の頼朝の屋敷は賑わった。

富士川の戦勝に続く慶事続きで、どの顔も明るかった。

今朝鎌倉入りした義経軍は、特別、府内東外れに用意された屋敷と、家来衆の住まいになる、長家に入る事を許され待機していた。

日没頃、使者の導きの儘、義経とその家来達三十名は、静々と邸内に歩を進めた。

奥の広間には、中央に頼朝、少し離れて政子。そして左右に居並ぶ家来一同が控えて居た。

「九郎、良く参った。今日、兄弟として会い難くして、無事会える事も神仏の縁か。誠に目出たい限りである。」

「はっ、有り難き幸せに存じます。

兄上のご政道、武勇、街道中に遍く伝わり、遠く奥州の果てにても、九郎誇りに感じて居り申した。

我も板東武者の流れとして、勤めさせて頂く事、有り難く幸せに存じます。」

「そうか、それは良かった。」

「それ、こちらが我が家臣団、こちらが妻女の政子じゃ。」

「は、お見知り置を。」

義経が三方へ深く礼をすると、政子が、

「九郎殿、良く参られた。ご壮健のご様子ほんに頼もしい限りじゃ。皆、おもてなし致せ。」

「はっ。」

祝辞が続き、酒肴が並んだ。

やがて笛や、鼓が鳴り出し、舞いが始まった。目出たい祝宴であるが、義経にとって、この類いの宴席は余り得意でなかった。欠伸を奥歯でそっと噛み殺す事も、年嵩故のの賜物か。

しかし義経の一瞬の苦笑いも見逃さない頼朝の恐さであったが、やがて長い宴も何事も無かった様に無事終了した。

「殿、お疲れ様でございます。」

「うむ。」

頼朝の一武将となった義経は出過ぎず、しかし又喫緊の事態が在れば、先陣を切る武人の手本とも成った。

しかし九郎としても甚だ窮屈である事は否めない。さて常陸の国と云えば義経一行にとって、懐かしい土地になった。

一昨年鎌倉入府のため、この道を通った兄弟対面の慶事が思い起こされる。

さて時は春爛漫、道々野の花が咲き乱れ、人の心も浮き立たせる。

一行は頼朝の命を受け、この地方の治安を守る為に巡回する役目であった。とりわけ此の地方に、と云う事は訳が在った。

当時この地方には、夜な夜な魔物が出ると云う事であり、人心の安定を計るため、特別掃討の命が下った。

関東の地は古より板東太郎が蚕食していた。と云っても御存知、利根川の別名である。その名も暴れ河なるが故である。

出し抜けに

「いよーほっほぅ!」

若者の奇声が弾んだ。義経は数年以前、奥州の石巻以北に広がる田園地帯を思いだした。

つい此の間であるが、あの頃は随分と若かった様な気がする。最近頓に大人びて来た彼である。

思い出すのは、延々と続く緑の原野で愛馬の「白雁」を追っていた日々の事であろう。一段と分別臭くなった彼も今では源氏の、一武将として地方の見回りに精を出している。

時折、自由な日々が懐かしく思える。

「殿、五の関所でござる。」

「少々荒れているの。」すると、

「此れは此れは九郎様でございまするか。手前はこの里の庄屋でして、三つ熊の伝四郎と申します。」

「近頃この地に魔物が出るとか。」

「ははーっ。その事でございます。晩に成りますと、大盛山から賊が出て参ります。是が中々強うございまして。ふざけた事に天狗の装束をして出て参ります。」

「何、天狗とな。其れは懐かしい。ふぁはっはっ。で、何と為すか。」「はい、金品はおろか時には娘を攫って参ります。」

「ふむ、其れは笑って済まされぬ。許せよ。」

「わしは頗る天狗には縁が深くてのう。天狗共とは昔、鞍馬で沢山、相撲を取ったりした物じゃ。」

「…?」

「しかし、悪さを仕出かすのでは、是が非でも征伐せんとなるまい。」「なあに、おまけに天狗以外に、赤鬼、青鬼の付き合いもあっての。あっはっはっはっは。」

一同可笑しさを堪え切れず、思わず大声で笑い合った。其れが里の者に大分、心強く思えたらしく庄屋某も一先ず、安堵の色を見せた。

鎌倉と違い、関東の奥まった里では、夜にも成ると月灯り以外は、殆ど灯りらしい物は無かった。いつもと違い庄屋の家では夜更けまで、話声が絶えなかった。

だが、さすがに夜更けになると周りも、とっぷりと静まり返った。すると遥か彼方から、ぼろぼろの赤いのぼり旗を閃かせて、一団の男共がやって来た。一人一人異様な天狗面を付けている。田舎の細い道なので、細長い行列となってやって来た。

村外れの切り通しの所で、先頭の天狗が只ならぬ気配に、思わずぎょっとした。天狗の行列が出くわしたのは、身の丈の六尺越えるる大きな赤鬼であった。

すると後ろの方から

「ぎゃっ」と云う叫び声がした。

「鬼だ〜っ。」

「なんと。」狭い田舎道で、三十人程の偉そうな面を付けた天狗共は、前後から赤鬼、青鬼に挟まれて、蜂の巣を突いた様な大騒ぎになった。やがて各々が義経の家来衆に捕らえられた。

「これ、無闇に殺すでない。天狗といえど、矢鱈に殺生はいかんぞ。」強きには鬼神の弁慶も、弱者をいたぶる不遜な神経は、当然持ち合わせていない。

「如何致す弁慶殿。是くらいの事は、わざわざ殿のお手を煩わせる事も無かろう。」

「で、天狗殿の親方は何組か。赤か白か。」

「はっ、拙者平家の名将…。」

「いや、其処まで。武将たる者、主人の恥を曝すのは、偲び無い事じゃ。」

天狗面を外した男共は、はらはらと落涙した。

「辱い。」

「もしや貴殿が荒法師の弁慶殿か。その御名は都で以前、知れ渡ってござった。」

「時に、武人と生まれて、このまま荒れ野に屍を曝すのも偲び難い事であろう。改心あれば平氏方へ逃げ帰るも良し、山奥に入り、土に生きるも良し。しかし、宗旨変えは受け兼ねる。」

「有り難きお言葉、感謝致します。早速仲間内で身の振り方を相談致します程に、はい明日中にはお尋ね致したいと存じます。」

「うん、其れも良かろう。必ず待って居るぞ。」

「では、失礼仕る。」

月灯りに照らされて、哀れ天狗共は棲み家目指して、すごすごと帰って行った。

「赤鬼殿、手ごたえが無さ過ぎるのう。」

青鬼が不満そうに云った

「まあ、こんな物でござろう。はっはっ。」

「我々の本分は、左様な所に非ず。されどされどじゃ、我らは、お館様の手足じゃ。何れ源平の決戦は必ず来る。その日までの馴らしじゃ。」

「はーはっはっは。」

義経は此の年の秋口頼朝の命を受け、関東の名所高尾の麓に、賊の征伐に向かっていた。

平家追討と云っても世間は多事多難、頼朝に課せられた責任は膨大なものであった。

一々自身で解決事に当たって居る訳には行かない。

又西に平家有りと云えども、追討には“機”を計らねばならない。

何時旗揚げするかも大事の一つなのである。

平時と云っても配下を休ませる訳にもいかぬ。

舎弟と云えども甘やかす事は出来ない。

人に先んじて、先ず身内を遣わさねば直ぐに足元を掬われる。

しかし、九郎は否応無しに兄の為、いや武家の総師を立てて、良く動いた。

甲州街道を新宿の里から狭山に近付くと、ある唐松林の近くに一つの塚が建てられていた。

その前に大男が従者を従えて膝まづいて居た。一行は目も呉れず通り過ぎようとすると。

「お待ち下され。」と声が掛った。

「何用じゃ。」

弁慶が、其の旨を尋ねると男は、

「私は此の地で武門の端くれとして先祖の代から棲み居る者で秋部十六と申します。源氏の御大将の弟君がお目見えとの事を耳に致しました。何でも賊のご征伐にご下向と聞き、御供仕り先陣をお受け致したく、此処にお待ち致して居りました。」

「僭越ながら私此の地に於いて弓矢の道を極め、田舎ですが無双と申されております。勝手乍ら是非その腕前の程を、ご高覧頂きたく存じます。」

「そのお方、御前にて立って見せられい。」

秋部某、ではと立ち上がると弁慶も思わず後退る程の大男であった。差し詰め相撲の力士然とした体格に、思わず皆で見とれて居ると、

「其れ程申すのであれば技とやらを、ご披露あれ。」

早速臨時に弓矢の腕試しが始まった。

大男は特大の弓を差し出すと、先ずは弓を右、左に回したり古式の形を披露した。前方に設えた的に向かい、右に体を旋回するとじっと的を睨んだ。

やがて大振りの弓を構えて、大きく伸びをする様に差し上げると、其の侭ぐぐっと諸手を開き大三の構えで、不動明王の如く動かなくなった。

「むん。」

声にならぬ声で右手を開いた。

弓は「びゅっ。」

と鋭い唸りを上げ、的の真ん中へ当った。

思わず歓声や溜め息が上がったが、是だけであったら数有る源氏武者に適わない。

続く二の矢、三の矢が放たれると、各々が当って弾け飛んだ。

一の矢から五の矢へ、何れも驚く程正確さと破壊力があった。

しかし、やがて

「其れまで。」

厳しい掛け声が掛かった。

「弓の腕前は、何れも正しく天晴れなるが、我々は平家一族と、やがては生死を決する事になるであろう。腕前は並外れであるが、お手前の並外れた体躯は度を越えておる。弓を射て居る内に、ほれ息が上がっておる。戦場は山あり、川あり、失礼だが己が体躯の始末に困窮すると見る。戦場には向かぬ、諦めなされ。」

一同に溜め息が漏れた。がっくりと肩を落したのは秋部某であった。

義経一行はその日高尾を越えねばならなかった。

「ほーっ、名峰高尾とは聞いていたが、良く見えるわい。武蔵野一帯が手に取るようじゃ。早うせんと陽が暮れるわ。」

大急ぎで先に進んだ。すると、

「待て、待てい。しばし待たれよ。殿の御前じゃ。何物か、名を名乗れ。」

雑木林を掻き分けて、さては熊でも出て来たかと良く見ると、見上げる様な大男であった。

「そなたは先程の石臼殿。」

「何と云う執念じゃ。未だ判らぬか。」

「はーっはっ。お待ちを。」

肩で大きく喘ぐのは先程の大男であった。

「諦め切れませぬ。私は御殿と一緒ならば、火の中、いや地獄の果てまでも御供致します。どう生きるも同じ人生、殿に従って行きとう…。」

「判った判った。」

弁慶は仕方ない風で義経を見上げた。

「如何致しまするか。」

「はっはっはっ。我等武士の何れ行き着く果ては、地獄であろうか。修羅世界は間違い無かろう。道連れは多い方が、又楽しい物じゃ。むげに断るのも、無慈悲な事じゃのう。そなたに申して置く。我が身は自分で助けよ。」

「ははっ、」

大きな体を揺らして泣く姿は、見るに忍びなかった。




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