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修羅の時代  作者: 中仙堂
3/15

沈むを惜しむ

紅い太陽が西に傾き始めた頃、福原の清盛別邸に最近竣工した庭園では、宴席が酣を迎えていた。止ん事無き人々の中に、黄昏を惜しむ和歌も出て、此処ぞとばかりに立ち上がった清盛公は、音曲を後ろに得意の舞いを舞い始めた。

やがて彼は舞い扇を差し上げて、沈む夕日を招き寄せた。

「おおっ。」

一瞬太陽がぱっと雲間から出て、恰も沈むを惜しんで又昇り始めたかに見えた。平家の身内の者達は狂喜して喜んだ。

此の思い上がった老翁に、未だ馴染めない人々は、黄昏の薄明かりの中、あからさまに不快な表情を浮かべたそうな。

二日後福原の新都では、未明から表を多くの兵士達が、頻りに行き交う音で夜が明けた。

「六波羅様が危篤らしい。」

「そんな馬鹿な。」

「いや、誠の事らしい。」

「こらっ。そんな噂が漏れたら女子供でも首は無いぞ。」

しかし、一度湧いた秘密は如何に隠しても瞬く間に広がるらしい。三日目には近畿一円に噂は広がった。

其の頃、古都移転の狂想曲に乗り損なった人々が居た。

此処六波羅に近い藤原某の館には、年老いて官職を追われた翁が、独り庭先に佇んで居た。最近古都では多くの賊が現れ、好き放題に荒らし回って居た。

此処の翁の館も例外で無く、家財丸ごと失ってしまった。

「誠に嘆かわしい世間じゃ。」

命だけは助かったものの、明日の暮らしも儘ならずに、日がな呆然と過して居るのみであった。

此処奥州石巻近郊、鮎川にある名主の館では宵の内、人々の張り詰めた緊張がみなぎっていた。

廊下の行き来する音、炊き出しの甘い飯の香りがする。

「静まれ。」

館の中庭に義経股こうの武者共が、三、四十名集った。

奥から真紅の鎧姿も凛々しい義経が弁慶、主人、吉次をお供に入室して来た。

「源九郎義経、此れより平家並び木曽軍征伐の為、禁裏より令旨を受けた鎌倉の兄君の配下に付く。鎌倉の命に従い暫しその時を待ち居りしが、此処に愈吉日を定め、出立つの日を迎う。我が戦機南無八幡も御照覧あれ。」

義経の宣言に続き、総員で勝鬨を上げた。

大洋の荒波に突き出た牡鹿半島。未明の薄暗がりに、多くの松明がゆらゆら揺れる。

十五艘の小舟に鎧姿の男共が乗り込んできた。

「では。」「では、御無事で。」

多くを語らないその目に、皆々それぞれの決意が見て取れた。

一群の船団は、櫓を漕ぎつつ半島沖合いの、秘密の入り江に向かっていた。

「おおーい、こっちだ。」「来たぞ、来たぞ。」入り江の奥には、大きな洞がぽっかりと空いている。

船着き場に着くと、もう明け方の鮮烈な光りの中、深い水底まで良く澄んで見えた。

「はっ。」「とおっ。」

掛け声も勇ましく、十五艘の小舟から五十名の武者共が、三隻の軍船に乗り込んだ。旗艦であろうか。

中央に小屋掛けの船室がある。武具も、水も、食料も、吉次の計らいで、十分に積み込んである。

「では、参るぞ。」

「うおーうおーっ。」愈々満を持して一団は外海へ漕ぎ出した。総勢一五○名。明るい光りを横に受けて、義経、弁慶を始め、男達の顔が凛と引き締まった。

松島沖合いは波が荒い。嵯峨渓から少し内湾に入り込んだ。

「松島とは聞きしに勝る名勝よな。何でも八百八島が点在するとか。しかし、見事なものじゃ。」

山国育ちの義経は海に魅せられた様だった。「おお、あれが仁王ガ島とな。あっっはっは、どう見ても弁慶島じゃ。弁慶気を悪くするな。戯れじゃ。」

船は松島の内湾をぐるりと巡ると塩竈、仙台方面へ向かい、南下して行った。昼は沖合いを進み夜は岸辺近くに錨を沈めて仮泊した。その日も阿武隈川の河口、亘理の荒浜近くに仮泊していた。

さて夜陰に不吉な気配を感じ、弁慶は目を醒ました。岸辺に波音とは別の何者かが蠢く気配がする。

月明かりに目を凝らすと、武者姿の男達が数十名、こちらの様子を伺っている。突然に灯火が、ぽっと点ったかと思うと、三条の火矢がこちらの船目掛け飛んできた。

その内の一本が二番船に届いた。その明かりを目指して、数十本の矢が、ばらばらっと飛んできた

慌てふためく船内だが、森口吉エ門の叱咤で活気づき、義経軍は直に反撃に転じた。磯は腰までの深さで味方の軍勢は、ざっと水に入ると岸めがけて馳せ寄った。

「やあやあ、我こそは源氏の御大将九郎義経様が家来加藤忠五なるぞ。尋常に勝負勝負。」

あちこちで戦闘が始まった。出立早々の戦であった。これは絶対負けられぬ。

義経軍の迅速な反撃が効を奏した様である。敵方はバラバラッと逃げ帰った。

敵の一人を捕らえてみれば、平家の一族で、奥州に流れてきた落ち武者の一隊であった。

春先の海辺の合戦ゆえ味方の一部はずぶ濡れになり、戦力の維持のため、やむなく休憩を余儀なくされた予定外の上陸だった。

冷え切った体を温め、出直す為に、近くの民家を借り受け、翌日までまる一日暖を取った。

「申し上げます。」

見張りの若者が報告に来た。

「只今、地元の源氏方の者と云う方が、殿にお目通り致したいと申して居ります。」

一瞬不安な空気が立ち込めた。

「何名か。」

「はっ、二十名程です。」「代表の者二名のみ、目通りを許す。」

「はっ」数名の雑兵に囲まれ、質素な出で立ちをした初老の男二人が入って来た。

「御前へまかり出ますお許しを、忝なく存じます。」「何者じゃ。」

「ははっ、私先祖代々源氏の流れを頂きまする、地元の長田新衛門と申しまする。」

「明け方、当地で源氏の御殿が、窮地にあると聞き、取る物も取りあえず、親族一同を引き連れて参りました。これは正しく陣中見舞いの土産でござる。御前に献上致したいと存じまする。」

大きな包みを開くと、それは温かい炊き出しであった。先ずは長田某が一つ頬張った。

厳冬の明け切らないこの時節に、水まみれになる事は、非常に戦力の消耗に関わる事なので、この炊き出しと、一献の酒の差し入れは、義経軍全体の志気高揚になった。

用心の為にもう一夜は、厳戒体制の中、陸上にて暖を取った。次の日義経軍は心機一転、更に常陸方面目指し、南下していった。

「梶原殿は居るか。」

屋敷の奥から、主人の張りのある乾いた声が響いた。「ははっ、只今参上致しました。何かお急ぎのご用で。」

「おおっ相変わらず、そなたの忠勤振りよのう。」頼朝公は、いつも通りに朝食の後、居間で寛いでいた。

表の執務室に向かう前、書見台で本を読んでいた手を止め、独り物思いに耽っていた。

白い面長な顔だちに、細い切れ長の目を、やや伏せて。

「梶原殿、兼ねて存じておろうが、わしの弟の事じゃ。暫く前に殿上から、平家、義仲追討の沙汰が下った。あの男もようよう腰を挙げたらしい。

常日頃、忠義心に厚いそなたじゃが、この度の弟の目付役として、力添えを頼みたい。」

梶原はほんの微かに、ためらいの気持ちがあった。無表情の梶原が

「ははっ、光栄に存じます。」と言った言葉はやや鈍っていた。

心の中を見透かされぬよう、即時に応えたつもりだったが頼朝は。

「何か気にかかるか。」

「いいえ、滅相もござりませぬ。御殿の弟君は私にとっても…。」

と言いかけた梶原は、全身にぴりりっと緊張が走った。

すかさず

「殿への信義にかけて忠義を尽くしまする。」

梶原としては頼朝への忠誠心は変わり無いが、感の鋭い頼朝の心が、ほんのかけらでも疑惑として、己の方に向く事が恐しかったのである。

「はははっ、そちに任せたぞ。」

何くわぬ顔で表に出て行く頼朝に、剛直そうな梶原も冷や汗物であった。

「何ゆえ今頃拙者に。」何やら不安なものが潜在する予感に、肌寒い心持ちであった。

鎌倉はひと昔前には考えられぬ程、町並みに重厚さが増してきた。頼朝公は朝廷や京の公家衆から一目も、二目も置かれ、今や平家に代わる一大実力者と、自他共に認めつつある今、何ゆえに此の田舎街から、日の本の政治の表舞台へ参らぬか。

この事は今は触れずに置こう。

頼朝の執務を執り行う役所兼屋敷を中心として、東西に寺社、武家屋敷、商店、町人街まで、春の野辺に芽吹く花々の様に、驚く合間に街は変貌し続ける。

「おう、佐々木殿」

「何じゃ加藤か。」

「いよいよ動き始めましたな。」

「隣の居眠り犬の事か。」

「かはっはは、冗談でしょう。」

「悪かった。うん、みちのくの御方の事だろう。」「鞍馬山の小天狗殿か。」

「藤原殿がお許しなされたか。」

「いや、藤原様も、相当手を焼いたとか。」「でも随分と時間がかかるの。」

「いや、みちのくの雪は、人馬の足枷じゃ。途中の難所や峠越えも其れはもう大変じゃ。」

「いや、それこそ落ちぶれたと云え、平家の伏兵も居るぞ。」別の人だかりでは。

「何でも、みちのくの御曹子が行方知れずだそうな。」

「みちのくの果ての石巻とか云う里で旗揚げしたとか。」

「何でも、名勝松島の沖合いで軍船が暴れ回っていたとか。」

「みちのくの小天狗が、主従揃って討ち死にしたそうじゃ。」



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