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修羅の時代  作者: 中仙堂
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麗らかな日

今や伝説となりつつあった、華々しい源平の合戦の数々も過去のものである。


義経主従は源氏本隊の追跡を逃れる術を失い、捕縛の縄につく潔い覚悟を定めた時、主従各々の心の中には、不思議な程の解放感に満たされた様で有る。すると小船の背後からは、押し出す様に風が吹き、酒田の港の方へと引き寄せられるのであった。

「ふっはっはっ。不思議なものよのう。

逃れんとすれば、引き寄せられ。進まんとすれば、押し出されよるは。」

此処にも人生の不思議で、皮肉な現象が作用するらしい。

「おおっ。あれは梶原軍の面々よの。」

義経主従の潔さに剛勇で鳴らした源氏の追手も、肅然として頭を下げて彼等を迎え入れた。

「これは、これは。ご苦労でござった。」

剽軽な弁慶が皮肉めいた挨拶をかけると。

「なんの。お志し半ばで追手に掛かられる。……誠、同じ源氏武者として心苦しゅうござる。…むっ。」

一歩前に立って主従を迎える、さすがの梶原も真っ赤な顔を、半ば伏せ気味で指揮を執っていた。

傍らの鎧武者が、

「九郎殿。……」

「泣くな、定めじゃ。」

追手の中に涙する者も少なくなかった。

地元の名主の屋敷を仮の陣屋として借り受け、主従の問責を行う予定らしい。

主従は陣屋の広間へと引き連れられた。一般の兵士達は、極力屋敷からは離れた場所に遠ざけられ控えていた。

一同、入室すると正面に梶原が居た。

すると梶原は怪訝な顔をすると、捕縛の小者達に訪ねた。

「これ、此の者達は何奴じゃ。」

一瞬室内はどよめいた。

「殿。此処は裁きの庭にござりまする。」

「馬鹿者。其の様な事、分かって居る。じゃから、此の者達は何故此処に、引っ立てられて居るのじゃ。」

「はっ。」

側近の者達は、真意を汲み兼ねて狼狽えた。

「儂はもう、疲れた。」

「此のお方は先の源家の御大将…。」

「だまれっ。此処に居るのは僧形の者達じゃ。」

「儂は娑婆の科人を裁く身じゃが、仏徒を裁く術を、儂は知らんぞ。」耳を疑るのは小者ばかりでは無かった。

「梶原殿。お志は有り難いが、我等は罪ある身、潔くお縄に捕いたのも、何れ良く良く思案の上。」

「なんの。儂は仏徒ずれに顔馴染みは居らん。御仏の弟子ならば、御仏の宿願に応えられよ。儂は、頼朝公の捕縛の任を未熟にも、しくじり居った様じゃ。みんな仕舞いじゃ。」

先程から眼を閉じた侭であった義経は、やおら座を正すと。

「梶原殿、相済まぬ。」

「むっははっっ。」

「儂は聾になったわい。最早何も聞こえぬわい。」

梶原は小者達を引き連れると、奥の寝間へ帰って行った。

やがて、心利いたる小者が数名やって来ると。

「御坊殿。主より粗飯の布施でござる。」

主従は夜遅く、二日振りの食を喫した。

夢うつつの中、馬の蹄の音やら、武具の擦れ合う音、その音に驚き目を醒ます烏の羽音や、鳴き声も聞こえた様な気がした。

やがて深い霧が、陽光に照らされて晴れ渡って来た。長閑に鶏の時を告げる鳴き声も聞こえて来た。

梶原軍は一夜の内に消え去って居た。

「見事じゃ。好かん奴じゃったが。」何時の間にか起き出していた弁慶がしんみりと云った。

半僧半俗態の義経は強いて名を変えようと思わなかった。

七人の山伏姿の男達一行は、或時は托鉢を、又方々で勧進を努めて、奥州平泉へ向かった。

陽がとっぷりと暮れた或日、山間の集落で宿を借りる事となった。山道で出会った樵に訪ねて、集落の長の家を教えてもらったのであった。

「忝のうござる。」

「いえいえ、何もござらぬ賎ヶ家でござる。」

其の時義経は主の、ただならぬ気品に気が付いた。「時に主殿。失礼でござるが、貴方様の身なりに似合い申さぬ、立ち居振舞い。物言いに都人の風雅を観て取れ申す。」一瞬手を止めた主は、

「はっはっ。…皆様御坊の方々も、一角の修行僧とは思われませぬ。語らぬが花と申します。未だ人としての修行が足りぬらしいですな。」じっと考え込んだ弁慶が、

「もし、主は元はと申せば平氏でおいでか。」

矢張り知れてしまったかと云いた気に、

「源氏の御大将と観たが如何か。」その眼は異様にぎらりと光った。

「そう、と答えれば何とされ申す。」義経は凛とした声で静かに云い放った。

斯様な事も何れはあろうと、覚悟はしていたまでであった。

主はかっと眼を開くと。

「恩讐は、恩讐は忘却の谷底へ捨て申した。……しかし、未練は断ち切れずに居る。」

「はっはっはっはっは。弱い物でござるな。人とは。ふはっはっはっ。」

「そうでござったか。」

「聞かいで良いものを。…」

義経は眼に光る物をにじませて、詮索の過ちを悔いた。

「強いて御尊名は承らずにおこう。御坊、しかし白幡の御大将に、お一方おざった。情けの分かる御方が。」

「九郎とか申すお方、我々平氏にとって、悪逆非道と観ゆれども、屋島の戦の折には、その恩讐を越えて、我々平氏の御霊も共に祭られて下さったそうな。」思わぬ主の話に一同言葉も無く、其の場は暫く沈黙と化した。

奥州の鄙びた地で此の様な出合いが、まさかに有ろう事かと、皆不思議がった。

奥州の山並は薄紫色に霞み、遠く蔵王が白く薄化粧を見せている。時々吹く風が凍てつきながらも、春めいた陽光が振り注いでいる。

身体の芯から疼く様な活力が湧いて来る気がする陽気であった。

なだらかな丘を越えて一本の小道がゆるゆると続いている。

遠くから、近くから小鳥のさえずる声。近くの薮からは、山鳥の重苦しい鳴き声が聞こえて来る。

小道は途中で小さな清流を渡り、切り通しを抜けると、広々とした原野が続いていた。

今二人の男が汗を拭き拭き、坂を越えて歩いて来る。此の原野へ差し掛かると、修行僧らしい小柄で端正な姿の男が、「おやっ。」と遠くへと眼を向けた。

ほっと微笑む顔の先には、数十頭の馬が群れて居た。此処は人里離れた馬場であった。

其処、此処で馬の糞の匂いが漂っている。

「ふはははっ。馬か、懐かしいのう。」

「心が踊る様でございましょう。」

大男の方が笑いながら云った。

馬の群れの先には数棟の小屋があった。

小柄で端正な方の僧が、何とはなしに小屋へ近付くと、近くの畑で野良仕事をしていた年増の女が一人近付いて来た。

すると女は突然足を止めると、呆然と跪いてしまった。男の方も逸早く気付くと、思わず駆け寄った。「おせん。済まぬ。」

「此処に居ったか。」

大男は勿論弁慶であったろう。

既に気を利かして、遥か遠くへ引き下がっていた。

「弁慶済まぬ。」

固く二人は手を執り合った。

馬場の馬達が何事かと、こちらをじっと眺めて居た。

暫しの無沙汰に、悔恨の涙を堪え切れずに流す二人に、冷たい風も快く吹き付けた。

今や伝説となりつつあった、華々しい源平の合戦の数々も過去のものである。

「くっくっく。」義経は泣き笑いの中、

「又々、馬の世話か。ようよう好きじゃの。」

「ほほほっ。だって、殿様。他に何がございます。」

「源氏の御大将も形無しじゃ。」

「矢張り、馬子のおせんに、お数珠は似合いませんわ。」

「そりゃ、そうじゃ。」

「はっはっは。」

「ほっほほっ。」

波瀾に明け暮れた九郎にとって久方に平穏な、麗らかな日であった。



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