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修羅の時代  作者: 中仙堂
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甚だ蛇足気味である

何物も恐れず、突き進む前に敵は無い。明るく輝く朝日を浴びて、白幡をなびかせる姿こそ、義経には似合っている。



鞍馬の麓に小さな庵があった。最近になって保津川の方から出て来て、鞍馬の蓮尼庵で得度、受戒を受けた女性が居た。

千尼と云う波瀾の人生、其の人である。

生き物が大好きで、庵にやって来る鳥獣が、良く懐く程である。

毎日早朝からの勤行を修め、掃除朝食が済むと庵の裏庭に出て、栗鼠や、兎、小鳥等に残り物を与えたりするのが日課であった。

残り物と云っても、庵の生活からは僅かしか出ないが、其れでも彼女と気持ちが通ずるのか、良くやって来る。

今日も日課が一段落すると、裏庭にでた。

「ほほほっ。」突然の事に彼女は、泣き笑いで蹲った。

小鳥達も突然の事で、蜘蛛の子の様に飛び去った。

彼女は肩を震わして泣き出した。其の小さな肩に手を優しく、差し伸べた人が居た。

おせんは、蹲ったまま、「殿様、申し訳ございません。」

「待つ事が私の心の支えでした。毎日夢の中にお出での殿様の御姿が、或日突然お見えにならなくなり、是は不吉な知らせと、只その後は貴方様の事を神仏に祈り続ける毎日でございました。」

「私は木曽の巴様にはなれません。」

「そうか、おせんは、同じ女傑でも、心根が巴殿とは、ちと違う。また儂はそんな事を、お前には望んで居らん。」

「しかし、苦労を掛けたな、おせん。」

又、優しく両肩を抱いた。

「しかし、儂はそなたに詫びねばならぬ。儂は、今武士を捨てて居る。位階も何も無い。一介の世捨て人じゃ。おせんを幸せにする筈じゃったが最早それは叶わぬ。」

「はい。では、是からは。」

「東国。奥州平泉へ参って、藤原氏を尋ね、仏国土を創る手伝いをしたい。」

「奥州ですって。私も付いて参りとうございます。」

「はっはっはっは。儂は当然の事乍ら、天下のお尋ね者じゃ。今に鎌倉殿より、裏切り者、武士の風上にも置けぬ者。と云う事で相当熾烈な追っ手が参る筈。そちには此の京で、御仏のお弟子として、達者で暮らし。ゆっくり儂の菩提でも弔って居て欲しい。」

一時、愕然とし、項垂れたものの、元々気丈なおせんは、きっと九郎の顔を見据えると応えた。

「承知致しました。でも殿様の大願の果たせる日を、命懸けで御仏に祈りまする。」

「忝い。」九郎は上を向くと大粒の涙を、頻りに堪えて居るのだった。

驕る平家は久しからずとか。

治承四年源氏の旗揚げ以来、衰退の道を歩み続けた。

文治元年二十年の栄華は幕を閉じたのである。

平家追討の立て役者、九郎義経であったが、武家の頭領の家柄に生を受け、やがては兄頼朝公の、王道布設の為に先頭を切って木曽軍、平家の大軍勢を相手に戦線の日々であった。

が、修羅の世界を厭い、より人らしく生きる為鉾を捨て、市井に帰った。

しかし、是は到底、時代の趨勢から見ても許される事では無かった。梶原の讒言もあり、九郎謀反と聞けば、兄頼朝も逃げる訳には行かなかった。

壇の浦以後、大将義経の替え玉も、遂には身元が割れ、影の武将義経は遠く喜界ガ島へ流罪となった。

京の都は夜半より、久々の大風が吹き荒れ、家々の戸も固く閉ざされていた。

京の街中は義経探査の侍達が、東西を駆け回って居た。

そんな時、法皇のおわします御所の戸を、ほとほと叩く者がいた。門番の者が不振に思い、戸越しに訪ねると、

「お上に御用でございます。故あって此処で名乗りは出来申されぬが、今生の暇乞いでござる故、何卒お取り継ぎを。」と云う。

早速法皇の御寝間に、お伺い申し上げると。

「九郎に相違無い。内々にて中庭に通せ。」

との思し召しであった。

九郎はひたすら、身の不徳のみを詫び、暇乞いを伸べた。

法皇その誠意に痛く心を打たれ、形見の品を賜った。

「では、お上に置かれましては、恙無くお暮らしを。」

義経は身を翻して闇の中へ去った。

掌中の宝を失った法皇は寂しげに、お居間に籠られた。

都にはもう心残りは無いと、義経主従は京の都を去った。

一行は若狭の国の敦賀を目指した。

敦賀には吉次の忘れ形見、吉三郎が待って居た。

吉三郎は、おせんの後見として、余程の場合には、おせんの身を守護する事を申し出てくれた。

主従は夜半の闇にまぎれて、若狭の海を北上し、出羽の国の最上川下流の酒田から上陸する考えであった。

全て今は亡き吉次が生前より、最悪の場合の最善策を考えて、吉三郎に託しておいた手筈であった。

「吉三郎殿。父君、吉次殿より二代に渡る変わらぬ忠誠心。九郎、心より痛み入る。」

そっと、懐から形見の品を手渡して、礼を尽す九郎であった。

「梶原殿は居るか。」

鎌倉の頼朝の執務室へ、梶原が呼ばれた。

先夜平家追討の祝賀を終えたばかりであった。

梶原は頼朝の呼出しを受けて、一瞬冷水をかけられた様な、不快な戦慄を覚えた。

あの義経のお目付役を命じられた時から、今日迄の永い記憶が一瞬の間に思い出された。

「さて、今日のお呼びは何のお咎めか。」

自分としては何物も後ろめたい事は無いのであるが、人の価値観は様々である。毀誉褒貶あい半ばすると云う。人生何となろうとも如何し難いものである。梶原は心を落ち着かせ、頼朝の御前へ出た。「梶原、只今参上致しました。」

「平家の追討、ご苦労であった。褒美として…。あれを持って参れ。」「褒美として技の物、一振り遣わそう。」

頼朝は複雑な苦笑を、口元に微かに浮かべた。

「誠に相済まぬ、過日、九郎の目付けを命じた。此の度、九郎の奇怪な言動、振舞い、我等源氏の仕置きとして、誠に許し難い事である。梶原殿の忠誠を見込んで、大義ではあるが義経の追討を申し付ける。」

梶原は又、気の重い役割を命じられたものだと思った。

元々平氏の家柄に生まれた梶原であったが、頼朝旗揚げ後に頼朝の窮地を救った事が、源氏方へ転じた機縁であった。

源氏同士が追いつ、追われつの混乱した時代、梶原の存在が頼朝にとっては、頼み難い事ではあるが、好都合な存在であった。

梶原は判っていた。

それは頼朝の自分に対する信頼は、依然変わっていないであろうが、源氏方で自分の主流に対する関わり方が、そして自分の考えが相当反目を買っている事を。

是で自分の半生。

其の晩年の行く末が目に見えて来た事を。

武運ならば、是からの生き死にも、武辺者としては如何であろうとも只進むまで。

頼朝は梶原の返事を、辛抱強くじっと見守っていた。

やや、あって梶原は力強く、

「確かにお受け致し仕ります。源氏の者として、殿の信頼裏切らぬ様、其の御恩に報じ奉りまする。」

頼朝は、嬉しい様な悲しい様な、不思議な表情をして居た。

梶原は突然突っ伏して、

「殿。御心中を、お察し致しまする。」

と絞る様な声で云った。

頼朝はそっと、顔を背けほろほろと、流れる涙を堪えて居た。

秋ともなると日本海の海は非常に荒れた。

義経達の乗った船は商船であったが北前船が盛んになる以前の事、航路も未だ定かではなかった様である。

加賀、輪島、柏崎、新潟等を経由して北上した。

輪島の浜に着いた日の夕刻、地元の商家に一泊して、暖を取って居ると、宿の主人から回状が届いていると云う。

北陸道方面にも、源氏の探査が及んでいる訳である。

「む。油断のならぬ事だわい。一休み入れたい処なれど、明朝未明の出発じゃ。」

「承知致しました。」

その日の深夜、弁慶がうつらうつら寝ずの番をしていると、宿の下男が至急との事で知らせに来た。

「お客様お目覚めでしょうか。今、知合いの者から、知らせがありまして、源氏のお役人様が、見慣れぬ旅人を、取り調べに来ているそうでございます。家の主人が探りを入れて居りまして、早うお逃げなさいとの事です。」

「船はお約束通り、直ぐ立てる様、船頭が仕度を済ませて居ります。」「忝ない。おい、皆の者。出立ぞ。」

早暁なので屋外は未だ真っ暗闇である。

杉林がごうごうと、唸りを上げていた。

空には月が煌々と冴え渡って居た。

其の月明かりを頼りに、主従は宿舎を後にした。

細い坂道を下って行くと、濃紺の空の向こうに、海が白く鈍く光っていた。

遥か背後で松明が、ちらちらと点り乍ら、暗がりに光る蜘蛛の糸の様にゆっくりと近付いて来た。

「おうっ。お客人の皆様、早うお出でなせい。」

一声掛けると、船頭は無駄口を叩かずに、てきぱきと船を動かし始めた。

吉次の遺志は、配下に未だ生きて居た。

此の荒波と強風に乗り出す無鉄砲さは、事情はさる事乍ら、九郎ならではである。

岸辺は瞬く間に遠のき、出遅れた追っ手が悔しさ紛れに、弓を射て来たが、最早届かぬ船足であった。

大風を受けて船は、何度も沈みかけては助かり、危うい危機をようよう脱した。

船は疾風の様に走り、出羽の酒田沖合いへ着いた。

酒田の沖合いに着いた義経達一行は呆然とした。

夜半岸に近付こうとすると、酒田の街が万灯に輝いていた。

「はて、この時分街は寝静まって居る筈だが。」

「殿あれは恐らく我々主従の追っ手でございましょう。」

「うむ。帆を揚げるな。未だ向こうは、こちらに気付かぬかも知れぬ。此の侭風と流れに乗って北上しよう。」

静かに光を放つ街に、一瞥をくれて一向の船は更に北上した。

やがて海は大荒れに荒れ、数里も進まぬ内に押し戻されてしまった。最早此の侭酒田に上陸するしか無かろう。

「皆の者、如何しよう。」

皆押し黙った。目の前には赤々と万灯の光が待って居る。

すると誰かが云った。

「生きるも、死すとも殿と一つでござる。我等に昨日はござらん。明日への苦難が何であろうと、共に受けん。」

「良く云った。行くぞ弁慶。」

その一人一人の顔に失望の影は、微塵も無かった。

はっと、我に返ると目の前にその明るい表情が見える。

それは冒険心と、勇気と、情熱で誰にも負けをとらない主人、義経の目の輝きであった。

「命運は我に下った。只前進あるのみ。」

その目に迷いは無かった。

「行きまするぞ、何処へでも。野を越え、山を越え、火の山、針の山でも厭いはせぬ。」

その主従の一体感こそ、他の武将達が妬ましい程、憧れる人間関係の華かも知れない。

何物も恐れず、突き進む前に敵は無い。明るく輝く朝日を浴びて、白幡をなびかせる姿こそ、義経には似合っている。

戦乱の巷に生を受け、家族の愛情に恵まれなかった義経であった。武芸を極める厳しい運命を受け、其の中で豊かな人間性溢れた青年に育った彼である。

歳と共に人生に安らぎ平穏を願い、無常修羅の世界に埋没する事を、本当は厭うた一人であったと思う。

泰平を願う心と忠誠を尽す事の狭間に、人として相容れない葛藤は存在するが、その苦しみ悲しみの奥に、泰平成就の為の聖なる道は存在する事と信ずる。

人の世の儚さ故、人生劇を呆気無く退場する役柄も多いが、その寸暇の中にその人物の全てが生きていると思う。

盛衰記登場の人物群は、一人一人その葛藤の中に生き、人生の華を開花させたのであって、一人として無駄花は無いと信じたい。

大将源九郎義経 其の壮烈な人生の充足感は、主従であり、或ときは又、師であり友人であった弁慶始め、多くの仲間達の信義故のものであろう。その豊かな人間性はおせんはじめ、互いに人も動物もいとおしむ、深い愛情が源であろう。その後の彼等の人生は、あまりにも遥か昔の事にして、詮索し難い事なので何れ何かの折りに、探究し続けるのも一興かもしれない。

時代を創る背景として頼朝、梶原、吉次、他にも星の数程多くの人間がロマンを織り成す。その一人一人にはっきりとした人生観、人間観、が存在する。梶原等も或見方からすれば、当時の武将らの嫌われ者かも知れない。又頼朝は非常に冷酷な人物と捉えられる向きも有る様だ。しかしその一人一人、膝を交えて語り合ったら、又世の中の面白さ、人間の面白さが判ると思う。甚だ蛇足気味であるので、此処までとしたい。

平成十二年四月九日


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