歴史が崩れる日
翌日。
普段は穏やかな空気に包まれているフラムヴァーレの城下は、騒然としていた。
民は泣き、叫び、
中には荷を抱え、逃げ出そうとする者の姿さえある。
理由は一つ。
――ヒストリアボードが、新たな未来を書き記したのだ。
ガドライア帝国は、属国フラムヴァーレに対し一万の兵を差し向ける。
ガドライア帝国の英雄アレフ将軍によって、ゼイア王とシャルル王子の首を掲げ、反逆の咎を示すこととなる。
その文字を見上げ、民たちは口々に叫んだ。
「ゼイア王! あれは一体どういうことですか!?」
「ガドライア帝国に反逆なさるおつもりなのですか!?我々は聞いていない!」
――当然だ。
ゼイア王は、反逆など企てていなかった。
だが、民と国を守るのが王の務め。
帝国が来るというのなら、抗うしかない。
ゼイア王は兵を奮い立たせ、
同時に、民には避難を命じた。
シャルルもまた、ヒストリアボードに記された未来を、真正面から受け止めていた。
覚悟は、すでにできている。
「……カイラル。逃げてもいい」
そう言って、シャルルは静かに告げる。
「あれは“絶対”だ。
俺のせいで、お前たちに死んでほしくない」
だが、カイラルは即座に首を横に振った。
「何を仰るのですか、シャルル様」
微笑みすら浮かべて、言う。
「無謀王子は、今まで何度も運命を変えてきたでありませんか。私は死ぬつもりもシャルル様を見捨てるつもりもありません。お供いたします」
その言葉に、シャルルは何も返せなかった。
そして、それは義勇団も同じだった。
「シャルルは、僕たちが守るよ」
アルドフが、豪快に笑いながら言う。
「もちろんだ!」
ジェドも続いた。
「無謀王子一人じゃ、すぐ死んじまうからな!」
笑い声が上がる。
その全員が、ヒストリアボードに刻まれた未来が"絶対"だと知ったうえで、武器を取っていた。
フラムヴァーレ義勇団に――
誰一人とて臆する者はいなかった。
――その時は、ついに訪れた。
フラムヴァーレの城下に、もはや民の姿はほとんどない。
兵の中にも、恐怖に耐えきれず逃げ出した者はいた。
歴史に抗うため残った者は、義勇団を含めて千三百。
誰一人として命令で立っているわけではない。
全員が、自らの正義と覚悟のために、武器を取っていた。
「フラムヴァーレ騎兵の力を、ガドライア帝国に見せつけよ!」
「我らの王を守れ!」
自らを鼓舞する兵士たちの叫び声が、他の兵士へと伝播してゆく。
やがて、前線の砦の向こうから
ガドライア帝国の黒き軍勢が姿を現した。
歩兵に騎馬兵。
そして数は少ないが、飛竜に跨る兵の姿もある。
ガドライア帝国軍。
シャルルは、フラムヴァーレ義勇団と一部の兵を率いて前線に立っていた。
「……弓兵、放て!!」
号令と同時に、
ヒュンッ、ヒュンッ――!
風を切る音と共に、無数の矢が一斉に放たれる。
それが、開戦の合図だった。
兵たちは果敢に戦い、
そして次々と、戦場に散っていく。
フラムヴァーレの誇る騎兵隊も、
数多の戦場を駆け抜けた勇士たちも、倒れていった。
――だが。
ガドライアの兵たちは、わずかに動揺していた。
ヒストリアボードに刻まれた“絶対の歴史”。
それを知ったうえで、なお、これほど多くの兵が立っている。
それほどまでに信頼を得ているこの国の王は本当に、反逆を企てたのか――
疑念が、確かに生まれていた。
「シャルル! 危ねえ!」
その叫びと同時に――
ザンッ。
飛竜を駆る兵のハルバードが、上空から振り下ろされる。
それを庇い、前に出たのはアルドフだった。
ハルバードが、彼の身体を貫く。
「……アルドフッ!」
崩れ落ちるその姿に、シャルルの声が漏れでる。
「……すまない……」
アヴニルも、その光景を見ていた。
涙が溢れる。
だが歯を食いしばり、剣を握り直す。
戦場は、待ってはくれない。
「シャルル王子の首、貰い受ける!」
飛竜に跨る男が、声高に名乗りを上げた。
「私はガドライア帝国、アレフ将軍!いざ!」
シャルルは、槍を構え直す。
「我は無謀王子シャルル!」
叫びは、戦場に響き渡る。
「――ヒストリアボードの"絶対"の歴史に抗う者だ!」
シャルルとアレフの激しい戦いの最中――
戦場に、どよめきと歓声が走った。
「ゼイア王が……討たれたぞ!」
その言葉が、刃のようにシャルルの胸を刺す。
――父上が、討たれた……?
あの、優しく、尊敬していた父上が……。
動揺が、思考を鈍らせる。
動きが鈍る。
それは戦場において致命的だった。
その隙を、アレフは見逃さなかった。
「――もらった!」
飛竜の上から、ハルバードが振り下ろされる。
その瞬間を、アヴニルは見ていた。
アヴニルの見る世界が、遅くなるのを感じる。
「シャルル!!」
叫びと同時に、左眼が灼けるように熱を帯びる。
瞳の文字が書き換えられてゆく。
この戦場にいる誰も気づかなかった。
だがその瞬間ヒストリアボードの内容が、一部だけ書き換えられた。
シャルルは、アヴニルの声に反応し、
間一髪でハルバードをかわす。
そして――
槍を突き上げアレフの胴を貫く。
「……見事……」
それだけを言い残し、
アレフは力をなくし飛竜の背から地へと墜ちる。
シャルルは迷わずその首を刎ね、掲げる。
「――ガドライア帝国の英雄、将軍アレフの首は落ちた!」
戦場にシャルルの声が轟く。
「まだ戦うというなら、このシャルルが相手になる!!」
前線にいたガドライア兵たちは、その首を見て凍りついた。
「……英雄アレフ様が……」
誰かが呟き、
誰かが背を向け、
やがてそれは、波紋のように広がっていく。
黒の軍勢は崩れ引いていった。
空に浮かぶヒストリアボードには、こう記されていた。
ガドライア帝国はフラムヴァーレに侵攻し、
ゼイア王を討ち取る。
しかし、無謀王子シャルルの槍が英雄アレフ将軍を貫き、動揺した兵たちは戦場から逃げ敗戦する。
そして――
ヒストリアボードには僅かにひびが入っていた。
この日。
初めて、ヒストリアボードの“絶対の歴史”が崩れた。
ガドライア軍撤退後、シャルルは戦場の被害をその目で見渡していた。
義勇団も、兵も、多くのものが命を落とした。
そして――父である王も、もういない。
それでも――
自分が、まだ生きているという事実に、
シャルルはわずかな希望を見出していた。
ヒストリアボードは、もはや“絶対”ではない。
「……シャルル様。勝ったのですよね……」
沈黙を破ったのは、カイラルだった。
「ああ」
短く、だが確かな返答。
「では……兵たちに、鼓舞を」
シャルルは頷き、前へ出る。
「ここにいる全てのフラムヴァーレの英雄たちが!!――
ヒストリアボードの歴史を変え、
ガドライア帝国を退け、勝利した!!」
声が轟き皆が聞き入る。
「勝鬨をあげよ!!」
一斉に、歓声が上がった。
空気が震え、戦場に残った者たちの胸を揺さぶる。
その後、シャルルたちは仲間を弔い、
そして敵であったガドライアの兵たちをも弔った。
「……アルドフ……ゼイア王……みんな……」
アヴニルは、家族を失ったかのように泣いた。
彼が確かにここに属していた証だった。
数日が経ち、フラムヴァーレには、逃れていた民も少しずつ戻り始めた。
シャルルは、
新たなフラムヴァーレの王として立つ。
異論を唱える者はいなかった。
ヒストリアボードは、もはや絶対ではない。
だが、なお運命に抗おうとする者は、少ない。
それでも――
勇気ある者たちは、確かに動き始めていた。
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