絆の盾
一人では届かない場所がある。
強さだけでは足りなくて、
覚悟だけでも前に進めない。
アカデミーで初めて、
「隣に立つ」という選択が、重さを持ち始める。
デジタルバトルのカウンターが減り始めると、緊張感が一気に高まった。
この挑戦は、ただプレッシャーをかけるだけじゃない。戦略まで制限される。たった一分。どんなミスも致命的になる可能性がある。
アイアンハートさんが鎖を握りしめた。鎖が微かに金属的な光を放ち始める。あの鎖は以前、ハサウェイさんとのバトルで見たことがある。速くて、広範囲をカバーする。常に動き続けないと、すぐに捕まってしまうだろう。
手の中の糸を強く握った。糸は使い方次第で色々できる。でも、精密さと戦略が必要だ。勝ちたいなら、一つ一つの動きを慎重に計画しないと。
アイアンハートさんの鎖が大きく弧を描いて飛んできた。速い。反応する時間がほとんどなかった。何とか横に飛んで避ける。
「そう簡単に逃げられると思わないでよね」
彼女は笑みを浮かべながら、再び鎖を回転させた。二本目の鎖が足元を狙ってくる。捕まえようとしてるのか。
糸の一本を使って迎撃した。でも、彼女の一撃の力で、バランスを崩しそうになる。数歩後退して、距離を保とうとする。
「どうしたの?それだけ?」
彼女の挑発。でも、その自信を利用させてもらう。糸を複数の方向に張り巡らせ、デジタルフィールド内にほぼ見えない網を作った。
アイアンハートさんは気づいていないようだった。攻撃を続けながら、距離を詰めることに集中している。
「そんな小さな糸で、わたしを止められると本気で思ってるの?」
少し笑いながら、彼女の鎖の一本が糸を切った。
でも、彼女が予想していなかったこと――その糸は他の糸と繋がっていた。切断による張力で、複数の糸が同時に作動する。罠だ。彼女は後ろに飛ばざるを得なくなった。
「――はぁ!?」
アイアンハートさんが眉をひそめる。戦略を見くびっていたことに気づいたようだ。
そうだ、止められない。だから……。
糸の位置を調整して、彼女の動きをさらに制限する。
カウンターは進み続けている。残り30秒。
アイアンハートさんは時間の切迫を感じ取ったのか、戦術を変えた。直接攻撃する代わりに、鎖を上に投げ、鞭のように回転させて複数の糸を一度に切断した。
効果的だ。糸が崩れ始める。彼女はその隙に素早く接近してきた。
「捕まえたわ!」
胸に向かって残りの鎖が飛んでくる。
最後の瞬間、糸で即席の盾を作った。彼女の鎖が糸に絡まる。膠着状態。
アイアンハートさんは抜け出そうとするが、引っ張るたびに糸がさらに鎖に食い込んでいく。
残り15秒。彼女の視線と目が合った。
「あんたになんか負けないわよ」決意と苛立ちが混ざった声。
「……僕も」できるだけ冷静に答えながら、残った糸で最後の攻撃を準備する。
アイアンハートさんは諦めない。鎖の一本を解いて地面に叩きつけ、衝撃波を起こした。
この瞬間を利用して、距離を詰める。糸の網の最後の部分を作動させた。複数の糸が彼女の周りを――でも、僕の周りも締め付ける。
もし何もできないなら、彼女も僕も動けなくするか、共倒れにするしかない。
二人とも絡まった。体が衝突する。でも、この勝利を掴みたい。もう片方の手で糸を掲げ、二人を空中に持ち上げた。そして、急降下。
どちらも動けない。アイアンハートさんの体が密着して感じられる。パニックが込み上げてくる。でも、耐えた。目を閉じて、地面に落ちていく。彼女の方が大きなダメージを受けるはずだ。
アイアンハートさんが動こうとする。でも、その動きでさらに糸に絡まっていく。その動き――感じる。精神的パニックが襲ってくる。凍りついた。何も見えない。目を閉じているから。
「――ちょっと!」
彼女の叫び声。抜け出そうともがきながら、カウンターが最後の秒を刻む。
3、2、1、0……。
システムの金属的な声が響いた。
「ウィナー:アレン・ウェバー」
デジタルフィールドが消えた。勝利が確定する。
アイアンハートさんが勢いよく僕を押しのけ、立ち上がった。さっきまで僕が彼女の上に覆いかぶさっていたため、胸が詰まるような感覚が走る。驚きと苛立ちの混ざった表情で、彼女は僕を見下ろしていた。
「どうやったのよ……?」
何も言えなかった。勝利の重みを感じながら、バトル前に起きたことの不快感も残っている。
背後から霧崎さんの声。
「やっぱりね、アレンくん!勝てると思ってたよ!」
興奮した叫び声。
アイアンハートさんが信じられないという顔で振り返る。
「りん、何言ってんの!?あんた、どっちの味方なのよ!?」
霧崎さんはただ微笑んで、からかうような口調で答えた。
「あたしはみんなの味方だよ!」
目はまだ苛立ちで燃えていた。近づいてきて、フィルターなしに言葉を投げつけてくる。鎖よりも痛い。
「あんた、ただの自惚れ屋じゃない。わたしたちの誰かが、あんたみたいなヤツに興味持つとでも思ってんの?いっつも必死で注目求めてさ。それに、安っぽいトリック使って勝つなんて」
何も答えられなかった。彼女が信じていることは真実じゃない。それは分かっている。でも、言葉が真実である必要はない。痛むのに十分だ。
動けず、頭を下げたまま、彼女の声が響くのを受け入れた。
でも、霧崎さんはそれを許さなかった。
「アヤさん、もうやめて!」
霧崎さんが僕の前に立ちはだかった。予期しない盾のように。声は大きくないが、確固としていた。自制しているように聞こえる。
アイアンハートさんが眉を上げる。霧崎さんの介入に驚いている。
「りん、何してんのよ?あいつを庇ってんの?さっきやったことの後で?」
霧崎さんが深呼吸をする。適切な言葉を探しているようだった。
「アレンくんがしたことは悪かったって分かってる。正当化してるわけじゃないよ。でも、悪意があったわけじゃないって、あたしには分かるの」
アイアンハートさんが腕を組む。明らかに懐疑的だ。
「何でそう思うわけ?あんた、あいつの何を知ってんのよ?喋らない、説明もしない、そんなヤツの何が分かんの?何であんたが庇う権利があんのよ?」
霧崎さんが一瞬沈黙した。その質問が痛いところを突いたように。でも、後退する代わりに、一歩前に出た。アイアンハートさんに近づく。
「そうだね、完全には知らない。でも一つだけ分かることがあるの。アレンくんは悪い人じゃないって。少なくとも今回は、誰かが庇ってあげるべきだって。それがあなたと対立することになっても、あたしはやるよ」
アイアンハートさんが彼女を見つめる。困惑している。誰かにこんな風に挑戦されることに慣れていないようだ。特に霧崎さんのような人には。
数秒の緊張の後、アイアンハートさんが苛立たしげに息を吐いて、踵を返した。
「勝手にしなさいよ、りん。でも、わたしが認めるとは思わないでよね」
そう言い残して、アイアンハートさんは後ろを振り返らずに廊下を出て行った。
オズワルド先生が、驚きと面白がりの混ざった表情で観察していたが、沈黙を破ることにした。
「やれやれ……面白いドラマを演じてるじゃないか、君たち。まだクラスが始まったばかりだっていうのになぁ」
霧崎さんが振り返る。まだ少し緊張した表情だ。
「先生……」
彼は相変わらずの気楽な様子で笑った。
「あ、そうだ、思い出したよ。来週、ポイントを稼げる小さなイベントがあるから……そのイベントで、君たちの間の問題も少しは解けるかもしれないな」
内輪のジョークのような笑い声を残して、オズワルド先生は去っていった。霧崎さんと僕だけが廊下に残される。
オズワルド先生の言ったことを処理することすらできなかった。ポイントイベント?それが何を意味するのか分析しようとしたが、霧崎さんが視界に入った瞬間、その思考は消えた。
彼女が手を差し出してくる。立ち上がるように。
その手を取りたかった。でも、できなかった。結局、自力で立ち上がった。
しばらく、沈黙だけがあった。霧崎さんは言葉を見つけられないようだった。困惑と心配の混ざった表情でこちらを見ている。正しいアプローチを探しているように。
横目で彼女を見る。彼女はじっとこちらを見つめていた。外から差し込む太陽の光。廊下の窓から。その光が彼女を輝かせている。
その時、何かが変わった。
たぶん、霧崎さんが僕を守ってくれた方法だったのか。あるいは、アイアンハートさんが非難の目で見ていた時、そばにいてくれた方法だったのか。もしくは、久しぶりに、誰かが見返りを期待せずに信じてくれていると感じたからか。
あまり考えずに、手を動かして、彼女の手を取った。
ぎこちない動きだった。自分の手が震えているのが分かる。でも、止まらなかった。
霧崎さんが驚いて目を開ける。でも、手を引かなかった。
説明できない努力を込めて、そっと彼女の手を握った。そして言った。
「ありがとう、そして……すみません」
その言葉、シンプルだけど、その瞬間集められたすべてだった。
驚いたことに、霧崎さんが微笑んだ。大きな笑みでも、からかうような笑みでもない。温かい笑顔だった。それを言うのがどれだけ大変だったか、分かってくれているように。
その瞬間、久しぶりに感じた――安堵。
少なくとも今は、一人じゃないと知る安堵。
霧崎さんが小さく笑って、遊び心のある口調で言った。
「もう、やっとお礼言ってくれたね。また黙っちゃったのかと思ったよ」
二人とも少し笑った。一瞬、起きたことすべての重さが消えたように感じた。
でも、心の奥底では分かっている。これはただの始まりだと。まだ向き合っていないことがたくさんある。まだ克服しなければならないことがたくさんある。
でも、たぶん、ただたぶんだけど、霧崎さんのような人がそばにいれば、前に進む方法を見つけられるかもしれない。
* * *
週末だった。アカデミーの厳しいルーティンから解放される、貴重な息抜きの時間。古橋先生は週末の過ごし方について特に指示を出さなかった。おそらく、この時間は勉強に使うか、バトルをしてポイントを稼ぐかのどちらかだろう。既に部活動に入っている生徒たちはそこに参加できるけど、僕はどこにも所属していない。正直、何をすればいいのか分からなかった。
このアカデミーに来てから、人生が予想外の方向に進んでいる。それでも、何か胸の奥がざわついていた。もしかしたら、オズワルド先生が言っていた来週のイベントのことが頭に残っているからかもしれない。
スマホのカウンターを確認する。70ポイント。正直なところ、こんなに短期間でこれだけ稼げたことに驚いていた。でも、一点一点が大事だ。このアカデミーで学んだことがあるとすれば、油断は決して許されないということ。
「あ〜……よし、出かけよう!」
素早く準備を整えて、男子寮の廊下に出た。いつもより賑やかな雰囲気だった。周りでは、既に何人もの生徒たちがバトルに熱中していて、スキルが空気を満たし、光のエフェクトている。窓から外を見ると、そこでも対戦が行われていた。多くは男女混合のバトルだ。
中庭に降りることにした。新鮮な空気が優しく顔を撫でて、一瞬立ち止まって周囲を観察する。中央の庭園近くに生徒たちが集まっていて、二人の戦闘者が攻撃を交わし合うのを、みんな熱心に見守っていた。スキルは空気を切り裂く剣から、輝くエネルギーの爆発まで様々だった。
歩いていると、何人かの生徒が僕を見ているのが分かった。一年生だから簡単な標的だと思われているのか、それとも単なる好奇心なのか。まだ注目を浴びることに慣れていないから、無視して対戦相手を探すことに集中しようとする。自分を変えたいなら、もっと積極的に行動しなければならない。
グループを観察していると、背後から毅然とした、威圧的な声が響いた。
「ねえ、あんた。糸使いの男子。こんなところで何ボーッとしてんの?バトル探してんの、それとも時間潰し?」
振り返ると、彼女がいた。鮮やかなピンクに染めた短髪の女子が、自信に満ちた笑みを浮かべて僕を見ていた。その瞳には挑戦的な輝きがあって、行く先々で人を挑発するのを楽しんでいるようだった。
「あたしは九条みこ。誰だか分かるわよね?二度も自己紹介なんてしないから」
すぐには返事ができなかった。正直なところ、彼女が誰なのか全く分からなかったけど、その態度から、侮ってはいけない相手だと直感した。彼女は僕の沈黙に気づいて、嘲笑気味に笑った。
「どうしたの?黙り込んじゃって。あら、糸使いの男子ってもっと反応早いと思ってたのに。まあ……あんたもただの、面白そうに見せようとしてるバカの一人ってことかしらね」
苛立ちがこみ上げてきた。侮辱されたからではなく、彼女が僕を弄んで、挑発して挑戦を受けさせようとしているのが分かったから。明らかな戦略だった。
九条さんは傲慢に微笑んで、まるで何かを期待していたかのように話し続けた。
「あんたに、バトルを申し込むわ!」
彼女は指を僕に向けて、自信が溢れ出ていた。圧倒的なまでに。どこかで見たことのある雰囲気すら感じる。ある意味、アイアンハートさんに似ている気がした。
「もちろん。でも、ただのバトルじゃつまんないわ。あたしの時間を使うんだから、面白くなきゃね。20ポイント賭けるってのはどう?それとも……女子と戦うのが怖いの?」
挑発されるのはこれが初めてじゃないし、そういうことを言われると、もう誰にでも簡単に見透かされているような気がしてくる。でも、九条さんの挑発の仕方には、ただ者ではない何かがあった。彼女の自信は本物で、ただの虚勢じゃない。それでも、このアカデミーで前進したいなら、こういう挑戦から逃げるわけにはいかない。
「……受けます」
九条さんの笑みが広がった。スマホを取り出して起動させる。明るい光が僕たち二人を包み込んで、デジタルフィールドが形成されようとしているサインだった。でも、このバトルには重要な何かが欠けていて、その瞬間、声が聞こえてきた。
「わたしよ!」
アイアンハートさんが到着して、審判のエリアに立った。状況が理解できた。
「わたしがあんたに勝てなかったなら、みこが勝つわ。このバトルは負けたと思いなさい」
どうやらアイアンハートさんには、彼女のような仲間がいるらしい。だから九条さんからアイアンハートさんに似た感覚を受けたのか。反抗的な雰囲気が。
諦めの溜息が出た。アイアンハートさんに勝ったせいで、今度は彼女に目をつけられてしまった。彼女が不良なら、今や僕専属のいじめっ子ができたということか。
「あんたが敗北の味を知る番よ。あんたなんかFクラスの邪魔者なんだから、さっさと負けてアカデミーから消えなさい!」
彼女の言葉に、苛立ちと挫折感が混ざり合った。僕を見下そうとしているだけじゃなく、個人的な復讐に霧崎さんまで巻き込んでいるから。霧崎さんは僕を守ってくれて、アイアンハートさんと対峙してくれたのに、どうやらそれで彼女の態度は変わらなかったようだ。
「ああ、それとね、みこはCクラスよ。幼馴染であんたなんかよりずっと才能があるの。彼女がわたしの仇を討って、あんたがりんにしたことの報いを受けさせてあげるわ!」
その言葉が胸に刺さった。アイアンハートさんがあの一件をまだ根に持っているなんて信じられなかった。でも、本当に戸惑ったのは、アイアンハートさんと九条さんの繋がりだった。Cクラス……九条さんは強そうだ。それに、アイアンハートさんはきっと僕について何か悪い、間違った情報を彼女に伝えたんだろう。これ以上、この場所で敵を増やしたくないのに。
「演説は終わった、アヤ?」
九条さんはもうアイアンハートさんの話に飽きてきたようだった。
「無駄なドラマなんていらないわ。さっさと片付けましょうよ」
アイアンハートさんは眉をひそめたけど、返事はしなかった。九条さんの態度にムッとしているようだったけど、同時に彼女が正しいことも分かっているようだった。九条さんはここに話をしに来たんじゃない。勝ちに来たんだ。
彼女はこのバトルのルールを述べた。
「このバトルは失格なし。どちらかが戦闘不能になるか、わたしが決めるまで続けるわ。分かった?」
二人とも頷いて、デジタルフィールドが起動し始めた。広くて中立的な空間で、素早い決闘のためにデザインされている。周囲には低い遮蔽物があって、攻撃を避けたりブロックしたりするのには最適だけど、どちらかに大きな有利を与えるほどではない。
九条さんがスキルを使った。淡い赤い光を放つ、金属製のリボルバーだった。一見すると単純な武器に見えるけど、そこから発せられるオーラが、そうじゃないことを物語っていた。
「準備はいい、糸使いの男子!」
九条さんは真紅のエネルギー弾をリボルバーに装填しながら言った。
バトルが始まった。九条さんは時間を無駄にせず、すぐに発砲してきた。でも、遮蔽物の一つに隠れることで、直撃を避けることができた。
このバトルは失格なしということは、まだ知らない制限があるけど、このバトルでは許可されているということだ。環境と何か関係があるのだろうか?
――次回。
次に待っているのは、
単なるバトルじゃない。
組まされたバトル、
逃げ場のないルール、
そして観察する視線。
アレンの“自信”が試され、
ある選択が、後戻りできない結果を生む。
アカデミーのイベントは、
本当の意味で牙を剥き始める。
この先を、見逃さないで。




