再会と決意
夜は、不思議と本音を引き出す。
昼間では言えなかったこと。
強がりで隠していた傷。
何年も積み重なった誤解と、すれ違い。
過去は消えない。
でも、向き合うことはできる。
憎しみと恋しさ。
後悔と罪悪感。
そして、まだ消えていなかった想い。
それは、赦しの夜。
壊れた二人が、ようやく同じ場所に立つ物語。
どうか、この静かな決着を見届けてください。
日々は再び普通に戻ってきた。
僕はこの日常を心から楽しんでいた。どんなに些細な瞬間でも、僕にとっては忘れられないものばかりだ。Fクラスのみんなと一緒にいること……友達がいる、信頼できる人たちがいる……そんな感覚は、本当に久しぶりだった。
そして今日、授業が始まる前のこと――りんが突然、提案してきた。
「ねえねえ、アレンくん、今日のお昼、教室で食べない?」
「教室で?何で急に?」
「別に深い意味はないんだけどさ、たまには違うことしたら楽しいかなって!」
「でも、教室で食べるのって禁止じゃ……」
「ううん、大丈夫だよ!ルールには授業中に食べちゃダメとは書いてあるけど、昼休みについては何も書いてないもん」
そう言われて思い出した。確かに、廊下を歩いている時に他のクラスを見ると、教室の中で食事をしている生徒たちがいた。りんの言う通りなんだろう。
その時、アヤが近づいてきた。どうやらりんの言葉を聞いていたらしい。
「わたしも一緒に食べたい!」
続いてエリザも自分の席から声を上げ、最後にかんなが振り返って手を挙げた――彼女も参加するという意思表示だ。
マリさんがエリザの方を慌てて振り向く。
「え、エリザちゃん、わ、わたしは……?わたしも一緒にいていいですか……?」
距離があったけど、エリザがマリさんの対応に少し疲れている様子が見て取れた。悪い意味じゃない。ただ、マリさんは誰かが助けてくれると、その人に強く依存してしまう傾向がある。今回はエリザに完全にくっついている状態だ。
これはあくまで僕の推測だけど……そろそろマリさんの男性恐怖症を克服する手助けをするべきかもしれない。
僕にはその気持ちが分かる。異性への不安……僕も長年、女性が怖かった。人それぞれ感じ方は違うだろうけど、マリさんのケースは特に複雑だ。僕が感じていた恐怖とは違う。彼女の恐怖には、何か別のトリガーがあるはずだ。彼女なりにコントロールしているようだけど、限界もある。
その瞬間、エドワーが教室に入ってきた。
彼を見て、僕はなぜか直感した――エドワーなら、マリさんを試すのに最適かもしれない。
席を立ち、エドワーの前の席に座った。
「なあ、エドワー、頼みがあるんだけど」
「……珍しいな、君が頼み事なんて。何だ?」
「まあ……変に思うかもしれないけど、君が一番適任だと思うんだ」
「回りくどいな。さっさと言え」
「マリさんのことなんだ。彼女の男性恐怖症を克服させるのを手伝ってほしい」
「はあ!?自分が何を言ってるか分かってんのか?」
「頼む!僕はまだ彼女とそこまで親しくないし、正直、僕が適任だとは思えない……自分でもよく分からないんだけど、君が彼女にぴったりな気がするんだ」
「……何を言ってんだ、お前」
まあ、こういう反応は予想通りだ。
僕がやろうとしていることは、りんが僕にしてくれたことと同じだ――誰かを信頼させること。残念ながら、僕は適任じゃない。確かに、異性への恐怖という点では共通点があるけど、僕たちはその恐怖を異なる方法で処理している。だから、マリさんの恐怖を完全に理解できる自信がない。もちろん、彼女と話せば理解できるかもしれないけど……何か違う。誰か別の人が、彼女を安心できる場所から引き出したい。それが僕の感じていることだ。
「一つだけ聞かせろ、それ次第で考える」
「ああ、何だ?」
「これ、レンに頼まれたのか?」
「レン?いや、全然。これは僕が自分で思いついたことだ」
エドワーは視線を逸らし、諦めたようにため息をついた。
「ってことは、君もあいつと同じこと考えてたのか……やれやれ」
僕にはエドワーが何でレンを持ち出したのか分からなかった。
「分かった。やれるだけやってみるよ。それに、ボクにも君やレンと同じ能力があるってことを証明するいい機会だしな」
能力?今、何の話をしてるんだ?
よく分からなかったけど、とりあえく承諾してくれた。それは良かった。
そして平穏に一日が過ぎ、昼休みになった。
みんなが僕の周りに集まり、他の机を近くに寄せた。マリさんも近づこうとしたその時――
エドワーが彼女に話しかけた。
「なあ、マリ。頼みがあるんだけど、ちょっと付き合ってくれないか?」
マリさんは背が低く、エドワーは背が高い。その身長差に完全に萎縮している様子で、返事をしようとする。
「わ、わたし……え、えっと……そ、その……」
完全に言葉が出ていない。だけどエドワーは巧みに対処した。
「そんなに時間は取らないよ。食べる時間はあるから、ちょっとだけついてきて」
マリさんは緊張しながら頷き、少し距離を置いて彼について行った。その前にエリザに別れを告げる。
「ご、ごめんなさいエリザちゃん……一緒に食べられなくて……」
「大丈夫よ。行ってらっしゃい」
エドワーとマリさんが教室を出て行く。
僕はただ、自分の判断が正しかったことを願うばかりだ。
そういえば……いつも昼休みになると、レンは何も言わずにどこかへ行ってしまう。どこへ行ってるんだろう?まあ、レンのことだから、大したことじゃないんだろうけど。
みんなが昼食の準備を整えようとした時、りんが慌てて辺りを見回し始めた。
「どうしたの、りん?」
「ジュース忘れちゃった……」
彼女がたった飲み物を忘れただけで落ち込んでいるのを見て、僕は助けたくなった。
「心配しないで、りん。買ってくるよ!」
「本当!?」
「ああ!」
「ありがと、アレンくん!」
出かけようとした瞬間、アヤが嬉しそうに手を挙げる。
「わたしも何か買ってきて!」
……彼女の言葉を聞いて、僕は完全にお使い係になった気分だ。
その時、かんながアヤを見て、それから僕を見た。
「……私も。何か飲み物、持ってきてくれる?」
もうみんなの分を買いに行くなら、エリザの分も必要だろう。彼女の方を振り向くと、微笑みながら首を横に振った。どうやら何も要らないらしい。でも、きっとそれは遠慮しているだけだ。エリザはそういう人だから。だから、彼女の分も買っていくつもりだ。
廊下を歩きながら食堂へ向かっていると、その手前にあるガラス張りのドアの前を通り過ぎた。そのドアからは外が見える……
その事実が、僕の足を止めた。
なぜなら、外のベンチに座っている人影に気づいたからだ。
目の端でその影法師を捉え、立ち止まった。そして……見てしまった。
そこにいたのは――ひめかだった。
でも何かおかしい。それが最初に頭に浮かんだことだ。
彼女は……一人だった。誰も隣にいない。悲しそうに見える。
何があったんだ?
あの日以来、彼女を見ていない……話しかけようともしていない……
まだ彼女を怖いと感じているのか、それとも彼女に近づく権利さえあるのか……分からない。
でも間違いなく、あんな風に一人でいる彼女を見ると、胸が締め付けられる。何かが内側から強く心臓を圧迫しているような感覚だ。
どれくらいそこに立って、遠くから彼女を見ていたのか分からない。
三分だったかもしれない。五分だったかもしれない。
分からない。
でも、我に返った時、視線を逸らして……見なかったふりをした。
結局、りんたちのところに戻ったけど、ひめかを見たことは誰にも話さなかった。
ひめかは僕の過去の一部だ。
でも今、彼女に再び近づくのが良いことなのか、悪いことなのか……分からない。
理論的には、僕たちには未解決の話があるはずだ。少なくとも、僕はそう感じている。僕の深いところには、二人の間で明確になっていないことがたくさんある。
それに……あの日のことを思い出すと……色々なことが起きたけど、間違いなく一番記憶に残っているのは、彼女がバトルに負ける前に言おうとしていた最後の言葉だ。
彼女は何を言おうとしていたんだろう?
ひめかを再び見てしまったせいで気が散り、僕は不注意で飲み物をこぼしてしまった。
この日は間違いなく違う日だった。
今のところ、ただ一つ願うことがある。
もうひめかを見たくない。
* * *
今日もいつもと変わらない日だ。
りんと僕が早めに教室に着いて会話をし、そこにアヤが加わる。エドワーがマリさんを助けるために近づいてくる様子を見る。みんながそれぞれ何かをしている。
友達全員を見ていると、胸が熱くなる。
ここは僕の家のような場所だ。ここには、守りたいと思う人たちがいる。
そう感じる。
昼休み、今回はみんなで食堂へ向かった。
そして、到着する直前――再び見てしまった。
あのガラスのドアで……
外に……ひめかがいた。
一人で、誰もいない場所で、食事をしている。
その表情を見ると、僕の幼少期の記憶がたくさん蘇ってくる……
それ以上考える前に、りんが僕の肩に触れた。
「アレンくん、どうしたの?行こう、食堂混んじゃうよ!」
僕はまた、見なかったふりをした。
誰にも彼女のことを言わなかった。
ただいつも通り、日常を続けた。
でも……ひめかのあの孤独な顔を思い出すだけで、僕の中で何かが激しく掻き乱される。
* * *
……今日は、よく眠れなかった気がする。
頭の中でひめかのことばかり考えてしまう……そんなの久しぶりだ。
くそっ!なんで今なんだ?
なんでひめかは今でも僕をこんなに動揺させるんだ……
少なくとも恐怖ではない気がする。でも……何か別の、自分でも理解できない何かが、彼女を思い出すだけで不快にさせる。
彼女は演技をしているのか?
何か企んでいるのか?
答えがない。
昼休みの間、わざとみんなから離れて、ひめかを見に行った。この数日間見かけた場所にまだいるのかどうか確認するために。
そして到着すると……
ひめかは相変わらず、いつもの場所で、いつもと同じ表情で食事をしていた。
手が震えているのを感じる。
彼女を見て、こんな感覚を味わうのは久しぶりだ……
でも、それ以上に何か……理解できない何かが、僕をひどく不快にさせている。ただ彼女を見ているだけで。
僕は再び踵を返して立ち去った。
でも歩きながら、自分を責め始めた。
一体何をやってるんだ?
ただ行って、まるで展示されている動物を見るように彼女を眺めているだけじゃないか。
なんでそんなに気になるなら、何かしないんだ?
なんでただ観察したいだけなんだ?
なんで震えてるんだ?
なんで怖がってるんだ?
彼女が引き起こしていた恐怖はもう克服したんじゃなかったのか?
僕は拳を握りしめた。
自分自身が理解できない。
ひめかを責めたいとさえ思う――僕の新しい生活を乱したことを。
でも、そこまで意地悪じゃない。彼女を責めることはできない。
ただ、たくさんの疑問と不安を感じているだけだ。
一人の人間が別の人間にこれほどの影響を与えるなんて……信じられない。
それに……僕たちは今、何なんだ?
僕は彼女にもう友達だとは思っていないと言った。その言葉に従うなら、ひめかに重要性を与えるべきじゃない。
でも……彼女を見て、何か悪いことが起きたかもしれないと考えるだけで、胸が苦しくなる。
あの日の再会以来、僕が見たひめかは、ほとんど昔の彼女のようだった。
でも今見ているひめかは……僕たちがまだ子供だった頃に出会ったひめかを思い出させる。
おそらくそれが、今こんなに辛い理由なんだろう。ただ彼女を見ているだけで。
今、ひめかに何が起きているのか分からない。
でも一つ確かなことがある。
今、ひめかは悲しんでいる。
理由は分からない。
でも、分かる。理解できる。
なぜなら、彼女を見ると、
子供の頃に出会ったあの悲しいひめかを思い出すから……
* * *
一週間が過ぎた。
昼休みになるたび、僕は同じ場所で彼女を見かけた。ひめか。一日も欠かさず、いつも同じ場所に座っている彼女の姿があった。
最初は偶然だと思った。でも二日目、三日目……と続くうちに、それが偶然じゃないことに気づいた。
彼女はいつも一人だった。
その光景を見るたびに、胸の奥で何かがざわついた。不安、心配……そしてまた、あの恐怖が蘇ってくる。ひめかに関わることで、また何かが壊れるんじゃないかって。
でも……このままじゃいけない気がした。
今日こそ、話しかけよう。お互いにとってショックかもしれない。でも、この胸のモヤモヤを晴らすには、それしかない気がした。
昼休みになって、みんなが食堂に向かおうとした時――
「悪い、先にトイレ行ってくる。先に行っててくれ」
みんなが食堂へ向かうのを見送ってから、僕は外の廊下へと続く扉へと向かった。
いつもの場所を覗き込む。
……いない?
今日はいないのか? いつもあのベンチに座ってるのに。
諦めて戻ろうとした、その時だった。
外に通じるドアの向こうから、誰かが走ってくる音が聞こえた。顔を上げると――ひめかだ。何かを抱えて、息を切らしながら走ってくる。お弁当……だろうか。
その瞬間、別の方向から男子が歩いてきた。
外廊下を仕切る壁が視界を遮っていたのか、ひめかは気づいていない。角を曲がった瞬間――
ドンッ!
二人がぶつかった。
次の瞬間、ひめかの手から弁当箱が宙を舞い……地面に叩きつけられた。
「――!」
気づいたら、僕は数歩前に踏み出していた。
でも――足が止まる。
……本気で行くのか? 本当にいいのか?
ひめかに話しかけたら、今の生活がまた変わってしまうかもしれない。
それでも――
僕は扉を開けた。
外に出た瞬間、男子の怒鳴り声が耳に飛び込んできた。
「おい! 見ろよ、制服汚れたじゃねえか。どうしてくれんだよ!?」
「わ、わたくし……本当に申し訳ございません……」
「謝れば済むと思ってんのか? お前、あの不知火ひめかだろ? なあ、ちょうどいいじゃん。デートでもして償ってくれよ」
あいつが屈み込んで、ひめかの腕を掴んだ。
「待って! いや、離してください――!」
その瞬間、体が勝手に動いていた。
「ひめかから離れろ、今すぐに!!」
全力で男子を突き飛ばした。
「ッ痛ってぇ……! 何しやがんだテメェ、誰だよ!?」
視線の端で、ひめかを見た。
彼女の目が大きく見開かれていた。困惑と……何か別の感情が混じった瞳で、僕を見つめている。そして――彼女の手が、震えていた。
それを見た瞬間、怒りが込み上げてきた。
「出て行け! 二度とひめかに近づくな!」
「はあ!? てめぇ誰だよ、何様のつもりだ!?」
言葉に詰まった。でも――今はそんなこと関係ない。
「……僕は、彼女の幼馴染だ。それだけで十分だろ。ひめかに手を出すなら、まず僕を通せ!」
男子は僕を睨みつけた。何か言おうとして――周りに人が集まり始めたのに気づいたのか、舌打ちをして立ち去った。
……終わった。
でも、僕はひめかの方を見ることができなかった。体も動かない。ただ目だけが、彼女を探そうと彷徨っていた。
「おい、お前、彼女を立たせてやれよ!」
野次馬の一人が叫んだ。
その声に、まるで命令されたかのように体が反応した。
振り返って――ひめかに手を差し伸べる。
緊張で手が震えそうだった。
彼女はゆっくりと、その手に自分の手を重ねた。
――何年ぶりだろう。
柔らかくて、僕の手より少し小さい。昔はもっと小さかったけど。
懐かしさと、緊張と、色んな感情が一気に押し寄せてきた。
「……あ、ありがとうございます……」
信じられなかった。彼女が、僕に礼を言うなんて。
どうすればいいのか、わからなかった。
ひめかは僕から離れて、地面に落ちた弁当箱を拾い始めた。
またあの感覚が蘇る。一週間ずっと感じていた、あの胸の痛み。
気づけば、僕も隣で拾い始めていた。
「……ここで待ってて。何か買ってくる」
「え!? そんな、わたくし、ポイントはございますから――」
「いや、買わせてくれ」
「……だから、そんな必要は――それに、何でまだここにいるんだ……?」
「……わかりません、正直」
「……なんだよその答え」
片付けが終わると、ひめかは何も言わずいつものベンチに座った。ただ、空になった弁当箱をじっと見つめている。
僕は拳を握りしめた。
「待っててくれ、ひめか」
食堂へ駆け込んで、何か買って戻る。
……良かった。まだいてくれた。彼女なら、もう立ち去っててもおかしくなかったのに。
「はい。君の昼ごはんが無駄になったのに、何もしないわけにはいかないだろ」
ひめかは包みをじっと見つめた。
「これ……おにぎり、ですの?」
「ああ。好きだっただろ」
「……それは昔の話ですわ。今は嫌いですの」
「えっ――何で?」
「ただ飽きただけですわ」
手に持ったおにぎりを見つめた。知らなかった。彼女が、もう好きじゃなくなってたなんて。
僕が覚えてる彼女は……もう、今の彼女じゃないんだ。ひめかは、変わってしまった。
でも――彼女は突然、おにぎりを受け取った。
「……仕方ありませんわね。せっかく買ってきてくださったのですから、いただきますわ」
「無理しなくていいよ、嫌いなら――」
「黙ってなさい。食べますわ」
小さく齧りながら、ゆっくりと食べ始めた。
僕はもう、何をすればいいのかわからなくて――ただ、彼女が食べる姿を見つめていた。
「……そんなに見ないでくださいまし……」
「あ、ごめん……」
「……座りなさいな」
反射的に、言われた通りに座ってしまった。
……なんだか、昔に戻ったみたいだ。そういえば、彼女はよく僕にあれこれ指図してたっけ。相変わらず、お嬢様気質は変わってないみたいだ。
沈黙が降りた。
彼女が食べ終わるまで、何も言葉が出なかった。
そして――理由もなく、空気が張り詰めた気がした。
怖くはなかった。怒りも感じなかった。ただ、微妙な居心地の悪さ。まるで、もう痛くないけど、まだ苦い記憶と再会したような。
そんな感覚だった。ひめかの隣に座って、無言でいるっていうのは。
数秒が過ぎて――彼女が口を開いた。
「……久しぶり、ですわね」
声は穏やかだった。でも、その目には笑顔と合わない影があった。
「……ああ、そうだな」
視線を完全には向けられなかった。声の緊張が、自分でもわかった。でも、気づかないふりをした。
短い沈黙。
二人とも、過去の話をすることが傷口を開くようなものだとわかっていた。でも、誰もまだ、それに触れる勇気がなかった。
「まさか、あなたとまた会うなんて思ってもみませんでしたわ」
「僕も……」
彼女は軽く笑った。優雅で、完璧に計算されたような笑い。
でも――スカートの端を強く握りしめているのが見えた。
小さな仕草が、言葉よりも多くを語っていた。
「あなた……相変わらず、ですのね」
「どういう意味?」
「そんな真面目な口調で話すこと。昔はもっと笑ってましたわ」
視線を落とした。
確かに、そうだ。彼女と再会してから、何かが変わった。彼女への信頼の一部が――。
「……大人になったんだよ」
「大人になったのか、心を閉じたのか」
彼女は迷わずそう言って――でもすぐに視線を逸らした。まるで後悔したかのように。
「あ……ごめんなさい、そんなつもりでは……」
「いや、いいんだ。君の言う通りだから」
きっと、彼女が言ってるのは、僕が彼女から離れた過去のことだ。でも……それは、彼女がそう望んだからじゃないのか?
視界の端で、ひめかの横顔を見た。
その後の沈黙は、さっきより少し柔らかかった。
初めて、胸の重みなしに呼吸ができた気がした。
色々あって、僕らは離れた。でも今――彼女の隣に座っていて、悪い気分じゃない。
「君も変わったよ、ひめか。昔は何にでもすぐ怒ってたのに」
「それで今は?」
「今は……人間らしくなった」
「もう! なんですのその答え、わたくしは昔、化け物だったとでも言いたいんですの!?」
「……かもね、ははっ!」
彼女は短く――でも今度は本物に近い笑い声を上げた。
「……進歩、ということにしておきますわ」
風が、僕らの会話を運んでいった。
二人とも、見えない綱の上を歩いているような感覚だった。
ひめかは空を見上げて、呟いた。
「ねえ……わたくしのこと、憎んでいるかと思ってましたわ」
数秒、黙り込んだ。
正直、長い間――憎んでた。そう思ってた。
でも今、こうして彼女を見ていると……同じようには感じられなかった。
「憎んでない。ただ……理解できなかった」
「わたくしも、自分のことが」
その答えに、武装解除された気分になった。
皮肉もプライドもない。ただ、脆い正直さだけ。まるで、意図せず零れ落ちたみたいに。
しばらく、誰も何も言わなかった。
やがて彼女は立ち上がり、スカートを優雅に整えて――無理に作った笑顔で言った。
「また話せて……少しだけでも、嬉しかったですわ。アレン」
頷いた。
「ああ……僕も」
彼女が歩き去るのを、僕は黙って見送った。
恨みや冷たさを予想していた。でも実際に感じたのは――もっと複雑な何かだった。
そして――また無意識に、体が動いていた。
立ち上がって、彼女の後を追いかけた。
「ひめか!」
彼女が振り返った。
そこで僕が見たのは――
涙で潤んだ瞳。必死に堪えようとしている、透明な涙。
「ひめか……どうしたんだ?」
「何でもありませんわ……ただ……」
わからなかった。ひめかは深い痛みを抱えている。何か――彼女を苦しめている何かがある。
助けたい。
不思議だった。ひめかの前だと、あまり考えずに動いてしまう。だから――思いついた。
「ひめか。後で……話せないか?」
「話す? わたくしたちに、何を話すことがありますの?」
「たくさんあるよ。僕は……僕たちの過去に、けりをつけたい」
「いや!」
突然、彼女が声を荒げた。
「わたくしたちの過去に、けりなんてつけたくありませんわ!」
彼女は俯いた。
……もしかして、誤解されてる?
「ひめか、ちゃんと聞いてくれ」
「え……?」
「けりをつけるっていうのは、僕たちの違いを整理するってことだ。お互い、あの時何があったのか、何を思ってたのか……疑問があるだろ。それを全部、はっきりさせたい」
彼女は何も言わず――ゆっくりと顔を上げた。
視線が交わる。
あの鮮やかな青い瞳。久しぶりに、こんなに近くで見た。
「……本気、ですの? わたくしたちの友情を……終わらせたいわけじゃないの?」
「……わからない。でも、はっきりしてることは――君と話したい」
沈黙が積もる。
でも――
「……わかりましたわ。どこで会いますの?」
ひめかと再会してから、ずっと感じていた。
過去との決着が、少しずつ近づいている。全てが終わりに向かっている気がした。
夜、寮で会おう――そう伝えた。一番落ち着いて話せる時間だから。
彼女が歩き去るのを見送る。
揺れる髪。優雅な足取り。
その姿を見て――胸が痛んだ。
……と同時に、安堵した。
たぶん、過去っていうのは一度で乗り越えられるものじゃない。
ただ――怖がらずに、もう一度向き合う。
それだけで、いいのかもしれない。
次回――
過去との和解。
涙のあとに残ったのは――脆くて、確かな希望。
けれど、物語はそこで終わらない。
変わろうとする者。
変わり始めた関係。
そして、夜の静けさの中で芽生える“新しい距離”。
許しの先にあるものは何か。
友達としての再出発か、それとも――。
まだ不確かな未来に向かって、二人はもう一度歩き出す。




