絆の盾
噂は、いつも静かに始まる。
そして気づいた時には、人の心を深く蝕んでいる。
追いかけていた“犯人”の影は、
最も向き合いたくなかった存在へとつながっていく。
逃げ続けてきた過去が、ついに現在を捕まえに来る――。
目を開けると、白い天井が視界に入った。眩しい光が目に刺さる。少し横を向くと、そこにはアカデミーの医者が立っていた。名前が……思い出せない。
その瞬間、まるで列車に轢かれたように、あの光景が脳裏に蘇った。めまいがして、抑えきれずに――また吐いてしまった。
「あぁもう!せめて吐く前に言ってよ。これ掃除しなきゃいけないじゃない」
先生は露骨に嫌そうな顔をして、隠そうともせずにそう言った。
「……すみません」
そう答えようとしたが、ひめかの記憶が頭をよぎり、胃が締め付けられる。
「まぁいいわ。それより、何があったの?検査結果では体に異常はないわよ。打撲が少しあるくらいで」
「……まず、どうやってここに来たのか知りたいんですが」
「友達だって言う女子が君をここまで運んできたのよ。絆創膏を取りに行ったけど、図書館に戻ったら大勢の生徒が君の周りに集まってたって。それで他の生徒たちと一緒にここまで運んでくれたのよ」
そういうことか。意識を失った後、図書館の入り口に倒れていたところを皆に見られたんだ。ハサウェイさんは、あんな状態の僕を見て驚いただろうな。
「ところで、彼女はどこに?」
「彼女?ああ、君を運んできた子のこと?もう寮に帰ったわよ。というか、もうかなり遅いから君も帰る準備した方がいいわ」
ハサウェイさんはもう行ってしまったのか。窓の外を見ると、真っ暗だった。本当に遅い時間になっている……
胸の中が空っぽだった。奇妙な感覚。ひめかがこのアカデミーにいると知ったことが、まるで人類最悪の悲劇であるかのように感じられる。彼女がここにいるなんて、受け入れられない。どうして?どうして彼女がここにいるんだ?僕が何をしたって言うんだ?
深く傷ついていた。先生はそれに気づいたのか、こう言った。
「正直言うとね、長年ここで働いてきて、たくさんの生徒を見てきたわ。見ただけで、その子が深刻な問題を抱えてるかどうか分かるのよ。もし話したいなら、聞くわよ」
隠しても意味がない。深く息を吸って、全てを話した。ひめかを見た時の恐怖、何年も埋めようとしてきたトラウマ、彼女がここにいるという事実だけで震えてしまうこと。
先生は黙って聞いていた。時折頷きながら。話し終えると、タブレットを閉じて真剣な目で見つめてきた。
「つまり、二度と会わないと思ってた女子が……このアカデミーにいるわけね。世間は狭いわね。それとも、運命って皮肉なものなのかしら」
頷いたが、何も言えなかった。彼女は続けた。
「これはただの提案だけど、もし彼女がここにいるプレッシャーに耐えられないなら、アカデミーを辞めることも考えた方がいいかもね」
その言葉に凍りついた。すぐに反論した。
「――え?どうして僕が辞めなきゃいけないんですか!?そんなの不公平だ……僕は……」
感情が溢れ出し、目に涙が溜まった。今まで積み重ねてきたもの全て、自分の中で感じていた変化全てが、崩れ落ちそうだった。ここで築いたものを失いたくない。絶対に!
先生はため息をついた。
「落ち着いて。やれって言ってるわけじゃないわ。極端な選択肢を出して、君の反応を見たかっただけよ。この場所が君にとってどれだけ大切か分かったから、二つ目の提案をするわ」
涙を手の甲で拭いながら、困惑した表情で見つめた。
「その苛立ちと恐怖を、弱さじゃなくて強さに変えなさい。ここに来てから、君は自分の恐怖と向き合ってきたのよ。自分では気づいてないかもしれないけどね。過去のトラウマは大きい、それは間違いない。でも君は、他の人が考えもしないような一歩を踏み出してきたわ」
「そうは思えません、先生。僕はまだ十分に変われていない……」
「本当にそう思う?じゃあ説明してみて。君が言ってた女子たち……りんさん?ハサウェイさん?それにあの子……えっと……アイアンハートさん!それとあ……黒神さん!彼女たちと関わって、話して、心配もした。それって変化じゃないの?」
この先生、名前を覚えるのが苦手なんだな……でも面白い……それに、言っていることは……
一人一人の顔が浮かんだ。彼女たちを通じて、どうやって恐怖を乗り越えてきたか。それぞれが個性的で、それぞれが違うことを教えてくれた。それぞれが勇気をくれた。
それぞれとの会話、やり取りを思い出した。話したんだ、確かに。少しずつだけど、信頼し始めていた。
「君の問題は、自分を過小評価しすぎてることよ。その子がそんなに怖いなら、なぜ対峙しないの?彼女が君にしたことを返してやればいい。一番痛いところを突いてやりなさい。彼女は君を深く傷つけた。だから返してやればいいのよ!これは復讐じゃない。ただ恐怖と向き合うだけよ」
その言葉が深く響いた。
「幼少期のトラウマは壊滅的なものになり得る。でも君はそれと向き合ってる。誰もがそうする勇気を持ってるわけじゃない。私から見れば、君は自分が思ってる以上に変わってるわよ」
こんなに攻撃的になるなんて、考えたこともなかった……ひめかと対峙する……不可能に聞こえる。でも、もし彼女が核で、全ての根源なら……対峙すれば恐怖が消えていくかもしれない。治るかもしれない。
「先生、そうすれば治ると思いますか?」
「馬鹿言わないで。この手のトラウマは一晩で消えないわよ。でも彼女と対峙すれば、何かいいことが起こるって保証するわ」
先生の言い方に、今まで感じたことのない希望が湧いた。この胸の奥深くにある感覚は何だろう?
「とりあえず寮に戻りなさい。担任の先生には連絡しておいたから」
軽く微笑むと、先生は保健室を出て行った。一人残された。
また涙が溢れてきたが、今度は苛立ちからじゃない。混ざり合った感情――混乱、安堵、恐怖……そして希望。
本当だろうか?こんなに短期間でこんなに変われたのだろうか?
天井を見上げた。記憶が頭の中に溢れてくる。りんさん、エリザさん、アヤさん、かんなさん……それぞれが人生に何かをもたらしてくれた。
諦められない。今は、諦められない。
彼女たちを失いたくない……
……待てよ。どうして彼女たちのことをそんな風に考えているんだ?顔が熱くなって、自分自身に恥ずかしくなった。
こんなことを考えながら、寮へ戻ることにした。部屋に着くとベッドに倒れ込んだ。これから何をすべきなんだろう?
先生の言葉が頭の中で響き続ける中、恐怖に負けないと決めた。ひめかがここにいるなら、対峙しなければ……
深くため息をついて、目を閉じた。今は、休もう。
* * *
夢の中に沈むと、世界が違って見えた。ひめかが目の前にいて、昔のように微笑んでいた。まるで何も起きなかったかのように。自然に話しかけてきて、何年も感じていなかった温かさを感じた。全てが完璧で、あの日が存在しなかったかのようだった。
でもその平和は長く続かなかった。少しずつ、彼女の表情が変わっていった。視線が冷たくなり、憎しみと軽蔑に満ちていく。言葉の一つ一つが心臓を貫いた。胸に重みを感じた。押し潰されるような。呼吸が荒くなり、空気が肺から逃げていくようだった。叫びたかった。でも、できなかった。恐怖に囚われていた。
目覚まし時計の音で飛び起きた。息を切らし、心臓が胸の中で激しく打っていた。圧迫感はまだそこにあった。でもそれは夢じゃないと気づいた。現実だった。
視線を落とすと、手が震えていた。昨日はひめかと対峙する意志を感じていたのに、今日は全く違う。恐怖が全てを飲み込んでいる。恐ろしい。本能的な感覚――恐怖は恐怖しか生まず、その恐怖には「ひめか」という名前がある。動揺してしまう……
深呼吸をして、少し落ち着いて考えた。昨日から、頭の中にあるのはひめかだけだ。彼女以外、何も考えられない。これは本当に深刻な影響を及ぼしている。
その時、彼女たち全員のことを思い出した。それぞれが信頼を示してくれた。もしかしたら、彼女たちも自分が彼女たちを信頼することを期待しているかもしれない……
彼女たちにひめかのことを全て話すべきだろうか?助けを求めるべきだろうか?
分からなかった。たくさんの感情が内側で戦っている。今、本当に何を感じているのか定義しようとして……
手を見つめた。変わりたいという気持ちは本物だ。それに疑いはない。でも、どうして今でも迷っているんだろう?
アカデミーへ向かって歩いていると、アイアンハートさんに出会った。僕を見た瞬間、とても心配そうな表情で近づいてきた。それは明らかだった。
「昨日エリザさんから聞いたわ。それで?なんで倒れたの?」
アイアンハートさんがそう言った。僕は恐れずに彼女を見つめた。その瞳には……心配の色が映っていた。
信じていいのだろうか、彼女を。全部話すべきなのか?
「……あ……大丈夫、です……」
声が……出ない。言いたい言葉が口から出てこない。
結局、何も言えないまま、アイアンハートさんと並んで歩いた。沈黙が重い。
教室に着くと、ハサウェイさんが待っていた。彼女は急いで近づいてくる。
「アレンさん、もう大丈夫ですか?昨日戻った時、廊下の真ん中で倒れていて……本当に……とても心配しました」
彼女の表情を見て、また同じ疑問が浮かぶ。
彼女たちに知られても大丈夫なのか?彼女たちを信じていいのか?本当に……僕のことを友達だと思ってくれているのか?
その時、アイアンハートさんが僕の背中を軽く叩いた。
「心配すんなってエリザ。本人が大丈夫だって言ってんだから、信じてやろうぜ」
その言葉を聞いた瞬間――僕は激しい衝動に駆られるまま、彼女の方へ身を捻った。
彼女は明らかに驚いた。
「うわっ!……な、何?なんでそんな顔で見るのよ?」
二人を見つめる。その表情は……心配している。それが分かる。僕は人を観察する人間だ。彼女たちの気持ちが理解できる。少なくとも、大体は分かる。
彼女たちは本当に心配してくれている。
何も言わず、自分の席に座った。
二人が近づいてくる。もう気づいたんだろう……僕が大丈夫じゃないって。
案の定、アイアンハートさんが最初に切り込んできた。
「おい!どうしたのよ?様子がおかしいわよ。昨日何があったの?」
「アレンさん、もし助けが必要なら、私たちに話してください」
二人を見る。
まだ迷っている。でも……なぜ?
ひめかのせいか?何が僕を止めているんだ?それとも……彼女たちに僕の惨めな姿を見られた恥ずかしさか?
その時――
ガラッ!
扉が勢いよく開いて、黒神さんが駆け込んできた。僕のところまで一直線に近づいて、驚くほどはっきりとした声で言った。
「アレンさん、大丈夫?もし薬が必要なら持ってるから、はい!」
彼女は胃薬の箱を手に差し出した。
受け取ろうとしたけど……手が出せない。言葉を紡ごうとする。
「ぼ……えっと、あ、あり――」
入口から聞こえた声。
「『ありがとう』って言うんだよ、アレンくん。なんでそんなに緊張してるの?お化けでも見た?」
りんさんだ……。
いつも笑顔で、いつも強くて、勇敢で。
僕もあんな風になりたい。
彼女が近づいてくるのを見て、全員が集まっているのを見て……何かが胸の中でぐちゃぐちゃになった。
りんさんには、自分の恐怖について話した。だから今は彼女のことを名前で呼べる……。
もう隠すものは何もない。
最大の「恥」はもう起きた。それでも彼女たちは逃げなかった。それどころか、心配してくれている。
もう取り繕う必要がない。真実を隠すプレッシャーが消えていく。
「みんな……とても大切な話がしたいんだ」
全員が黙った。僕の言葉を待っている。
気づく――彼女たちは僕に注意を向けている。もっと知りたがっている。
彼女たちは僕と一緒に戦ってくれた。
りんさんは……決して見捨てなかった。自分のトラウマを話してくれた。僕の支えだ。
アヤさんは……僕のために九条さんと対立した。もっと強くなれと挑戦してくれる。
エリザさんは……腐敗した権力に立ち向かう勇気を見せてくれた。僕が彼女を守った、そして今度は彼女が僕を守ってくれる。
かんなさんは……一番弱い時に心を開いてくれた。僕たちは同じ脆さを共有している。
彼女たちはただの友達じゃない。バトルの仲間だ。
一人ひとりを信じたなら、なぜ全員を信じられないんだ?
ひめかはここにいる。これは自然に終わらない。
もう一人でいたくない。
この重荷を一人で背負うのは疲れた。それが僕を殺している。
孤独は……脆弱性よりも恐ろしくなった。
もう一度、みんなを見た。
アヤさんは腕を組んで、反抗的な視線。でも髪型のせいで全然怖くない。
エリザさんの瞳には、守ろうとする決意が満ちている。
かんなさんは何も言わないけど、その視線は真剣で理解に満ちている。彼女自身が僕の前で感情的に崩れたことを思い出しているんだろう。
りんさんはただ小さく静かに微笑んで、「ここにいるよ。何を決めても、一緒にいる」と伝えている。
その集団的な心配、静かで期待に満ちた眼差しが、最後の確証だった。
プレッシャーじゃない――彼女たちは僕を支えるために待っている。何であろうと。
僕は――僕は、ついに……話そうとする前に……泣き崩れた。
友達ができるなんて思ってもみなかった。ましてや女子の友達なんて。
みんながさらに心配する。でも止められない。ただ涙を流させた。恐れも恥もなく。
やっと落ち着いた時、分かった。
彼女たちを頼っていいんだと。
息を吸って……全部話した。
女性への恐怖のこと……ひめかのこと……彼女がこのアカデミーにいること、そして倒れた理由。
「もう逃げたくない。逃げたくないんだ。でも……一人じゃできない。もう……これを一人で抱えたくない」
みんなを見つめる。目は少し潤んでいるけど、新しい明晰さがある。
「君たちに話したのは……信じているから。友達だと思っているから。そして……助けが欲しいんだ。怒りで彼女に立ち向かうためじゃなくて……彼女をまた見た時に倒れないように支えてほしい。今の僕が誰なのかを思い出させてほしい。あの時の僕じゃなく」
治ることはないと分かっている。でも意識的に、勇敢に、助けを借りて戦うことを選んだ。それが新しく深い旅の始まりを示している。
りんさんが最初に声を上げた。
「そうこなくっちゃ、アレンくん!まああたしにはもう話してくれてたけどね、えへへ」
他のみんなが一瞬むっとした表情になったけど、すぐにその怒りを脇に置いた。
今度はアヤさんが言った。
「そいつがアカデミーにいるってんなら心配すんなって!わたしが直接ぶっ飛ばしてやるぜ!」
エリザさんが肘で軽く押した。
「アヤさん、乱暴はいけません」
「ちっ……」
エリザさんが僕の手を取った。
「痛みを伴うお話をしてくださって、ありがとうございます。クラスの委員長として約束します。あなたも、他のみんなも、誰にも傷つけさせません」
かんなさんが僕のすぐ隣に来て、しゃがんで目線を合わせた。
「知ってる人と向き合うのが怖い気持ち……分かる。アレンさんの場合はひめかって子。私の場合はお父様……だから、今のアレンさんの気持ち……理解できる。だから……できる限り手伝う」
もう考えることも言うこともない。
ひめかがこのアカデミーにいて、この廊下を歩いていようと……彼女たちがいる。
僕は何年ぶりかに……安堵を感じた。
長い沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは、りんさんだった。
「アレンくん、もしこれに立ち向かうのに助けが必要なら、あたしに任せて。一人じゃないんだから」
アヤさんも、しっかりと頷いた。
「わたしも、アレン。一人で抱え込む必要なんてない」
エリザさんが少し身を乗り出して、穏やかな笑みを浮かべた。
「以前、わたしを助けてくださいましたね、アレンさん。今度はわたしがあなたを助ける番です。これ以上、彼女にあなたを傷つけさせたりはしません」
かんなさんが両手で僕の頬を掴み、強制的に視線を合わせてきた。
「私も。一人で戦うんじゃない」
胸の奥に、妙な熱が広がっていくのを感じた。この感覚は、経験していなかったものだ。まるで初めて、一人じゃないと思えた瞬間のように。
恥ずかしさと感情に圧倒されて、思わず視線を落とした。
アヤさんが僕の不器用さに気づいたのか、軽く腕を小突いてきた。
「照れてんじゃないわよ。頼っていいってことよ」
何か返事をしようとした瞬間、ポケットの中でスマホが振動音と共に鳴った。
全員の視線が僕に集まる。
携帯を取り出して画面を確認すると、通知が表示されていた。
『新しいスキルを獲得しました』
目を見開いた。これはつまり……内側で、何かが変わったということだ。
一番近くにいたかんなさんが画面を覗き込んできた。
「これは……」
ゆっくりと頷く。まだ、目の前の現実を処理しきれていなかった。
他の三人も僕の周りに寄ってきて、スマホの画面を見た。全員が驚いた表情を浮かべている。アカデミーのシステムが、僕の変化を認めた。これがその証拠だった。
新しい感情の波が胸に押し寄せてきた。
この子たちが、思いもしなかった形で支えてくれている。本当に、恐怖を乗り越えられるかもしれない。そんな気がした。もしかしたら、ほんのもしかしたら……前に進めるかもしれない。
「ありがとう……」
全員に向けて、そう言った。心の奥で、小さな希望の光が灯ったような気がした。
* * *
それから数日間、僕の生活は大きく変わった。
もうすぐ行われる中間試験のために、みんなで一緒に勉強することになったんだ。土曜日も日曜日も、アカデミーの図書館に集まって勉強した。試験で失敗するわけにはいかなかった。
自分に嘘はつけない。廊下を歩くたび、ひめかさんと出くわしたらどうしようという恐怖が頭をよぎる。でも、もう一人で歩いているわけじゃない。今は、暗闇に満ちた道を照らしてくれる存在がいる。彼女たちと一緒なら、長い間不可能だと思っていたこと――女性への恐怖を乗り越えること――ができるかもしれない。
そして、中間試験の日がやってきた。
複数の科目が行われる、長い一日。このアカデミーでは、優秀な成績を収めた生徒は現在のクラスに留まることができる。もし入学時よりも高い成績を出せば、より上のクラスへ転属する選択肢が与えられる。ただし、転属の権利を得ても、そのまま留まることも可能だ。
つまり、僕やみんなが成績を上げて転属の権利を得たとしても、全員が同じ意見だった。
誰も、Fクラスを離れたくない。
それは、互いに共有している気持ちだった。
ただ、本当に不安だったのは、結果が発表される一週間後のことだ。新しい生徒がFクラスに配属される可能性がある。僕と彼女たち四人だけの小さな空間が終わるかもしれない。でも、悲しむことじゃない。彼女たちがどこかに行くわけじゃないんだから。
Fクラスに新しいメンバーが増えることも、悪くないはずだ。
そう考えると、来週誰が来ても怖がる必要はないと思えた。
永遠に続くかと思われた試験の日が、ようやく終わった。
寮に戻る準備をしていると、アヤさんが近づいてきた。
「ねえ、忘れてないわよね。明日から演劇部の部活動が再開するから」
「ああ、忘れてないです」
そのまま帰ろうとすると、アヤさんが僕のブレザーを引っ張った。
「……どうしたんですか?」
「……一緒に、帰ろ」
彼女が緊張しているのが分かった。でも、喜んで一緒に寮まで歩くことにした。
靴を履き替えて外に出ようとしたとき、少し離れたところで生徒のグループがこちらをじっと見ていることに気づいた。アヤさんも気づいたようだが、最初は無視していた。
それでも、彼らの声が大きくなって、聞こえてくるようになった。
「ねえ、見て。あの男子だよ」
「あ! 本当だ。薬物か何か使ったって噂の」
「うわ、気持ち悪い」
アヤさんが明らかに苛立った様子で振り返ったが、そのグループは彼女を完全に無視して話し続けていた。
「図書館の前で吐いたらしいよ」
「審判委員会の人を襲ったって聞いた」
「怖い。そんな暴力的な奴、ここに要らないでしょ」
アヤさんが我慢できなくなって、声を上げながら彼らに近づいた。
「ちょっとあんたたち! 何言ってんのよ!」
「うわ、あいつの恋人も同じくらい暴力的じゃん。行こ、行こ」
生徒たちはそのまま立ち去った。アヤさんがもう一度怒鳴ろうとしたが、僕が止めた。
「放っておいてください、アヤさん。僕のことを言ってるのは分かってますけど、気にしませんから」
「……わたしは気にするわよ」
彼らの言葉をしっかり聞いていた。何かが起きているのは明らかだった。図書館の前での失神について触れていたから、間違いなく僕のことを話していた。
噂が広がっているのか? でも、なぜ? 何のために? それに、実際に起きたことと全然違う内容になっている。
何が起きているのか理解できなかったが、一つだけ確かなことがあった。
これは、いい方向には転がらない。
次回――
閉じたはずの記憶が、
静かに、しかし執拗にノックを始める。
過去はもう追ってこない。
そう信じたかった。
だが、同じ声、同じ痛みが、再び現在を侵食する。
前に進むほど、足元が揺らぐ。
強くなったはずの心に、走る亀裂。
これは成長ではない。
「耐え続けてきたもの」が、限界を迎える物語。
次回、
アレンは自分自身から逃げ切れるのか――。
気になった方は、ぜひ読んでみてください。




