陰謀の片鱗
違和感は、確信に変わる。
偶然にしては整いすぎた仕組み。
沈黙を保つ者たち。
そして、説明されない“例外”。
アカデミーは平等を謳っている。
だが、その平等が
誰の手で、何のために維持されているのか――
彼は、ようやく考え始めてしまった。
これは、
戦いではなく「疑問」から始まる物語。
朝日が差し込む窓から目が覚めた。アカデミーの寮の部屋だ。天井を見つめながら、昨日のことが頭をよぎる。あの重い空気……あの圧倒的な感覚……。
身体を起こして、床に足をつける。その足取りはどこか不確かだった。
バスルームの鏡に映る自分の顔を見つめる。何を見てるんだ、こんな顔で。目の奥には何かが残っていた。迷い?それとも……。鏡の中の自分に呟く。
「僕だけじゃなくて……彼女たちのことも……」
そこで思った。
こんなにも信頼してくれた彼女たちを、信じなくちゃいけないんじゃないか。彼女たちも僕を信じてくれた。だから...僕も信じるべきなのかもしれない。
彼女たちも同じように頑張ってくれたんだから。
準備を整えて、部屋を出る。アカデミーへの道のりは、この時間はまだ人通りが少ない。朝の空気が肌に触れる中、足を進める。
ふと、後ろから誰かが歩いてくる気配を感じた。距離が近い。とても近い。
緊張が走った。神経が張り詰める。思わず足を速める。
するとその後ろの人物も速度を上げた。
……何かあったのか?
背中に緊張が走る。胸がバクバクする。アルムだったのか?それとも……関係者だったのか?まさか問題が……と思ったその時。その時だった。
「おはようございます〜 アレンくん!」
後ろを振り返ると、そこには朱里さんがいた。新聞部の部長だ。
「え……朱里さん?」
「そっかあ、なんだか元気そうね。昨日のあの二年生とのことがあった後だからさあ、心配してたんだ」
朱里さんが横を歩く。距離が近い。視線を正面に向けたまま、何も言わない。
不快感が走った。彼女がそばにいるだけで、気が休まらない。目を見ないように気をつけたが、突然その視界に彼女の顔が...
「――!」
止まってしまう。
「ちょっと、あの二年生の生徒と彼のお友達たちがどうなったか……気になりませんか?」
……知りたい?いや、アルムと彼の仲間がどうなったのかは気になるけど……もう知らない方がいい。そう思って、首を横に振った。
しかし、朱里さんは構わずに話し始めた。
「あのグループね、追加の作業命令と監視処分が下されたんだ。自分たちの行動のせいでさあ」
聞きたくない。でも朱里さんは止まない。この子は、空気が読めないんだ。いや、読もうとしないのか。その押し付けがましい態度は、いつも疲れさせる。
「それにね、生徒会長がわざわざその二年生たちを怒ってさあ。学園長とも話し合ったんだって。あの子たちへの態度をはっきりさせるためにね」
「あ、あ、朱里さん……」
弱々しい声。でも彼女は気付かない。
興味がない。でも朱里が話し続けるのは確実。話をしてる途中で止まるなんて、この子はあり得ない。
「それにね、このニュースは新聞部の大スクープになるんです。全アカデミーが知ることになりますよ。それも、あなたのおかげで」
あぁ、この人……しつこい。なぜこんなに話し続けるんだ?
歩みながら、朱里さんを見つめることはできない。それでも彼女は話を止めない。あたかも引き戸に「押してください」と書かれた看板を無視して押し続ける人のように。
突然、朱里さんが黙った。
頭を下げている。何か変わった。空気が変わった。
「……?」
こっちを見ていない。
でも次の瞬間、朱里さんが顔を上げた。その視線が僕と交わった。
「――!」
視界がぶれた。思わず後ろに倒れこむ。
「あ、大丈夫ですか?急に倒れちゃって」
立ち上がる。でも、彼女の様子がおかしい。違う。さっきと違う。いつもと違う表情をしている。
「あ!ごめんなさい。急に無言になったなんて失礼ですね。ですが、その二年生の生徒を聞いていて……思い出したことがあるんです。去年のことなんですが」
去年?
その言い方で、僕の好奇心が刺激された。これまでとは違う、何か重い空気を感じる。去年……何があったんだ?
「……それ、聞かせてくれませんか?」
朱里さんは深呼吸する。
「実は、去年は本当に異なることばかり起きました。その中でもありましたのが、アカデミーのポイントシステムをハッキングする装置が存在するというウワサです。三年生の生徒が作ったのだと言われています。学園長は、システムを操作した者には厳しい処罰を下すと発表しましたが……そのウワサは完全には消えませんでした」
ポイントシステムをハッキング?そんなことができるのか……。心臓が鼓動を速める。
「さらに……文学部の部室で発見されたという装置についてのウワサもあります。その装置は、生徒の能力値を改ざんし、それを永続的にしてしまうことが可能だったそうです。ですが、このことを知っているのはごく少数です」
氷漬けにされたような感覚だ。彼女の言葉は、SFの小説から飛び出してきたようなものばかりだ。アカデミーがこんな重要なことを隠してるのか……?本当にそんなことが……?
「聞いてよ、アレンくん。このアカデミーには、生徒たちに関する秘密がたくさんあるんだ。もしかしたら、先生たちにだってね。何かが、みんなの背後に隠れてるんだ。そしてね……私は、それを明かしたいんだ」
朱里さんの真摯な眼差しを感じる。
彼女が言うことは……本当かもしれない。実際に、ポイントシステムを改ざんする装置が存在するなら……このアカデミーのシステムには大きな穴がある。それは意図的なのか?それとも……設計段階での失敗なのか?
何か危険なものが、影の中で動いている気がする。そんなものの一部になりたくはない。でも……ここにいるだけで、僕はもう関係してしまっている。
論理では説明できない。ここには論理では到達できない何かがある。
「アレンくん、もう一つ話したいことがあります」
朱里さんの声で、思考を引き戻される。
「実は、生徒会長があなたに伝言を預けてくれたんです」
「え?生徒会長が……僕に?」
「そう。時間があれば、今日中に彼に会いに来てほしいと言っていました。生徒会室に誰かがいますから、大丈夫です。本当に今日中ですね」
それだけ言うと、朱里さんは何も言わずに走り去ってしまった。
一人取り残される。
生徒会長?……僕に?なぜ?
考えることが多すぎる。何にせよ、これはもっと複雑なことになるだろう。気が進まなくても、相手は権力のある立場にいる。逆らうわけにはいかない。
深く息を吐く。
結局、行かなければならないんだ。
時間が経ち、放課後になった。生徒会室の扉の前に立つ。
緊張で胃が痛い。深呼吸をして、扉をノックした。
「どうぞ」
女性の声。中に入ると、机の両側に二人の生徒会メンバーが座っていた。
長い黒髪の女性。その目は「友人が必要ない」と主張している。
その隣に、笑みを浮かべた男。彼にとって「心配」という言葉は存在しないのだろう。
彼らは昨日、アルムたちを止めに来た生徒会のメンバー。
二人の視線が僕に向かった。何かを言うのを待っている。
「あ、僕は……」
言い終わる前に、黒髪の女性が厳しい眼差しで睨んだ。その途端、背筋が凍る。
でも、そこに新たな声が響いた。
扉が開く。
「彼は無理を言うなよ、柳さん」
振り返ると、生徒会長...銀太郎会長だ。
「入って、ウェバーさん。座ってくれ。ちょっと話したいことがあるんだ」
銀太郎会長の声に促されて、僕は近くにあった席に腰を下ろした。机の中央あたりだろうか。話を聞く準備を整えながら、彼の次の言葉を待つ。
「まずな、アルムのグループはもう君にとっても、君の友人たちにとっても、アカデミーにとっても問題にはならないんだ。だから安心していいぞ」
その言葉を聞いた時、僕の胸から重りがふわりと消えた感覚があった。生徒会長——そう呼ばれるほどの立場の人物からそう言われれば、信じるしかない。これからは、何か悪いことが起きるんじゃないかという不安に駆られることもなくなるだろう。
けれど、銀太郎会長の表情は変わらず真摯だった。
「だが、もう一つ話題がある。実は、すべてのことは霧崎さんが必死になって僕のところへ来たからなんだ」
霧崎さん……? 確か、あの時、彼らが現れた瞬間、霧崎さんだけが何かをしていた。僕にはその意味がわからなかったけど……今思えば、彼女はあの場をコントロールするために、誰にも気づかれないように動いていたんだ。
「霧崎さんというのは……解決策を見つけ出す人だ。どんなに難しい状況でも」
銀太郎会長がメガネを直しながら話す。霧崎さんの名前を出した後、少し間が生まれた。
「ああ……あいつには、そういった能力がある。あいつみたいに落ち着きを保つ者は少ないからな」
窓の方へ視線を向けながら、皆の視線から逃げるように呟いた。
霧崎さんについて考える。確かに、時々やり過ぎなところがあるし……あいつのことだから、激しい一面も持ってる。
「まあ……決断力がある。それは尊敬に値することだろう」
再びメガネを調整する銀太郎会長。何か変だ。いや、本当に何かおかしい。霧崎さんが助けを求めに来た時、何かあったのだろうか……?
「あ、そうなんですか……? どうしていつも霧崎さんのことを話すんです?」
今度は銀太郎会長が喉を清める。教室が静寂に包まれた。
理解できなかった。銀太郎会長が霧崎さんについて話すその…何というか。正確さ?まるで彼女について発する一語一語が、すべて計測されているかのような。他の誰かについて話す時とは明らかに違う。だが……それが何になるというんだ?
ただ……なぜ、彼女について聞かれた時、返答に時間がかかったんだろう?
「彼女が積極的に動いてくれたおかげで、ハサウェイさんは権力濫用者の手から解放されたんだ。だがな、僕にとって最も驚いたのは、別のことなんだよ」
銀太郎会長は机の上の本を手に取ると、ページをめくりながら、そして立ち上がり、左右へ小刻みに歩き始めた。彼の思考の方法なのだろうか。落ち着きのない動きながら、その姿からは沈思の跡が感じられた。
「知ってるか。こういった状況は学校ではよくあることなんだ。小生徒から中生徒まで、どのレベルでも起こる。原因は色々だが、結果はいつも同じ。誰かが傷つくんだよ」
ハサウェイさんのいじめについて話しているのか。僕は首を傾げた。銀太郎会長はこの話題をどこへ導こうとしているのか。
「そういったことに対抗する最善の方法は、話し合うことだ。だがな、霧崎さんは誰かのために自分で動くことを選んだ。その信念は立派だ。けれど……もし彼女が気付かなかったとしたら? ハサウェイさんがこのまま何年も続いたとしたら? 結局、彼女自身も自分で立ち向かうことを学ぶ必要があるんじゃないか」
その言葉に、僕の胸は少し痛んだ。あまりにも冷淡に聞こえる。あたかも、起きたことの重大さを理解していないかのように。
「悪い。時々、言葉が不親切になってしまうんだ」
銀太郎会長が急に止まる。
「もちろん、君だって大事な役割を果たしたんだ」
彼が僕をじっと見つめた。別に敵意はない。ただ、なぜか心が落ち着かなかった。
「本題に入ろう。天城アルムが何か言ったことを覚えてるか?」
「ポイントシステムの装置について……ですか?」
「そうだ。で、その話を聞いた君に、二つお願いしたいことがあるんだ」
銀太郎会長の言いようからすれば、これは頼みごとというより、拒否できない何かのように聞こえた。正直なところ、その装置についても、システムをハックしたことについても、全貌を理解していない。だが、重要なのはそこではないのだろう。
「まずは、このことを誰にも話すなということだ。もちろん、君の判断で信頼できる人物なら別だが」
「それは……大丈夫です」僕は頷いた。そこまでなら、難しくはないはずだ。
「二番目は、僕の『衛星』になってほしいんだ」
「えっ?」
意味が分からなかった。衛星? まさか、宇宙へ?
「困った顔をしてるな。申し訳ない。説明が悪かったか。要するにな、生徒会の『情報提供者』になってほしいんだ」
ああ、なるほど。そうなると理解できるようになった。だが、なぜ僕? その疑問が顔に出たのだろう。銀太郎会長が続ける。
「なぜ僕?」
「その質問が出るだろうと予想してた。だからな、短く説明するぞ」
机の上に本を置くと、デジタルボードに素早く文字を入力し、指で画面をなぞる。
「君はFクラスだ。観察力がある。全生徒の中に潜む『スパイ』みたいなもんだ。—これで充分だろ」
なんという説明の仕方だ。でもデジタルボード上にも、ほぼ同じ内容が表示されている。僕はそれを処理した。生徒会長が求めているのは、影から全てを見張る存在。生徒会長や他の役員に報告する。だが、なぜそんな監視者が必要なのか……アカデミーの中には、本当に何か隠された事実があるということなのか? 僕は答えが欲しかった。
「会長、協力させていただきますが……じつは、何を監視すればいいのか。特定の誰かや何かがあるのか。教えていただけますか? アカデミーの本当の真実が何であるのか……知りたいんです」
銀太郎会長はじっと僕を見たまま、何も言わなかった。眼鏡に指をかけると、レンズが光ってその瞳が見えなくなった。
「想像より好奇心があるんだな。もっと無関心だと思ってた。だが、いい。教えよう」
彼は机に腰かけ、指を組み合わせた。思考の姿勢だ。
「ここなんだ。僕は普遍的じゃない。400人以上の生徒がいるこのアカデミーで、全てを知ることはできない。わかるか、その意味?」
「……」
「僕は君たちと同じ、ただの人間だ。全てを把握することは不可能なんだ。だから、『衛星』が必要になるんだ。そいつらが僕の手の届かないところまで見張ってくれれば、昨年から続いてるこの悪循環を止めることができる」
銀太郎会長の真摯な言葉から、僕は彼をより深く理解した。生徒会長という立場を、本気で受け止めている。全ての生徒を救いたい。その悪意を根絶したい。そして、自分の限界を知っているから、助けを求めている。だが、生徒会長さえもが事実の全部を知らないというのは……考えるだけで恐怖が走った。
「もっと話してあげたいが、僕にも十分な情報がないんだ。だから、申し訳ないが……」
銀太郎会長が頭を垂れた。
「あ、いや! 頭を上げてください。お願いです」
咄嗟に僕は声をあげ、彼の行動に動揺した。
一転して、彼の顔に笑みが浮かぶ。それは決意に満ちた表情だった。
「ああ、わかった。では、これでいいなな?」
「……はい」
「よし。『衛星』として、アカデミーで動いてくれることを頼むぞ」
銀太郎会長はなぜか「衛星」と言い続けるが、もう慣れるしかないだろう。
「では、他の生徒会メンバーを紹介する時間だ」
彼が立ち上がり、女性の方へ向かった。
「彼女が柳サキ。生徒会の副会長だ」
厳しい表情の柳さんが、ただ頭を軽く傾けるだけで挨拶とした。その眼差しは変わっていない。相変わらず鋭く、冷徹だ。
「そしてこいつが杉野ケン。会計だ」
のんきそうな顔をした少年が手を振った。こんな大事な役職に、こんなに脱力した表情の人物がいるのか。不思議だ。
「あと一人、恵比寿ちづるがいるが、今日は風邪で来られてない。書記をやってる」
生徒会のメンバーたち。一見したところ、信頼できそうに見えた。
僕は、難しい状況に自分を置こうとしていることに気付いていた。だが、同時に――いつもと違う冒険に心が踊るのを感じた。
結局のところ、求められているのは、僕がいつからしていたことだ。観察者。影から全てを見つめる存在。その力を活かして、アカデミーを助けることができるなら。その興奮は、一日を飛ぶように過ぎさせた。気付く間もなく、放課後は終わっていた。
* * *
目覚めかけている感覚と、過去の記憶が一気に襲いかかってくる感覚の中にいた。――彼女がまた、脳裏に浮かんだ。
ひめか。その言葉。怒りに満ちた顔。
ハッと目を開けた。呼吸は荒い。周囲を見渡す。部屋の暗闇。それが安堵をもたらすのか、それとも恐怖をもたらすのか――判断できなかった。
あの出来事から二週間が経っていた。銀太郎会長が頼んできたあのことから。
特に異常はない。普通でもない。だが、静かな日々は続いていた。幸運なことに、女性への恐怖心は大幅に軽減された。唯一の例外は、霧崎さんとハサウェイさん、そしてアイアンハートさんの三人の前でだ。彼女たちの近くにいても恐怖を感じなくなったことは、僕にとって大きな一歩だった。
だが、今朝ひめかのことを思い出した瞬間――いつもの不安が、より強い恐怖とともに襲ってきた。
それでも、今回の恐怖は違っていた。
失うことの恐怖。
彼女たちとの友情だけは、何があっても失いたくなかった。絶対に。
いつものように、アカデミーへ向けて身支度を整えた。
歩いていると、アイアンハートさんに出会った。
まさか、待ってくれていたのか?彼女は僕に気づくと、笑顔で近づいてきた。
「ウィッス!一緒に行こうぜ!」
頷いて、彼女と並んで歩いた。不快感はない。ただ、少し緊張しているだけ。だが、恐怖は――感じていなかった。彼女の前では、少なくとも。
二人で歩く中、彼女が何かを話し始めた。
「なあ、最近さ。あんた、何か違ってる気がするんだよね。そろそろ、わたしのことを名前で呼んでくれてもいいんじゃないかな」
動揺が走った。
これ……以前も話題になったことだ。彼女の名前で呼ぶことについて。
確信が持てなかった。
理由は単純だ。一般的に、名前を完全には知らない人間に対しては、最初に聞いた呼び方で呼ぶ。姓か名かは問わない。だが、同じクラスの女性たちの場合は違う。彼らの名前は完全に知っていた。それなのに、自然と僕は姓で呼ぶようにしていた。それは一種の防御線だった。「距離を置け」というメッセージを込めた、彼女たちへの暗黙の主張だった。
だが、今は違う。
本当に、そろそろ変わるべき時が来ていたのかもしれない。もっと距離を縮めるべき時が。
「あ……あ……」
アイアンハートさんの名前を口にしようとした、その瞬間――
彼女は予告なしに、僕の手を握った。
驚愕が全身を貫いた。
彼女の手は温かかった。小さくて、ほぼ壊れそうなほど柔弱に見えながらも、同時に確かな強さを持っていた。
震えが、一気に僕を支配する。
制御できない。身体が硬直し、呼吸が重くなる。
彼女は手を離さず、身体を少し傾けて、僕の目を探ってくる。その顔は、僕に驚くほど接近していた。彼女の瞳の細部が見える。長くて繊細なまつげ。
「アレン……」
その声は柔らかくも、同時に確かだった。
「どんなに難しくたって。大事なのは、あんたが前に進んでるってこと。それだけが本当に大事なんだよ。でもさ、時間ばっかり無駄にするなよ?」
その言葉は、僕を縛りつけていた恐怖の壁を貫いた。
こんなにシンプルなのに、こんなに力強い。
彼女は、僕がどういう人間であるかを見ている。そして、それでも後退することなく、僕から目をそらさない。
何かを返したい。何らかの形で、彼女のジェスチャーに応えたい。
手の震えが、徐々に鎮まり始めた。胸の圧迫感が、少しずつ薄れていく。呼吸が、整い始めた。
彼女を見直すと――彼女は、予期しない甘さを帯びた笑顔を浮かべていた。
二人で、静寂の中、歩き続ける。
足取りは軽い。彼女の手の温かさが、これまで経験したことのない、静謐な感覚を僕にもたらしていた。
初めて、僕はアイアンハートさんを信頼できた。霧崎さんへの信頼と同じレベルで。
教室に到着するまで、僕はまだアイアンハートさんと手をつないでいることに気がつかなかった。
霧崎さんが――その光景を目にして、呆然とした表情を浮かべた。
僕とアイアンハートさんが手をつないでいるのを見て。
「あ、あたし。あんたたちが……」
「ああ!何でもねえよ。ただ、こいつが恐怖心を克服するのを手伝ってただけだ」
アイアンハートさんがそう言うと、自分の席へ向かい、何もしゃべらずに、全員から自分の顔を隠そうとしているように見えた。その顔はどうやら赤くなっていたようだ。
一方、霧崎さんは僕を見つめた。その目は――何かを嘲笑うか、何かを楽しむかのようだった。
「フフフ……アレンくんって、結構大胆だったんだ」
「違う、違うんだ。霧崎さん、あれは……彼女が……」
恥ずかしさが、全身を支配した。
顔が熱い。言葉を続ける力もなく、席へ向かった。
腰を下ろした瞬間、ちらりと霧崎さんを盗み見た。
その一瞬だけだったが、僕は――彼女が、何か悲しそうに見えたことに気がついた。
次回――
選択。
沈黙。
そして、踏み込まなかった一歩。
アカデミー内部で進行していた
“評価”と“選別”の存在が、
断片的に浮かび上がります。
何も起きていないように見える時間ほど、
最も多くの決定が下されている。
次に動くのは、
生徒か。
それとも――管理する側か。




